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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第六章「浮遊する標的 ― Drifting Target」

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something sweet


 同じ頃、最上階セレネ・スイートでは、ユキナガがモニター前の床に座ってリヴァと通信で話していた。


「それは、やだねー」


『でしょ。ツインだからとか言ってさ』


「隣のアルノ用の小部屋で寝たら?使用人用みたいなとこ」


『そしたらアルノがカイと二人でダブルベッド?』


 ユキナガが爆笑した。通信の向こうでリヴァも笑っていた。


「じゃあちょっとベッド狭いけど、俺の部屋で寝よ」笑いながら言った。


『うん。うん?……それは違う』


「駄目かー…」ユキナガは笑いすぎて出た涙を拭いた。「冗談。カイに守ってもらいな」


『カイ床で寝かす。おやすみ』


「はいはい、おやすみー」


 通信ログを更新し、左耳だけにかけていたヘッドホンを外す。船内の監視映像をいくつか切り替えてから、画面の時刻を確認した。


 監視カメラ映像を見た。何組ものドレスの女とスーツの男が大きなシャンデリアの下で談笑していた。


「一生、縁の無え世界だなあ」


 一度伸びをして立ち上がったところで、スイートのドアが四回ノックされた。


「ツインのヴィクトルかな」


 ユキナガが自分で言って少し笑った。


 ドアへ近づいた。


「山」


「谷……これ意味あんのか?」


 ヴィクトルだった。


「伝統的な忍者の暗号なの」ユキナガが言った。


「……そうか」


 ドアを開けた。


 片手にスーツ入れを持っていた。入ってくるなりソファの背へ掛ける。


「え?何それ」


「着替えろ」


「なんで」


「その格好で表を歩く気か?」


 ユキナガは自分の服を見た。黒いパーカーにカーゴパンツ、足元はスニーカーだった。


「俺、出歩く気無かったんだけど」


「もう設営は終わっただろ。楽しんで来い」


 ヴィクトルがスーツ入れのファスナーを下ろした。濃紺のジャケット、その下にシャツとスラックスまで一式入っている。


「……なんであんの?」


「俺を誰だと思ってる」


「いや怖……」


「靴もある」


「衣装屋じゃなくて?」


「そういうときもある」


 ソファの横に、黒い革靴の箱までいつのまにか置かれていた。


 ユキナガがヴィクトルを見た。ヴィクトルも見返した。


「なんだ。早く脱げ」


「……男に言われると萎えるなあ」


 ヴィクトルが一歩近づいた。


「そうか。脱がしてほしいならそう言え」


「やめてやめてほんとに」


 ユキナガはパーカーを脱いだ。


 そのまま、ユキナガは全身を着替えた。


 シャツは襟を一つ開け、タイはしなかった。


 ヴィクトルが上から下まで見た。


「まあいい」


「まあ?」


「髪」


 ヴィクトルがユキナガの髪に手を伸ばした。


 ユキナガが一歩下がった。


「触んな」


「つれないな」


「ツインの癖に」


「……」


 そのままドアのほうに歩いた。


「まだ見てないとこ見てくる。プール側と、外周のスタッフ導線」


「仕事熱心だな」


「ちゃんとしちゃったせいで、見に行けない言い訳なくなったんだよ」


 ユキナガは小型端末をジャケットの内ポケットへ入れた。イヤーピースに触れた。


「アルノー」


『聞こえています』


 イヤピースから即座に声が来た。


「じゃあ、行ってきます」


『飲みすぎないでください』


「まだ飲むって言ってないんだけど」


『あなたがバーを通るのは分かっています』


 ユキナガがドアを開けた。


 ヴィクトルが煙草を咥えて、片手を上げた。


 ドアが閉まった。


「覚えてろよ、あのクソガキ…」


 ヴィクトルが煙草に火をつけた。





 船尾側のプールデッキへ出ると、冷房の空気が背後へ抜け、湿った海風を感じた。


 中央には水中照明で青く光るプールがあり、その向こうは黒い海だった。白いデッキチェアが並び、奥のジャグジーでは数人の乗客がグラスを持っている。


 ユキナガは足を止めた。


「うわー、すっごい世界」


 歩きながら、周囲を確認した。


 そのままプールサイドバーへ向かった。


 半円形の白いカウンターの向こうに、黒いベスト姿のバーテンダーが一人いた。三十代半ばほどで、白いシャツの袖を肘まで捲っている。浅黒い肌をしていて、アフリカ系に見えた。


