全員分のコーヒー
朝の六時半だった。
ログハウスのキッチンに、リヴァがいた。
いつもカイがリヴァのコーヒーを入れる七時より前だった。
冷蔵庫を開けた。豆があった。グラインダーがあった。フィルターがあった。全部、レッドのものだった。
挽いた。
音がした。
リヴァの肩が、一瞬だけ跳ねた。
自分で気づいて、息を吐いた。
廊下で気配が止まった。
イーサンだった。ドア口から顔を出した。トレーニング帰りだった。汗をかいていた。首にタオルをかけている。
「早いな」
「コーヒーいれてるの」
リヴァのもとに近づいた。
右手でリヴァの顎を持ち上げた。
「………」
イーサンは目を細めて、リヴァを見た。
「自分のか」
「みんなの」
イーサンは少し間を置いた。リヴァの呼吸が正常に戻っていることを確認し、指を外した。
「……何人分だ」
「数えてた。六人」
イーサンが頷く。
次にリヴァの右手を取った。指先の温度を確認する。
「反対も出せ」
リヴァが左手を出す。大きな手で指先を包まれた。
彼女が手を見ていると、イーサンがリヴァの左耳付近で指を鳴らした。
リヴァはびっくりしてそちらを見る。
反応速度が、戻っている。
「よし」
それだけ言って、イーサンが離れた。
椅子を引いた。座ろうとしたが、すぐに椅子を戻した。
「シャワー浴びてくる」イーサンにしては急いだ動きだった。「すぐ戻る」
「ゆっくり浴びてきて」
リヴァは笑った。
六時三十八分。
レッドが外から入ってきた。BBQの仕込みをしていたらしく、手に炭の匂いがついていた。
「おう、早いな」
「コーヒー作ってた」
「全員分か?」レッドはグラインダーの豆くずを見た。「俺のやつ」
「勝手に使った」
「いい。むしろ使え」レッドはカウンターに寄りかかった。「体調は、どうだ」
「問題ない」
「ちょっとは寝れたか」
リヴァはフィルターを折りながら言った。
「…ちょっとだけ」
レッドは煙草に火をつけた。一口吸った。
「今夜、BBQだ。食えるか」
「食べる」
「昨日より顔色はいい」
「うん」
「昨日は死人みたいだったぞ」
「そんなに?」
「ああ」レッドは煙を吐いた。「イーサンが心配しすぎて笑えた」
シャワーを浴びてきたイーサンがちょうど入ってくる。横から言った。
「笑えるような話ではない」
コーヒーの香りが広がった。
六時五十分。
カイが入ってきた。
キッチンを見た。
リヴァを見た。
コーヒーメーカーを見た。
リヴァを見た。
「何をしている」
「コーヒー」
「俺が入れる」
「もう入れた」
カイはリヴァの顔を一秒見た。顔色を見た。目の焦点を見た。
「熱湯、触ったか」
「触ってない」
「本当に」
「大丈夫」
カイはリヴァの手を持った。
指先を見た。
「大丈夫だって」
火傷がないことを確認した。
レッドが低く笑った。
「カイのいつもの過保護」
「過保護じゃない」
「いや過保護だ。俺が今まで見た中で一番過保護だ」
「護衛だ」
「コーヒー淹れるだけで火傷は過保護だろ」
レッドはイーサンを見た。
イーサンは何も言わなかった。
ただ、口の端が少しだけ動いた。
カイがコーヒーを受け取った。
一口飲んだ。
少し止まった。
「……うまい」
「カイの真似した」
カイは何も言わなかった。
マグカップを両手で持った。
前を向いた。
レッドが小声でイーサンに言った。
「見たか今の」
「なんだ」
「カイが珍しい顔した」
「そうか」
「お前が言えよ何か」
「俺は何も言わない」
カイはコーヒーを持ったまま、キッチンから動かなかった。
リヴァが視界から外れない位置だった。
七時三十分ちょうど。
ドアが開いた。
アルノだった。
グレースーツだった。しかし、ネクタイが少し曲がっていた。眼鏡が正確な位置より数ミリ右にずれていた。
