品川任務:見捨てない
リヴァは目を閉じた。
開けた。
風の道が見えた。その先に、人がいた。
引き金を引いた感覚がなかった。
気づいた時には、スコープの中の人間が倒れていた。
ボルトを引いた。
『二人目、右に動いた、先読み0.8』カイの声がした。
引いた。
倒れた。
ボルトを引いた。
『三人目、北に走った、距離410、先読み1.1』
引いた。
走っていた人間が、止まった。
フィンはビルの角から出た。
三人が倒れていた。
フィンは屋上の方を見た。
「……何だ、今の」
『フィン、動けますか』アルノの声がした。
「うん」
『三人処理確認。フィン、脱出ポイントまで残り60メートル。道はクリア』ユキナガが言った。少し震えていた。
リヴァはスコープから目を離した。
息を吐いた。
「……見捨てない」
息だけの声だった。
全員に、聞こえていた。
屋上の床は錆びていた。雨で湿ったまま、錆の匂いがした。
Tシャツの背中が、汗で貼り付いていた。気づいた瞬間、首筋を冷たい滴が走った。
涙はもう出ていなかった。乾いて、頬に塩の跡を残していた。
『リヴァ、フィン回収しました。脱出ポイントに合流です』アルノが言った。
「……うん」
『カイ、東側から屋上へ』
『向かう』カイの声がした。息が上がっていた。
ボルトを引いた。チャンバーを確認し、最後の薬莢が床に落ちた。錆びた金属に当たって、乾いた高い音が屋上に響いた。
手がうまく動かなかった。指先がしびれていた。
立とうとした。膝に力が入らなかった。
視界の端が、白くなった。
汗が目に入ったのかと思った。袖で拭った。
白さは、消えずに広がっていた。
「……」
全部の音が、水の中で聞こえているような距離になった。
「……カイ」
落ちた薬莢を拾おうと、手を伸ばした。届かなかった。
「……なんか、白い」
『どういう意味だ』
カイの声がした。くぐもって聞こえた。
『アルノ』
『聞こえています』アルノが言った。『リヴァ、屋上で動けますか』
「……」
言葉が、出る場所がわからなくなっていた。
その時、何かが横切った。
左肩が跳ねた。
殴られたと思った。シューティングベストのストラップが肩の外で裂け、布片が散った。
痛いと理解してから、さらに遅れて、音が届いた。
低い破裂音が、空気を伝って遠くから鳴った。
左腕から力が抜けた。膝が崩れた。
錆びた床に、肩から落ちた。
「……っ」
『リヴァ』
カイの声だった。
屋上の階段を駆け上がる靴音が、無線越しに重なった。まだ姿は見えない。
『リヴァ、応答しろ』
「生きて、る?」
『お前は生きてる。問題ない。どこに当たった』
「よくわかん、ない」
『見て確認しろ』
「みれない、」
白さが、薄くなっていった。代わりに、左肩が脈を打ち始めた。
階段の音が、近くなった。
ドアが開いた。カイが屋上に出てきた。
「吐け」カイが言った。
リヴァは、息を吐いた。止めていたことに、気づいていなかった。
カイが前に来て、片膝をついた。左肩を見た。
「動脈じゃない」
ベストを掴み、体ごと扉の内側へ引き込んだ。
扉が閉まる重い音がした。
「浅い」カイは言った。「致命傷じゃない」
カイがプレートキャリアのポーチから止血パッドを取り出した。傷の上に当て、テープで固定し、圧をかけた。
痛みが走った。
「……っ」
「我慢しろ」
カイがリヴァの目を見た。焦点がさっきより合っていた。
カイの息が、珍しく上がっていた。カイの汗が、リヴァの腕に落ちた。妙にくすぐったいと感じた。
『カイ、状態は』アルノの声がした。
「左肩、擦過。出血あり。おそらく縫合が必要」
『動けますか』
カイはリヴァの頬を右手で包んだ。リヴァが小さく二回、頷いた。
「動ける」
『ユキナガ、発射点の特定を続けてください。おそらく西側、距離1000以上』
『やってる』ユキナガの声がした。『でもデータが少なすぎる。軌道が読めない』
『撤収します。二人とも、東側階段から。私が車で東側通用路に回ります』
「了解。武器を回収する」
カイが音もなく、もう一度外に出た。
錆びた床に、リヴァが伏せていた跡があった。AXMCの薬莢を拾った。三つあった。
遠くで、首都高の音が低く流れていた。その音だけが、いつも通りだった。
カイがリヴァのケースを担いで戻ってきた。自分のHK416と合わせ、両肩に一丁ずつ。
「立てるか」カイは言った。
「……ん」
リヴァは右手を床について、ゆっくり立ち上がった。
カイが横に並んだ。
「歩けるな」
「うん」
カイは何も言わず、リヴァの右側に立った。半歩、距離を詰めた。
リヴァが歩き出す。カイがその半歩前に出た。
「帰るぞ」




