石垣到着
石垣港に着いたのは、昼前だった。
セレネ・ステラが静かに接岸した。
タラップを降りた。
七月の石垣の空気が来た。
那覇より光が強かった。海の色が違った。透明度が高かった。
リヴァは、ミッドナイトブルーのシフォンを着ていた。膝下の丈で、肩から二の腕までを、薄い生地が覆っていた。
左肩の包帯は、その下に隠れていた。
海風が、裾を揺らした。
全員が埠頭に立った。
アルノが口を開いた。
「リヴァは東京拠点に戻ってください」
静かだった。
事務的だった。
でも、全員が少し止まった。
「オラヴルに診せる必要があります」アルノは続けた。「グレイが何をしたか、詳細を確認する必要もある。拠点の方が安全です」
リヴァは少し間を置いた。
「嫌だ」
「リヴァ」
「帰りたくない」リヴァは言った。「逃げたくない」
「逃げることと、安全を確保することは違います」
「わかってる」リヴァは言った。「でも、帰りたくない。まだここにいたい」
アルノはリヴァを見た。
リヴァはアルノを見た。
目が、昨夜より少し戻っていた。
怖がっていた。でも、ここにいた。
アルノは眼鏡を押し上げた。
カイを見た。
カイは前を向いていた。
何も言わなかった。
「……わかりました」アルノは言った。「ただし、オラヴルと毎日通話してください。何かあればすぐに帰ります」
「うん」
少し間があった。
「俺も」カラムは言った。
全員がカラムを見た。
「…まだ聞けてない」カラムは言った。
「俺も残るよ」フィンは言った。「カラム一人にしたら何するかわからないし」
「…余計なお世話」
「俺が心配だから残る」
「…黙って」
ユキナガが手を上げた。
「俺も別に帰る理由ないかな」
アルノがユキナガを見た。
「拠点の管理が」
「リモートでできる」
ヴィクトルが煙草を取り出した。何も言わなかった。帰る気もなさそうだった。
全員が残る気だった。
アルノは少し間を置いた。
眼鏡を押し上げた。
「……全員、残るということですか」
「そうなるね」フィンは言った。
「……この状況で、全員が同じ場所に集まることの危険性は理解していますか」
「理解してる」フィンは言った。
アルノが手を額に当てた。
少し下を向いた。
全員がそれを見た。
「アルノが頭抱えてる」ユキナガは小声でフィンに言った。
「初めて見た」フィンは小声で言った。
「俺も」
しばらくして、アルノが顔を上げた。
「わかりました」アルノは言った。
声に感情がなかった。
いつもの声だった。
「全員で行動します。ただし条件があります」
「何」ユキナガは言った。
「グレイの動向を常に監視します。ユキナガ、情報収集を継続してください」
「了解」
「船で回収した端末の解析も、ここで続けます」アルノは言った。「東京に送るより、手元で進めた方が速い」
ユキナガが頷いた。
「外出時は必ず二人以上で行動すること。単独行動は禁止です」
「わかった」リヴァが言った。
「カラム」
「…なに」
「あなたも同じです。単独行動は禁止。フィン、カラムのおもりを頼めますか」
「OK」
カラムは少し間を置いた。
「…俺も」
「あなたも、です」
「…」
「返事をしてください」
「…わかった」
「以上です」アルノは言った。「ホテルを手配します」
踵を返した。
端末を取り出した。
歩き始めた。
石垣島のホテルは、港から少し歩いた場所にあった。
白い外壁だった。ブーゲンビリアが入口に咲いていた。ロビーに入ると、海風の匂いがした。
アルノがフロントで手続きをした。全員分の部屋を、同じ階に取っていた。担当者は名前を聞かなかった。パスポートも求めなかった。アルノが封筒を渡すと、カードキーが七枚、カウンターに並んだ。
廊下に並んで立っていた。
カードキーを受け取った。
