第31話 夏休み
すっかり海乃の私室と化したconte de féesの物置部屋。
海乃が漫画のページを捲る近くでは、ナイチンゲールがソファーに寝そべって本を読んでいた。
今日は店が休みなため、普段のドレスではなく私服姿でナイチンゲールはくつろいでいる。
といっても、格好が派手であることに変わりはないが。
「ちょっとぉ〜」
足をぷらぷらとさせていたナイチンゲールが、海乃の方へと顔をあげる。
その下から覗く本は、誰が置いていったのかいつの間にか物置部屋にあったものだが、全部英語で書かれていて海乃は読むことができなかった。
あとでどんな内容だったか教えてもらおう。
そんなことを考えながら漫画を読んでたので、少しドギマギしながら海乃は椅子から振り返る。
「なぁに?」
「のんきに漫画なんか読んでて……それ、やんなくてもいいの?」
同じ体勢のまま頬杖をついたナイチンゲールが、ニヤニヤしながら顎でさした方には、机の片隅に押しやられた教科書やノートが山積みになっていた。
確かに、ここ最近の海乃は定位置でショーを観劇したり、本を読んだりと遊んでばかりで久しくそれらに触れていない。
「夏休み、もうすぐ終わりでしょ〜?まぁ!どうしてもっていうなら手伝ってあげても……」
「終わったよ」
「んえぇ!?」
ナイチンゲールは、両腕を突っ張りがばりと上半身を上げる。
一つに結ばれていた髪が、肩からさらりと流れ落ちていった。
「うっそぉ!だって、つい最近まで〃もう数字なんてみたくない〜〃って半べそかいてたじゃない!!」
海乃の真似をしてるつもりか、えんえんと泣いてみせるナイチンゲールに、海乃は得意になって胸をそらす。
根っからの文系である海乃は2年生になって、とうとう理系科目に対しての理解の限界を迎えていた。
一向に進まない問題集を前に嘆いてた海乃をナイチンゲールはもちろん、アンやマリー、しまいにはセルジュまでからかってきたことは記憶に新しい。
____海乃、今何時か教えてくれない?
時計を確認した海乃が思わずぎゃっ!っと叫んだのを見て大声で笑っていたマリー。
人ごとだと思ってと海乃は怒ったが、内心マリーがあんなに笑っているのを見たのは初めてで、ちょっと嬉しくなったのは秘密だ。
ナイチンゲールは体を起こすと、背もたれに腕をかける。
指につけられていた指輪が、電球色のライトに反射した。
「ふ〜ん、つまんないの。いったいどんな手を使ったの?」
言葉とは裏腹にナイチンゲールは、楽しそうな笑顔を浮かべている。
海乃もはにかみながら、ペンケースを手に取ってナイチンゲールにも見えるよう掲げてみせた。
シンプルなデザインのなんの変哲もないペンケース。
だが、透明になっている部分に前まではなかったシールが貼ってある。
舟と海がセットになって描かれているシール。
それは、一見ペンケースには合っていないように見えたが海乃はとても気に入っていた。
「日鞠に、勉強教えてもらったの」
どこか自慢げに話す海乃はペンケースを膝の上に置き、シールを指先でなぞる。
1週間ほど前、課題が終わらない海乃と、これまた文系人間である紡を見かねた日鞠が自宅に招待してくれたのだ。
紡とわくわくしながら訪ねた日鞠の家。
出迎えてくれたのは予想外の人たちだった。
「こんにちはぁ!!!」
「わんっ!」
小さな男の子とちぎれんばかりに尻尾を振るゴールデンレトリバー。
呆気に取られている海乃たちが挨拶を返すと、その後ろからドタバタと日鞠が走ってきた。
「こらっ、伊織!テオ!勝手に出るなって言ったでしょうが!」
日鞠が大声をあげているのを見たのは、文化祭の時を除けば初めてだったので、新鮮に思ったことを海乃は覚えている。
息をあげ頰を上気させている日鞠に、伊織と呼ばれた男の子は頭の後ろで両腕を組んでニタニタと笑った。
「だって、ねえちゃんが友達呼ぶの初めてじゃん。ていちょーにお出迎えしないと」
「なー、テオ!」
わん!と大きな声でテオが応え、玄関先でわちゃわちゃと騒いでいると、廊下の奥から日鞠のお母さんもやってきた。
「こんにちは!ひーちゃんから話は聞いてるわ。舞台のこと、どうもありがとうねぇ。休めって言ったのに、この子ったら私の言うことなんてちっとも聞かないのよ……」
「ママっ!!」
今度こそ顔を真っ赤にした日鞠を見て、海乃も紡も思わず顔を見合わせて笑ってしまったのだった。
学校での様子とのギャップに、あれ以来ますます海乃は日鞠のことが好きになった。
「それでね、その後宿題を見てもらったんだけど、日鞠の部屋がとてもかわいかったの」
