第11話 Land of Marie
海乃はテーブルに置かれたライトを傾け、自分の手元を照らしシャープペンを走らせる。
アンから今日のお手伝いの報酬としてもらった、カフェオレに添えられたクリームはすっかり溶けてしまっていた。
物置を改装して作られたこの部屋は、楽屋のとなりにあるため常に楽しそうな話し声が壁越しに聞こえてくる。
conte de féesの楽屋はステージ袖から直接、鉄骨階段で繫がっているため必然的にステージの上に位置していた。
楽屋で準備を終えた出演者たちは、開演時間が迫るとステージ袖に待機し始める。
ヒールを響かせながら階段を下っていく音が聞こたら、海乃も部屋からそっと出ていき欄干越しにショーを眺めるのが日課になっていた。
ステージ中央、天井付近の海乃だけの特等席。そこで見る舞台が楽しみなのは変わらないが、今日はいつもより心が沸き立たない。
楽屋からどっと笑い声が響いてきたが、それに反して海乃は小さくため息をついた。机の上にひろげていたノートと教科書を閉じて、部屋を眺める。
海乃がいられるようにと片付けてもらったはずの部屋は、すでに物であふれかえっていた。
ぬいぐるみ、本、ジグソーパズル、プロマイド、レコードといった細々したものから、カウチソファ、落書き付きの大きな姿見、果てにはクジャクの置物まで。
店の者たちが海乃にと持ってきてくれたものだが、最早その使い道すら謎なものもある。
「ガラクタを渡すんじゃねぇ!!」と部屋の様子を目にしたアンが、こぶしを振り上げていたのも記憶に新しい。
でも、海乃は自分だったら絶対に手に取らないであろう品々に触れる機会を密かに楽しんでいた。遠い町の風景写真、聞いたことのないジャズ、知らない国の言葉で書かれた本。
そう、普段だったら楽しめるはずなのだ。なのに海乃の気持ちはまったく晴れない。再度ため息をつくとスマホを手に取り画面を見つめる。
学校から届いたお知らせメール【始業式の日程】の件名の下に記載された日付は明後日を指していた。
実母を亡くし、年度替わりの差し掛かりだったため、海乃は特別に長期休みを許されていた。
青司が海乃の家から教材を取って来てくれたおかげで、指定された課題をこなすことはできていたが問題はそこではない。
海乃は学校に行くこと自体が少し怖くなっていたのだ。
以前は何とも思わなかった。学校でも家でも1人でいることに変わりはない。でも、今は違う。アンにナイチンゲールに、セルジュ。ゆかいな店の従業員たち。何より、マリーが、青司が、お母さんがいた。
騒がしさに慣れてしまった自分が、再び静かな生活に戻ることは可能なんだろうか。
これから訪れるであろう日々を想像するだけで、海乃の胸に不安がかすめる。人知れず握りしめたこぶしはジーンズにしわを作っていた。
「入るぞ」
声に驚いて海乃が振り返ると、ドアに頭を預けたマリーが立っている。ゆるく巻かれたロングブラウンの髪に、赤いスパンコールが煌めくタイトドレス。
甘い香りと共に近づいてくる足音に、海乃は顔をうつむかせた。
「浮かない顔だな」
「……うん」
マリーの言葉に海乃は返した。
「宿題、やってたのか?」
「……うん」
海乃とマリーの間に沈黙が流れる。いつの間にか楽屋は静かになっており、外からはカンカンと階段を下りる音が響いていた。
「……学校、怖いか」
「…………………………うん」
絞り出すような声で返事をした海乃は、ずっと下を向いたままだった。
ふいに、マリーがテーブルに腰掛ける。長い脚を組むと、驚いている海乃の顎をくいっと持ち上げた。
肩から垂れた髪が揺れるのにあわせて、炎のようにマリーの影が踊る。
「海乃、私は別にあんたに講釈垂れる気はないわ」
目を合わせたまま、テーブルから飛び降りたマリーは海乃の手を掴んで部屋を後にする。扉を開けた途端に鳴り響くステージからの音楽。それが、一気に海乃の意識を外へと向かわせた。
海乃を欄干の中央まで連れていったマリーは勢いよく振り返る。ドレスのスパンコールがまたたき、あたりに光を飛ばした。
「でも、覚えておいて。顔を下げてたらスポットライトは当たらないわよ」
挑戦的な笑みを浮かべ、マリーは踵を返し階段を下っていく。海乃は身を乗り出してマリーの背を目で追った。
前奏と共にみんなが奏でるコーラスが徐々に大きくなる。
次の瞬間、ステージの中心に立ったマリーが両手を大きく広げた。スポットライトに真正面から照らされた顔には力強い笑顔が輝いている。
「この店にきたってことは望んでるんでしょう、とびっきりの刺激を。なら安心して頂戴!」
「探し物はここにあるわ」
大きな歓声と共にマリーとダンサーたちが踊り始めた。
のびやかに響く歌声に合わせて手首をかえし、かかとでリズムを取る。
掛け声とともにポーズを決め、観客をじっと見つめるマリーの視線は獲物を狙う獣のようだが、どこか甘い。射抜く眼光の鋭さに、誰もかれもがとりこになっている。
ふと、マリーの視線が若い男を捉えた。男は顔を赤く染めると、さっと目をそらす。マリーは高い笑い声をあげて胸を反らし、腕を高く上げた。ゆったりと降ろされていく手のひらが、身体をなぞり唇に添えられる。
「恥ずかしがってるの?ねぇ、私はあんたを見てるわ」
「だから、あんたも私を見てちょうだい」
恐る恐る目を開けた男性にマリーが指先でキスを送る。
「そうすればお互い忘れない、でしょ?」
微笑んだマリーを見て今度こそ男性の顔はゆでだこのようにまっ赤になった。一瞥したマリーはビブラートを響かせながら、ステージ上をさっそうと歩く。
瞬間、マリーが海乃を見やった。ぱちりと合う視線に海乃は思わず息を詰める。
ダンサーを侍らせ、最後のコーラスを歌い上げるマリー。
大胆で、奔放で、恐れ知らずのその姿。
だからこそ憧れる。私もこうありたいと思ってしまう。
闇を突き進む力強さは、いつだって自分を引っ張り上げてくれてたじゃないか。
明るく眩い光の下まで_____
気づけば、海乃は自分にできる最大限の拍手をマリーにおくっていた。その顔には笑顔が宿っている。
きらきらと瞳を輝かせる海乃を見て、マリーは安心したように目を細めると観客に向けてポーズを決めた。
喝采と熱気の中で、マリーが優雅に手を振る。
海乃は階段を駆け降りると、舞台袖へとはけて行ったマリーの元へと走り出した。




