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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第五章「隠れた変数 ― Hidden Variables」

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Twinings



 次の朝、九時を少し過ぎていた。


 リヴァが共用スペースに出てきた時、フィンはすでにキッチンにいた。


 ケトルが沸いていた。


 マグカップが二つ、カウンターに並んでいた。


 その隣に見慣れない箱があった。Twiningsだった。緑のパッケージで、ブリティッシュブレックファーストと書かれていた。ティーバッグが二十袋入りのやつだった。


「あ、おはよう」フィンは言った。


「おはよう」


 リヴァはワンピースを着ていた。ゆったりしたシルエットの薄いグレージュ。ノースリーブだった。左肩に包帯が残っていた。袖がないと、包帯がそのまま見えた。


 フィンが一度肩を見た。


 一拍、遅れた。


「これ」フィンはティーバッグの箱を持ち上げた。「ユキナガがイトーヨーカドーに連れて行ってくれた」


「成城石井じゃなかったんだ」


「ユキナガが、こっちの方がいいって」フィンは少し笑った。「お前にはまだ早いって言われた」


「そうなんだ」リヴァは笑った。


「でもTwiningsあったからいいや」


 ティーバッグを一つ取って、マグカップに入れた。ケトルを傾けた。蒸気が上がった。


「ミルク、入れていい?」


「うん」


「お砂糖は」


「いらない」


 フィンが止まった。ミルクを注いだ。


「砂糖はいらない。覚えた」


 声のトーンが少しだけ普段と違った。


「コーヒーは?」


「ブラック」


「あ、そっちはブラックか」


「なんで」


「なんとなく」フィンはマグカップをリヴァの前に置いた。「アルノから聞いてた話と、少しイメージが違ったから」


「アルノが何か言ってた」


「……うーん」フィンは少し考えた。「君の話だけ、やけに多かったんだよな」


 リヴァは一口飲んだ。


 温かかった。ミルクの匂いがした。


「……おいしい」


「でしょ」


 フィンの笑い方が、いつもより静かだった。




 リヴァは少しの間、湯気を見ていた。


「カイは」


「地下」フィンはカウンターに肘をついた。「朝五時前から追い込んでた」


「……そっか」


「あとで行って。君が行けば止まる」


「うん」




「リヴァ。昨夜のこと」


 リヴァはマグカップを持ったまま、ティーバッグの紐を指で動かしていた。


「アルノ、最悪の場合、って言いかけてた」


「……」


「君が、その前に撃った」


「撃てたから」


「順番飛ばしたよね」フィンは言った。「半分、命令無視でしょ」


「……そうかな」


 フィンがマグカップを置いた。



「どうしてそんなことしたの」


「フィンがいたから」リヴァは言った。即答だった。「助けないと」


 フィンがマグカップを見た。


 少しの間、何も言わなかった。


「あの三発は、どうやったの」


「……集中したから」フィンを見た。「…集中しすぎて、疲れ果てた」


「しすぎた、ね」


 フィンはそれ以上聞かなかった。



「リヴァって普通の女の子みたいなのに」フィンは少し下を向いた。「撃つのは、平気なんだ」


 リヴァは考えた。


 ティーバッグを指先で弄んでいた。


 間があった。


「……平気」


「昨日も」


「うん」


 フィンが黙った。


「でも、撃たれた時は?」


 リヴァはマグカップの中を見た。


「怖かった」


「うん」


「すごく」


「変だな」フィンは言った。「普通は、逆なんだよ」


「え?」


「人を撃つ方が、怖いもん」


 リヴァは少し首を傾げた。


「…私は痛いのが、怖いだけだよ」リヴァは言った。


 フィンが、止まった。


「死ぬのじゃなくて」


「……わかんない」


 間があった。


「だから昨日も」リヴァは言った。「最初、私に撃たれた弾が外れた時は、平気だった」


「うん」


「でも、二発目が来るかもって思ったら」少し止まった。「すごく、怖かった」


 フィンは何も言わなかった。




「正直に言うと」しばらくして、フィンは言った。「最初、君を任務に出すべきじゃないと思ってた」


 リヴァは黙った。


「まず精神の治療をしてからだろって」フィンは言った。「でも、今は逆だ」


「逆?」


「君は戦場にいなきゃ駄目だ」


 リヴァが黙った。目線を外した。


「あれを見たあとじゃ、もう反対できない」フィンが言った。


 リヴァは窓の外を見た。





 リヴァはマグカップを両手で持ち直した。


「でも」フィンは言った。「参ったのは、そこじゃないんだよな」


「?」


「アルノが切ろうとした時、君、考えもしなかっただろ」


「……」


「会ったばっかりの傭兵なんか、普通見捨てるんだよ」


 フィンはマグカップを置いた。


「怖いまま、撃ったんだ。俺のために」


 リヴァは答えなかった。


「困ったな」


「…何が」


「こういうの、欲しくなっちゃう」


 リヴァが顔を上げた。


 フィンは笑っていた。いつもの、人懐こい笑い方だった。


「冗談に聞こえる?」


 リヴァは黙った。


 少ししてフィンが、窓の外を見た。


「君、いくつなの」