それぞれの部屋に消えていった。
リヴァは自分の部屋に入った。
白い壁だった。
一瞬、止まった。
白い壁だった。
でも、影があった。窓があった。光源が見えた。海が見えた。
リヴァは少し息を吐いた。
バルコニーの窓が、部屋の奥にあった。
大きかった。
海に向いていた。
リヴァは窓から離れた場所に立った。
自分でも気づかないうちに、壁際に寄っていた。
ノックがした。
「リヴァ」
カイだった。
「開いてる」
ドアが開いた。
カイが入ってきた。
「アルカ管理の施設でも、確認はいる」カイは言った。
言いながらすでにバスルームを開けていた。シャワーカーテンを引いた。クローゼットを開けた。ベッドの下を見た。膝をつかなかった。腰を折って、一秒で確認した。
窓に近づいた。カーテンを少し開けた。外を確認した。隣室の窓の位置を見た。外壁を確認した。カーテンを戻した。
ドアに戻った。
「大丈夫だ」
「うん」
「鍵かけろ」
「かける」
カイがドアを出た。
ドアが閉まった。
その後、足音がした。
遠ざかった。
リヴァは少し待った。
廊下に出た。
アルノの部屋のドアが、斜め向かいにあった。
半開きだった。音がした。
クローゼットが開く音。
閉まる音。引き出しが開く音。閉まる音。バスルームのドアが開く音。シャワーカーテンが引かれる音。
リヴァはドアの隙間から少しだけ覗いた。スーツのジャケットを脱いでいた。
ベッドの下を見ていた。立ったまま、上半身だけ傾けて見ていた。
荷物を置いていなかった。
スーツケースが、入口の横に立ったままだった。
確認が全部終わるまで、荷解きしないらしかった。
リヴァはそっとドアから離れた。
フィンの部屋の前を通った。
音がしなかった。
ドアの隙間から漏れる光が、なかった。
部屋が、真っ暗だった。
リヴァはドアから離れた。
カラムの部屋の前を通った。
音楽が聞こえた。
英語の音楽だった。ロックっぽかった。でも、廊下まで聞こえた。
隣はユキナガだった。
ユキナガの部屋のドアが開いた。
「カラム」ユキナガが廊下に顔を出した。「音楽」
「…静かだと落ち着かない」
「いつもそうなの」
「…うん」
「リヴァ、うるさくない?」
「平気」
ユキナガがドアを閉めた。閉めるときに、ユキナガの部屋が少し見えた。壁のコードが、引っ張り出されていた。机に、端末が三台。
画面の一つに、海図のようなものが映っていた。石垣より、さらに西に、印がついていた。
ドアが閉まった。
音楽が続いた。
リヴァは自分の部屋に戻った。
ドアを閉めた。
鍵をかけた。
カーテンを閉めた。
壁際に立った。
部屋が静かだった。
カラムの部屋から、音楽が薄く聞こえた。
リヴァはベッドに座った。
壁に背をついた。
カーテンが閉まっていた。
窓が見えなかった。
それで、少し楽だった。
カラムの音楽が、続いていた。
そのあと少しして、アルノの声がうっすら聞こえた。少しして、カラムの音楽が小さくなった。
石垣の午後が、静かに流れていた。
ノックがした。
「リヴァ、オラヴルに電話してください」アルノの声だった。「今」
「うん」
足音が遠ざかった。
リヴァはしばらくそのままでいた。
それから端末を取り出した。電話した。オラヴルの声が来た。
いつもと変わらないオラヴルの低い声が、心地よかった。
端末を置いた。
壁に背をついたまま、目を閉じた。
しばらく眠った。
廊下に全員が集まった。
リヴァは白いリネンのワンピースを着ていた。袖が短く、膝丈だった。薄手の紺の上着を羽織った。
腕の痛みはまだあった。でも、昨日よりは動いた。ポケットに端末だけを入れた。
アルノが全員を見た。
「食事に行きますが」アルノは言った。「二、三人ずつに分かれた方が」
「いや、全員で行こうぜ」フィンは言った。
