第15話 はしの持ち方
新学期を迎えて1ヶ月が経った。
海乃は廊下を歩きながらため息をつく。
次の授業が移動教室なため、休み時間の間に教室を出発したわけだが、海乃の隣に肩を並べて話すような友達はいない。
あれから春樹とはちょくちょく話す仲になった。でも、春樹はあの人柄だ。
男女問わず人気のある春樹の周りはいつも人でいっぱいだった。
当然、その輪の中に海乃が入っていけるはずもなく教室では1人静かに過ごすことが多い。
寂しくないと言ったら嘘になる。一昨日も、海乃はアンたちにどうしたら友達ができるか相談してしまった。
「友達?そんなの無理して作んなくていいのよ」
ことりとカウンターにグレープフルーツジュースを置いたアンは、目を細めて人差し指を頰に添えた。
「適当につるんだ人と群れたって無為に時間を過ごすだけよ」
薄暗い店内でムーディーなBGMが流れる中、アンは海乃を諭す。
「友達できたことないからって適当なこと言うもんじゃないわよぉ〜」
「じゃあ、おめぇはどうなんだ!?!?」
鋭い眼光で睨んだアンがカクテルをあおるナイチンゲールに言い返した。
ナイチンゲールは唇を指先でぬぐって、顔を傾ける。こちらを一瞥すると自慢げに微笑んだ。
「アタシはもちろん、百人斬り」
「夜の友達を聞いてんじゃねぇ!てか、海乃の前で汚ねぇ話すんな、ボケが!!」
「汚いって何よ!!そんなこと言ったらアンタ海乃の前に二度と顔出せなくなるわよ!!」
「誰が汚ねぇ顔だ、こらぁ!!!」
いつもの言い争いに発展した2人を、海乃はグラスにちびちびと口をつけながら見守る。
アンの後ろで大きな図体を丸めて、そそくさとボトルを取っていくセルジュに海乃は視線を送った。
意見を聞きたかった海乃だが、セルジュはちらりとこちらを見ただけで黙って店の奥へと消えてしまった。
考えてみればそもそもが自分の問題なのだから、人に意見を聞くのがお門違いなのかもしれない。
悶々と悩み続ける海乃は、気もそぞろなまま廊下の角を曲がる。
次の瞬間、いきなり飛び出してきた影にぶつかって弾き飛ばされた。
「きゃっ!」
廊下に座り込んだ海乃は声がした方向を膝をさすりながら見やる。
そこには海乃と同じように女子生徒がうずくまっていた。
ずれたメガネを直しながら、あわあわと教科書やノートを拾い集めるその生徒には見覚えがある。
海乃は目の前に落ちている見覚えのない文庫本に気がついた。
おそらく女子生徒のものだろう。海乃は丁寧に本の端をつかんでいまだに落としたものを拾い集めている生徒に差し出した。
「椋木さん、これ……」
「ひぇっ!」
どうぞ、という前に同じクラスの椋木紡は海乃から本を奪い取ると廊下の先へと走り去ってしまう。
呆然とその後ろ姿を見送った海乃は、先ほどまで本を掴んでいた自分の手をじっと見下ろした。
遠くで授業の開始を知らせる予鈴が鳴る。けれど、海乃はそれに気づかないまま、ずっと廊下に立ち尽くしていた。
かちゃかちゃと食器の鳴る音が響く。
目の前に座る青司は、焦げの目立つ焼き魚に箸を差し入れ、丁寧にほぐし口へと運んでいた。
今までのローテーブルでは食べづらいだろうと、新しく買ったテーブルは高さもありちょうどいい。
青司に向き合う形で座っていた海乃は、野菜炒めの枝豆に箸を伸ばした。
「……お母さん」
「どうした?」
咀嚼したものをしっかり飲み込んだあとで青司は海乃に聞き返す。
青司のものとは対照的に、綺麗に焼け目のついた魚と海乃は目があった気がした。
「お母さんは、学校に通ってたころお友達いた?」
人に聞くものではないのかもと思っていた海乃だが、さすがに昼間のことがあると考えてしまう。
自分は友達を作るのが向いてないんじゃないかと。
海乃は滑って皿の縁へと飛んでいった枝豆を、再び箸で追いかけた。
「友達……」
青司はうーんと唸りながら、空中を眺めて思い返す。
「高校の時、1人……いや違う駄目だ、あいつは駄目だ」
手を軽く顔の前で振って青司は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「俺もこれといった友人はいなかったよ」
「……そっか」
枝豆が飛び、海乃の箸が追いかける。
青司は箸を置いて海乃を見つめた。
「学校で何かあったのか?」
「少し……」
「というか、さっきから何をしてるんだ?」
掴み損ねた枝豆が、またもや箸の先から逃げていく。
海乃はため息をついて、恥ずかしそうに青司を上目で見た。
「お箸の練習」
「……私、持ち方汚いから」
尻すぼみになる声とともに海乃はうつむく。青司と暮らし始めて意識したことだが、海乃は箸の扱いが下手だった。
上手に箸を使い、食べ方も綺麗な青司を見た海乃は、自分で箸の持ち方を矯正しようとした。でも、これがなかなかうまくいかない。
いつか、友達とご飯を堂々と食べれるようにと始めた練習でもあるが、果たしてそんな日がくるのかも謎だ。
しゅんと肩をすくめる海乃を見て、青司は静かに立ち上がった。
海乃の後ろに立つと覆い被さるように屈んで、そっと海乃の手を握る。
驚いて見上げた海乃を無視したまま、青司は海乃に箸をつかませ、海乃の手ごと握り込んだ。
青司の大きな手が海乃の手をすっぽりと包む。暖かい温度に海乃は安心しつつも、どこか落ち着かない気持ちでいた。
「上は3本の指で支えて、下側は親指と人差し指の間で挟む……」
青司の骨ばった指が、海乃の細い指に絡まる。徐々に正しい位置へと運ばれていく指先を、海乃は自分のものではないように見つめていた。
「上の方だけ動かして掴むんだ」
青司の手に握り込まれたまま、箸が枝豆へと伸びていく。
ちょこんと摘まれた枝豆は大人しく箸の間に収まっていた。
「口、開けて」
海乃が言われた通りに口を開けば、ゆっくりと運ばれた枝豆が入ってくる。
もぐもぐと咀嚼し飲み込んだのを確認して、青司は海乃に静かに語りかけた。
「焦らなくていい、俺が教えるから」
「少しづつ覚えていこう」
海乃がこくりとうなづく。青司はまだ手がつけられていない魚を手元に置くと、海乃の手を握り直した。
「魚の食べ方は少し難しいかもしれないが、慣れたら簡単だから」
「うん、頑張る」
海乃の返事を合図に、青司の声に合わせて重なった手のひらの中で箸が動く。
白く光る皿の上で、魚が丁寧にほぐされていった。




