翌朝
ビュッフェは一階の奥にあった。大きな窓が海に向いていた。光が強かった。
カイとリヴァが先に来ていた。
テーブルは窓から少し離れた場所だった。カイが選んだ席だった。ドアと窓の両方が視界に入る位置だった。
リヴァは炊き込みご飯と、マンゴーを取ってきた。
カイは炊き込みご飯と沖縄そばと卵を取ってきた。量が多かった。
「カイ、それ全部食べるの」
「食べる」
「多くない」
「うん」
二人で食べ始めた。
何も言わなかった。
でも、昨日までと少し違った。カイの椅子が、いつもより少しだけリヴァの側に寄っていて、一瞬膝が触れて、離れた。意識しているのかいないのか、わからなかった。
リヴァはそれを見た。何も言わなかった。
マンゴーを一口食べた。甘かった。
ヴィクトルが来た。
白いリネンのシャツだった。袖をまくっていた。サングラスを頭に乗せていた。朝から余裕があった。
「早いな」ヴィクトルはリヴァに言った。
「おはよう」
「体は」
「おはよう」リヴァはもう一度言った。
ヴィクトルは一瞬止まった。
「おはよう。体は」
「昨日よりまし」リヴァは言った。
「そうか」
ヴィクトルがプレートを取ってきた。
クロワッサンとスクランブルエッグとベーコン。コーヒーを一杯。
席に着いた。カイを見た。カイは沖縄そばを食べていた。
次に、カイの椅子の位置を見た。リヴァとの距離を見た。
ヴィクトルは何も言わなかった。でも、少し目を細めた。
フィンが来た。
「おはよー」
声が明るかった。半袖シャツだった。腕まくりが綺麗に揃っていた。
「おはよう、フィン」
「リヴァ、調子どう」
「まあまあ」
「まあまあか」フィンはプレートを取りに行った。「昨日よりいい顔してる」
「そう?」
「うん」フィンが戻ってきた。プレートにクロワッサンが三つ乗っていた。「カイ、昨日寝れた?」
「寝た」
「よかった」
フィンがカイを見た。カイはリヴァの方を向いていた。
フィンは、二人を一度だけ見た。
それから、何も言わなかった。クロワッサンを千切った。
しばらくして、ユキナガが来た。
目が半分しか開いていなかった。パーカーのフードをかぶったままだった。
「おはよう」リヴァは言った。
「……はよ」
ほとんど声が出ていなかった。
ユキナガがプレートを取ってきた。ジューシーだけだった。コーヒーを二杯持ってきた。
「二杯」フィンは言った。
「頑張ってた、昨日も。そろそろ過労死する」
「本場のKaroushiだね」フィンが言った。
ユキナガが席に着いた。コーヒーを一口飲んだ。少し目が開いた。
リヴァを見た。次に、カイを見た。それから、二人の間を見た。
また、コーヒーを飲んだ。
「カラムは」ユキナガが言った。
「来てないよ」
「部屋だろうね」
リヴァが立ち上がった。
フルーツのコーナーに向かった。パパイヤとマンゴーを小皿に取った。それからクロワッサンも二つ取って、戻ってきた。
「カラムに持ってく」
「……餌やりじゃん」
「ちがう」
「カラム懐いてるからな」フィンが笑った。「犬みたいに」
「言いすぎ」リヴァは言った。
「カラムには言わない方がいいな」ヴィクトルは言った。「撃たれる」
カイが何も言わなかった。でも、リヴァが小皿を持つのを見て、少し間を置いた。それから視線を戻した。
ユキナガがコーヒーの二杯目に手を伸ばした。
アルノが来た。
黒のスーツだった。朝からネクタイを締めていた。眼鏡が光を反射していた。
プレートを取ってきた。スクランブルエッグと、サラダとフルーツだった。
テーブルに着いた。
「おはようございます」
全員を一度見た。リヴァを見た。
リヴァの顔色を見た。昨日より、いい顔をしていた。
「少し話せますか」アルノは言った。「食事の後で」
「うん」
「別室で」
カイの手が、少し止まった。箸が止まった。一秒だった。
アルノがカイを見た。目が合った。言葉はなかった。
カイが箸を動かした。
「わかった」リヴァは言った。
食事が終わった。
リヴァがカラムの小皿を持った。
「行ってくる」
「餌やり」ユキナガは言った。
「違うってば」
リヴァが先に席を立った。アルノが続いた。
別室だった。
小さい部屋だった。ホテルの会議室だった。テーブルが一つ、椅子が四脚。窓が一つ、カーテンが閉まっていた。
アルノがドアを閉めた。
椅子を引いた。リヴァが座った。アルノが向かいに座った。
アルノは、すぐに端末を開かなかった。
