省電力モード
もう夕方だった。
ユキナガの部屋をノックした。
「どうしたの」
「組み手の練習、付き合って」
扉が開いた。ユキナガがこちらを見た。端末を持っていた。
「…それ声かけるの俺で合ってる?」
「うん」
「なんで」
「勝てそうだから」
ユキナガが少し黙った。
「……俺サーバールームからでもいい?」
「やだ。酸素濃度下げられそう」
「リヴァにそんなことしないよ」
リヴァはため息をついた。
「お願い。全員に挑んでるとこなの。あとはテキサスでやってきた」
「あのゴリラたちと?よく生きてたね」
「勝っては、ないけど…」
ユキナガは端末をいじっていた。
画面を消した。
「わかった。付き合う」
「ありがとう」
「でもなんで急に。何かあった?」
「アルバンと組み手してむかついたの」
ユキナガが止まった。端末をしまった。
「まあ色々あって」
「色々ってなに。教えてよ」
「組み手して動けなかったけど口説かれて一回蹴れたの。ビンタもしたの。そしたらおいしくない豆のスープだされたからヴィクトルにカチョエペペ?っていうの作ってもらったの」
「……待って待って。話を整理したいんだけど。そもそもあんなでかい奴にビンタ届く?」
「あとで話す、今は動きたいから付き合って」
「…わかった」
廊下の突き当たりの広い部屋だった。
向き合った。
「実はさ。ちょうどこの間、俺オラヴルに任務行けるように鍛えろって言われちゃった」
「ユキナガ、練習してるの」
「してないしてない。来たばっかの時カイにちょっと教えてもらっただけ」
ユキナガが構えた。こちらも構えた。
「本気でいく」リヴァが言った。
「殺さないでね…」
動いた。
ユキナガは思ったよりなんか小さく感じた。体重が圧倒的に違った。
避けた。横に回った。ユキナガが追ってきた。腕を取ろうとした。外した。
「おっ」
「何」リヴァが言う。
「かわいい。たのしい。カイと違う」
「そりゃそうだよ」
もう一度動いた。今度は低く入った。ユキナガがバランスを崩した。押した。壁に押しつけた。
「……え、待って」
「参った?」
「……参った、参った」
ユキナガが離れた。髪を直した。
「……ユキナガって本気出したらどのくらい強いの」リヴァが聞いた。
少し間があった。
「……カイの半分くらい?」
ユキナガの動きが止まった。
「それ、聞かない方がよかったかもね」
声のトーンが変わって、低くなった。
端末を取り出した。照明が少し落ちた。
「……暗くない?」
「省電力モード」
「さっきまで普通だったのに」
「電気代高いんだよ最近」
構えようとしたら、すでに目の前にいた。さっきと動きが全然違った。
「っ」
避けた。ぎりぎりだった。
「なんで、照明落としたの。ほんとのこと言って」
ユキナガはリヴァを見た。
「暗い方が、人間の反応速度は落ちるから」ユキナガは静かに言った。「距離感と判断が狂う」
ユキナガが動いた。左から来る。一歩右に回ろうとした。
「あ、そのマット滑るから」
「え」
滑った。
「いて」
体勢を崩した。ユキナガが来た。腕を取られた。
「昨日張り替えたんだった」
「それ先に言って」
「今思い出した」
「嘘つき」
腕を引かれて後ろ手に回される。動けなかった。
逃れようともがく。その時、何かが変わった気がした。部屋の温度だった。
「なんか、寒い」
「換気」
「今じゃなくていいでしょ」
「タイミングが」ユキナガは端末を一瞬見た。「今だっただけ」
汗が冷えていた。
何とか腕を引いて抜け出した。
「惜しい。もうちょっと下げたら、関節動きにくくなったかな」
「なんかさっきからずるくない?」
「ずるくないよ。ただ殴りあうより、実践形式でしょ?」
壁に手をついて避けた。
反撃しようとした。腕を取ろうとした。ユキナガが先に動いた。
「うわっ」
引かれてバランスが崩れた。滑るマットのせいで足が踏ん張れなかった。それでも無理矢理ユキナガの腕を取った。