「記憶、ないから」リヴァは言った。「誕生日もわかんない」


 フィンが一拍置いた。


「俺、二十七」


「うん」


「たぶん丁度いい」


「なにが」


「リヴァと」


 フィンが自分の左手を見ていた。指先の皮を触っていた。ギターの弦を押さえるために皮が厚くなっていた。


「昨日、君が撃たれた時さ」


「うん」


「正直、自分で驚いた」フィンが言った。「ああ、嫌だなって思ったんだよ」


「……」


「君が死ぬの」


 リヴァは困ったように眉を上げた。そして笑った。


「ありがとう」フィンは言った。「昨日、助けてくれて」


「うん」


「あと、見損なってて、悪かった」


「……」


「君さ、自分の価値。わかってないだろ」フィンは窓の外に目を戻した。





 窓の外で、蝉が鳴き始めていた。


 リヴァはマグカップを両手で包んで、窓を見た。


「もう、六月も終わりだね」


「ほんとに」フィンは言った。「ねえ。日本の夏、暑すぎて嫌なんだけど」


「これからだよ」


「イギリス、雨は多いけど、こんなに湿ってない」フィンは襟元を引っ張った。「夏でも夜は涼しい。窓開けて寝られる」


「ここでそれやったら、死んじゃう」


「死ぬ気がする」フィンは言った。「クーラーないと無理だ」


 リヴァは少し笑った。肩がわずかに動いて、包帯が引っ張られた。


 フィンが気づいた。気づいたが、何も言わなかった。


 代わりに、自分のマグカップを置いた。



 廊下から足音がした。


 アルノだった。


 グレースーツのまま入ってきた。眼鏡を押し上げながら、リヴァとフィンを見た。


「おはようございます」


「おはよう」リヴァは言った。


「コーヒーでは無いんですね」


「Would you like a(紅茶いる?) cup of tea?」フィンは箱を持ち上げた。イギリス人の定型文だった。


「……いただきます」


 フィンがティーバッグを取った。ケトルを傾けた。アルノが自分でミルクを注いだ。


 マグカップをカウンターに置いて、端末を出した。


「リヴァ、体調は」


「……普通」


「普通、というのは」


「動ける」


「……わかりました」


 アルノが少しの間、リヴァを見た。


 肩の包帯を見た。


 眼鏡を押し上げた。


「昨夜の件は、後で話します」


 リヴァがアルノを見た。


「フィンへの射撃支援です。私の指示を待たずに撃ったことと、その三発について確認します」


「……うん」


「結果を問題にしているわけではありません」


 アルノが端末を操作した。


「ただ、ユキナガから一点、報告があります」


 アルノが画面をフィンの方へ向けた。


「以前、リヴァの射撃について、発射後に命中確率が一点へ収束する現象が確認されています」


「うん」リヴァは言った。


「昨夜の三発でも、同じ現象が起きています」


 フィンが画面を見た。


 アルノが画面を切り替えた。


 眼鏡を上げた。


「問題は、あなたが撃った後です。あなたを狙った二発目の弾道にも、説明できない誤差があります」


 フィンが少し黙った。


「……リヴァの弾だけじゃない?」


「現時点では分かりません」


「何が変わってるの」リヴァが言った。


「ユキナガは、命中するという結果に合わせて、周囲の条件そのものが調整されている可能性を挙げています」


 フィンがアルノを見た。


「……因果を、変えてる?」


「可能性です」


 リヴァはマグカップを持ったまま、画面を見た。


「わかんない、そんな大層なものじゃないと思うよ」少しだけ笑った。


 フィンはリヴァに何か言いかけて、止まった。


「……確かに、オカルトです」アルノは言った。「現時点では、それ以上のことは分かっていません」


「もう一点」アルノは言った。


「昨夜の発射点の解析が進みました。品川区、大井ふ頭の南東側。距離は1300~1600の地点。半径200メートル以内の、三つの建物に絞れています」


「そんなに遠くから」


「そのうちの一つの登記を掘ったところ、関連会社が出てきました」アルノは画面を示した。「クルーズ船の運営会社です。世界中を定期運航している」


 フィンが姿勢を変えた。肘をついていたのを、やめた。


「その船、今どこに向かってるの」


「次の寄港地が、那覇です」アルノは言った。「十日後」


 フィンがアルノを見た。


「昨夜回収した端末のデータと、この船の航路が、複数回重なっています」アルノは続けた。「株式会社SGと、この運営会社の繋がりも確認できました」


「行く?」リヴァは言った。


 アルノが少し止まった。


「上に確認は取りますが、おそらく」


「沖縄か」フィンが言った。「いいね。行ったことない」


「那覇に。承認が下りたら十日以内に出ます」


 リヴァはマグカップを見た。


 まだ、温かかった。


「準備します」アルノは言った。「今日中に詳細を共有します。フィン、引き続き協力をお願いします」


「もちろん」


 アルノが端末を閉じた。


 マグカップを持ち上げて、一口飲んだ。


「……悪くないですね」


「イトーヨーカドーのおかげ」フィンは言った。


 アルノはマグカップを持ったまま、もう一口飲んだ。


 リヴァは窓の外を見た。


 蝉の声が、まだ続いていた。


 六月の終わりの東京の朝が、キッチンの中に広がっていた。

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