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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第六章「浮遊する標的 ― Drifting Target」

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石垣セーフハウス



 石垣港に着いたのは、昼前だった。


 タラップを降りると、白い舗装から熱気が返ってきた。七月の石垣島は那覇よりも光が強く、港の向こうには底の色まで透けるような海が広がっていた。


 リヴァはミッドナイトブルーのシフォンを着ていた。肩から二の腕までを覆う薄い生地の下に、包帯は隠れていた。海から来る風が裾を揺らした。


 日差しを避けられる場所まで移動してから、アルノが口を開いた。


「今後の動きを、石垣で決めます」


「リヴァは、東京拠点に戻ってください」


 リヴァが顔を上げた。


「オラヴルに診せる必要があります」アルノは続けた。「グレイが何をしたか、詳細を確認する必要もある。拠点の方が安全です」


「嫌」


「リヴァ」


「帰りたくない」リヴァは言った。「逃げたくない」


「逃げることと、安全を確保することは違います」


「私がいないとグレイの件は進まない」


 リヴァはアルノを見た。


 アルノは眼鏡を押し上げて、カイへ視線を移した。カイは前を向いたまま、何も言わなかった。


「……わかりました」アルノは言った。「ただし、オラヴルと毎日通話してください。何かあればすぐに帰らせます」


「うん」


 少し間があった。


「……俺も」カラムは言った。「…まだ聞けてない」


 アルノがカラムを見た。


「そしたら、俺も残るよ」フィンは言った。「カラム一人にしたら何するかわからないし」


「…余計なお世話」


「心配だから」


「…黙って」


 ユキナガが両手を頭の後ろに回した。


「俺も別に帰る理由ないかな」


 アルノがユキナガを見た。


「拠点の管理が」


「リモートでできる」


 ヴィクトルが煙草を取り出した。何も言わなかった。


 アルノは全員を見渡した。


「……全員、残るということですか」


「そうなるね」フィンは言った。


「……この状況で、全員が同じ場所に集まることの危険性は理解していますか」


「理解してる」フィンは言った。


 アルノは額に手を当て、そのまましばらく下を向いた。全員が黙ってそれを見た。


「アルノが頭抱えてる」ユキナガは小声でフィンに言った。


「初めて見た」フィンは小声で言った。


 しばらくして、アルノが顔を上げた。


「わかりました」アルノは言った。「ただし条件があります」


「何」リヴァが言った。


「グレイの動向を常に監視します。ユキナガ、情報収集を継続してください」


「了解」


「船で回収した端末の解析も、ここで続けます」


 ユキナガが頷いた。


「ホテルから出る際は必ず二人以上で行動すること。島内での単独行動は禁止です」


「わかった」リヴァが言った。


「カラム」


「…なに」


「あなたは残る、ではありません。こちらが同行を認めるかどうかです」


 カラムは何も言わなかった。


「フィン、カラムのおもりを頼めますか」


「OK」


「あなたも単独行動は禁止です」


「…」


「返事をしてください」


「…うん」カラムが言った。


「以上です」アルノは言った。「ホテルを手配します」


 踵を返し、端末を取り出しながら歩き始めた。


 アルノが手配したアルカ管理の系列ホテルまでは、港から歩いて数分だった。


 白い外壁が午後の光を返し、入口にはブーゲンビリアが咲いていた。外を歩いただけで首筋に汗が浮いていたが、ロビーに入ると冷房の風が肌を冷やした。自動ドアが開くたび、潮の匂いが入り込んできた。


 アルノがフロントで手続きをした。全員分の部屋を、同じ階に取っていた。担当者は名前を聞かなかった。パスポートも求めなかった。アルノが封筒を渡すと、カードキーが七枚、カウンターに並んだ。


 全員が廊下に並んだ。


「カラムの部屋はユキナガとフィンの間です」


 カラムがキーを受け取った。


「……」


 それぞれの部屋に消えていった。


 リヴァは自分の部屋に入った。


 白い壁だった。


 一瞬、足が止まった。


 部屋の奥には、海へ向いたバルコニーの窓があった。リヴァは窓から距離を取ったまま立っていた。


 ノックが二回した。


「開いてるよ」


 ドアが開いた。


 カイが入ってきた。


「アルカ管理の施設でも、確認はいる」カイは言った。


 言いながら、すでにバスルームから確認を始めていた。シャワーカーテンの裏、クローゼット、ベッドの下。まだ身体が戻りきっていないのか、床には膝をつかず、腰を折って覗き込んだ。


