↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第五章「隠れた変数 ― Hidden Variables」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/246

お仕置き


 新拠点、十四時三十五分。


 

 リヴァは共用スペースで、紅茶を飲んでいた。


 ダージリンの最後の一パックを淹れて、香りが上がっていた。


 オラヴルがキッチンでじょうろに水を汲んでいた。


 テレビの画面には、Iron & Wineのライブ映像が映っていた。


 リヴァの膝にミントが居た。


 リヴァが欠伸をした。


「暇そうだね」オラヴルが言った。


「なんか、最近自由って感じ。基礎練しかしてない」


 ミントを撫でた。ミントの耳が一度動いた。


 オラヴルがじょうろを持って、リヴァの座るソファの横まで来た。


「自由の国から帰ってきて、自由を感じてるのかい?」


「確かに」


 リヴァが少し笑った。


 ミントをゆっくり、今度はしっぽまで撫でた。手を離した。


「なでなで気持ちいい?ミント」


 横からオラヴルが屈んで、指先でミントを三回撫でた。


 手を離して、そのままリヴァの頭をさっきと全く同じリズムで三回撫でた。


「ねえ」リヴァがオラヴルを見上げた。「同じ感じで撫でた」


「間違えた」


「間違えたって何」


「猫と」


 オラヴルが水差しを持って中庭に出ていった。




 共用スペースの入り口から声がした。


「リヴァ」


 カイだった。


「何」


「シミュレーター室に来い」


「今?」


「今だ」


 リヴァは少し間を置いた。


「わかった」


 朝練習して、片づけたばかりだった。






 地下シミュレーター室。


 電気がついた。


 カイが先に入った。棚を開けた。コインを一枚、薬莢を三つ取り出した。


「何するの」


「待て、を教える」


 一歩踏み込んできた。


 188センチの影が、リヴァの視界を覆った。


「え……」


「テキサスで待てなかった」


「……あれは」


「待てなかった」


 カイの視線が動いた。首筋から、リヴァの頬に薄く残った傷へ。


「前線なら、恐怖を怒りに変えて死線を越えられる」カイは続けた。「だがスナイパーは違う」


 リヴァは小さく頷いた。


「自分が死ぬ理由も、弾がどこから飛んできたのかも、痛みすら感じないまま。冷静なまま死ぬ」


「……」


「任務が四日後だ」カイは言った。「今日から始める」


「…だから”待て”の特訓するの?」


 カイは少し口角を上げた。


「お仕置きだ」


「へ……?」



 銃床の上に薬莢が三つ並んでいた。


 バレルの先端にコインが一枚、立てかけてあった。


 リヴァはうつ伏せに構えて、AXMCが肩に食い込んでいた。


 カイが後方に立っていた。


「距離、300」カイは言った。「風なし」


「ん」


「撃つな。呼吸を保て」


 息を吸った。


 半分吐いた。


 止めた。


 スコープの中に標的があった。


 引き金に指をかけた。


「待て」


 肺が、少し重くなった。


「風が入る」カイは言った。「右から毎秒1.8。補正を入れろ」


 スコープの中で標的が揺れた気がした。


 待った。


 人差し指が少し震えた。


「薬莢が動いた」カイは言った。


「動いてない」言葉を放った衝撃で、一つ落ちた。


「動いたな」


「……今のはカイが」


「もう一度」


 間髪入れないカイの声に、リヴァはうつむいた。




 最初からやり直した。


 薬莢を並べ直した。コインを立て直した。


 構えた。


「距離、300。右から毎秒1.8。補正0.4」カイは言った。「呼吸を整えろ」


 吸った。


 吐いた。


 もう一回吸った。


「そこだ」カイは言った。「保て」


 リヴァはスコープから目を動かさなかった。


「待て」


 肺が押し返してきた。


 体が引き金を引きたがっていた。


「まだ」カイは言った。低かった。「風が安定していない」


「……」


 まつげがスコープにあたってくすぐったいことが、妙に気になっていた。


 目を強く閉じた。


 コインが揺れた。


「最初から」カイが言った。


「……目、かゆかった」


「……構えろ」




 薬莢はまだ銃床の上にあった。コインはまだバレルの先端にあった。


 カイがスポッティングスコープから目を離した。


 リヴァの後方に来た。


 しゃがんだ。


 リヴァの肩の高さで、スコープとは別の目線で標的を見た。


「右肩が上がっている」


「上がってない」


「肩甲骨を落とせ」


 落とした。


「そこだ」


「もう撃てる?」


「待て」


「……」


「1000から7ずつ引け」


「...993、986」


