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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第六章「浮遊する標的 ― Drifting Target」

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派手な退勤



 セレネ・ステラ 八階西側サービス通路 午後十時六分。


 アルノとヴィクトルは、七階のVIP区画を離れて西側のサービス階段を上がっていた。


 アルノのジャケットの内側には回収した端末が入っていた。


『アルノ。向こう気づいた』


「早いな」ヴィクトルが言った。


「…どこまでですか」


『コストフ死亡、エスポジト不通、端末消失まで割れてる。全区画封鎖に入った。客には伏せたがってる』


「了解。全員——」


『止まって』ユキナガの声がイヤーピースへ入った。


 二人とも足を止めた。


『八階の出口、二人来る。こっちのカメラで確認した。コストフ側』


 アルノが階段の踊り場から上を見た。


「戻れますか」


『七階はもう何人か入った。戻らない方がいい』


 ヴィクトルが右の扉を見た。


「右は」


『厨房。スタッフ二十人くらいいる』


「却下ですね」


 上の防火扉が開いた。


 男が二人入ってきた。


「止まれ」


 英語だった。


 アルノは止まったまま、男の右手を見ていた。


 ジャケットの裾が動く。


「ヴィクトル」


「ああ」


 男が拳銃を抜いた。


 最初の発砲音は、狭い階段室の中で異様に大きくなった。


 弾がアルノの横を抜け、防火扉の鋼板へ当たった。火花が短く散り、耳の奥に金属音が残った。


 ヴィクトルがアルノのジャケットを掴んで踊り場の壁際へ引いた。二発目が手すりへ当たり、塗装の欠片が床へ落ちる。


「撃ってきた」


 アルノはWalther PPKを抜いた。


 ヴィクトルもBerettaを出している。


 上から一人が階段へ入ろうとした。


 アルノが一発撃った。


 男はすぐに身体を引いた。


『今ので向こう全部動く』


「でしょうね」


『西階段捨てて。八階で右、厨房抜ける』


「人は」


『今どかす』


 ユキナガは厨房の業務端末へ切り替えた。


 八階西側調理ラインに、設備点検の一時停止通知を送る。


 《西側加熱区画、排気設備確認。担当者は東側仕込み区画へ移動。復旧指示まで使用停止》


 ヴィクトルが踊り場の小さな丸窓を見た。その向こうには客用廊下の暖かい照明が見えている。


「急げ。ここで挟まれる」


 西側の調理ラインが止まった。


 白い帽子のスタッフが熱源を落とし、鍋やトレーを残して奥の仕込み区画へ移動していく。ステンレスの鍋からはまだ湯気が上がり、皿の上には夜食用の小さなサンドイッチが並んでいた。


 二人が通る壁際の通路が空いていく。


 アルノとヴィクトルは厨房脇の業務通路へ入った。


「アルノ、そのまま真っ直ぐ。十五メートルで冷蔵庫の横に扉ある」




 ユキナガはスイートのリビングで、三台のモニターを同時に見ていた。


 昼すぎまで朝食が並んでいた場所にはケーブルと端末が広がり、小さな林檎が二つとオレンジが丸々三つ残されていた。


 船内図の上で、複数の点が動いていた。


「西階段塞がれた。七階も増えた」


『フィンは』


「まだエスポジトの部屋」


『連れて出るよ』フィンの声がした。


「東側廊下使わないで。今二人上がってる。部屋出たら左、サービスリフト前まで」


『了解』


 ユキナガは別の映像へ切り替えた。


 十一階では、カイとリヴァが狙撃位置を離れている。リヴァはAXMCをケースへ収め、カイがそのケースを持っていた。


「カイ、リヴァ。西側戻るのやめて」


『何人』


「今見えてるだけで三。下からもう来る」


『別ルート』


「上」


『十二階?』


「そう。プール側まで出て」


 カイは返事をせず、すぐ方向を変えた。


 リヴァのバーガンディのドレスが監視映像の端を横切り、二人が非常階段へ消える。


 ユキナガはさらに別の画面を開いた。


「十二階のプールまで行って」


 数秒、無線が静かになった。


『そこはまだ客がいます』


「あー、今から消す。消す消す」


 ユキナガは船内の業務管理画面を開いた。


 十二階後部プールを選択する。


 《十二階後部プール、一時閉鎖。利用客を前方ラウンジ経由で客室へ誘導。担当スタッフは退避完了後、前方待機》


 送信した。




 セレネ・ステラ 十二階後部プールデッキ 午後十時九分。


 インフィニティプールは海に向かって広がっていた。


 ジャグジーはまだ動いていた。


 デッキにはまだ二十人ほど客がいた。


 バスローブ姿の夫婦。水着のままシャンパンを飲んでいる若い客。デッキチェアに寝転び、寝ている老人。濡れた髪をタオルで巻いた女性が、裸足でプールの縁を歩いている。


 水面の向こうでは、バーテンダーが最後のモヒートを作っていた。


 グラスへ氷を落とした瞬間、スタッフ用の端末が一斉に振動した。


 バーテンダーが画面を見る。


 画面には、船内オペレーションからの緊急区画閉鎖指示が表示されていた。


 近くのプールアテンダントも同時にイヤーピースへ触れた。


 数秒後、白い制服の責任者がデッキへ出た。


 スタッフは濡れた客には白いタオルを渡し、デッキチェアに置かれたバッグを拾わせ、前方のラウンジへ誘導していく。


 船内放送も続いた。


『一部区画にて保安上の確認を行っております。十二階後部をご利用のお客様は、乗務員の案内に従い客室へお戻りください』


 声は穏やかだった。


 プールの照明も、音楽も消えなかった。


 濡れた足跡が大理石調の床へ幾つも残っていた。途中まで飲まれたシャンパンのグラスには細かな泡がまだ上がり、バーでは切ったライムがそのまま銀のトレーに残されている。


 最後の客がガラス扉を抜けた。


 スタッフが人数を確認し、後ろから扉を閉める。


 電子錠が掛かった。


 その直後、ユキナガの声が全員の耳へ入った。


『プール、客ゼロ。船員も前へ出した』


 カイとリヴァが東側の扉から入った。


 外気に触れた瞬間、リヴァのベルベットの裾が海風に大きく揺れた。青い水面の光がドレスの下半分へ反射し、深い赤が一瞬だけ紫に見える。


 カイはガラス扉、バーの奥、上階へ続く階段、デッキチェアの陰を順番に確認しながら、リヴァを自分の内側へ入れた。


「滑る。走るな」


 床には、さっきまで泳いでいた客の水が残っていた。


 リヴァの細いヒールが濡れたタイルを踏み、少し滑った。カイの左手が肘を支え、そのまま速度を落とさず進む。


『フィン、あとどれくらい』


『一分。こいつ走んの遅い』フィンの声が入った。


 別の出入口では、スタッフ用の扉が開き、アルノとヴィクトルが出てきた。


 ヴィクトルはプールデッキを見渡した。


「いい景色だ。派手な退勤だな」


『来るよ』


 アルノの足が止まった。


『西側、三人。上がってきてる』


 プールの向こう側にあるガラス扉の奥で、人影が動いた。


 青い水面を挟んで、向こう側の扉が開いた。


 夜風が入り込み、バーに置き忘れられた紙ナプキンが一枚、水際まで滑っていった。


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