第20話 マリー
ざわざわと人が入り乱れる体育館の中、海乃はもくもくとエプロンを縫っていた。
今日は実際に体育館のステージを使っての立稽古の日だ。役者陣はもちろん、裏方組もフロアを使ってそれぞれの作業を進めている。
海乃が衣装係に立候補したとき、周りはとんでもない驚きようだった。
人魚姫が着るドレス、いってしまえば男である春樹が着るドレスだ。
いったいどんなものを作ればいいのか皆目見当もつかない。そんな無理難題、誰もが願い下げだった。
そこで手を上げたのが他ならぬ海乃だ。基本受け流し姿勢の委員長も、これには待ったをかけた。
クラスメイトも次々と無理をするなと言ってくれた。
一番うろたえていたのは春樹だ。
俺なら大丈夫だから!と何を根拠にしたのか分からないことを言って、海乃に考え直させようとした。
それでも海乃は、やりますとしか言わなかった。
普段の海乃からは考えられない頑なさに、そこまで言うならと押し切られる形で皆も納得したのだ。
いったい、何が海乃をそんなに必死にさせたのだろうとクラスメイトは疑問に思ったことだろう。
でも、海乃にはどうしても衣装を作りたい理由があった。
「私は馬に乗って先に向かう」
凛とした大きな声に、海乃は手を止め顔を上げた。
日鞠がくるりと背を向け、ステージ上を華麗に横切る。
「焦らなくていい」
「気をつけて来なさい」
片手を上げた日鞠が背を向けたまま春樹を見る。
女子たちの黄色い悲鳴が体育館にこだました。
「一条さーん!!!!」
「かっこいい!!王子!!!」
当の日鞠は騒ぐ女子たちには目もくれず、演出家である紡と委員長と今やったシーンについて話し合っている。
海乃はフロアの一番奥から、その様子を見守っていた。
稽古について相談する真剣な横顔。
日鞠は、どこかマリーに似ている。海乃はずっとそう思っていた。
舞台を自分のものとし、見るものすべてを惹きつけるその姿は、確かにマリーに重なる。
だが、海乃は日鞠とマリーが似ていると感じる理由は、それだけじゃないような気がした。
その既視感の正体に残念ながら海乃は辿り着けていない。
海乃は床に散らばった手つかずの布を見て、もう一度ステージに目を向ける。
王子の仮衣装を着て稽古に臨んでいる日鞠とは対照的に、春樹は体操着のままだった。
海乃は大きくため息をついて、視線を落とした。
マリーみたいなドレスを作りたい、海乃が立候補した理由はそれだけだ。
唯一無二の歌姫、絶対的な女王であり支配者。そんなマリーの強さに海乃はずっと憧れている。
浴びるスポットライトに煌めくドレス。海乃の記憶の中のマリーはいつだって魅力的で揺るぎない。
だからこそ、マリーをマリーたらしめる要素の一つであるドレスを自分の手で作りたかった。
「次はダンスパーティーのシーンをやります!」
紡の呼び掛けに周りの生徒の何人かがステージへと向かっていく。
町民役だった海乃はすでに稽古を終えていた。
日鞠と春樹がはけ、一気に賑やかになったステージで生徒たちが踊り始める。
海乃はその景色に、conte de féesのみんなを思い出した。
マリーだけじゃない、アンにナイチンゲールにセルジュ、他のキャストたち。
あの店にいる人たちは、誰もが自信にあふれている。その姿に何度助けられただろう。
次は私がやってみたい、自分を誇る勇気をくれるドレスを作りたい。
そう思って立候補した衣装係。
だが、現実は厳しいもので海乃の手の中にあるのは、何の形もなしてないただの布切れだ。
海乃はもう一度、大きなため息をつく。
その吐息は喧噪の中で、泡のように溶けていった。
手つかずの人魚姫の衣装をしり目に、海乃は町民の衣装に針を通す。
しばらく作業を続けていると、委員長がステージからみんなに呼びかけた。
「はーい、休憩入りま~す。今のうちに昼食べといてくださ~い」
声を張り上げてもなお気の抜けた委員長の声に、生徒たちが一斉に立ち上がる。
背伸びをしたり、作業の進捗を報告しながら体育館を出ていくクラスメイトをよそに、海乃はその場に座り込んでいた。
「海乃ちゃん、ご飯食べないの?」
お弁当を片手に歩み寄ってきた紡が首をかしげる。
所々に疲れが滲んでいる様子だったが、その顔は生き生きと輝いていた。
紡は眼鏡をかけ直しながら、海乃の隣に座る。
「うん、おなかあんまり空いてなくて……稽古、お疲れさま」
「ありがとう、やっぱり人数多いと大変だね。増やしたの私だから、文句は言えないんだけど……」
「でも、すごくよくなってると思うよ。台本がいいおかげだね」
海乃の素直な賞賛に紡は頬を染めてはにかむ。
海乃も先ほどまで張りつめていた神経が緩んでいくのを感じた。
「……だけど、やっぱりマリーが出てこないのは残念かも。構成を考えたら仕方ないんだけど」
海乃は膝を抱えて呟く。
物語の登場人物の名前を借りて、夜の世界を生きる人たち。
conte de féesのみんなは、自身のことをあまり語らない。
だからこそ、借りた名前に大切な意味が込められているのだろうと海乃は感じていた。
特に、マリーの名前の由来になった少女だ。せっかくなら出してあげたかった。
残念そうに微笑む海乃に、紡は目を丸くする。
「マリー……人魚姫に出てくるの?」
「え?」
思わぬ紡の返しに海乃も困惑する。出てきたはず、確かにマリーはいたはずだ。
瞳を揺らす海乃に、うーんと声を漏らしながら、紡は唇に手を当てて考え込んだ。
「いろいろなバージョンもあるし、私が知らないやつかも……作者とか覚えてる?」
海乃は自分が読んだはずの人魚姫を目を瞑って思い返す。
しかし、あらためて考えるとマリーという少女が出てきたという記憶だけで、その詳細は全くと言っていいほど思い出せない。
海乃は諦めて首を振った。
紡は一瞬眉を下げたが、にこりと笑って見せる。
「文化祭が無事に終わったら探してみよう」
お弁当箱から玉子焼きをつまんだ紡がそれを海乃の目の前に差し出す。
「海乃ちゃんが読んだ人魚姫、きっと見つかるよ」
優しい言葉に海乃はうなづいて口を開いた。
紡からもらった玉子焼きは、ほんのりと甘い。
海乃は今朝食べた、少ししょっぱい玉子焼きを思い出す。
やはり、ポン酢を混ぜているのは海乃の家だけのようだ。




