第29話 後夜祭
海乃は喧騒から離れて1人静かに空を眺めていた。
2日間の文化祭も無事終了し、生徒達は大いに後夜祭を満喫している。
特に、ステージ発表部門で大賞を取った海乃のクラスの盛り上がりは凄まじいもので、先ほどまで海乃もその輪に加わって柄にもなくはしゃいでしまっていた。
特に、すごかったのが紡だ。
紡はクラスメイトたちに、 1番の功労者としてメガネもずれ落ちるほど揉まれに揉まれていた。
普段からローテンションの委員長さえも、熱いハグを紡にしてるのを見たときは、流石の海乃も驚いた。
でも、それ以上に嬉しそうにしていた紡の笑顔を思い出して小さく微笑む。
こんなに楽しい文化祭は初めてだ。
小高い丘に座り込んでいた海乃は、下に広がる校庭を見渡す。
飲み物を片手に歓談している女子グループ。
漫才をしているのだろうか。台の上に乗った男子生徒の周りに人が集まっている。
キャンプファイヤーが明るく輝き、みんなの楽しそうな顔を照していた。
「何してんの?」
後ろからかけられた声に海乃は膝を抱えたまま振り返る。
ジャージを着た春樹が缶ジュースを片手に草原を登っていた。
スペースを開けた海乃の隣にどかっと座り込むと春樹はあぐらをかく。
手に持っていた缶ジュースの一つを海乃に手渡した。
「ありがとう」
受け取った海乃が缶に口をつけたのを見て、春樹も豪快にジュースをあおる。
心地よい沈黙が2人の間に流れていた。
「終わっちゃったな、文化祭」
「うん……春樹君のお母さん、すごい元気な人だったね」
海乃は自分の手のひらを見つめる。
教室に戻った海乃を見るなり、駆け寄って来た女性。
その隣で心底嫌そうな顔でたたずむ春樹の顔は今思い出してもおかしくなってしまう。
春樹の母親は海乃の手を強く握ってぶんぶんと振りながら、良かったわ!本当に良かったわ!!と大きな声で褒めてくれた。
きっと、春樹の声の大きさも母親譲りなのだろう。
「あはは……海乃の母さんは?喜んでくれた?」
決まり悪そうに頬をかき、尋ねてきた春樹の言葉に海乃の缶を持つ手がぴくりと震える。
舞台後に会った青司のことを海乃は思い出した。
頑張ったなといってくれた。素敵だったと笑ってくれた。
でも、そのどれもにほんの少しの距離感を感じて海乃は素直にその言葉を受け取れなかったのだ。
瞼の裏に浮かんだ言葉を飲み込んだような青司の微笑みが、海乃の心をほんの少し沈める。
だけど、文化祭が無事成功に終わった今、出す話題でもないだろう。
海乃は黙ってうなづくだけにした。
春樹が、ぐいっと缶を傾けその中身を一気に飲み干す。
ぺこりと春樹の手の中で缶がなった。
「……ありがとうな」
「え?」
小首をかしげる海乃の方は見ずに、春樹は目を伏せて口元を拭った。
「舞台、何だかんだすげー助けてもらっちゃったし」
「べ、別に私は何も。それに、一条さんの方が……」
「あぁ……」
合点がいったのか春樹も思い返すように、後ろに手をついて天を仰ぐ。
文化祭2日目、見事な復活を果たした日鞠は、生徒どころか保護者も魅了する完璧な王子を演り切った。
だけど、海乃の脳裏に浮かぶのはそんな王子様ではなくて校舎裏での日鞠の姿だ。
_____独りでも頑張らなきゃ、駄目なの
今なら分かる。
日鞠とマリーが似ていると感じた理由が。
寡黙な日鞠の初めての本音。
強がる肩が震えてしまう仕草。
その姿に、自然とマリーの面影が重なったのだ。
少しは力になれただろうか。
そうならいいなと、海乃は膝に顔をうずめた。
優しい夜風が海乃の髪をすくいあげ、草原を揺らして走り去っていく。
重なり合う草からほのかに薫る夏の気配。
長いようであっという間だった時間の流れを海乃は肌で感じていた。
「……でも、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」
