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リヴァ・アルカ ―最強特殊部隊は、たった一人のアンカーを失えない―  作者: Ilir Noct
第四章「乾いた地平線 ― The Dry Horizon」

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ミント

 全員のコーヒーが終わり、それぞれの作業に戻ったころ。


 ログハウスは静かだった。


 リヴァが共用スペースのソファに座っていた。水を飲んでいた。窓の外でテキサスの昼が熱気を帯びていた。昨日の戦闘を引き摺った呼吸は、もう意識しなくてもしなくなっていた。


 このままなら少し眠れるかもしれない。そう思ってうとうとしていた。


 物音がした。キッチンの方から。小さい音だった。


 グラスを置いた。キッチンに向かった。ドアを開けた。


 猫がいた。カウンターの上にいた。


 グレーだった。青みがかったグレーだった。目が緑色だった。大きい目だった。


 リヴァを見た。逃げなかった。


「……だれ」


 猫は答えなかった。瞳の印象が強くて、思わず人間に対して話すように話しかけてしまった。カウンターの上で座ったまま、リヴァを見ていた。


 カイが来た。キッチンに入った瞬間、止まった。


「何だ」


「猫」


「見ればわかる」カイは猫を見た。猫はカイを見た。「どこから入った」


「わからない」


「窓が開いていたか」


「さっきレッドが開けっ放しにしてた」


 カイは猫を見た。猫はカイを見た。どちらも動かなかった。


「出せ」カイは言った。


「どうやって」


「抱えて外に出す」


「熱中症になっちゃう」


 カイが猫に近づいた。猫は動かなかった。カイが手を伸ばした。


 猫がカイの手に頭を押しつけた。


 カイが止まった。手を引かなかった。引くきっかけを、猫の方が先に潰していた。


「……」


「懐いてる?」リヴァは言った。


「懐いていない」


「懐いてるよ」


 猫がのどを鳴らし始めた。カイは手を引かなかった。


 自室で少し仮眠をとったアルノが来た。まだクマが濃かったが、いつもの抜け目ないスーツ姿になっていた。


 キッチンを見た。猫を見た。カイを見た。


「なんですか」アルノは眼鏡を押し上げた。「どこから」


「たぶんレッドが窓を開けっ放しにしてた」


「レッドに言います」アルノは猫を見た。「出しますか」


「カイに懐いた」


 アルノが少し止まった。猫を見た。猫がアルノを見た。


「……ロシアンブルーですね」アルノは言った。


「詳しいの」


「いえ」アルノは猫に近づいた。猫の顎の下に指を伸ばした。「…」


 猫がのどを鳴らした。アルノの指が、引くタイミングを失った。少しだけ、そこに留まった。


「……」


「アルノも懐かれてる」リヴァは言った。


「懐かれていません。確認しただけです」


 アルノが手を引いた。眼鏡を押し上げた。


 レッドが来た。全員がいるキッチンを見た。猫を見た。


「……俺のせいか」


「はい」アルノが言った。


「悪かった」レッドは猫を見た。「ただ」


「ただ」


「かわいいな」


「レッドまで」アルノは言った。


「しょうがないだろ。かわいいんだから」レッドは猫に近づいた。猫はレッドを見た。レッドが手を伸ばした。猫は逃げなかった。「テキサスの猫か。肝が据わってる」


 レッドだけ、否定するところを最初から持っていなかった。手のひらで猫の背を一度撫でて、満足そうにしていた。


「テキサスの猫かどうかわかりません」


「テキサスにいるならテキサスの猫だろ。よしよし」


 猫がのどをならした。


 イーサンが来た。キッチンを見た。猫を見た。


 イーサンは猫を見た。猫はイーサンを見た。三秒、見合った。


「野良か」


「わからない」


「首輪がない」イーサンは猫を見たまま言った。「痩せていない。毛並みがいい。迷子か」


「詳しいの、イーサン」


「昔飼ってた」イーサンは言った。それから何も足さなかった。


 猫がイーサンの方に歩いた。カウンターの端まで来た。猫がイーサンの肩に前足を乗せた。


 イーサンが止まった。降ろさなかった。空いた手を、猫の背にそっと添えた。


「……」


 のどを鳴らした。


 リヴァが少しだけ口元を動かした。


「イーサンも懐かれた」


「懐かれていない」


「肩に乗ってるよ」


 降ろさなかった。


「そういや、近所のとこに子供産まれたって言ってた気がする。それかもな」レッドが言った。


「確認してもらえますか」アルノが言う。


「OK、テキサスは俺の庭だ」


 ここまでで、リヴァは少しおかしくなった。昨日の夜、この同じ部屋で罠の可能性を話していた男たちが、今は猫一匹に順番に手を伸ばしている。誰も、それをおかしいと思っていない顔をしていた。


 ヴィクトルが来た。全員がキッチンにいた。猫を見た。


「なんだ」


 ヴィクトルは猫を見た。猫はヴィクトルを見た。ヴィクトルが手を差し出した。


 猫は動かなかった。ヴィクトルの手を見た。それから顔を見た。近づかなかった。


「……」


「あれ、ヴィクトルだけ嫌われてる」リヴァは言った。


「今からだ」


「みんなには一瞬だったよ」


「俺には時間がかかる相手もいる」ヴィクトルは猫を見たまま言った。「焦らない」


「猫相手に」


「相手が誰でも同じだ」


 猫はヴィクトルを見ていた。近づかなかった。一度、キッチンの全員を順に見回した。それから、リヴァの肩に乗った。


 全員がキッチンにいた。


「名前」レッドが言った。


「まだ決まっていません」アルノが言った。


「グレーだから、グレーはどうだ」


 みんなちょっと目をそらした。


「じゃあ」ヴィクトルは考えた。「ブルー」


「安直です」


「アッシュは」


「……」


 アルノが少し間を置いた。


「リヴァ」彼は言った。


 全員がリヴァを見た。


 リヴァは猫を見た。猫はリヴァを見た。緑色の目だった。静かだった。


「……じゃあ、ミント」リヴァは言った。


 少し間があった。


「ミント」カイが繰り返した。


「目の色が、ちょっとミントっぽい」


 レッドが猫を見た。


「……確かに?」


「ミント」カイは言った。繰り返した。出せ、と言った男が、二度、名前を口にしていた。


 猫がリヴァの方に歩いてきた。膝の上に乗った。


「……決まりですね」アルノは言った。


「ねぇアルノ」


「はい」


「日本に連れて帰れる?」


 アルノは何も言わず、ヴィクトルを見た。


「………う」


 ヴィクトルの余裕が、そこで初めて消えた。


 検疫証明。輸入手続き。マイクロチップの登録履歴。狂犬病の抗体検査記録。日付を遡って、辻褄を合わせて、本物として通る書類。


 これらがヴィクトルの頭を埋め尽くしていた。


 それを作れる人間が、この部屋に一人しかいない。


「……」


 ヴィクトルは猫を見た。猫はもう、ヴィクトルを見ていなかった。




 前日も寝ていない。これで二徹が確定した。

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