テキサス拠点:傷の手当て
砂利の上に、五人が転がっていた。
誰も立っていなかった。
誰も、すぐには立ち上がらなかった。
最初に立ったのはレッドだった。右肩を押さえながら、ゆっくり起き上がった。膝をついて、もう一度立とうとして、立てた。
「……生きてる」レッドは言った。誰にでもなく言った。「運がいい」
言いながら、カイに左手を伸ばして立ち上がらせた。
カイの髪と首筋に砂埃が貼りついていた。汗で固まっていた。払わなかった。
ヴィクトルが上半身を起こした。イーサンが両手を砂利についたまま、少しずつ体を起こしていた。
アルノが起き上がれずにいた。
砂利の上に眼鏡が落ちていた。手を伸ばした。指先がわずかに届かなかった。
カイがアルノに気づき、駆け寄った。アルノの目の前で指を一本振った。瞳の動きが遅れた。
「脳震盪」カイは言った。「アルノ、時間分かるか」
「…リヴァ、」
「中に入れろ」一瞬だけ周囲を見てから、イーサンが言った。
レッドがアルノの眼鏡を拾った。
カイがアルノの腕を肩に回した。担ぎ上げた。
ログハウスのリビング。
カイがアルノをソファに下ろした。
イーサンが救急セットをテーブルに広げた。包帯を出して、レッドの方へ押しやった。
レッドが右肩を左手で触った。顔が少し歪んだ。
「脱臼は」イーサンが言った。
「してない。痛え」
イーサンが自分の首を左右に倒した。可動域を確かめた。問題なかった。
テーブルに一枚、地図を広げた。テキサスの道路図だった。アルバンが抜けていった方向に指を置いた。そこから車が出られる経路を、順に追っていた。
ヴィクトルがソファの肘に腰を下ろした。Sobranieに火をつけた。脇腹を押さえた。
「肋骨でも折れたか」イーサンが言った。
「折れてない」ヴィクトルは煙を吐いた。「俺の事はいい」
カイが窓の外を見ていた。
「探しに行く」カイは言った。
「どこに」イーサンは地図から目を上げなかった。
カイが黙った。
「行き先がない。ナンバーもまだだ」イーサンは言った。「座れ」
カイは動かなかった。
十秒あった。
「座れ」
カイがゆっくり椅子に戻った。腕を組んだ。テーブルを見なかった。窓を見ていた。
「不気味だ」イーサンは地図から目を上げずに言った。「崩し方がわからなかった。初めてだ」
「予備動作がない」イーサンは続けた。「動くと決めた瞬間には、もう終わってる。読むものがなかった」
「あれで手加減してた」レッドが肩を押さえたまま言った。「俺を投げた時、顔も向けてこなかった。全員仕留められた。やらなかっただけだ」
ヴィクトルが煙を吐いた。
「訓練で作れる強さじゃない」ヴィクトルは言った。「経歴が空白の始末屋だ。俺たちが訓練でやってきたことを、あいつは全部、実戦で積んでる。種類が違う」
誰も何も言わなかった。
ヴィクトルが煙草を灰皿に押した。
カイが窓の外を見たまま口を開いた。
「東京でも同じだった」カイは言った。「触れられた時には、もう両足が浮いてた。受け身も取れない」
少し間があった。
「あの速さの前に立っても、リヴァは守れない」
「あれを止められるのは」ヴィクトルは言った。「今のところ、リヴァだけだ」
カイが窓の外を見たまま動かなかった。
ヴィクトルがアルノの端末を出した。慣れた手つきでユキナガに繋いだ。
数コール鳴った。日本は早朝のはずだった。
『……どしたの、アルノ』
声が眠そうだった。
「バーテン」ヴィクトルは言った。英語に切り替えた。
『ヴィクトル?』ユキナガも英語に切り替えた。
アルノがソファから手を伸ばした。寄こせ、という仕草だった。ヴィクトルが端末を渡した。
アルノが口を開いた。
「……Moment. Das Kennzeichen, ich……」
止まった。
「……ええと」
