初陣
夜だった。
ログハウスの共用スペースに全員が集まった。
ヴィクトルだけが端のソファに座って、Sobranieを指に挟んでいた。
ユキナガの声が端末から来た。
「さっき動きが出た。輸送の前倒しが始まってる。当初の予定より一週間くらい早い」
「原因は」アルノが言った。
「わからない。ただ、今動かないと証拠が消える。端末も書類も、輸送と一緒に移動する」
部屋が静かになった。テキサスの夜風が、窓の外で低く鳴っていた。
カイがリヴァを見た。リヴァは前を向いていた。
「リヴァ」アルノが言った。「状態を確認します」
「動ける」
「それは聞いていません」アルノは端末を持ったまま言った。「今夜、疲弊しているかどうかを聞いています」
少しの間があった。
「……疲弊してる」リヴァは言った。「でも動ける」
「正直に言えましたね」アルノは言った。「それで充分です」
カイが口を開いた。
「状態が万全じゃないのに出す根拠は何だ」
「根拠は二つあります」アルノは端末を置いた。「一つは時間の問題です。今逃せば、Valerian Resource Groupの情報が消える。これはリヴァの過去に繋がっている可能性がある。私はそう見ています」
「可能性で動かすのか」
「もう一つあります」アルノはカイを見た。「リヴァが疲弊している状態で出ることが、むしろ必要です」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
レッドが指の煙草を口から外した。
イーサンが手帳を閉じた。閉じる音が、部屋に小さく落ちた。
ヴィクトルがソファの背に体を預けたまま、Sobranieを口元から離した。煙が、行き場をなくして上がった。
アルノは視線を下げなかった。
「無茶を言っている自覚はあります」アルノは言った。「それでも、必要だと判断しました」
カイが、隣の壁に手をついた。指先が、木の壁に触れた。それから、離れた。
「今回の任務で、リヴァには意識的に能力を使わないでほしい」アルノは言った。
リヴァが少しだけ止まった。
「理由は」イーサンが言った。
「今後のためです」アルノは全員を見た。「カジノの件の通り、リヴァの能力には上限があることがわかりました。訓練をしてきたのも、能力に頼らない状態で撃てるようにするため。ここで実戦を経験させる必要があります」
「疲弊した状態で能力を使わずに撃たせるのか」カイが言った。声が低かった。
「そうです」
「リスクが高い」
「ええ」アルノは言った。「ただ、万全な状態で能力を使って任務を完遂しても、リヴァが能力なしで動ける人間になるわけではない。次に敵と対峙した時、能力が使えない状況が来る。その時のためです」
カイは何も言わなかった。アルノはカイから視線を外さなかった。
「カイ」
「……」
「カイのスポッター訓練も、今回が初めての実戦です。極論、リヴァが能力を使えば、カイの声はさほど必要ない。二人の連携が機能するのは、能力を使わない場合だけです」
カイは答えなかった。
リヴァを見た。前を向いたままのリヴァの横顔を、一度見た。
それからアルノに視線を戻した。アルノは何も足さなかった。ただ、待っていた。
カイの手が、また壁に触れた。今度は少し長かった。
指の腹で木目を一度なぞった。
手を離した。
「…わかった」彼は言った。
イーサンが手帳を開いた。
「拠点の構造を」
「砂漠地帯の仮設倉庫です」アルノが端末を操作した。図が出た。「平屋、地下あり。外周に赤外線センサー。見張りの人数は少ない」
「少なすぎる」イーサンは言った。
「そうです」アルノは静かに言った。「罠の可能性があります。それでも行く理由は先ほど説明した通りです」
「情報が出ている可能性は」レッドが言った。
「あります」アルノは間を置かなかった。「今回の任務情報を知っているのは、この場にいる全員とユキナガだけです。ただ、過去の案件で同様のことが起きた記録があります。調査中です」
レッドが煙草を指で止めた。
「つまり」彼は言った。「待ち構えられている可能性がある」
「可能性としては、あります」
「退路は」イーサンが言った。
「東側に一本。倉庫の裏手から、涸れ川沿いに抜けられます」
「一本か」
「一本です」
イーサンは手帳に何かを書いた。それ以上は言わなかった。
「それでも行くのか」レッドが言った。
「行きます」アルノは全員を見た。「ただし、想定以上の人数なら、イーサンは支援を切り上げてレッドと合流してください」
「了解」イーサンは言った。即答だった。
ヴィクトルがソファから口を開いた。
「俺はログハウスで待つ」
「はい」アルノが言った。
「帰ってきたら書類を見る。回収したものの整理は任せろ」
「助かります」
ヴィクトルはリヴァを見た。
「帰ってこい」
「帰る」
「約束しろ」
「…約束する」
ヴィクトルは何か言いかけた。口が、少しだけ動いた。それから、言葉にしなかった。Sobranieを口元に戻して、一口吸った。視線だけが、リヴァに残っていた。
「では」アルノが言った。「明後日の夜に、現地。それまでに各自準備をしてください」
全員が動き始めた。
リヴァはテーブルの図を見た。砂漠の中の倉庫。罠の可能性がある。能力は使わない。疲弊した状態で行く。
カイが隣に来た。
「リヴァ」
「うん」
「今夜は寝ろ」
「……寝れるかわからない」
「ならそこにいろ」カイは言った。ソファを顎で示した。「眠くなるまで」
リヴァはソファに座った。カイはその横に立った。
誰も、すぐには部屋へ戻らなかった。
アルノは端末の画面を消さないまま、図を見ていた。画面の光が、その手元だけを青く照らしていた。
窓の外で、テキサスの夜風が低く鳴り続けていた。
ヴィクトルの煙草の煙が、その音に混じるように、ゆっくりと天井へ昇っていった。
"Passing Afternoon" / Iron and Wine




