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「今」

 

 ダラスから南西に車で一時間四十分。


 舗装路が終わる場所がある。


 地平線が丸く見える。地球が球体だとわかる種類の平らさだった。


 夜でも地面が熱い。昼間に焼かれた赤土が、日が落ちてから何時間経っても熱を手放さない。腹這いになると、その熱が体の前面から入ってくる。


 風が低く流れていた。地面すれすれを走る風だった。


 砂埃を連れてくる。スコープのレンズに積もる。拭いても拭いても積もる。


 狙撃ポジションは北東、八百メートル先の岩盤の出っ張りだった。高さが三メートル程度の自然の隆起で、テキサスの平原にしては珍しい地形だった。


 遮蔽物は、それだけだった。


 赤外線センサーは五箇所。侵入できると思わせるほど、間隔が広かった。


 見張りが二人、外にいた。


 二人だけだった。


 少なすぎた。





 夜の十時だった。


 リヴァとカイは岩盤の上にいた。


 腹這いで、並んでいた。


 赤土が体の前面に熱を送ってきた。昼間の熱がまだ残っていた。夜なのに、地面が生きているみたいだった。


 リヴァはAXMCを展開した。バイポッドの脚を岩盤に押しつけた。スコープのアイピースに目を沿わせた。


 倉庫が見えた。


 金属の外壁が、月明かりを鈍く反射していた。見張りが二人、外周をゆっくり歩いていた。


「830」カイが言った。スポッティングスコープを覗いたまま。「昨日の想定訓練より10メートル遠い」


「わかった」


「風は南南西、秒速2.1。安定してる」


「うん」


 イーサンの声が無線に来た。


『南側ポジション、完了。視界良好』


「了解」アルノが返した。


 レッドの声が来た。


『侵入ルート確認した。センサーの間隔、やっぱり広すぎる』


「わかっています」


『待ち構えてる可能性、まだあるか』


「あります」


『……まあ、そうだよな』レッドが短く息を吐いた。





 無線にノイズが入った。


 それから、ユキナガの声が来た。


『聞こえる?』


「聞こえてる」リヴァは言った。


『今、東京は午後一時。快晴。昼飯食いながら見てる』


「のんきだね」


『のんきじゃないよ』声が少し変わった。『全部見てるから。ドローンは飛ばせないけど、衛星データは取れてる。倉庫の熱源、今のところ内部に…十くらいいそう。外は二』


「多い」カイが言った。


『気をつけて』


「ユキナガ」リヴァは言った。


『何』


「何食べてるの」


『……蒙古タンメンのカップ麺』


「辛そう」


 ユキナガは少しだけ笑った気配がした。


『無線、ずっと繋いでおくから。何かあったらすぐ言って』


「わかった」




 アルノの声が来た。


「全員確認します。Sniper」


「ポジション完了」


「Spotter」


「完了」カイの声。


「Overwatch」


『完了』イーサンの声。


「Entry」


『準備できてる』レッドの声。


「Control、聞こえますか」


『聞こえてる』とユキナガの声が来た。


「では」アルノが一拍置いた。「開始します」


 レッドが動き始めた気配があった。


 リヴァはスコープを覗いた。


 倉庫の外壁が見えた。


 空気を見た。


 風が通っていた。


 カイが横で静かに呼吸していた。







 レッドが動き出してから、三分が経っていた。


 リヴァはスコープを覗いたまま待っていた。


 見張りの二人が外周を歩いていた。ルーティンだった。同じルートを同じ速度で回っていた。


「東側の見張り、十秒後に角を曲がる」カイが言った。


「見えてる」


「レッドの侵入タイミングはその後だ」


「わかった」


 無線でレッドの息が聞こえた。動いている。


 見張りが角を曲がった。


 レッドが動いた気配がした。


「侵入した」ユキナガが言った。衛星データを見ていた。「今のところ反応なし」







 無線でレッドの声が来た。


『内部確認。人数が多い。十二以上』


「把握しました」アルノが返した。「リヴァ、カイ、外周を見ていてください」


 少し間があった。


『内部、動いてる』とレッドが続けた。『気づいてる。外に追い出そうとしてるかもしれない』


「わかりました」アルノが言った。「外に出てきます。準備してください」


「準備できてる」リヴァは言った。


 カイがスポッティングスコープから目を離さなかった。



 五分が経った。


 誰も撃たなかった。


 イーサンの声が無線に来た。


