第14話 自己紹介
佐渡春樹こと春樹はチョークを手に持つと黒板にカツカツと文字を書き始めた。
手をはたきながら満足そうに、自分の名前の横に立つ。
「みてのとおり、春がついてるのに春生まれじゃないです。10月生まれです」
「なので秋になったら誕生日プレゼントもらえたらうれしいなって!あ、女子からもらえるものは何でも嬉しいです」
にこにこ笑いながら春樹は話し続ける。海乃を含めクラスメイトもみんな春樹にくぎ付けだ。
「あと、俺【佐渡】じゃなくて【佐渡】だから!」
「よく間違えられるんで覚えといてください。ちなみに佐渡島にはいったことないです」
顔に軽く手を当てて、春樹はピシリとポーズを決めた。
「俺、都会っ子なんで」
しーんとした空気が教室を包む。きめ顔を崩さずポーズを取ったままの体勢で春樹はずっとこちらを見ていた。
たっぷり10秒が流れた後、窓際の生徒が黒板を指さした。
「佐渡、おまえ【佑渡】になってんぞ」
「ほんとじゃぁん!?!?」
かばっと振り返った春樹が裏返った叫び声をあげた瞬間、クラスが笑いの渦に巻き込まれる。
「やばいんだけど」「佐渡じゃなくて佑渡じゃん」と教室内は大盛り上がりだ。
恥ずかしそうに頭をかく春樹に、早川はくすくすと笑いながら腰に手を当てた。
「佐渡さんは早速補修かな?」
「勘弁してよー、先生」
うなだれる春樹を席に促し、早川は次の順番である女子生徒の名前を呼ぶ。
「この後、やりづらいんだけど~」と春樹を茶化す生徒の言葉に、またクラスメイトがどっと沸いた。
海乃は後ろの席に座った春樹の気配を背中で感じながらも、そちらを向くことはできなかった。
先ほどまでの重たい空気がうそのように、楽し気な雰囲気の中で自己紹介が次々と行われていく。
終わるごとに拍手を繰り返す海乃だったが、最後まで春樹の方を振り返ることはできなかった。
一人教室に残っていた海乃は机の上に鞄を置いたまま動けずにいた。
帰宅したり、遊びに行ったりと早々に学校を後にしていく生徒たちの中に、確か春樹はいなかったはずだ。
あの後、結局海乃は最後まで春樹に話し掛けることができなかった。春樹が意図してあのような行動に出たのかは分からない。けれど、結果的に海乃が助けられたことは事実であるし、感謝をしていたからこそお礼が言いたいと思った。
海乃は立ち上がって鞄を持つ。もしかしたら、早川の言葉を本気にして職員室に行ったのかもしれない。
海乃がドアに駆け寄り勢いそのままにガラガラと音を立てて開けると、目の前に春樹が立っていた。
「ぎゃわぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
大声を上げてひっくり返った春樹を見て、びくりと海乃は肩を震わせる。
床に倒れ伏す春樹に海乃は慌てて手を伸ばした。
「大丈夫?」
「へっ!?全然!大丈夫、元気元気!!」
海乃の手を取らずに素早く立ち上がった春樹は、ご覧のとおりとでもいうように肩を回した。
「えっと、まだ残ってたんだね」
「うん……佐渡さんに言いたいことがあって」
海乃が春樹を見上げると、春樹は唇を引き結んで固まった。
「さっきは、気を使わせてごめんなさい。それから……」
「助けてくれて、ありがとう」
まっすぐ春樹の目を見つめたまま、海乃はぎこちなく微笑んだ。
うまく笑える自信はなかったが、せめてうれしかったのだと言葉だけではなく態度でも伝えたかったのだ。
海乃が笑いかけた瞬間、春樹の顔がぶわりと赤く染まる。「いや、その……」ともごもごと何か言った後、春樹は恥ずかしそうにそっぽを向きながら頬を人差し指でかいた。
「別に……そんなつもりじゃないから気にしなくていいよ」
じっと海乃を見つめて、春樹は今度こそ真っ直ぐに海乃と向き合う。