「目立ちます」
「観光客だって言えばよくない?」
「……」
アルノは全員を見た。
カラムが先に歩き出していた。
「カラム」
「おなかすいた」
アルノは眼鏡を押し上げた。
路地を歩いた。
カラムが先頭を歩いていた。
「何でお前が先頭で歩いてんだよ」ユキナガは言った。
「おなかすいた」
「それが理由なの」
「カラム、うしろ」リヴァは言った。
カラムが止まった。
振り返った。
リヴァの後方に来た。
カイが一歩前に出た。カラムとリヴァの間に入る位置だった。
カラムがカイを見た。カイがカラムを見た。どちらも何も言わなかった。
仕方なく、カラムは一番後ろを歩いた。
店に着いた。
大きい店だった。外から賑やかな声が聞こえた。観光客と地元客が混ざっていた。
引き戸を開けた。
全員が入った。
店内が少し静かになった。
先頭に明らかな白人のアルノ、ヴィクトル、フィン、そしてユキナガと続いた。リヴァのすぐ後に188センチのカイ。最後がカラムだった。193センチが入ってきた。
店員が来た。全員を上から下まで見た。もう一度見た。
「……何名様ですか」
「七名です」アルノは言った。
店員は、日本語で返ってきたことに驚いていたように見えた。
「……少々お待ちください」
店員が奥に消えた。別の店員が顔を出した。全員を見た。また消えた。
「ぎょっとされた」リヴァは小声で言った。
アルノはため息をついた。
奥のテーブルに案内された。
席につく前だった。
カイがリヴァの隣の椅子を引いた。
フィンがリヴァの反対側に回ろうとした。
カラムが先にそこにいた。
「カラム、いつの間に」
カイがカラムを見た。何も言わなかった。
フィンはカラムの隣に座った。
「リヴァの隣の隣でいいや」
アルノが残った席を見ていた。
窓際だった。
アルノは少し間を置いた。座った。外壁を確認した。隣のビルの窓の位置を確認した。射線になりうる角度を一秒で計算した。メニューを開いた。
ヴィクトルはドアと窓が両方見える位置に自然に座っていた。カイはリヴァと窓の間に入っていた。
リヴァはそれを見ていた。
「え、窓側か」フィンは言った。「奥にしてもらう?」
少し間があった。
「まあいっか」フィンは続けた。「ちょっと落ち着くわ」
アルノが窓から視線を外した。ヴィクトルが煙草を取り出すのをやめた。
「リヴァ」ヴィクトルは言った。
「うん」
「出口と、窓の位置」
「見た」
メニューが来た。
「カイ、おすすめは」フィンは言った。「地元じゃん」
「ソーキそばとゴーヤーチャンプルー」
カラムはメニューを見ていた。
「海ぶどうって何」
「沖縄の海藻だ」カイは言った。
「嫌い」カラムが言った。
「まだ食べてないじゃん」ユキナガは言った。
「……ソーキそばにする。麺と肉だけ」
好き嫌い多いんだな、とリヴァは思った。
料理が来た。
カラムがソーキそばの葱とかまぼこを丁寧に端に寄せた。
フィンがレンゲですくって自分の皿にのせた。カラムは何も言わなかった。
リヴァがゴーヤーチャンプルーを食べていた。
「リヴァ、ゴーヤーいけるの」フィンは言った。
「うん」
ただ、今はまだそんなに食べる気にはなれなかった。箸を置いた。
フィンのところに少し寄せた。
フィンがゴーヤーチャンプルーを一口食べた。少し止まった。
「苦い」
「言っただろ」カイは言った。
食事が続いた。カイが時々リヴァを見ていた。アルノも同じだった。二人とも何も言わなかった。
しばらくして、リヴァは窓の方を見た。
カイが、少しだけ身を引いた。
窓の外に、海があった。
光が、水面で揺れていた。
「……海、きれい」
誰にともなく、リヴァは言った。
カイがリヴァを見た。
それから、同じ方を見た。
リヴァは、しばらく海を見ていた。