『東扉の内側、扉の真後ろに一人立ってる』


「レッド、聞こえましたか」


『聞こえた』レッドの声が来た。低かった。『東扉は使わない。別のルートを探す』


『非常口が南東にある』イーサンが言った。『センサーの死角だ』


『見えた。そっちから入る』




 またイーサンの声が来た。


『降りる』


「どうぞ」アルノが言った。


 イーサンが動いた。





「東扉に動き。二人出てくる」


 カイの声に、イーサンの声が重なった。


『リヴァ、罠じゃない、撃っていい』


 リヴァはスコープの中に捉えた。


「距離820」カイが言った。低かった。「風、南南西、秒速2.1。横流れ補正0.8、弾道降下4.2。右から先に取れ」


 吸った。


 半分吐いた。


 止めた。


「今」


 引いた。


 右が倒れた。


 ボルトを引いた。薬莢が落ちた。岩盤に当たって乾いた音がした。次弾を送り込んだ。


「左、北に動いた」カイの声が来た。「距離840、先読み1.1。風が一瞬止まる。待て」


 構えた。スコープの中で人間が動いていた。


 待った。


 岩盤の熱が腹から来た。


 風が凪いだ。


「今」


 引いた。


 左が止まった。


 カイが短く息を吐いた。




 無線が入った。


『北扉から三人出た』レッドだった。『こっちは対処できない』


「リヴァ」アルノが言った。「北扉を見てください」


「見えてる」リヴァは言った。


 スコープを北に振った。三人が外に出てきた。散開しようとしていた。


「北扉、三人」カイが言った。即座に数字が来た。「距離860。風同じ。真ん中から取れ。左右が反応する前に中央を止める」


「わかった」


「肩」


 確認した。固まっていた。落とした。


「そこだ」カイが言った。「撃て」


 引いた。


 真ん中が倒れた。


「左、止まった」カイが言った。「今」


 引いた。


 左が倒れた。


「右が走った。北西、距離890、先読み1.3」


 まだ構えが定まっていなかった。次弾を送り込んだ。構えた。


 走っている人間がスコープの中にいた。速かった。揺れていた。



 外れるかもしれない、という感覚が来た。



「風が変わる」カイが言った。「待て」


 待てなかった。


 引いた。


 肩をかすめた。人間が崩れた。倒れなかった。膝をついた。また立とうとした。


「もう一発」カイが即座に言った。


 ボルトを引いた。薬莢が落ちた。次弾を送り込んだ。


 構えた。


「今」


 引いた。


 敵が止まった。


 カイが一秒黙った。


「……待てと言った」


「わかってる」


「次は待て」


「わかってる」


 リヴァは息を吐いた。





 無線でイーサンの声が来た。


『合流した。内部七、残ってる、うち二人南から出る』


『こっちが五、抑える』レッドが続けた。息が上がっていた。『東通路に二人。イーサン、頼む』


『見えてる』


 銃声が来た。無線越しだった。一発だった。


 静かになった。


『一人』とイーサンが言った。「もう一人、西に回った」


『俺が取る』レッドが言った。


 動く音が来た。走っていた。


 銃声が二発来た。


『取った』


 また静かになった。




『残り三、倉庫の奥に籠もった』とレッドが言った。『アルノ。交渉するか、押すか』


「押してください」アルノが言った。


『了解。イーサン、行くぞ』


『待て』とイーサンが言った。


 少し間があった。


『北側の窓。カーテンが動いた。中から見ている』


「……」レッドが黙った。


『扉から入ると正面から撃たれる』イーサンは続けた。『レッド、東の非常口から入れ。俺が窓側から音を出して引きつける』


『どうやって』


『石を投げる』


 数秒後、窓に何かが当たる音がした。


 銃声が来た。窓に向かって撃っていた。


『今だ』とイーサンが言った。


 レッドが動いた。


 銃声が複数来た。


 それから一瞬、静かになった。


『一人』とイーサンが言った。


 また動く音が来た。


 銃声が来た。同時に、レッドの声が短く来た。


『っ、』


 無線が一瞬だけ乱れた。


 イーサンの声が来た。即座だった。


『レッド、伏せろ』


 銃声が一発来た。


『取った』イーサンが言った。『残り一、奥に逃げた』


『追う』レッドが言った。息が上がっていた。『俺が先に行く』


 最後の銃声が来た。


 完全に静かになった。






 南扉が開いた。


「二人出た。距離870、風が戻った、秒速2.2。先読み0.9」


 引いた。


 一人倒れた。