降ってきた遠慮がちな声に、海乃が顔を上げる。
春樹はどこか遠くを見るように、顔を前へと向けた。
瞳の中でキャンプファイヤーの炎が踊っている。
「海乃は覚えてないと思うけど、去年の体育の時間に俺、ボールが顔面に当たったことがあって」
「ほんとはめちゃくちゃ痛かったんだ。泣きそうなくらい」
「……だけど、周りの奴らみんな笑ってるし心配かけたくなかったから俺も笑ってた」
校庭の誰かの楽しそうな笑い声が響いてきた。
海乃は体を起こして、春樹をじっと見る。
「鼻血止まんなくなっちゃってさ!体育館裏でうずくまってたんだよ、1人で。俺、何やってんだろーって……」
「そしたら、海乃が来てくれた」
こちらを向いた春樹を見て、海乃も声をもらす。
そうだ、去年の夏、バレーの試合中に怪我をした男の子。
いそいそとコートを後にするその背中を海乃は追っていったのだ。
「……でも、私」
海乃は申し訳なさそうに顔を伏せる。
当時、保健委員だった海乃は自分の仕事をしようとしたまでだ。
春樹に感謝されるようなことなんて何もしていない。
言い淀む海乃を遮るように春樹は笑った。
「いいんだ!理由なんてなんでも……笑わないでいてくれたの、海乃だけだったから」
それに……
そう付け足して、春樹が海乃に向き合い姿勢を正す。
真剣なその佇まいに、海乃も思わず正座をした。
「今回も笑わないでくれた。きれいだっていってくれた」
「俺、すっげぇ嬉しかったんだ!」
「……だなら、ありがとな海乃」
真っ直ぐに海乃を見つめていた春樹がくしゃっと笑う。
風が強く吹き、雲に隠れていた月が出てきて、辺りを照らし出した。
柔らかく降り注ぐ月光がぼんやりと2人を包んでいる。
自分が知らないところで、自分も誰かの役に立っていた。
それが、他ならぬ春樹であったことが。
いつだって素直に自分の気持ちを真正面から伝えてくれるこの人だったことが。
何故だろう、とても嬉しく海乃は感じた。
「……私こそ、助けてくれてありがとう」
「春樹君、すごくかっこよかったよ」
海乃の言葉に春樹は目を見開いたまま固まる。
数秒たっても動きがない春樹を心配して、海乃は春樹の目の前で手を振った。
「あ、あの……春樹君?」
瞬間、海乃の手を春樹が勢いよく掴む。
手のひらから伝わる震えに、異様な熱さに海乃は思わず息をのんだ。
「おっ、俺も……」
「俺も、ずっと海乃のこと……」
言葉を切った春樹が肩で大きく息をする。
覚悟を決めたかのようにがばりと顔を上げた。
「か、かわいいって……思って、ました……」
ぽかんと口を開けた海乃の前で、春樹は夜闇でも分かるくらい顔を赤くしていた。
その言葉を、表情を理解した海乃の顔もみるみる赤くなっていく。
急に熱を出したのかと思うほど、激しく脈打つ心臓に上がる体温に海乃は戸惑いを隠せない。
こんな気持ちは初めてだった。
「だからっ!」
春樹の大きな声と、ぎゅっと握られた手に海乃の体がびくりとはねた。
言葉を発するために形作られていく春樹の唇の動きが、やけにゆっくりと感じる。
頭上では明るい月が、ラストシーンを飾るスポットライトのように明るく光っていた。
あなたのマリーをいつまでも忘れません。
叶うことなら直接この目で見たかったです。
ご冥福をお祈りします。
常にねぎらいの気持ちを持ちなさいという言葉に倣い、ここまで読んでくださった皆さんへ。
拙い文章にも関わらず読んでいただき、本当にありがとうございます。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
これからますます暑くなると思いますが、お身体に気をつけてお過ごしください。
あなたによい夏が訪れますように。




