第28話 終幕
舞台は順調に進んでいき、クラスメイト全員で作り上げた舞台もいよいよラストシーンへと向かっていく。
華やかなダンスパーティーの後、ステージには春樹と海乃だけが残っていた。
階段の下で眠る王子様の顔を人魚姫がそっと撫でる。
「……やっぱりだめだ。俺、あんたのこと連れていけないよ」
静かな声が体育館にこだまする。
最初とは打って変わって真剣な春樹の表情を、観客は固唾を飲んで見守っていた。
「嬉しかったんだ。初めて会った日、あんただけが俺に気づいてくれた……化け物だって追い払わないでくれた」
春樹が海乃の頬にかかった横髪を払う。
そのまま親指で海乃の口端をそっと持ち上げた。
「……王子様は、陽射しの中が一番似合う」
優しく微笑みぽつりと告げた人魚姫。
その影がゆっくりと王子の顔に重なる。
一瞬にも満たないわずかな時間。
それでも、永遠に思えた光景に観客はおろかクラスメイトさえも目が離せずにいた。
立ち上がった春樹は、前を向き大きく伸びをする。
「あぁ、楽しかった!」
階段を一歩、また一歩と春樹は上がって行った。
ドレスの裾が、ヴェールが、流れ落ちる水のように春樹の後に続いていく。
「……じゃあな、王子様」
客席に背を向けている春樹の表情はもう分からない。
しかし、頂上についた後ろ姿から聞こえる声は寂しくも明るい色をはらんでいた。
ゆっくりと暗転していき、会場が闇に包まれる。
暗闇の中で響いた人魚姫の美しい声が、泡のように溶けていった。
「俺、今……」
「最高にきれいだろ?」
大きな波音が聞こえ、静かな漣だけが静まりかえった体育館に余韻を残していく。
波音に紛れ拍手の音が次第に大きくなっていき、人魚姫の物語は終わりを迎えた。
まだ興奮冷めやらぬ体育館を後にして、海乃は外へと飛び出した。
途端、目に飛び込んできた明るい日差しに目を細める。
カーテンコールの時、舞台上から見渡した客席に青司の姿は見つからなかった。
喝采が起こり、たくさんの拍手が送られる中で海乃は青司だけを探していた。
着替えもせずに出てきた海乃に、どこからか王子様だ!と声が上がったが、海乃の耳には届いていない。
たくさんの人が行き交う中、きょろきょろとあたりを見回し、目当ての人を探す。
いくら探しても見つからないその人の影に、海乃の焦りは募っていく。
どんどん周りの音が遠くなり、息があがりかけた瞬間、急に甲高い声が海乃の耳を貫いた。
「うっみのぉぉ〜!!!」
キィーンと耳をつんざくような高音に、海乃はおろか周囲にいた人もギョッと目を見開く。
声の主の隣に立っていた人が勢いよくその人の頭を叩き怒鳴り声を上げた。
「お前は叫ぶんじゃねぇ!この人間拡声器!!」
「いったぁ!ぶたなくてもいいじゃないの、暴力反対!!」
言い争いをしながら近づいてくる2人に、海乃は少し後ずさる。
アイボリーのセットアップに長めの前髪をきっちり分けた男が、海乃を見て笑いかけた。
「すっごくよかったよ。僕、感動しちゃったよ!」
切れ長の目をさらに細めて微笑むその人を押し除けるように、もう1人がヒールを鳴らして海乃に詰め寄る。
サングラスから覗いた目は気だるげだったが、瞳にはいたずらっぽそうな光が宿っていた。
「ちょっと、ちょっとぉ〜町民役だって言ってたのに王子なんて!海乃も隅におけないわねぇ!!」
真っ赤なシャツに黒い細身のワイドパンツ。
長めの髪を下の方でお団子にまとめたその人は、海乃の髪をわしゃわしゃと混ぜた。
海乃は、ぽかんとしたままおずおずと口を開く。
目の前の2人は、きらきらと瞳を輝かせていた。
「……どちら様でしょうか?」
「どちら様でしょうかぁぁぁぁ!?!?」
同時に叫んだ2人の声が青空に響き渡る。
今度こそ、その場にいた全員がこちらを振り返ったような気がした。
しかし、そんな視線は物ともせず目の前の2人はわちゃわちゃと両手を動かしている。
男が必死に自分を指差し、海乃に捲し立てた。
「僕だよ、僕!アン!!見にいくって言ったよね!?」
「えぇ!?」
まさかの返答に飛び退いた海乃がその姿を凝視する。
清潔感があり綺麗めな印象を与えるその格好は、まさに好青年といった感じだ。
