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第25話 ステージ袖


 先程までの騒がしさが嘘のように教室は静まりかえっていた。


 委員長と紡、衣装係の女子生徒のほかは、みんな先に体育館にスタンバイしている。

 シュルシュルと海乃が服を着る音がやけに大きく響いていた。


 「……着替えました」


 おずおずと顔を出した海乃を3人が振り返った。

 少しの沈黙の後、委員長は苦笑いでバインダーを肩にかける。


 「あー、あれだな。王子というより、いいとこのお嬢さんが無理やり男装させられてるっつうか……」


 「深窓の令嬢が身分を偽るための仮の姿みたいでとっっっても素敵だよ!海乃ちゃん!!」


 紡はロングエプロンをひらめかせ、委員長を吹っ飛ばすと海乃に捲し立てる。  


 励まそうと必死にあわあわと動くその姿は、格好も相まって本当の侍女のようだった。

 

 突然、舞台に立つことになった海乃をいつでもサポートできるようにと紡も衣装に着替えてくれたのだ。

 

 そんな紡の隣で、衣装係の子も全力で首を縦に振っていた。


 「そうそう!やっぱりズボンはそっちの方がいいね!柔らかい色合いと海乃ちゃんのアンニュイな雰囲気が絶妙にマッチしてる!!」


 窓の方まで飛んでいった委員長を横目に確認しつつ、海乃は礼を言う。


 しかし、一生懸命褒めてくれた2人には悪いが、海乃も委員長とまったくの同意見だった。


 真っ白なパイレーツシャツに細身のブラウンパンツ。

 腰をベルトで絞ったため、逆三角形のシルエットは保っているものの、どこかパッとしない。


 パンツも本当は黒いものを着用する予定だったが、海乃だと印象が固くなりすぎるかもという女子生徒の判断で、予備のものを着ることになった。


 その機転のおかげで、衣装を着た完成形としてはかろうじて成り立ってはいる。


 でも、骨格が綺麗な日鞠とは違い、海乃は体の線のカーブが目立つしなおかつ華奢だ。


 どう見ても男装の麗人には程遠い姿に海乃も渋い顔つきになっていく。


 悶々と考え込んでいる海乃を見て、紡たちも矢継ぎ早に励ましの言葉を投げかけた。


 顎を抑えながら、戻ってきた委員長がそんな状況にストップをかけるように軽く手を振る。


 「ピンチヒッターにしては上出来でしょ。時間も迫ってきてるし、私らも移動すんよ」


 ひょこひょこと海乃を挟んでいた紡たちは、時計を確認すると、委員長の後に続いて慌てて廊下へと出ていった。


 履き慣れていないロングブーツに苦戦しながら、海乃も続いて一歩踏み出す。

 おぼつかない足取りで、ゆらゆらとみんなの背中を追っていった。









 

 体育館のステージ袖、演台などが片付けてあるその奥で、海乃はピアノの椅子にじっと座っていた。


 出番のないピアノには赤いビロードの布がかけられ、体育館の振動に合わせて僅かに揺れている。


 幕で閉じられたステージの外、フロアの観客席にはもう人が入っているようで、ぼんやりとしたざわめきが海乃の耳に届いていた。


 __________このざわめきの中に、お母さんもいるのだろうか?


 海乃はぎゅっと膝の上で拳を握る。

 握られた拳は小刻みに震えていた。


 日鞠に何とかすると言った、心配しなくていいと伝えたかった、あれは本心だ。

 でもその結果、自分が代役を引き受ける覚悟があったかといったら嘘になる。


 自己紹介だけであれだけ緊張したのに、それ以上の視線に晒されて、練習なしのぶっつけ本番で海乃は王子にならなければいけない。


 __________そんなの無理だ


 プレッシャーに押しつぶされそうで、下がりかけた頭をハッと上げる。

 駄目だ、今こそ顔を下げちゃいけない。でも__________


 海乃は唇を強く噛む。

 深海まで沈み込んだような冷たさが体の中心から広がっていった。


 

 「海乃ちゃん」



 反射的に後ろを振り返る。

 そこには、いつのまにか紡が立っていた。


 ゆっくりと歩み寄りながら、紡は胸元に結んでいた赤いリボンをほどいた。


 「前向いて」


 その言葉に、海乃は黙って従う。

 紡の丸い指先が海乃の黒髪を梳いた。


 さらさらと、海乃の短い髪を紡は器用にまとめていく。


 「……あのね、私が人魚姫にしようと思ったのは海乃ちゃんがいたからなの」


 紡の静かな告白に海乃は目を見張る。

 海乃の髪が一房、はらりと横顔にかかった。


 「私、ずっと誰かに知ってほしかった。聴いてほしかったの」


 「私の書いた物語を……私のことを」


 紡の言葉がぼちゃん、ぼちゃんと海乃の心に染み込んでいく。

 優しい温もりが体全体をじわじわと伝う。


 紡がそっと、こぼれた海乃の髪を耳にかけた。

 瞬間、おぼろげだった世界の音が明確に形を持つ。


 「私に声をくれたのは、海乃ちゃんだよ」


 きゅっと赤いリボンが強く結ばれる。

 海乃が少し顔を上げれば、魚の尾鰭のように束ねられた髪が跳ねた。


 「だから、大丈夫」


 前に回り込み、しゃがみ込んだ紡が両手をそっと海乃のものと重ねる。

 


 「海乃ちゃんは、海乃ちゃんのままで大丈夫だよ」



 信じてる、と言われなくても伝わる紡の眩しい笑顔に海乃の目が潤む。


 呼吸を整え瞼を閉じ、ゆっくりと目を開けた海乃は紡を見つめ直すと力強くうなづいた。


 それを見て、紡はよしっ!と両腕を振り上げて立ち上がる。


 「それに、私たちもいるから!安心して、何かあったらみんなでカバーするよ!」


 やる気に満ちあふれ、鼻息を鳴らす紡を見て、海乃は小さく声をあげて笑った。


 「うん……本当にありがとう、紡」


 きょとんと目を瞬かせた紡が頰を染め、照れくさそうに笑う。


 開演時間直前、最後の照明がゆっくりと落とされていく。

 立ち上がった海乃の手はもう震えていなかった。


 観客の囁き声が波のように引いていき、やがて静寂が訪れる。

 時間の流れさえ包み込んでしまったような暗闇の中で、海乃は息を吐く。


 静かに前を向いた海乃の瞳は、朝焼けの海のように凪いでいた。

 

 

 









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