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品川任務:見捨てない

 リヴァは目を閉じた。


 一秒だけ閉じた。


 開けた。


 スコープの中の世界が、変わっていた。


 風の道が見えた。その先に、人がいた。


『今』


 引き金を引いた感覚がなかった。


 気づいた時には、スコープの中の人間が倒れていた。


 ボルトを引いた。


『二人目、右に動いた、先読み0.8』カイの声がした。祈っていた。声に出ていた。


 引いた。


 倒れた。


 ボルトを引いた。


『三人目、北に走った、距離410、先読み1.1』


 引いた。


 走っていた人間が、止まった。



 フィンはビルの角から出た。


 三人が倒れていた。三人とも、一発ずつだった。


 角度を見た。上からだった。屋上の方向だった。


 あの状態で、当たるはずがなかった。


 フィンは屋上の方を見た。何も見えなかった。


「……何だ、今の」



『フィン、動けますか』アルノの声がした。


『動ける』


 フィンは走り出した。走りながら、もう一度屋上を見上げた。


『リヴァ、三人処理確認。フィン、脱出ポイントまで残り60メートル。道はクリア』ユキナガの声。


『よかった』ユキナガの声が、もう一度来た。少し震えていた。


 リヴァはスコープから目を離した。


 涙が、まだ出ていた。でもフィンが走っていた。逃げられていた。


「……見捨てない」


 息だけの声だった。


 全員に、聞こえていた。



 屋上の床は錆びていた。雨で湿ったまま、錆の匂いがした。


 六月の東京の夜は、息が湿っていた。


 Tシャツの背中が、汗で貼り付いていた。気づいた瞬間、首筋を冷たい滴が走った。


 涙はもう出ていなかった。乾いて、頬に塩の跡を残していた。


『リヴァ、フィン回収しました。脱出ポイントに合流』アルノが言った。


「……うん」


『カイ、東側から屋上へ』


『向かう』カイの声がした。息が上がっていた。


『リヴァ、お疲れ。マジで、お疲れ』ユキナガの声がした。いつもより、少しだけ柔らかかった。


 リヴァはAXMCのバイポッドを折り始めた。


 手がうまく動かなかった。指先がしびれていた。


 ボルトを引いた。チャンバーを確認した。クリア。最後の薬莢が床に落ちた。錆びた金属に当たって、乾いた高い音が屋上に響いた。


 その音が、遠かった。


 立とうとした。膝に力が入らなかった。


 視界の端が、白くなった。


 汗が目に入ったのかと思った。袖で拭った。


 白さは、消えなかった。広がっていた。


「……」


 全部の音が、水の中で聞こえているような距離になった。無線の声も、自分の呼吸も。


 右手の感覚がなくなった。AXMCを持っているはずだった。何を持っているのか、わからなかった。


「……カイ」


 声が出たかどうか、わからなかった。


『リヴァ』カイの声が遠かった。


「……なんか、白い」


『どういう意味だ』


 カイの声が、一瞬止まった。


『アルノ』


『聞こえています』アルノが言った。『リヴァ、屋上で動けますか』


「……」


 言葉が、出る場所がわからなくなっていた。


 ただ、白かった。世界が、白いだけになった。





 白い世界は、ただ静かだった。


 その静けさを、何かが横切った。


 左肩が、跳ねた。


 殴られたと思った。シューティングベストのストラップが肩の外で裂け、布片が散った。


 痛いと理解してから、さらに遅れて、音が届いた。


 低い破裂音が、空気を伝って遠くから鳴った。


 二発目だった。


 左腕から力が抜けた。膝が崩れた。錆びた床に、肩から落ちた。


 血の匂いがした。自分の体から、出ていた。


「……っ」


 今度は、声が出た。


『リヴァ』


 カイの声だった。


 屋上の階段を駆け上がる靴音が、無線越しに重なった。


『リヴァ、応答しろ』


「生きて、る?」


『お前は生きてる。問題ない。どこに当たった』


「左腕、肩のほう……痛いかも」


『出血は』


「わかん、ない」


『見て確認しろ』


「みれない、」


 白さが、薄くなっていった。代わりに、左肩が脈を打ち始めた。


 階段の音が、近くなった。


 ドアが開いた。カイが屋上に出てきた。




「吐け」カイが言った。


 リヴァは、息を吐いた。止めていたことに、気づいていなかった。


 カイが前に来て、片膝をついた。左肩を見た。


 一秒で確認した。動脈じゃない。


 ベストを掴み、体ごと扉の内側へ引き込んだ。


 扉が閉まる重い音がした。


「浅い」カイは言った。「致命傷じゃない」


 カイがプレートキャリアのポーチから止血パッドを取り出した。手が、迷わなかった。傷の上に当て、テープで固定し、圧をかけた。


 痛みが走った。


「……っ」


「我慢しろ」


 カイが、少し止まった。リヴァの目を見た。焦点が、合っていた。


「いい」カイは言った。


 カイの息が、珍しく上がっていた。汗が、リヴァの腕に落ちた。妙にくすぐったかった。


 ここに、自分はいた。



『カイ、リヴァの状態は』アルノの声がした。


『左肩、貫通なし。かすり傷だが縫合が必要』


『動けますか』


『動ける』カイはリヴァを見ていた。


「動ける」リヴァも言った。


『ユキナガ、発射点の特定を続けてください。上空、おそらく西側、距離1000以上』アルノの声がした。


『やってる』ユキナガの声がした。『でもデータが少なすぎる。二発しか来てないから軌道が読めない』


『撤収します。二人とも、東側階段から。私が車で東側通用路に回ります』


「了解。武器を回収する」


 カイが音もなく、もう一度外に出た。


 錆びた床に、リヴァが伏せていた跡があった。AXMCの薬莢を拾った。三つあった。


 遠くで、首都高の音が低く流れていた。その音だけが、いつも通りだった。


 カイがリヴァのケースを担いで戻ってきた。自分のHK416と合わせ、両肩に一丁ずつ。


「立てるか」カイは言った。


「立てる」


 リヴァは右手を床について、ゆっくり立ち上がった。膝がまだ少し震えた。それでも立った。


 カイが横に並んだ。


「歩けるな」


「うん」


 カイは何も言わず、リヴァの右側に立った。半歩、距離を詰めた。


 リヴァが歩き出す。カイがその半歩前に出た。

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