世界が始まるまで
カラムが居なくなった後、部屋は静かだった。
カイは床に座っていた。壁に背をもたせかけていた。前を向いていた。
しばらく、何も言わなかった。
「毒が来た時」カイは言った。「先に気づくべきだった」
小さく続けた。
「空気の匂いが変わっていた。わかった、のに」
リヴァは何も言わなかった。
カイは背を離し、膝に両肘を乗せてうつむいていた。
少し黙った。
「……二回目だ」
リヴァが顔を上げる。
カイは自分のこめかみの横で右手を握った。少しだけ震えていた。
「…守るって言って、守れなかったのは」
言葉の重さが、部屋に残った。
「カイ」リヴァは言った。
カイは顔を上げた。
「おいで」リヴァが立ち上がって、手を出した。
カイがゆっくりと立ち上がり、その手をとった。
ベッドの端に座った。
リヴァがカイの腕を引いた。意外なほど素直に、その大きな体は傾いた。
鍛え上げられた大きな身体が、静かにもたれかかってきた。その背中は、薄いシャツ越しでも硬さがわかった。
頭を抱き寄せた。
額が胸元へ沈む。
深緑の髪が鎖骨を撫でると、白檀が静かに香った。
首筋にカイの呼吸が当たった。
想像より熱があった。
「あの時」カイが言った。「…死なせたと思った」
リヴァは動かなかった。
「部屋に入った時」
「……」
「もう遅かったと、思った」
カイの呼吸が、少しずつ深くなった。
「私はここにいるよ」
カイは何も言わなかった。
もう少しだけ、リヴァの方に重心が動いた。
額が、リヴァの鎖骨の近くに触れた。
リヴァはカイの背中に腕を回した。
抱き締めているつもりなのに、腕は背中の半分も回らない。
カイの肩が止まった。
「……学んでない」カイは低く言った。
「え?」
カイが顔を上げた。距離が近かった。
黒に近い瞳が、薄暗い中で揺れていた。
カイの手が、リヴァの髪に触れた。
指は節だっていた。
リヴァの指先が、カイの頬に触れた。
カイの視線が唇へ落ちた。
鼻が触れそうな距離で、目が合った。
カイが目を閉じて、唇を寄せた。
離れると、カイがリヴァの瞳をまっすぐに見つめた。
その視線が、頬に動いて、唇に動いて、また目に戻った。
小さく息を吐いて、カイの額が首元に落ちた。
もう一度、重みが来た。
カイの腕が、リヴァの背中に回った。
腕一本で体がすっぽり収まった。
部屋は静かだった。
右手が、カイの左手と指を絡めていた。左手首の、ダイブコンピュータの縁が、硬く当たっていた。
目が開いた。
部屋が薄明るかった。カーテンの隙間から光が入っていた。
「……ん」
隣で、気配があった。
リヴァは目だけ動かした。
カイが起きていた。静かにこちらを見ていた。
いつから見ていたのか、わからなかった。
「……起きてたの」
「ああ」
「いつから」
「毎朝五時に起きる」
少し間があった。
「見ていたかった」
カイが視線を外した。天井を見た。前髪をかき上げて、そのまま額に手を当てた。
リヴァが少し体を起こした。
「……リヴァ」
「…今何時」リヴァが言った。
「五時半」
カイの手が、自然に伸びた。リヴァの髪を、耳の後ろに流した。
「……見ないで」
「無理だ」
カイは少しだけ目を細めた。
呼吸が混じる。
「……七時まで、まだある」




