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第30話 告白


 「だからっ!」


 春樹の大きな声と、ぎゅっと握られた手に海乃の体がびくりとはねた。

 唇の動きがやけに遅く感じ、海乃も緊張から唾を飲み込む。


 「だから、海乃のこと……」


 突然、2人の間に影が差し、反射的に上を見上げる。

 月光を背にした日鞠がジャージに手を突っ込み立っていた。


 「あの……」


 「きぇぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 いつか聞いたことのあるような絶叫とともに、春樹が丘を転げ落ちていく。


 海乃は慌てて落ちていった春樹の方へと身を乗り出した。


 「春樹君!?大丈夫!?」


 想像以上のうろたえようだったのだろう。

 一連の出来事を静観していた日鞠は、バツが悪そうに後頭部をかいていた。


 「……邪魔だった?」


 「平気、ぜんっぜん平気!ちょうど転がる練習したかったところだからぁー!!」


 丘の下から春樹が声を張り上げる。


 あとはお二人で!と言うが早いか、春樹は文字通り坂を猛スピードで転がり落ちていった。


 取り残された海乃は、ぽかんと春樹が消えていった校庭を見つめる。


 おずおずと振り返れば、口をへの字に結んだ日鞠がじっと海乃を見下ろしていた。


 「……隣いい?」


 「うん……どうぞ」


 海乃が膝を抱え直せば、日鞠も片膝を立てて座り込む。

 春樹のときと違って、沈黙の時間が少し居心地悪かった。


 海乃は地面に落としていた目線を上げ、顔を横に向ける。

 月明かりに照らされた日鞠の顔はいつもより幼く見えた。


 「一条さんはもう体調は大丈夫なの……?」


 「それ、やめて」


 会話をはじめて早々、とんできた鋭い声に海乃の肩がびくんとはねる。


 あからさまに海乃が動揺したのを見て、日鞠もしまったというように海乃を見た。


 しばらく、何て切り出そうか迷うように視線を彷徨わせた日鞠は、息を吐いてぶっきらぼうに言い放つ。


 「……日鞠って」


 「え?」


 「日鞠って呼んでたじゃん……あのとき」


 その言葉に海乃は目を丸くする。


 校舎裏、思わず抱きついてしまったふらふらの背中。

 服越しにも感じた熱い体温が蘇る。


 _____日鞠さん!!!


 無意識に叫んでしまった、日鞠の名前。


 虚をつかれた海乃が凝視していると、日鞠はプイッとそっぽを向いてしまった。


 艶のある短い髪からのぞく日鞠の耳が真っ赤に染まっているのに気づいて、海乃は思わず口元を緩める。


 ますます赤くなった耳を隠し、日鞠はぼそりと呟いた。


 「……私、こんなんだから誰とも連めないし」


 「……黙ってたらいつの間にか王子になってるし」


 絞り出すように紡がれる日鞠の言葉に、海乃は笑みを引っ込める。


 日鞠は顔を両膝に埋めてぎゅっと抱え直した。


 「誰にも頼っちゃダメなんだって思ってた、でも……」


 「みんな、優しくて。自分がビビってただけで本当のこと、言ってもいいんだって……」


 日鞠がそろりと顔を上げる。

 いつもの無表情じゃない。

 潤む瞳が、寄せられた眉が、震えた息が日鞠の心のうちを海乃に伝えてくれていた。


 「私、本当は王子よりお姫様になりたかった」


 言葉を切った日鞠がぐっと唇を噛む。

 わずかに高くなった日鞠の声が、海乃の鼓膜を揺らした。

 

 「だから、日鞠って名前が好き。一条より日鞠がいい」


 鼻を啜った日鞠が、海乃を見つめる。

 初めてちゃんと合わせられた目を、海乃もしっかりと受け止めた。


 「……ありがとう、あのとき私の名前呼んでくれて」


 「本当は、すごくうれしかったの」


 日鞠の瞳からポロリと真珠のような涙が溢れる。

 