 最後に窓へ近づき、カーテンを少し開けて外壁を確認してから元に戻した。


「大丈夫だ」


「うん」


「鍵かけろ」


 カイがドアを出た。


 足音が遠ざかった。


 リヴァは少し待ってから、廊下に出た。


 アルノの部屋は斜め向かいにあった。ドアが半開きで、その向こうからクローゼットや引き出しを順番に開ける音がした。バスルームではシャワーカーテンまで引かれている。


 リヴァが隙間から少し覗くと、ジャケットを脱いだアルノが、立ったまま上半身を傾けてベッドの下を確認していた。


 スーツケースは入口の横に立ったままだった。安全確認が終わるまでは、荷解きもしないらしかった。


 リヴァはそっとドアから離れた。


 フィンの部屋の前は静かだった。ドアの隙間から光も漏れておらず、中は真っ暗らしかった。


 リヴァはそのまま離れた。


 カラムの部屋の前を通ると、英語のロックが廊下まで漏れていた。


 隣はユキナガだった。


 ユキナガの部屋のドアが開いた。


「カラム」ユキナガが廊下に顔を出した。「音楽」


「…静かだと落ち着かない」


「いつもそうなの」


「…うん」


「リヴァ、うるさくない?」


「平気」


 ユキナガがドアを閉める時、部屋の中が少し見えた。壁際からコードが引っ張り出され、机には端末が三台並んでいる。


 画面の一つに海図のようなものが映っていた。石垣より、さらに西に印がついていた。


 リヴァは自分の部屋に戻った。


 ドアを閉めて鍵をかけ、カーテンも閉じた。窓が見えなくなると、少しだけ楽になった。


 ベッドに座り、壁へ背を預けた。隣からカラムの音楽が薄く聞こえていた。完全な静寂ではなかった。


 しばらくすると、廊下からアルノの声がうっすら聞こえた。少しして、カラムの音楽が小さくなった。


 石垣の午後が、静かに流れていた。


 ノックがした。


「リヴァ、オラヴルに電話してください」アルノの声だった。「今」


「うん」


「彼…カラムのことですが、携行品は預かりましたが、十分注意してください」


 足音が遠ざかった。


 リヴァはしばらくそのままでいた。


 それから端末を取り出した。電話した。オラヴルの声が来た。


 いつもと変わらないオラヴルの低い声が、心地よかった。


 端末を置いた。


 壁に背をついたまま目を閉じ、しばらく眠った。


 廊下に全員が集まった。


 リヴァは白いリネンのワンピースを着ていた。袖が短く、膝丈だった。薄手の紺の上着を羽織った。


 腕の痛みはまだあった。でも、昨日よりは動いた。ポケットに端末だけを入れた。


 アルノが全員を見た。


「食事に行きますが」アルノは言った。「二、三人ずつに分かれた方が」


「いや、全員で行こうぜ」フィンは言った。


「目立ちます」


「観光客だって言えばよくない?」


「……」


 アルノは全員を見た。


 その間に、カラムが先に歩き出していた。


「カラム」


「おなかすいた」


 ホテルを出ると、夕方になっても舗道には昼の熱が残っていた。白いリネンの裾に、生ぬるい風が入った。


 路地へ入った時には、カラムがもう先頭を歩いていた。


「何でお前が先頭で歩いてんだよ」ユキナガは言った。


「おなかすいた」


「カラム、うしろ」リヴァは言った。


 カラムが振り返り、リヴァの後方に来た。


 カイが一歩前に出た。カラムとリヴァの間に入る位置だった。


 カラムがカイを見た。カイがカラムを見た。どちらも何も言わなかった。


 


 入ったのは、観光客と地元客で賑わう大きな店だった。


 引き戸を開けて七人が入った瞬間、入口近くの話し声が少しだけ静かになった。


 先頭からアルノ、ヴィクトル、フィン、ユキナガ。リヴァのすぐ後ろには身体の大きいカイが続き、最後に二メートル近いカラムが入ってきた。


 店員が来た。全員を上から下まで見た。もう一度見た。


「……何名様ですか」


「七名です」アルノは言った。


 店員は、日本語で返ってきたことに驚いていたように見えた。


「……少々お待ちください」


 店員が奥に消えた。別の店員が顔を出した。全員を見た。また消えた。


「ぎょっとされた」リヴァは小声で言った。


 アルノはため息をついた。


 奥のテーブルに案内された。


 席につく前だった。


 カイがリヴァの隣の椅子を引いた。


 フィンがリヴァの反対側に回ろうとした。


 カラムが先にそこにいた。


「カラム、いつの間に」


 カイがカラムを見た。何も言わなかった。


 フィンはカラムの隣に座った。


「リヴァの隣の隣でいいや」


 アルノが残った席を見た。窓際だった。


 アルノは一拍だけそこを見てから座った。外壁と隣のビルの窓を確認し、射線になりうる角度を目で追ってからメニューを開いた。


 ヴィクトルはドアと窓が両方見える位置に自然に座り、カイはリヴァと窓の間に入っていた。


 リヴァはそれを見ていた。


「え、窓側か」フィンは言った。「奥にしてもらう?」


 少し間があった。


「まあいっか」フィンは続けた。「ちょっと落ち着くわ」


 アルノが窓から視線を外した。ヴィクトルが煙草を取り出すのをやめた。


 冷えた水が運ばれ、グラスの表面にすぐ細かな水滴が浮いた。


 メニューが来た。


「カイ、おすすめは」フィンは言った。「地元でしょ?」


「ソーキそばとゴーヤーチャンプルー」


 カラムはメニューを見ていた。


「海ぶどうって何」


「沖縄の海藻だ」カイは言った。


「嫌い」カラムが言った。


「まだ食べてないじゃん」ユキナガは言った。


「……ソーキそばにする」


 料理が来た。


 カラムがソーキそばの葱とかまぼこを丁寧に端に寄せた。


 フィンがレンゲですくって自分の皿にのせた。カラムは何も言わなかった。


 リヴァがゴーヤーチャンプルーを食べていた。


「リヴァ、ゴーヤーいけるの」フィンは言った。


「うん。…でも、今はもういいや」


 リヴァは箸を置いた。


 フィンのところに少し寄せた。


 フィンがゴーヤーチャンプルーを一口食べた。少し止まった。


「苦い」


 フィンがカイに皿ごと渡した。


「言っただろ」カイは言った。自分の茶碗に全て乗せた。


 食事が続いた。


 カイが時々リヴァを見ていた。アルノも同じだった。二人とも何も言わなかった。


 しばらくして、リヴァは窓の方を見た。


 カイが少しだけ身を引いた。


 窓の外には海があった。夕方の光が水面で細かく揺れていた。


「……海、きれい」


 誰にともなく、リヴァは言った。


 カイはリヴァを見てから、同じ方へ視線を移した。


 リヴァはしばらく海を見ていた。

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