”リヴァ”
横浜拠点 地下一階会議室 六時三十分。
次の日。
アルノが指定する集合時間は常に正時か半時で、三十秒でも遅れると機嫌が変わるとカイに聞いた。
会議室のドアを開けると、アルノはすでに座っていた。
細身のグレースーツ。テーブルの上にはファイルが一冊と、細いペンが一本。JPSの箱がその隣にあった。銀のジッポライターはなかった。
「おはようございます」アルノは言った。「昨夜はよく眠れましたか」
「…朝早すぎるよ」
「何時間寝られましたか」
「まあ」
彼女はアルノから視線を逸らした。ホワイトボードの右下に、海の写真が貼ってあった。
アルノはペンで机を二回叩いた。
「まあ、ですか?」
彼女はすぐアルノを向いた。
「……五時間」
「わかりました」
そう言って、彼はファイルを開いた。
彼女の名前が書いてある。正確には、与えられたコードネームがあった。
リヴァ。
「今日からそれが私の名前?」
「はい。本日付でアルカへの所属が承認されました」
彼女はもう一度その名前を見た。
「承認?誰から」
「日本を管轄する上位中枢からです。コアは三名いて、それぞれ管轄地域が異なります。日本支部では、私だけが担当の一名と連絡を取っています」
「偉い人が三人いるんだ」
「コア同士に直接の連絡はないと聞いています」
ペンの先をテーブルに一度置いた。
「あなたについては、しばらく相当の監視下に置きます。全ての外出には同行者が必要です。端末の通信ログは記録されます。外部への個人的な接触は、事前申請が必要です。以上の条件に同意しますか」
「同意する」
「……即答ですね」
「うん」
「逃げるという選択肢は」
「ない」
「理由は」
「ここしか知らないから」
アルノは三秒、彼女を見た。
「……わかりました。その一貫した態度も、特別措置としてあなたの所属が認められた理由の一つですから」
「リヴァ。ようこそ、超法規的独立機関へ」
アルノがファイルを一枚めくった。
「では、改めて。あなたに関わる人間の説明をしておきます」
テーブルの上に、薄いカードが並んだ。写真と名前だけが印刷された、簡素なものだった。
「まず私は、アルノ・ヴァルツ。日本拠点の部門長です。戦略立案と作戦指揮を担当します。あなたの案件の総責任者です」
「ドイツ生まれ?」
「…はい」
「ドイツのどこ?」
「ネルトリンゲン」
「知らないとこだった」
「…」
アルノはため息をついて、続けた。
「カイ・レオン、29歳。元Navy SEALs隊員です」
アルノが一枚カードを置いた。
写真の中の男は、無表情だった。
「護衛と前線対応を担当しています」
アルノは続けた。
「母親は沖縄出身、父親はアメリカ人の米軍人です」
「ハーフなんだ」
アルノは一瞬だけ視線を上げた。
「そうです」
アルノがカードを指先で叩いた。
「任務内容によってはあなたのスポッターになります」
「スポッターって?」
アルノがカードから顔を上げて、彼女を見た。
一瞬眉間が動いた。
すぐに視線をまた落とした。
「狙撃手の補助役です。観測、距離計算、風向きの確認、周辺警戒」
「ふうん」
アルノはカードを変えた。
「オラヴル。アイスランド出身の35歳」
「お茶の人」
「……その認識ですか」
「んー、背がたっかい人」
「…この拠点の医療担当です」
「ああ」
「なんですその反応は」
次のカードに手が移った。
「ユキナガ・トウマ。24歳。日本人です。あなたの記録を連日調べているのも彼です」
「怖」
「本人に言ってください」
カードを揃えて、少し間を置いた。
「この三人が、いえ…正確にはもう一人居ますが今はいいでしょう。現在の横浜拠点のメイン構成です。案件によって外部協力者が加わります」
「そうなんだ」
「近々、外部協力者のひとりが来ます」
最後のカードをテーブルに置いた。写真だけが印刷されていた。
「ヴィクトル・ミハイ。モルドバ出身の34歳。偽造師です。書類、身分、記録。必要なら何でも作ります」
「危ない人?」
「ええ」アルノは頷いた。
彼女は首を傾げた。
「敵?」
「いいえ」
「じゃあ何」
「ヴィクトルです」
アルノはファイルを閉じた。カードを回収した。
「何か質問は」
「モルドバってどこ」
「…後で地図帳でも開いてください」
一拍あった。
「アルノって何歳?」
「32です」
「え」
「……え?」
アルノが顔を上げた。
しばらくして、眼鏡を上げた。
「では」アルノは言った。「アルカについて説明します」
そこでドアが開いた。ノックもなかった。
カイだった。
無言で壁際に立った。アルノは一瞥した。
「来なくていいと言いましたが」
「俺が判断する」
「護衛対象が会議室の中にいる間は、その必要がないと」
「俺が判断する」
アルノは一秒の沈黙の後、視線をファイルに戻した。
「……勝手にしてください」
そのやり取りを彼女は聞いていた。
「カイ、暇なの」
「暇じゃない」カイは一瞬、左手首を見た。「仕事だ」
「それ時計?」
左手首には、有機ELのディスプレイと黒いバンドの、大きめの時計のようなものがついていた。
「ダイブコンピュータ」
「なにそれ」
アルノがペンを手に取った。テーブルを二回叩いた。
「続けていいでしょうか」
リヴァとカイが、アルノを見た。
「アルカ」彼は言った。「国家には属さない機関です。表向きはコンサル会社です」
アルノが続けた。
「いくつかの支部があり、拠点は世界中に。日本支部は横浜のみです」
アルノは続けた。
「各拠点に実働班が複数。サポートが数名」
そこまで言って、アルノは眼鏡を上げた。
「この組織で最も希少なのは、能力ではありません」
「?」
「信用に足る個体です」
会議室が少し静かになった。
アルノはファイルを閉じた。
「だから人数を増やしません」
ノックが鳴るのとほぼ同時に、ドアが開いた。
ユキナガだった。
「アルノ」
「今、説明中です」
「ごめん、これだけ」
ユキナガは端末をテーブルへ置いた。
画面には地図が出ていた。
新宿だった。
「本牧でカイが取ってきた端末。削除領域まで復元したんだけど」
アルノが画面を見た。ユキナガが続けた。
「任務関係は普通。密輸の連絡も、金も、だいたい想定内だった。ただ、これ」
地図の一点を拡大した。
「位置情報の照会が、ひとつだけ異常に多い」
「どこですか」
「新宿」
さらに拡大した。
カイが壁から離れた。画面を見た。
「いつ」
「昨日の二十三時台。リヴァを拾った日」
カイが画面を見た。
リヴァも見た。
地図の一点に、赤いマークが重なっていた。
「ここだけ異様に細かく拾ってる」
「位置情報の照会ですか」
「うん。半径五十メートル以内。六回」
カイが言った。
「俺が見つけた場所だ」
ユキナガが顔を上げた。
リヴァも顔を上げた。
「私?」
会議室が静かになった。
ユキナガは端末を持ち上げた。
「……誰か、先に見てた?」
リヴァは小さく息を吐いた。
"Human" / Sevdaliza