 ボルトを引いた。薬莢が落ちた。次弾を送り込んだ。


「もう一人、止まった」カイが言った。「伏せた。遮蔽を取ろうとしてる」


 スコープの中で人間が這っていた。低く、速く動いていた。倉庫の角に向かっていた。


 その時だった。


 カイの手がリヴァのプレートキャリアを掴んだ。


 引いた。


 横滑りした。岩盤の出っ張りに背中がついた。カイの体が半分、リヴァの前に来た。


「伏せてる方向が変わった」カイが言った。声が変わっていなかった。「一瞬、こっちを向いた」


 リヴァは息を吸った。


 吸ったまま、少し止まった。


 今のが攻撃の意図だったとしたら、という計算が頭を走った。


 距離870、アサルトライフルの有効射程外、届かない、わかっていた。


 わかっていても、体が一拍遅れた。


「構えろ」


 リヴァが構えた。


「今だ」カイが言った。


 引いた。


 肩をかすめた。人間の動きが一瞬乱れた。止まらなかった。また角に向かって動き始めた。


「先読み足りなかった。1.5。距離変わらない」


 さっきより前を狙った。


「今」


 引いた。


 倉庫の角の手前で止まった。


 カイが一秒だけ黙った。


「先読みだった」カイが言った。「風じゃない」


「わかった」


「次は1.5から入れ」


 リヴァはスコープから目を離さなかった。


 さっきの一拍のせいだと、自分だけが知っていた。


 カイには言わなかった。







 無線でレッドの声が来た。


『制圧完了。端末と書類、確認する』


「お願いします」アルノが言った。


 少し間があった。


『……書類に何かある。記号みたいなやつ』


「読み上げてください」


 レッドが読み上げた。


 アルノが一瞬だけ黙った。


「記録します」


 それ以上触れなかった。




 撤収の合図が来た。


 リヴァはバイポッドを折った。


 手が震えていた。


 気づかなかったふりをした。ボルトを引いた。チャンバーを確認した。ケースを開けた。


 銃を収めようとした。


 手が、うまく動かなかった。


 肩も、じわじわと来ていた。反動が遅れて届いていた。撃っている間は気にならなかった。終わってから来た。


 カイの手が来た。


 リヴァの手の上に、ただ重ねた。押さえた。力は入っていなかった。ただ、そこにあった。


 震えが、少しだけ収まった。


「俺がやる」


「自分で」


「わかってる」カイは手を離さなかった。「それでも俺がやる」


 リヴァは手を離した。


 カイが銃をケースに収めた。ラッチを閉めた。立ち上がった。ケースを左肩に担いだ。自分のHK416と合わせて、両肩に一丁ずつだった。それでも動き方が変わらなかった。


 岩盤の縁に来た。


 降りる前に、リヴァを見た。


 月明かりの中だった。


 顔色を見た。手の震え、目の焦点。一秒で見た。


「先に降りる」


 カイが岩盤を降りた。重い荷物を両肩に持ったまま、音がしなかった。


 地面に着いた。


 振り返った。


 手を上げた。


 リヴァの足が着地する前に、腰を支えていた。


 着地した。


 赤土が足の裏に来た。まだ熱かった。


 カイの手が腰から離れた。


 離れる前に、一瞬だけ力が入った。


 確認していた。






 レッドが倉庫から出てきた。


 右腕を押さえていた。


 イーサンがその後ろから出てきた。レッドの右側に並んだ。さりげなかった。意図しているのかどうかわからない立ち方だった。


「レッド」リヴァは言った。


「かすっただけだ」レッドは言った。笑っていた。「お前こそ、顔色が悪い」


「集中、してたから」


「そうか」


 イーサンがレッドの腕を一度だけ見た。


 何も言わなかった。


 レッドがイーサンを横目で見た。


「助かった」小声で言った。


 イーサンは答えなかった。


 前を向いたまま歩き出した。


 レッドが小さく笑った。


 イーサンが横を通り過ぎた。


 リヴァの肩に、一瞬だけ手が触れた。


 止まらなかった。


 通り過ぎながら、触れた。


 イーサンが振り返らずに言った。


「よく撃った」


 それだけだった。


 テキサスの夜の風が、低く流れていった。


 赤土の匂いがした。


 硝煙が混じっていた。


 無線でユキナガの声が来た。


『全部見えてた』


 少し間があった。


『お疲れ』


"Everybody Wants To Rule The World" / Lorde

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