 そのままどのくらい経ったか分からないほど長い間、ただ待っていた。


「続けろ」


「...797、790、783」


 さらに待った。


 スコープをのぞいている右目のまつ毛が当たって、くすぐったかった。


「風が変わる。照準を合わせろ」


「...524、517」


「肩を落とせ。続けろ」


「...510、503、…495」


「違う」


 リヴァが固まった。


「ぁ………496」


「遅い」


 カイがこちらを見ていた。リヴァは息が上がっていた。


「距離を500に変える」カイは立ち上がった。端末を操作した。「最初からだ」


 リヴァはため息をついた。


「聞こえた」カイは言った。「次ため息をついたら600にする」


「……」


 リヴァは黙った。普通に泣きそうだった。






 何回目かわからなくなっていた。


 距離は500だった。


 カイがリヴァの隣に来る。


 高い体温が近づいた。


 カイはそのまま、リヴァの隣に滑り込むようにして、並んでうつ伏せになった。


「何してるの」


「見る」カイは言った。


「何を」


「お前を」


 耳元で囁かれた低音に、リヴァの肩が跳ねた。


 その瞬間、カイの大きな手が、リヴァの背中に置かれた。


 肩甲骨から腰にかけて、アイロンをかけるような重みで、ゆっくりとなぞる。


「……っ」


「動くな」


 カイの指先が、リヴァのシャツ越しに肋骨の動きを探る。


 逃げ場のない床の上で、リヴァは自分の心臓の音が、筒抜けになっているのを感じて息が詰まった。


「呼吸」


 カイがさらに体を寄せる。


 厚い胸板がリヴァの脇に触れ、彼の匂いと、微かな煙草の香りが視界を占めた。


「合わせろ」


 吸った。


 カイの大きい胸板に、無理やりリズムを合わされる。


「……っ、苦しい」


「力を抜け」


 カイの手が、リヴァの肩甲骨を押し上げた。


「止めろ」


 カイの心音と、リヴァの鼓動が重なり、一つのリズムになる。


 静寂が、二人を包んだ。


「風、右から毎秒1.9。補正0.85。弾道降下3.8」

 

 カイの声が、頭に響いた。


「今」


 引いた。





 訓練は終わらなかった。


「走れ」カイは言った。


「撃つ前に?」


「走れ」


「どのくらい」


「止めるまで」


 走った。


 最初はゆっくりだった。


 カイがスピードを上げた。


 上げた。


 また上げた。


「……っ、ねえ速すぎ」


「走れ」


 一キロを過ぎた頃、息が乱れてきた。


 三キロを過ぎた頃、足が重くなってきた。


「止まれ」カイは言った。


 ランニングマシンを止めた。


 息が上がっていた。


「構えろ」


「え」


「すぐ」






 AXMCを展開した。


 息が乱れていた。


 スコープのアイピースに目を沿わせた。


 標的が自分の息で揺れていた。


「距離300。風なし」カイは言った。スポッティングスコープを覗いていた。「呼吸」


「待って」


「吸え」


「整えないと」


 カイは言った。


「吐け」


 吸った。吐いた。


 止めた。


 体が動いていた。微妙に息が足りていなかった。


 リヴァの右手の人差し指が、強張った。


 カイが横から覗き込んできた。


「能力を使うな」


 リヴァのスコープを覗く目に、汗が入った。


「……」


「待て」


「………っ」


「今」


 引いた。


 センターから二十三センチずれていた。


「二十三センチだ」


「……」


「もう一度」カイは言った。「二キロ」


「……おに」


「走れ。五キロ」





 三回目、センターから十五センチだった。


「……十五センチ」リヴァは言った。まだ息が上がっていた。


 汗で背中が不快だった。


「改善した」カイは言った。


「息が乱れてても撃つ練習?」


「乱れた中でも待てるようになる練習だ」


 少し間があった。


「これが……お仕置き?」


「基礎訓練だ」


「ひどい」


 カイがスポッティングスコープをケースに戻した。


「今日はここまでだ」


「…今日?」


「明日もある」


「…毎日?」


「そうだ。明日からは朝六時開始」


 リヴァは床に座った。


 汗が首筋を伝った。


 カイがタオルを投げてきた。


 タオルを顔にかぶせた。


「ぅ…」


 そのうめき声に、カイは答えてくれなかった。


 AXMCの確認を始めていた。


 リヴァのものを、自分のものと同じ丁寧さで確認していた。


「イーサンに聞いたの」


 カイはリヴァを見た。


「イーサンならもっときついだろ」


「……確かに」


 シミュレーター室に、空調の音だけが続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。