とても、店でのアンと同一人物には見えない。
驚きに口をはくはくと開閉させながら、海乃は隣を見やる。
ということは、この人は____
はぁとため息をつき、大袈裟なほど肩をすくめたナイチンゲールはサングラスをとった。
両手を腰にやって、ニヤリと口角を上げて見せる。
「このアタシに気がつかないなんて……お仕置きが必要かしら?」
あんぐりと口を開け固まった海乃をナイチンゲールは軽くこずいた。
「まぁ、ぶっちゃけ僕らも人のこと言えないんだけどね」
苦笑を浮かべたアンが、いつの間にか後ろに周り、乱れた海乃の髪を綺麗に整えてくれている。
されるがままの海乃は目をぱちくりすることしかできない。
「何だかんだで、店以外で会うの初めてだものねぇ」
感慨深そうに頬に手を添えるナイチンゲールに、我にかえった海乃は慌てて2人にお礼を言う。
まだ見慣れぬ姿に内心ドキドキしながら、アンがリボンをキュッと結ぶのを確認して2人を見上げた。
「お母さんは?どこに行ったか知らない?」
「あっ、えっと……」
それまでニコニコしていたアンが急に顔をひきつらせ、ぎくりと固まった。
疑問に思う海乃の前で、ナイチンゲールがアンの肩に手を回して朗らかに笑う。
「それがはぐれちゃったのよ!マリーったら目を離した隙に、すーぐどっか行っちゃうんだから」
思いっきり体重をかけられたアンが顔を顰めさせながら、ぎこちなく海乃にうなづく。
いつまで寄りかかってるんだとアンがナイチンゲールを振り払うその後ろから、大きい人影が近づいてきた。
黒いジャージに短髪の大男。
髭の濃いその顔に化粧は施されてなかったが海乃はすぐ誰か気づいた。
「……セルジュ」
セルジュは無表情だった顔にわずかな微笑を浮かべると、海乃に向かって控えめに微笑む。
「……すごく良かった、頑張ったな」
「……うん、ありがとう」
無口なセルジュに褒められたことが嬉しくて、海乃は噛み締めるようにうなづいた。
柔らかい眼差しで海乃を見ていたセルジュが、中庭の方を顎でさす。
「向こうでマリーを見かけた、迎えにいってきたらどうだ?」
その言葉に海乃は、パッと顔を輝かせた。
「っうん!!」
大きく返事をして3人に手を振り、海乃は駆け出していく。
人混みを縫うように中庭へと走る海乃の背中を、どこからか吹いた風が強く押していった。
中庭に続く校舎の間の道は、影になっていて少しひんやりとする。
狭い道をすれ違うように、海乃の横を袴を着た書道部の生徒が通り過ぎていった。
女子生徒たちは浮き足だった様子で何やら熱心に話している。
「ねぇ、さっきの人見た!?」
「みたみた!超イケメン!!しかも高身長!!」
「かっこよかったよねぇ!芸能人とか?」
「いやいや、誰かの親族じゃない?……まさか、彼氏とかぁ〜!?」
キャッキャと盛り上がる生徒たちを尻目に校舎の間を通り抜ければ、広々とした空間に出た。
騒がしかった校庭とは違い、人もまばらになった中庭の真ん中。
そこに青司が1人で立っていた。
こちらに背を向ける青司の向こうで、書道部がパフォーマンスで使ったものだろうか。
薄水色に塗られた半紙が、風にはためき波のようにはためいている。
静かに立ち尽くすその姿は、明るくも穏やかな日差しも相まって、まるで朝焼けの海を眺めているようだ。
青司の髪が光に透け、オープンシャツがふわりと膨らんではしぼむ。
誰もが目を惹かれる強い背中、それでいて眩い光の中で消えてしまいそうな儚い雰囲気。
その後ろ姿を見つめる海乃の脳裏に、先ほどの女子生徒の会話が蘇る。
____かっこいい、イケメン
確かに、そのどれもが青司を形容することはできるだろう。
だけど、もっとぴったりな言葉は別にあるはずだ。
それこそ、王子様が人魚姫に思わず呟いたような。そんな素敵で大切な、誰かに向けた美しい言葉が。
海乃はそっと、その言葉を心の中で呟いた。
吹く風が草木や半紙を大きく揺らし、海乃は足を踏み出した。
髪に結ばれた赤いリボンが、羽を広げるように舞う。
だんだん近づいてくる青司の背中。
宝物に触れるように、息を潜めた海乃は光の中へそっと手を伸ばした。