しばらく、リヴァを見ていた。
「?」
リヴァは首を傾げた。表情が明るかった。
アルノが、端末を開いた。
「船でのことです」アルノは言った。「私が把握している事実だけを先に話します」
「うん」
「平気ですか」
「平気」
「フィンとカイが五階の部屋に入った時、天井に拘束用の枷がありました。その下に、ドレスの繊維が落ちていた」
リヴァは自分の右手の甲を見た。うっすら痕が残っていた。
アルノはリヴァを向いていた。
呼吸を確認しているようだった。
「……続けてもいいですか」
「うん」
「……カイを、呼びましょうか」
リヴァは首を振った。
アルノは一度止まった。
そして静かに続けた。
「あとは、バカラのテーブルと、カードが散らばっていました。壁に弾痕が一つ。口径から判断すると、大口径のリボルバーだと思われます」
「……うん」
「それが、私が物的証拠から確認できたことです」アルノは言った。「それ以上はわかりません」
部屋が静かだった。
「腕の痛みは」アルノは続けた。「今もありますか」
「ある。肩から肘まで」
「どんな痛みですか」
リヴァは少し考えた。
「長い時間、変な姿勢でいた感じ。あと、右腕だけ、もう少し違う」
アルノが端末に何か入力した。
「それは、銃を撃った時の反動と似ていますか」
「……うん。似てる」
「弾痕は一つでした」アルノは言った。「少なくとも一回、撃った」
リヴァはテーブルを見た。
「バカラ」リヴァは言った。「テキサスで、カジノでやった」
「はい」
「その時、少し視界が歪んだ。でも吐いたり、記憶が飛んだりはしなかった」
「そうですね」アルノは言った。「ただ」
一拍置いた。
「グレイが今回バカラを選んだのは、偶然とは思えない」
「……」
「テキサスと今回で、結果が違いすぎる」アルノは続けた。「何が違ったと思いますか」
リヴァは少し間を置いた。
「本気で、使った気がする」
その瞬間だった。
視界が、白くなった。
部屋じゃなかった。影がなかった。光源が見えない、白。
腕が、上にあった。
声。
当てないと、だれかが——
体が、固まった。
テーブルに手をついた。息が浅くなった。
「リヴァ」
アルノの声だった。
白が消えた。会議室だった。カーテンが閉まっていた。
アルノが端末を置いて、こちらを見ていた。
「一度止めましょう。後日で」
「……大丈夫。話したい。もう落ち着いた」
リヴァは息を整えた。
「……何が見えましたか」アルノは言った。声が、少し変わっていた。
「白い部屋。腕が上にあった。声が、聞こえた」
「声の内容は」
「……当てないと、だれかが」
そこで切れた。
続きが、出てこなかった。
アルノは何も言わなかった。
端末に視線を落とした。何か入力した。
その手が、一瞬、止まった。
「わかりました」アルノは言った。「一つ、話してもいいですか」
「うん」
アルノは一度止まった。
もう一度、リヴァの呼吸を確認していた。
「東京の任務で、フィンを守るために三度、能力を使いましたね」
「……うん」
「カジノでは、視界が歪んだだけだった。今回は、記憶が飛んで、反動も大きかった」アルノは言った。「誰かが死ぬかもしれない、という状況。それが、訓練場での狙撃との差だったとすれば」
リヴァは静かに聞いていた。
「東京で意識を失ったこと。今回、記憶がないこと」アルノは言った。「体の痛みの程度と、記憶の空白が、一致しています」
そこで、止めた。
その先を、言わなかった。
リヴァが、アルノを見た。
「それって」リヴァは言った。「使うほど、何か、減ってるってこと」
「仮説です」
アルノは言った。
否定できるなら否定していた。
「あくまで、可能性です」アルノはもう一度言った。
それ以上は、言わなかった。
リヴァはまた自分の手を見た。
アルノが端末を閉じた。
「あなたが無事でいることは、現在の組織運営上の優先事項です」アルノは言った。
立ち上がった。椅子を元の位置に戻した。
「この場所は安全です。しばらく体調の回復に努めてください」
ドアに向かいながら、少し止まった。
アルノがポケットから、小さな袋を出した。
チョコだった。
ガルボの、小袋だった。コンビニの棚にある、あれだった。
いつものチョコではなかった。
リヴァが受け取った。
「部屋で食べてください」
ドアを開けた。
「戻りましょう」
声に感情がなかった。
「カイを待たせています」