「…とった、」
そのまま押した。壁に押しつけた。
リヴァの息だけが荒かった。
「待って待ってタイム」ユキナガが声を上げた。
「そんなのない」
「サーバー落ちた」
「絶対嘘」
「いやマジで」
部屋の奥で警告音が鳴った。
「……鳴ってる」
「ほらぁ」
リヴァがそっちを見た。その隙に腕が抜けた。振り返ったら反対側にいた。
「……いつの間に」
「隙あり」
「警告音、本物だったの」
「本物だよ」ユキナガは端末を見た。「でも今直した」
「絶対嘘」
背後に回れた。ユキナガの腕を取って、そのまま引いた。
「このっ」
床に倒し、上に乗って押さえた。ユキナガの腕を動けない角度にした。
「どうだ!」
「大胆だね、リヴァ」
ユキナガの腰にリヴァが完全に乗っていた。
ユキナガが足をばたばたさせた。
「うるさい。参った?」
「参ってない」ユキナガは低く言った。「まだ終わってない」
端末が光ったと思ったら、照明が完全に落ちた。赤い非常灯だけになった。
視界が一瞬飛んだ。
その隙にユキナガが転がって抜けた。
「まだなにか仕込んでるの…っ」
今度はユキナガに腕を回された。床に手をついてふんばった。
「なんでユキナガだけ見えてるの」
「俺が普段どれだけリヴァのこと見てると思ってるの?」
支えていた腕が折れた。仰向けになった。
ユキナガが上にいた。腕を上に上げられた状態で、封じられていた。
「参った?」
答えなかった。
リヴァの方が息が上がっていた。
二人の息だけが響いた。
「ユキナガ、…実戦出なよ」
「やだよ」
腕に力を入れた。抜けなかった。
「参った?」
答えなかった。
ユキナガが少し顔を近づけた。
「かわいい体勢になっちゃったね」
照明が戻った。まだ手首は押さえられて、上にあった。腰のあたりに乗られて自由が利かなかった。
光が戻ると、思ったよりも距離が近くてリヴァは顔をそむけた。
「手離して」
「カイの半分はちょっと傷ついたよ」
「……わかった」
「ごめんなさいは?」
「…ごめんなさい」
ユキナガの手に力が入った。思ったより大きい手だった。
リヴァに顔が近づいた。
「ねえ、口説いていい?」
「むり」
「汗かいてる」
「見ないで」
「なんで今日マスカラしてないの」
「時差ぼけだから」
「かわいい」
「もううるさい!」
ユキナガが立ち上がった。
Marlboroを取り出して、火をつけた。まだ天井を見て息を整えているリヴァを、上から見下ろした。
満足そうなユキナガの顔があった。
「……ユキナガ」
「うん」
「帰ってきたら、おいしいお酒作るって言ってたじゃん」
「言った」
リヴァが起き上がった。
「それで手を打つ」
ユキナガが笑った。
「……わかった」煙を吐いた。「何がいい」
「ユキナガが決めて」
「じゃあミントのやつ」
「…うん」
煙草の煙が広がった。リヴァに一本煙草を差し出す。
「なんでそんなに急いでるの」
リヴァの咥えた煙草にユキナガがライターを寄せて、火をつけた。
煙を吐いた。
リヴァが胡坐をかいた。
「悔しいから」
「アルバンに負けたのが?」
「……テキサスで思ったより動けなかった。任務終わったら手が震えてたし、狙撃中に頭が真っ白になった瞬間もあったし」
「だから今日も心拍早かったのか」
リヴァがユキナガを見た。
目を細めた。
「…また見てんの」
ユキナガは答えなかった。
「……それ、まだ完全じゃないでしょ?オラヴルに言った?」
「言ってない」
「言えよ」ユキナガは煙を吐いた。「俺じゃなくてオラヴルに」
「言いづらいもん」
「なんで」
「オラヴルに心配かけたくない」
ユキナガが少し間を置いた。
「言いな。てかもうバレてそう」
「……うん。ついでにオラヴルにも挑む」
「勝てると思ってる?」
「オラヴル、昔のことあんまり話さないって言ってた」
「まあ...つまりは、そういうことだよ」
煙が部屋に広がった。