カイが一瞬だけアルノを見た。
レッドも見た。
誰も言わなかった。
アルノがキッチンに来た。リヴァを見た。
「おはようございます」
「おはよう。コーヒー、あるよ」
「……ありがとうございます」
アルノはマグカップを受け取った。
一口飲んだ。
少し間があった。
「…………」
アルノが眼鏡をずれた位置のまま押し上げた。
レッドが何か言おうとした。
カイが目で止めた。
アルノは椅子を引いた。座った。もう一口飲んだ。
「もしかして徹夜?」とリヴァは言った。
「資料確認をしていました。ヴィクトルと」
「お疲れ様」
アルノは何も言わなかった。
三口目を飲んだ。
「……今夜のBBQまでには」
「休んで」
「仕事が」
「BBQまでには休んで」
アルノは少し間を置いた。
「……考えます」
「考えるじゃなくて休んで」
「……わかりました」
レッドが低く笑った。
「アルノが押されてる」
七時四十一分。
共用スペースのソファで、物音がした。
全員がそちらを見た。ヴィクトルがいた。
ソファで眠っていた。
起き上がる前に、先に人数を数えていた。無意識だった。
全員がいた。短く息を吐く。
全員がヴィクトルを見ていた。
ヴィクトルは一秒だけ固まった。
無意識にポケットのSobranieを探した。一本取り出した。
「……おはよう」
「おはよう」とリヴァは言った。「コーヒー、いる?」
「ああ」
リヴァがマグカップを持ってソファに向かった。
ヴィクトルが受け取った。
一口飲んだ。
「……うまい」
「ヴィクトルが前入れてくれたやつも、またのみたい」
ヴィクトルは少し止まった。
「覚えてたのか」
「覚えてた」
ヴィクトルはマグカップを見た。
煙草を指に挟んだまま、もう一口飲んだ。
全員がキッチンに集まった。
コーヒーが全員の手にあった。
テキサスの朝が、ログハウスの中にあった。
レッドが言った。
「今夜、BBQだ。腹を空かせておけ」
『いいなー何時から』とユキナガの声が端末から来た。いつからか、つながっていた。
「六時だ」
『俺も混ぜてよぅ』
「お前はそこにいろ」
『ひどい。できたら肉送って』
「検疫にひっかかりますよ。肉は」
『ヴィクトル、なんとかなんない?』
「面倒くさい」
『えー』
テーブルの空気が少し緩んだ。
『リヴァ、聞こえてる?』
「聞こえてる」
『おはよ』
「おはよう」
『カイ、リヴァ今どんな顔してる?』
カイが少し間を置いた。顔を逸らした。
「普通だ」リヴァが代わりに言った。カイの真似して低く。
『絶対嘘じゃん』ユキナガがしばらく笑っていた。
少し間があった。
アルノがマグカップをテーブルに置いた。
リヴァを見た。
「昨夜、話せなかった件があります」
「うん」
「今、聞けますか」
テーブルが静かになった。
カイが前を向いた。
レッドが煙草を止めた。
「聞く」とリヴァは言った。
「回収した書類に記号がありました」アルノは端末を出した。「調べた結果、Valerian Resource Groupの内部識別コードと一致しています」
「VRG……レオンハルトの会社」
「そうです」アルノは一拍置いた。「そしてそのコードが、別の記録にも出てきます。ローマにある認知神経科学の施設の記録と、同じコードです」
つないでる無線から、ユキナガが煙草のカプセルを潰す硬い音がした。
リヴァは少しの間、アルノを見た。
「ローマ?」
「接点がある、という段階です。確定ではない」
「そこに、私の手掛かりがあるの」
「……可能性は上がりました」
リヴァはマグカップを両手で持った。
「わかった」と言った。
アルノは一拍間を置いた。
「……まだ調査中です。続きは日本で話します」
「うん」
テキサスの朝の光がテーブルに落ちていた。
コーヒーはまだ温かかった。




