観測ログ:カイの朝
横浜拠点 地下二階 午前五時三分。
数日後。
カイは地下二階のドアを開けた。
スイッチを入れた。
蛍光灯が左から順番に点いた。
四本。
最後の一本が点くまで、二秒かかった。
先週は一・八秒だった。
今日、アルノに言う。
床はゴムマットだった。濃いグレー、厚さ二センチ。
鉄とゴムの匂いがした。誰もいない時間の匂いだった。
空調が一定の音を立てていた。
壁際のロッカーを開けた。
HK416を取り出した。
チャンバーを確認した。動作に引っかかりがなかった。
コンバットナイフを鞘から抜いて、刃を光に当てた。
欠けがないか確認した。
ロッカーを閉めた。
端末を開いて、ユキナガが夜間に上げたログを確認した。
拠点周辺の異常なし、通信の異常なし、任務の更新なし。
閉じた。問題なかった。
黒のタンクトップに、黒のトレーニングパンツ。
テーピングを巻いた。白いテープ。幅三センチ。
ランニングマシンに乗った。
時速十二キロで、六キロ走る。
スタートボタンを押した。ベルトが動いた。
走り始めた。最初の一キロは体を温めた。
二キロ目から速度を上げた。時速十四キロ。
リズムが一定になった。足音だけがした。規則的な音だった。
六キロでベルトが止まった。静かになった。
呼吸を整えた。
次は懸垂バーだった。ジャンプして掴んだ。
バーが冷たかった。金属の硬い冷たさだった。
引き上げた。
顎がバーの上に来た。
下げた。数を数えなかった。
背中の筋肉が収縮する感覚だけを確認した。
肩甲骨が寄る感覚。それだけを追った。
もう一回やって、床に着いた。
天井を見た。
蛍光灯が四本、点いていた。
最後の一本が、ちらついた。
あとで、アルノに言う。
サンドバッグに移動した。
グローブはつけず、テーピングだけで打った。
バッグが揺れた。音が続いた。
マットに仰向けになった。
天井を見た。
呼吸が落ち着くのを待った。
ジムの清掃を終えて、シャワーを浴びた。五分で終わった。
頭から順番に拭いた。
白いシャツに着替えた。
ボタンを上から順番に留めた。第二ボタンから開けた。
黒のパンツ。ベルトを締めた。バックルの位置を確認した。
ジャケットはまだ着なかった。
ダイブコンピュータを左手首にした。
画面を確認した。
六時二十二分だった。
ロッカーの下段を開け、スポッター用の機材を確認した。
レーザー距離計を取り出した。電池残量を確認した。83パーセントだった。問題なかった。
レンズを拭いた。ケースに戻した。
弾道計算用の端末を開いた。今日の横浜の気象データを確認した。
風向き南南西。風速毎秒2.3メートル。
数字を頭に入れた。
ロッカーを閉めた。
一階のキッチンに上がった。
窓から外を見た。横浜の空が白くなり始めていた。
コーヒーメーカーに向かった。豆を出した。
エチオピアのナチュラルだった。
先週から変えた。きっかけは些細なことだった。
リヴァがコーヒーを一口飲んで、言った。
「これおいしい」
四日前、七時二分だった。
翌日、豆を変えた。
自分でも気づかないうちに、そうしていた。
気づいたのは、グラインダーに豆を入れた時だった。
気づいて、そのままにした。
豆を計量した。二人分。二十四グラム。
グラインダーに入れた。挽き目を中細に設定した。
スイッチを押した。
モーターが唸った。
Gauloisesの箱を取り出した。一本抜いた。
マッチを擦った。
一口吸った。
煙を吐いた。換気扇が煙を引いた。
空調の音が少し高かった。
フィルターが詰まり始めている。
新聞を広げた。
国際面から読んだ。日本語だった。
コーヒーが落ちきった。マグカップを二つ出した。一つは自分のだった。
黒の無地の、分厚いカップだった。
もう一つはリヴァが使う白いカップだった。棚の同じ位置にある。
カイは自分のコーヒーを飲んだ。
熱かった。新聞を読みながら飲んだ。
煙とコーヒーの湯気が、カウンターの上で混ざった。
新聞を畳んだ。元通りに折った。
カウンターの端ぴったりに置いた。煙草の残りを灰皿に押した。
コーヒーの残りを飲んだ。
リヴァのコーヒーを注いで、温かいままにしておいた。
時刻を確認した。
六時五十八分だった。
七時ちょうどに、階段の三段目が鳴る。
その三秒後にドアが開く。
一度間違えて押したあと、引く。
カウンターに肘をついた。
窓の外を見た。横浜の空が青くなっていた。
港の光が朝日に溶け始めていた。
海の匂いがした。
階段から音がした。
七時になった。
リヴァが入ってきた。
ドアが一度押されて音を立ててから、開いた。
「おはよう」リヴァは言った。
カイは窓の外から視線を戻した。
「おはよう」カイが言った。
リヴァが欠伸をした。
「コーヒーがある」
カウンターを顎で示した。
"I Love You" / Woodkid




