第2話 沈黙
「海ちゃん、寒くないか?」
青司はそう言うと車内の空調を上げる。車体が揺れる振動に身を任せず、海乃は背もたれから背を浮かしたまま、ただじっと座っていた。
「……姉さんのこと、俺も驚いたよ。まったく、最後まで勝手な人だな」
呆れたように、でもどこか寂しそうにつぶやくと叔父は慣れた仕草でドアポケットを探り、目線は前に向けたまま片手を海乃に差し出す。
海乃がのぞき込むと、そこに握られていたのは絆創膏だった。
「足、ひどくなる前に貼っておけ」
いったい、いつ気が付いたのだろうか。
困惑しながらも海乃は絆創膏を受け取り、ローファーを脱ぐ。狭い場所をうまく使って何とか絆創膏を貼り終えると、いつの間にか車は駐車する態勢に入っていた。
「ついた、降りるぞ」
エンジンを止め後部座席から荷物を引っ張り出した青司は、そのままドアを開け外に出ていってしまう。
特に急ぐそぶりも見せず、のそのそと車から出た海乃はマンションのエントランスの方へと向かう青司の後を追っていった。
オートロックを解除し、エレベーターで4階まで。右へ真っ直ぐ向かった突き当りに青司の部屋はあった。
「ここが、俺の家だ。汚いが文句はなしだぞ、これでも急いで片づけたんだ」
そう言って電気をつけ、廊下を進んでいく。いくつか部屋があるのを無視して目の前の扉を開けた青司に通されたそこは、リビングだった。
アイランドキッチンの向かい側にはソファーとローテーブル。座ったらちょうど見える位置にあるテレビの右手側には大きな窓があったが、今はカーテンが閉められ景色を望むことはできない。
確かに、雑誌や上着が乱雑に置かれている印象はあったが、海乃の家に比べたらひいき目にみても100倍はましだ。
まあ、その家にもいつ帰れるか分からなくなってしまったわけだが。
そんな海乃の思いを知ってか知らずか、持っていた荷物を部屋の端に置くと青司はさっきよりも明るい声で、海乃を呼んだ。
「悪いが客間の掃除はまだ終わってないんだ。あしたシーツを変えるから、今日はここで寝てくれないか?」
厚手のブランケットを用意しながら、青司はソファーを指さす。
海乃は無言でうなずき、ブランケットを受け取った。
「服は……大丈夫そうだな、寝巻のまま行ったのか?」
またしても海乃は黙ってうなずくだけだった。
そんな様子を見た青司は一瞬口を結んだが、ふっと力を抜くように笑ってみせる。
「嫌かもしれないが、数日の我慢だ。悪いが辛抱してくれ」
海乃は何か言いたそうに口を開いたが、やはり黙ってうなずくだけだった。
「……おやすみ」
青司はそう告げると明かりを落とし、ランプ型の夜間灯をつけ、海乃に手渡すと部屋を出ていった。
手の中で光るランプをしばらく海乃は見つめていたが、やがてそれをローテーブルに置くとブランケットをかぶってソファーの隅で小さく膝を抱える。
母が死んだ。
別にそのこと自体はどう思ってもいないはずだ。特別母を憎んでいたことも、好いていたこともない。ただ___
ただ、どうしようもなく寒かった。
海乃は夜が嫌いだ。夜はどうしようもなく自分を孤独にさせる、感傷的にさせる。昼間あれだけ鈍感になっているはずの感覚が冴えわたり、心がいやおうなしにかき乱される。
そんな日は、母の声が恋しくなった。たとえ、見知らぬ恋人の愚痴であっても母のかすれた、それでいて耳心地の良いあの声を聞くと安心できたから。
でも、これからはいくら待ってもそんな朝はやってこない。
母は死んだのだ。
海乃はもう一度膝を抱えなおし、顔をうずめる。
ローテーブルで輝いていたランプの光はだんだんと小さくなっていった。




