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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第一章「観測地点の虚― The Empty Origin」

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JPS




 小会議室はテーブルが一つ、椅子が四脚。


 窓がない部屋だった。空調の音だけがしている。テーブルの上にボイスレコーダーと、アルノのノートが置いてあった。万年筆が一本、ノートの端に置いてある。


 アルノが向かいに座った。


 座るとき、JPSの箱と、銀色のジッポライターをテーブルに置いた。


 彼女の視線がジッポライターを見た。


「時間をいただいてありがとうございます」アルノは言った。


「うん」


「できるだけ詳しく聞きたいですが、答えられない範囲は無理に答えなくて構いません」


「ビンタする?」


 アルノは一度だけ瞬きをした。


「…必要なら」


「怖」


「では」彼はノートを開いた。「最初に覚えている記憶から教えてください」


 少し考えた。


「屋上。カイが来たところから」


「それ以前は」


「ない」


 アルノは何かを書き留めた。


「言語は」


「日本語と、英語はわかる」


 アルノのペン先が一度だけ止まった。


 顔を上げた。


「Verstehen Sie das?(理解できますか)」


 さっきのアルノより、声が低かった。


 リヴァは眉間に皺を寄せて、首を傾げた。


「……アルノの言葉?」


 アルノは数秒彼女を見ていたが、すぐに視線を落としメモを書いた。


「听得懂吗?(わかりますか)」アルノが小さく呟いた。


 彼女が瞬きした。


 アルノは何かを書き留めた。


「身体的な傷や、特徴的な痕は」


「ところどころ。でもいつついたか分からないし、肩の怪我のことも覚えてない。多分ナイフで切られてるってオラヴルが」


 アルノは書いた。


「夢は」


「…今日のは覚えてた。なんか豪華な部屋。それだけ」


「感情は夢の中でどんな状態ですか」


「何も感じない。赤いカーペットをずっと見てた」


 アルノが少し止まった。書く手が一瞬だけ遅くなった。


「他に繰り返す感覚や、感触はありますか。夢でなくても」


 彼女は少し考えた。


「…拠点のコーヒーがおいしい」


「……それから」


「おなかすいた」アルノのポケットを指した。


「…真面目に答えてください」ポケットから、小さなチョコを取り出して差し出した。「見抜いてましたね」


「そんなことない」包みをはがし、口に入れる。シュシャール。ヨーロッパのチョコだった。


「昨日のと違うんだ」


 アルノは黙って、彼女の開かれた包み紙をポケットに回収した。


「前くれたの、カイとはんぶんこして食べたよ」


 アルノの手が止まった。


「……カイは甘いものが苦手だったはずですが」


「え」


 アルノは一度だけ彼女を見た。


「続けてください。他に気になる感覚があれば」


「銃は、最初から持てた」口の中でチョコを転がしていた。「触った瞬間、どう構えればいいかわかった。理由は覚えてないのに」


 アルノは書き続けた。


 それから溜息を吐き、煙草を一本出してライターを手に取った。


 銀色のジッポだった。


 開けた。


 金属と金属がぶつかる、小さな音が鳴った。


 反射で少しだけ、彼女の身体が動いた。


「……っ」


 小さな動作だった。肩が一センチ上がって、戻った。脱力したようだった。


 息を吸った。喉が少し震えていた。ほんの数秒間、目が揺れた。


 アルノがライターを閉じた。


 火はついていなかった。ただ開けただけだった。


 部屋が静かになった。


「……」アルノがじっと見ていた。


「大丈夫」彼女が言った。「なんか、びっくりした。なんでか分からないけど」


「ジッポの音で」


「そう。……なんで?」


 自分で、自分に向けて聞いた。


「ただの音なのに」


 アルノはライターを手の中に持ったまま、見た。


 咥えた煙草を外して、テーブルに置いた。


「こういうことは、他にもありますか。音や、動作に対して、理由の分からない反応をすることが」


「……意識してなかった」


「今後、気になったら教えてください」


「うん」


 彼はライターをスーツのポケットに入れた。テーブルから消えた。


「ヒアリングは以上です」アルノが言った。


「もっと聞かなくていいの」


「聞かれたいんですか?」


「そういうわけじゃないけど」


「じゃあ話したいことは?」


「チョコおいしかった」


「…はい」


 ノートを閉じた。ボイスレコーダーを止めた。


 彼女はテーブルの上に視線を落とした。


 ジッポの音が、まだ耳の奥に残っていた。


 口の中に残るチョコの甘みが安心する。


「アルノ」


「はい」


「私は、記憶を取り戻せると思う?」


 アルノは少し間を置いた。


「可能性の話をするなら、はい」アルノは言った。


「そうじゃなくて」彼女は言った。「アルノの感覚として」


 彼は眼鏡のブリッジを押し上げた。


「……根拠のある答えは出せません」彼は言った。「ただ」


 一拍あった。


「あなたが望んでいるなら、調べる価値はあります。私はそう思っています」


 彼女はアルノを見た。


 白いシャツ、整った姿勢、静かな金色の目だった。


「……カイって昔からあんなに面倒見がいいの」彼女が切り出した。


 アルノが黙った。


 一拍あった。


「…その評価は、初めて聞きました」


「そうなの」


「ええ」


 アルノがノートをかばんに入れていた。


「私、ここに残りたい」


 彼は手を止めた。かばんを持ったまま、彼女を見た。


「任務を続けるということですか」


「それもあるけど」彼女は言った。「そっちじゃなくて」


「聞かせてもらえますか」


 彼女はテーブルの上を見た。


 何もないテーブルだった。でも少し前まで、ジッポがそこにあった。


「ここなら、調べられるから」


「あなた自身について?」


「うん。さっきのあれも、何なのか知りたい。それを知らないままは嫌」


 アルノは彼女を見ていた。


「残るということは、あなたの処遇をこちらに委ねるということです」


「うん」


「……意味を理解していますか」


「たぶん」


「たぶん、では困ります」


「でも残りたい」


 アルノはしばらく彼女を見た。


「では、明朝正式に話します」


 会議室の空調の音が続いていた。


 外では拠点の誰かが廊下を歩いていく音がした。遠くでユキナガが何か言っている声がした。内容は聞こえない。


「次は記憶の断片をもう少し整理しましょう。夢の内容や、身体的な反応のパターンのメモを忘れずに」


「ん」


 彼は立ち上がった。かばんを持った。


 廊下の光が会議室に差し込んで、消えた。


 ドアが閉まった。


 少しの間、会議室に一人でいた。


 窓のない部屋に、空調の音だけが続いていた。

”Für immer Frühling” / SOFFIE

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