 ユキナガが端のスツールへ座ると、男が振り返った。


「What can I get you?(何にする?)」


「バーボン、ロックで。Woodford.」ユキナガは英語で言った。


「Guest card.」


 バーテンが手を出した。


「え、」


「年齢確認」


 ユキナガが固まった。


「マジか、そんなに若く見える?」


「じゃダメ」


「はー!?まじかよ」


 隣の客がメニューを見たまま注文に迷っていた。


 ユキナガがそれを見ていた。


「甘くなくて、柑橘系。ジン以外がいい」バーテンの男に言った。


 バーテンの男はほかの客から入った注文を捌きながら考えた。


「そうだな……今忙しくて」


 ユキナガが横から口を挟んだ。


「テキーラ平気?」英語で客に聞いた。


「うん」


「じゃあパローマ。甘さ控えめ」


 客がバーテンダーを見た。


「それで」


 バーテンダーがテキーラへ手を伸ばしながら、ユキナガを見た。


「バーテンダー?」


「元」


「どこで?」


「東京」


「あー面倒そう」


 グレープフルーツとライムを合わせながら、バーテンダーが笑った。ユキナガも笑った。


 顔を少しユキナガに近づけて、手を口の横に寄せた。


「ここも面倒だよ。皆金持ってるから」


「違いない」ユキナガが笑った。


 パローマを受け取った客が一口飲み、ユキナガへグラスを上げた。


「いいね、これ。ありがとう坊や」


「どうも」ユキナガは笑顔を向けてから、真顔に戻った。「坊や…?」


 それから数分もしないうちに、プール側から客がまとまって来た。


 バーテンダーが一人で注文を捌き始めた。途中まで作ったオールド・ファッションドをカウンターの端へ寄せ、ユキナガを見る。


「暇なら、それ仕上げて」


「は?俺、客なんだけど」


「元バーテンダーだろ。忘れたのか?」


「煽ってる?」


 ユキナガはスツールに座ったまま手を伸ばした。グラスとバースプーンまでは届いた。


 バーテンの男は背を向けて次の酒を作り始めていた。


 オレンジピールを取ろうとして、もう一度腕を伸ばす。


 届かなかった。


「……めんどくさ」


 ジャケットを脱いで背もたれへ掛け、袖を二度折った。そのままカウンターの切れ目から中へ入る。


「入るぞ」


「こっそりね」バーテンの男が言った。


「あんたがやれって言ったんだろ」


 氷の状態を見て数回だけステアし、オレンジピールを折って香りを落とした。グラスを置くと、バーテンダーが横目で見た。


「いいじゃん」


 バーテンの男が振り返って、ユキナガの前へ注文票が二枚置いた。


「待って。俺一応、暇ではないんだけど」


「早く」


 それでもユキナガは酒を量りながら次のグラスを冷やし、背後をバーテンダーが通る前には半歩だけ位置をずらした。


 二杯を出し終える頃には、客の波も一度引いた。


 しばらくして、空いたスツールへ女が座った。


 二十五歳前後に見えた。アイボリーのビキニを着て、黒髪をポニーテールにしている。手首には船内用のバンドとブレスレットが重なっていた。


 女はカウンターへ座る前に一度ユキナガを見て、それから酒棚へ目を移した。


「Hi. Can I get something sweet?(何か甘いのもらえる?)」


「こんばんは」


 ユキナガが日本語で返すと、女が目を上げた。


「え、日本人?」


「当たった」ユキナガが笑った。


「珍しいわね。バーのスタッフに日本人入ってるなんて」


「それがびっくりすることに、違うんだよね」


 女はカウンターの内側に立っているユキナガを見た。


「じゃあ、そこで何してるのかしら」


「俺も知りたいよ」英語で言った。


 横でバーテンダーが笑った。


「さっき入った新人」