レースやフリルなどをあしらいつつ、品よくまとめられた日鞠の部屋は、どこかのお城に迷い込んでしまったのかと錯覚するほど素敵だった。
日鞠の熱血指導を受けながら、やっとのことで課題を片付けた後に、ご褒美としてもらったのがこのシールだ。
聞くと色々集めているのだという。
2人が好きそうということで、日鞠が取り出したのは絵本の挿絵のようなデザインのものだった。
カモメが飛ぶ青空を背景に、海に浮かぶ小舟が描かれているものを海乃に。
メガネをかけたハリネズミが本を読んでるものを紡にと渡してくれた。
かわいい!うれしい!と騒ぐ2人を尻目に、別に……と下を向いてしまった日鞠の声は不機嫌そうに聞こえたが、その口角が上がっていることに海乃はちゃんと気づいていた。
「ずる〜い、楽しそうなことしちゃって」
「だから、数字を見たってもう大丈夫。お店の時報係になってあげてもいいよ?」
海乃の言葉にナイチンゲールは豪快に笑う。
目に涙が浮かぶほど笑い転げてるナイチンゲールに、海乃はしてやったりと思いつつも少し恥ずかしくて頰をかいた。
落ち着きを取り戻したナイチンゲールは足を組むと、その上に肘をつく。
シールからノートにと移った視線が、ふと漫画の表紙に注がれた。
「あら?それよくみたら少年漫画じゃない。珍しいわね〜海乃、そんなのも読むんだ」
机の上に置いたままの漫画に手を添えた海乃は、驚いてナイチンゲールに向き直る。
「知ってるの?」
「知ってるも何も結構有名じゃない?アニメにもなったし……バレー漫画といえばって感じあるわよね」
黙って漫画を見つめている海乃に、ナイチンゲールはおやおやぁ〜?と声を上げる。
立ち上がると海乃の隣にまで歩み寄ってきた。
「なになに、もしかして……男の子から貸してもらったの?」
「えっ?あ、うん……そう、春樹くんに……」
もごもごと口を動かす海乃に、ナイチンゲールはますます声を高くした。
少し顔を赤くした海乃は、なんとなく居心地が悪くて目を伏せる。
図書委員の海乃は、当番の関係で何度か学校に行っていた。
春樹も大会があるとかで部活の練習のために、ほぼ毎日学校に来ており、時間がある日は図書室に顔を出してくれていたのだ。
バレー部所属だという春樹に、海乃はルールすらよく知らないと話したところ、この漫画を貸してくれた。
スポーツ漫画はおろか、こういった系統のものを読むのは初めてだったが、手に汗握る試合展開や部活動を通しての青春劇に海乃は胸を熱くしていた。
本当は、とっくに読み終わってたのだ。
今読んでいる巻だって、実を言えば3回目の読み返しに突入している。
でも、海乃は漫画を返せずにいた。
手元で漫画をペラペラとめくりながら、ついこの間見た光景を思い出す。
掛け声と熱気が溢れる体育館。
こっそり覗いた扉の隙間から見えた春樹の姿。
ユニフォームを着て、汗を流しながら必死にボールをレシーブしていた。
「もう一本!」
そう叫ぶ春樹の声は真剣そのもので、海乃は目が離せなくなった。
しばらくして春樹は休憩に入ったのかコートから姿を消してしまったが、海乃はなんとなく話すのが憚られて、そのまま帰宅してしまったのだ。
日が暮れた通学路とジャージ姿の高校生。
夜空の下を並んで歩く部員たちのページで、漫画をめくる手が止まる。
最近、春樹とうまく話せていない。
その原因に海乃は心当たりがあった。
_____だから、海乃のこと……
2人で過ごした丘の上での夜の時間。
あれからだ。海乃が春樹に気まずさにも似たくすぐったさを覚えるようになったのは。
結局、あの時なんて言おうとしたのかも聞けてないし、自分から聞ける気も海乃はしなかった。
考え込む様子の海乃を、含み笑いのナイチンゲールが見つめる。
「もしかして……そのキーホルダーもその子にもらったの?」
海乃はきょとんとして、ナイチンゲールが指差す方向を見る。
そこにあったのは、スマートフォンにつけられたイルカのキーホルダー。
反射的に海乃は、スマートフォンを隠すように胸に抱いた。
目を丸くするナイチンゲールに、はっとして海乃は謝罪する。
「違うの……お母さんがくれたの」
海乃はキーホルダーをスマートフォンごとぎゅっと握りしめる。
長いようで短い夏休み、たった1日だけ青司と2人っきりで遠出した。
出かけた先で、青司が海乃にと買ってくれたのがこのキーホルダーだ。
思い出すのは、暑さもピークを迎えたある夏の日のこと。
青司にどこか行きたいところはないかと問われた海乃がリクエストしたのは、水族館だった。