 繊細なのに強い輝き。  

 完全無欠と思っていた人の抱えていた弱さ。


 海乃は遠くを見つめた。

 その視線の先にいつか見たステージで歌う姿を、手の届かない背中を思い描くように。


 「私もね、日鞠って名前好き」


 「……私の大切な人の、名前に似てるから」


 それを聞いた日鞠が少し困惑したように、海乃の顔を見上げた。


 海乃も目の前の日鞠をじっと見つめる。


 こちらを伺うような上目遣い、ジャージにしわができるほどぎゅっと握られている手のひら、小さく丸まった背中。


 「でも、今日でもっと大切になった」


 「……違う」


 首を振った海乃は目を閉じる。

 自分の気持ちを探るように、伝えるための言葉を探すように己の胸に問いかけてみる。


 _____そうだ、日鞠は日鞠なんだ


 海乃は出てきた答えに瞼を開けた。


 「大事にしたいと思ったの、日鞠の名前を……」


 「日鞠だけの名前を」


 へらりと笑った海乃は、そっと人差し指を伸ばす。 

 指先が日鞠の少し濡れた柔らかい頰をぷにっとつついた。


 「だから、日鞠も呼んで」

 

 「私のこと海乃って」


 頬が片方へこんだ間抜けな表情のまま、日鞠は大きく目を見開く。


 やがて日鞠は小さく、でも確かにうなづいた。


 「うん、ありがとう……海乃」

 

 涙目になっている日鞠に、海乃がかわいいと呟く。 ムッとした日鞠に肩を押されながらも、海乃は楽しそうに声を上げて笑った。


 しばらくじゃれあっていると、サクサクと芝を踏む音が遠くから聞こえ、だんだんとそれが大きくなってくる。


 振り返ればチョコレートが入ったお菓子袋を胸に抱えた紡が、もじもじと近づいてきていた。


 「えっと……話してるのが見えたから、その……」


 ずいっと差し出したされたチョコレート。

 その合間からひょっこりと紡ぎが顔をのぞかせる。


 「ご一緒しても、よろしいですか?なんて……」


 紡は緊張からか、息を止めぷるぷると震えていた。

 

 海乃は思い出す。

 紡と初めて話した日のことを。


 あの日も同じように震えていた。

 自信がなくて引っ込み思案な紡。


 だけど、今はどうだろう。

 紡はちゃんと自分の足で立って、人に近づく努力をしている。


 紡の変化と成長に驚くと同時に、自分も自信をもらった気がした。


 きっと、私も同じように変わることができているんだと。


 「もちろんだよ、お菓子ありがとう」


 海乃の言葉にぱっと顔を輝かせた紡がちらりと日鞠を見た。


 「い、一条さんは……」


 「日鞠」


 紡の声を遮るように、日鞠が短く告げる。

 だけどすぐに、目を逸らしつつ言葉を付け足した。


 「日鞠でいいよ、私も……紡って呼ぶし」


 「ありがとう。舞台、助けてもらって」


 はわわと体を震わせた紡が、勢いよく日鞠の両手を握る。

 海乃は即座に、宙を舞い落ちてくるチョコレートを受け止めた。


 「うん!わっ、私も日鞠ちゃんって呼ぶ!!」


 「それから、日鞠ちゃんの王子様すっっごく素敵だった!」


 完全に興奮状態に入ったのか、紡は瞳をこれでもかと輝かせ、ぐいぐいと日鞠に迫っていく。


 「隙のない完璧な王子様なのに、どこか影があるというか、作られた仮面の裏を覗きたくなるような奥深さがあったというか……」


 早口に日鞠に捲し立てた紡が、がばっと海乃の方を向く。

 知られざる紡の一面に驚いたのか、日鞠は口を開けて固まっていた。


 「海乃ちゃんも!海乃ちゃんなのに王子様って感じで、存在そのものが役と一体化してるような不思議な感覚だった。こんな2人の王子様が見られるなんて私……!」


 ヒートアップしていく紡の口を、ぽすんと日鞠の手が覆う。

 海乃が包みからチョコレートを取り出し、紡に食べさせた。


 「もうちょっと、ゆっくり喋ってよ……せっかく褒めてもらってんのに、それじゃ分かんないじゃん」


 拗ねたように口先を尖らせた日鞠の横で、海乃がうんうんと首を縦に振る。


 顔を赤くして照れ臭そうに笑った紡は、チョコレートを飲み込み、今度はゆっくりと話し始めた。


 3人の楽しげな話し声が小高い丘の上で響く。


 甘いチョコを口内で溶かしながら、語り手の話を聞く2人の王子様。


 夜空に浮かぶ月が、宝石のように瞬く星を煌めかせていた。



 

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