「冗談よせって」


「明日からだっけ?」


「ただのボランティアだよ」


 バーテンの男はウインクして、女に言った。


「残念。じゃ、注文は彼に」


 女が笑って、カウンターへ肘をついた。


「じゃあ新人さん。甘いのがいいわ。ちゃんと甘いやつ」


「ラム平気?」


「好きよ」


「ココナッツも?」


「大好き」


「しょうがないなあ」


 ユキナガがホワイトラムを取ると、女の視線が手元についてきた。


 パイナップルジュースとココナッツクリームを合わせる。甘味を少し足してから氷と一緒にブレンダーへ入れた。


「ずいぶん慣れてるのね。客なのに」


「前やってただけ」


 ユキナガは出来上がったカクテルを彼女の前へ置いた。


「はい。ピニャ・コラーダ。だいぶ甘くした」


 女がストローで一口飲んだ。


 少しだけ目を細めた。


「おいしいわ」


「甘すぎない?」


「もっといけるわね」


「嘘でしょ」


「甘いもの、すごく好きなの」


 女はもう一口飲んだ。


 ユキナガの方を見ながら、自分の隣の椅子を叩いた。


 ユキナガが一度バーカウンターに目をやった。注文は落ち着いていた。


 バーテンの男が肩を上げた。


 ユキナガが座った。


 座ると、バーテンの男がユキナガの前にバーボンのロックを出した。


「エリよ」手を出した。オレンジのネイルをしていた。


 ユキナガは差し出された手を取り、もう片方の手も軽く掴んだ。両手がつながった。


「ユキナガ」


 エリがその手を見た。少し笑って、そのままにした。


「名字?」


 ユキナガは両手を少し揺らした。


「名前だよ。苗字はトウマ」


「珍しい」


「よく言われる」


 エリが片手を離した。


 隣り合っている方の手は、つながったままだった。


 ユキナガはエリと乾杯をして、一口飲んだ。


「私、苗字はアーチャー。母親が日本人なの。父親はアメリカ人」


「へえ」


「日本語、なんか安心する」


「俺も今めっちゃ思ってた」


 二人とも笑った。


 つながっていた手が離れた。


 エリが身体を寄せた。


 ユキナガの首元へ指が伸びる。喉ぼとけを人差し指で一度撫でた。


 ユキナガが首をかしげて笑った。


 エリは指を引いて、ピニャ・コラーダを飲んだ。


 少しして、スマホを取り出した。


「このあと、上で飲み直すんだけど」


「うん」


「来る?」


 ユキナガは一度バーボンを飲んだ。


 エリがスマートフォンをこちらへ向けた。


 一般客用の船内アプリには出ていないラウンジ名と、その夜の招待状が表示されていた。


「これ何」


「オーナー側のパーティよ。船長主催のVIPパーティってことになってるけど。私が言えば入れるわ」


「なんでエリ入れんの?」


「友達がオーナーの娘なの」


 エリがユキナガの頬を一度人差し指で撫でた。


「で、来る?」


 ユキナガがその手を取って、甲に唇を落とした。


「もっと一緒に居られるってこと?」


 エリが笑った。


「十時四十五分。入口で待ってるわ」


 残っていたピニャ・コラーダを飲み切り、スツールから立つ。


「じゃあ、あとで」


 そのまま身を寄せ、ユキナガの頬へ軽く口づけた。


「忘れないでね」


 エリは背を向け、プール側へ歩いていった。


 ユキナガも、持っていたバーボンを飲み干した。


 立ち上がると、バーテンダーがカウンターから出てきて両腕を広げた。


「いや、何」


 そのまま力強く肩を抱かれた。


「うえ、ちょ」


 首を抱かれ、こめかみの上あたりへ、わざとらしく三度キスされた。


「ほんと助かったよ、坊や」


「……なんだよそれは」

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