「てかさ、春樹でいいよ。去年も同じクラスだったんっだし……俺も、海乃って呼ぶから」
その言葉に海乃は思わず「え?」と声を上げてしまう。しまったと気づいたころには遅かった。
「その反応……もしかして、覚えてない!?」
そんなことはと言いかけて、海乃は誤魔化すように挙げた手をゆっくりと下げた。
「……ごめんなさい」
「私、昔のこと覚えているの苦手で」
申し訳なさに下げた頭をそのままに、海乃は去年のことを振り返ってみる。
断片的なことは覚えていなくもないが、そのほとんどはおぼろげで不明慮な記憶ばかりだ。
海乃は小さい頃から覚えておくという行為が苦手だった。読んだ本や勉強したことはあまり忘れない。むしろ得意な部類であるのに、覚えなければいけない対象が思い出となると話は別だ。
海乃にとっては忘れてしまっても差し支えないものだったのだろうか。頑張って思い出そうとしてみても、記憶の全てがかすんでいて、遠くに感じる。
あらためて突きつけられる己の至らなさに、海乃は小さく目を伏せた。
しかし、同時にあることに気付く。
青司と出会ってからの日々は全てちゃんと思い出すことができる。
目を閉じれば、体験したこと、過ごした時間の一つ一つを海乃は色鮮やかに瞼の裏に描くことができた。
「海乃?」
はっと顔を上げた海乃と春樹の目が合う。こちらを見つめる強い瞳に驚いて、思わず海乃が目をそらしたのと同時に、春樹も顔を横に向けた。
「……まぁ、せっかく同じクラスになったんだし、こっからだよな!」
にかっと笑いながら春樹は海乃に右手を差し出す。
「あらためてよろしくな、海乃!」
こちらに差し出された手のひらを見つめ、海乃もそっとその手を握った。
「うん……よろしくね、春樹くん」
柔らかな春の日差しが差し込む教室と廊下の境界線。握手した手をそのままに、2人の控えめな笑い声がその境目を曖昧にしていた。
春樹と別れ、ローファーに履き替えた海乃は校舎を横切り校門の外へと出た。
桜並木を見上げながら歩いていた海乃はふと視線を戻す。少し離れた場所に黒い車体に身体をもたれかけている男がいた。
桜の花びらがひらひらと舞い落ち、風にそよぐ枝先に合わせて髪が揺れる。薄紅色の景色の中で青司は1人そこに立っていた。
迎えに来てくれたのかと申し訳なさよりうれしさが勝ち、駆け寄ろうとした海乃だったが足が止まる。海乃はそのまま少し遠くから青司を眺めた。
ゆったりと腕を組み桜を見上げてる青司は、ここにいないような目で、眼前に広がる光景をただ映しているだけのように見える。
見覚えがあるはずなのに、なぜか知らない人のようで。_____触れたら壊してしまいそうで。
普段の姿とはかけ離れたその姿を、海乃は黙って見つめることしかできなかった。
「海乃」
こちらに気付いた青司が片手を上げ、海乃に笑いかける。その顔はもういつもの青司の表情だった。
海乃は、ほっと息を吐きながら青司に近づく。青司は海乃を見ると髪に手を伸ばし、いつのまにかついていた桜の花びらを取ってあげた。
「おかえり、疲れたか?」
桜の花びらを海乃に手渡しながら、青司は優しく目を細める。
海乃は花びらを両手で受け取ると、それを見つめたまま小さくうなづいた。
「うん……でも、楽しかったよ」
車に乗り込み、シートベルトを締める。静かに発進した車に揺られながら、海乃は窓の外を眺めた。
ハンドルを握った青司は「前に言っていた店で大丈夫か?」とナビを確認しながら海乃に聞く。
海乃は大丈夫と返すと、小さな薄紅の花弁を本に挟んで青司を見つめた。
「お母さん、佐渡島に行ったことある?」
「佐渡島!?」
急にどうしたと、ハンドルを握りなおした青司に海乃は声を上げて笑う。
あのね、と言って微笑んだ海乃は今日の思い出を青司に語り始めたのだった。




