第18話 声
「だーはははははははっっっ!!!!」
ナイチンゲールの大きな笑い声が店中に響き渡る。
海乃は恨めしそうな目でナイチンゲールを見つめていた。
「わ゛ら゛わ゛な゛い゛て゛よ゛」
「だって海乃、おばあちゃまみたいな声してるわよ!!!!」
ゲラゲラと笑い転げるナイチンゲールの後ろで、心配そうに海乃を見ながらアンがカップを手に取る。
でも、海乃は気付いていた。その唇が笑いを我慢するように引き結ばれていることを。
アンは沸かした水におろし生姜とはちみつを加え、スプーンでくるくるとかき混ぜる。輪切りにしたレモンを添えると海乃に手招きをした。
「ほら、いつまでも不貞腐れてないで……かわいい顔が台無しだよ」
少し表情を緩めた海乃はそれでも不満そうにカウンターに腰掛ける。ニヤニヤしながらナイチンゲールは海乃の頬を突っついた。
「結局、台本は完成したの?」
何度も迫ってくる指を必死にかわしつつ、海乃はうなづく。どこからともなく現れたセルジュが、もうやめろというようにナイチンゲールをじっと見つめた。
ちぇ~と口をとがらせ頬杖をついたナイチンゲールは、手持ち無沙汰に指先に髪を巻き付けて、毛先をライトにすかした。
「熱心ねぇ~海乃も、その子も……まぁ、そういうところ嫌いじゃないけど」
呆れているようで、横目で海乃を見つめるナイチンゲールの顔はいつもより優しい。
海乃はこくりとはちみつ生姜湯を飲み込んだ。
優しい甘さと丁度良い温度が喉に染みる。
ほっと息を漏らした海乃を見てアンはため息をついた。
「でも、大丈夫?海乃はもちろんだけど、友達も……いったい何時間読んでたの?」
「わ゛か゛ん゛な゛い゛」
海乃は一度つばを飲み込んで口を開く。声を絞り出そうとする様子を見て、アンは慌てて止めた。
「あぁ、いいから!いいから!……無理してしゃべんな」
海乃は黙ってうなづき、もう一度カップに口をつけた。
与えられた猶予は3日間。それを有効に使うべく、海乃も紡も奮闘した。
休み時間中はプロットを考え、放課後になったら教室や紡の家で執筆を進める。
本当に、てんやわんやの毎日だった。
何より大変だったのは紡だ。小説は書いたことがあっても、脚本を考えるのは初めてということで、部屋中の戯曲を引っ張り出して参考にしていた。
初めて紡の家に招待されたとき、海乃は内心緊張していた。友達の家に遊びに行く経験なんて今までなかったからだ。
だが、青司に持たせてもらった手土産を片手に海乃がチャイムを鳴らしたあの瞬間、それが緊張のピークだった。
以降は、緊張している暇もなかった。
脚本を書く上で、やっぱり大事なのは演者の読みやすさだろうと、書いては読み、書いては読みを繰り返した。
そのおかげで海乃も紡も声はガラガラ、セリフだってお互いそらんじて言える。
紡の母が控えめにドアをノックするまで、疲労困憊のまま創作活動を続けていた。
でも、そのおかげで間違いなく。自信をもってみんなに見せられる台本になったと思う。
思わず力が入った手の中で、カップの中身がゆらゆらと揺れる。
確かに感じている手応えに、海乃はひとり微笑んだ。
ふと耳に入ってきた声に目線を上げると、バルコニーでマリーとキャストがしゃべっているのが目に入る。
相変わらずよく通るいい声だ。隣にいるキャストの声は聞こえないのに、マリーの声は耳をすませば何を話しているかさえ分かってしまいそうだ。
「い゛い゛な゛」
かすれた声で海乃がささやいた。
「お゛か゛あ゛さ゛ん゛」
「こ゛え゛」
珍しく海乃の横に腰掛けていたセルジュが、それを聞いてぽつりとつぶやく。
「……昔は、違った」
その言葉に海乃は、ばっと振り向いた。しかし、それはアンとナイチンゲールも同じだったようで、3人の視線が一斉にセルジュに向けられる。
「ちょっと何それ!?聞き捨てならなぁい!!」
「うんうん、それは気になるよ!気にならざるを得ない!!」
首が飛びそうなくらい海乃も激しくうなずいている。
セルジュはそんな海乃たちを見て苦笑し、目線を外して遠くを見た。
「……あいつは」
「何の話をしてるのかしら???」
びくりと全員の肩が大きくはねる。
油をさしていない機械のように、ぎこちなく声がした方へ顔を向ければ、いつの間に降りてきたのか仁王立ちしたマリーがいた。
「あら、マリー……ご機嫌麗しゅうようでなにより……」
「さてと、そろそろステージの方もかたさないとっ」
「あっ、ずるい1人だけ!!」
どたばたとアンとナイチンゲールがカウンターを後にする。
残った海乃とセルジュを見て、マリーは呆れたように組んだ腕を指先で叩いた。
「まったく、余計なことは言わないでよね」
「……あぁ」
悪かった、とセルジュはマリーの肩に手を置いて、そのまま2階へと行ってしまう。
海乃は残念そうにマリーを見上げた。
マリーはそんな海乃を見て、仕方がないとでもいうように顔を緩ませる。
腰に手を当てると、海乃の前に人差し指を立てた。
「私の美しい声の秘密、知りたい?」
ぱっと顔を輝かせ、海乃がこくこくと顔を縦に振る。
マリーはにっと笑うと、その人差し指を自身の唇へと持っていった。
「なら、魔法をかけてあげる」
「ほら、目をつぶって……いいって言うまで開けちゃだめよ」
海乃は大きくうなづいて目をつぶった。ドキドキと鳴る胸の鼓動が暗闇の中で響く。
5秒、10秒、20秒………
今か今かと待っているが、いつまでたっても魔法とやらの気配はない。
海乃が困惑に眉を寄せたそのとき、一気に近づいた甘い香りに思わず肩をすくめた。
ふわりと唇にかかる吐息に、海乃の喉がひゅっと鳴る。
思わず目を開けた瞬間、強い衝撃が額を走り抜けた。
「き゛ゃ゛あ゛!?」
「人の秘密を勝手に知ろうとした罰よ、反省しなさい」
デコピンをしたマリーは、からからと笑って口元に手を当てる。海乃は顔をまっ赤にしてマリーを睨んだ。
「というか、いいって言ってないのに目を開けたわね?」
片眉を上げて顔を覗き込んできたマリーに、海乃は頬を膨らませてそっぽを向く。
マリーはため息を一つつき、困った子ねと笑った。
「機嫌なおしてちょうだい、あんたにそんな顔されたら私、どうしたらいいか分かんないわ」
あやすような甘い声で語りかけてくるマリーを、海乃はちらりと見る。
マリーはしゃがみ込むと、海乃の両手に自分の手を重ねた。
「それで、いったいどんな物語を海乃と紡ちゃんは書いたの?」
「男女逆転人魚姫ぇ~?」
委員長が渡されたノートの拍子に書かれたタイトルを間延びした声で読み上げる。
海乃の隣に立った紡は、顔を赤くしながら小さくうなづいた。