「Nein——Ich kann nicht. Scheiße.」
ドイツ語だった。
『……は?』ユキナガの声がした。『なに、今の』
ヴィクトルが端末を取り返した。ハンズフリーにしてテーブルに置いた。
「悪い。アルノは今ドイツ語しか出てこない」
『なんで』
「脳震盪で脳が母国語に戻ってる」ヴィクトルは言った。「ちなみに今のは『くそ、言葉が出ない』だ。半分は罵りだから訳さない」
『いや待って。状況。なにがあった』
ユキナガの声が少し起きてきた。
「アルバンが来た」カイが言った。
間があった。
『……アルバン』
「リヴァを連れて行った。全員やられた。誰も止められなかった」
『は——』ユキナガの声が変わった。『誘拐された、リヴァが?』
「そうだ」
『そっちのゴリラ三匹がかりで、ヴィクトルもアルノもいて、かすり傷一つ負わせられなかったわけ』ユキナガは言った。冗談の口調だった。笑っていなかった。
端末の向こうで、カプセルを潰す音がした。
『……アルノは脳震盪、リヴァは連れてかれた。最悪じゃん』ユキナガが早口になった。『オラヴル呼ぶ。電話切るな、つないだまま。ナンバーの画像、今すぐ送れ。解析回す。あと、端末のカメラつけて』
「わかった」
ヴィクトルがレッドに目をやった。レッドが頷いて、データを送った。
マグカップに立てかけて、ビデオ通話にした。
端末の向こうで音がした。ユキナガが誰かを呼んでいた。
『オラヴル。ちょっと来て』
遠くで返事があった。気の進まない声だった。
『……なんだ』
『電話。リヴァ誘拐された。アルノが脳震盪。あと全員怪我してる』
足音がした。
『……何が起きてる』
低い声だった。
「おはよう、オラヴル」
『ヴィクトルか』少し間があった。
「アルバンだ。全員転がされた。俺だけ最後まで立ってたが、それも投げられて終わった」
『リヴァはどこに』
「わからん」
オラヴルは固まっていた。
アルノがソファでまた何か言った。Verdammte Scheiße、と声が出た。頭に手を当てていた。
端末の向こうが静かになった。
『……アルノ』オラヴルは息を吸って、吐いた。切り替えるためだった。『ドイツ語はわからん。が、それはわかる』
「だろうな」
『アルノが機嫌の悪い時に言うやつだ』オラヴルは言った。
ヴィクトルが少し笑った。笑える状況ではなかった。それでも笑った。
『そのまま横向きに寝かせておけ。無理に喋らせるな』オラヴルは言った。『吐くか、瞳孔に左右差が出たら、すぐ連絡』
『レッドの肩は冷やして吊りなさい。ヴィクトル、肋骨は自分で巻けるね。あとはカイと、イーサンがそこにいるか。彼らは大丈夫かい』
「ああ。相変わらず働くな」
『……あのさ、カイ』ユキナガの声が戻ってきた。『日本の時、覚えてる』
「アルバンが来た時か」
『リヴァが帰れって言ったら、アルバン、帰っただろ』ユキナガは言った。『あいつリヴァの言う事聞いた』
「ああ」カイが言った。
『だから戻ってくる』ユキナガは言った。『リヴァが戻るって決めれば戻る。信じる。今はそれしかできない』
カイが窓から視線を動かした。端末を見た。何も言わなかった。
『……オラヴル』ユキナガの声がした。『煙草、さっきから出してるのに火つけてないよ』
返事はなかった。
通話の向こうが、しばらく静かだった。
ライターの音が電話口から響いた。
レッドがキッチンに立った。戻ってきた時、水のグラスを人数分持っていた。一つずつ置いた。
リヴァの分も置いた。
誰も指摘しなかった。
カイは窓の外を見ていた。汗と砂埃が乾いて、肌に張りついていた。アルバンの消えていった方向を見ていた。
テキサスの夕陽が、砂利の上に赤く伸びていた。
リヴァの分の水が、テーブルの上で光を反射していた。




