「今」
ダラスから南西に車で四時間半。
舗装路が終わる場所がある。
地平線が丸く見えた。
夜でも地面が熱い。昼間に焼かれた赤土が、日が落ちてから何時間経っても熱を手放さない。腹這いになると、その熱が体の前面から入ってくる。
風が低く流れていた。地面すれすれを走る風だった。
砂埃を連れてくる。スコープのレンズに積もる。拭いても拭いても積もる。
狙撃ポジションは北東、八百三十メートル先の岩盤の出っ張りだった。高さが三メートル程度の自然の隆起だった。
遮蔽物は、それだけだった。
赤外線センサーは五箇所。侵入できると思わせるほど、間隔が広かった。
見張りが二人、外にいた。
二人だけだった。
夜の十時だった。
リヴァとカイは岩盤の上にいた。
腹這いで、並んでいた。
カイの手元には、イーサンの書いた補正表があった。
見てはいなかった。
リヴァはAXMCを展開した。バイポッドの脚を岩盤に押しつけた。
スコープのアイピースに目を沿わせた。
倉庫が見えた。
金属の外壁が、月明かりを鈍く反射していた。見張りが二人、外周をゆっくり歩いていた。
「830」カイが言った。スポッティングスコープを覗いたまま。「昨日の想定訓練より10メートル遠い」
「わかった」
「風は南南西、秒速2.1。安定してる」
「うん」
イーサンの声が無線に来た。
『南側ポジション、完了。視界良好』
「了解」アルノが返した。
レッドの声が来た。
『侵入ルート確認した。センサーの間隔、やっぱり広すぎる』
「わかっています」
『待ち構えてる可能性、まだあるか』
「あります」
『……まあ、そうだよな』レッドが短く息を吐いた。
無線にノイズが入った。
それから、ユキナガの声が来た。
『聞こえる?』
「聞こえてる」リヴァは言った。
『今、東京は昼の十二時。快晴。昼飯食いながら見てる』
「何食べてるの」
『……蒙古タンメンのカップ麺』
「辛そう」
『全部見てるから。ドローンは飛ばせないけど、衛星データは取れてる。倉庫の屋根、想定より熱が高い。中、申告人数より多いかもしれない。外は二』
「多い」カイが言った。
『気をつけて』ユキナガは言った。『無線、ずっと繋いでおくからね』
「わかった」
麺をすする音がした。
「カイ」
「なんだ」
「……おなかすいてきた」
「……ああ」
アルノの声が来た。
「全員確認します。Sniper」
「ポジション完了」
「Spotter」
「完了」カイの声。
「Overwatch」
『完了』イーサンの声。
「Entry」
『準備できてる』レッドの声。
「Control、聞こえますか」
『聞こえてる』とユキナガの声が来た。
「では」アルノが一拍置いた。「開始します」
レッドが動き始めた気配があった。
リヴァはスコープを覗いた。
倉庫の外壁が見えた。
空気を見た。
風が通っていた。
カイが横で静かに呼吸していた。
レッドが動き出してから、三分が経っていた。
リヴァはスコープを覗いたまま待っていた。
見張りの二人が外周を歩いていた。ルーティンだった。同じルートを同じ速度で回っていた。
「東側の見張り、十秒後に角を曲がる」カイが言った。
「見えてる」
「レッドの侵入タイミングはその後だ」
「わかった」
無線でレッドの息が聞こえた。動いている。
見張りが角を曲がった。
レッドが動いた気配がした。
「侵入した」ユキナガが言った。「今のところ反応なし」
外周の見張り二人が東扉から中へ戻った。
外が空いた。
無線でレッドの声が来た。
『内部確認。人数が多い。十二以上』
「把握しました」アルノが返した。「リヴァ、カイ、外周を見ていてください」
少し間があった。
『内部、動いてる』とレッドが続けた。『気づいてる。外に追い出そうとしてるかもしれない』
「わかりました」アルノが言った。「外に出てきます。準備してください」
「準備できてる」リヴァは言った。
カイがスポッティングスコープから目を離さなかった。
五分が経った。
誰も撃たなかった。
イーサンの声が無線に来た。
『東扉の内側、扉の真後ろに一人立ってる』
「レッド、聞こえましたか」
『聞こえた』レッドの声が来た。低かった。『東扉は使わない。別のルートを探す』
『非常口が南東にある』イーサンが言った。『センサーの死角だ』
『見えた。そっちから入る』
またイーサンの声が来た。
『降りる』
「どうぞ」アルノが言った。
イーサンが動いた。
「東扉に動き。二人出てくる」
カイの声に、イーサンの声が重なった。
『リヴァ、罠じゃない、撃っていい』
リヴァはスコープの中に捉えた。
「距離820」カイが言った。低かった。「風、南南西、秒速2.1。横流れ補正0.8、弾道降下4.2。右から先に取れ」
吸った。
半分吐いた。
止めた。
「今」
引いた。
右が倒れた。
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。岩盤に当たって乾いた音がした。次弾を送り込んだ。
「左、北に動いた」カイの声が来た。「距離840、先読み1.1。風が一瞬止まる。待て」
構えた。スコープの中で人間が動いていた。
待った。
岩盤の熱が腹から来た。
風が凪いだ。
「今」
引いた。
左が止まった。
カイが短く息を吐いた。
無線が入った。
『北扉から三人出た』レッドだった。『こっちは対処できない』
「リヴァ」アルノが言った。「北扉を見てください」
「見えてる」リヴァは言った。
スコープを北に振った。三人が外に出てきた。散開しようとしていた。
「北扉、三人」カイが言った。即座に数字が来た。「距離860。風同じ。真ん中から取れ。左右が反応する前に中央を止める」
「わかった」
「肩」
確認した。固まっていた。落とした。
「そこだ」カイが言った。「撃て」
引いた。
真ん中が倒れた。
「左、止まった」カイが言った。「今」
引いた。
左が倒れた。
「右が走った。北西、距離890、先読み1.3」
まだ構えが定まっていなかった。次弾を送り込んだ。構えた。
走っている人間がスコープの中にいた。速かった。揺れていた。
外れるかもしれない、という感覚が来た。
「風が変わる」カイが言った。「待て」
待てなかった。
引いた。
肩をかすめた。人間が崩れた。倒れなかった。膝をついた。また立とうとした。
「もう一発」カイが即座に言った。
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。次弾を送り込んだ。
構えた。
「今」
引いた。
敵が止まった。
カイが一秒黙った。
「……待てと言った」
「わかってる」
「次は待て」
「わかってる」
リヴァは息を吐いた。
無線でイーサンの声が来た。
『合流した。内部七、残ってる。うち二人、南に回った』
『こっちが五、抑える』レッドが続けた。息が上がっていた。『東通路に二人。イーサン、頼む』
『見えてる』
銃声が来た。無線越しだった。一発だった。
静かになった。
『一人』とイーサンが言った。『もう一人、西に回った』
『俺が取る』レッドが言った。
動く音が来た。走っていた。
銃声が二発来た。
『取った』
また静かになった。
『奥に残った三人、籠もった』とレッドが言った。『アルノ。交渉するか、押すか』
「押してください」アルノが言った。
『了解。イーサン、行くぞ』
『待て』とイーサンが言った。
少し間があった。
『北側の窓。カーテンが動いた。中から見ている』
「……」レッドが黙った。
『扉から入ると正面から撃たれる』イーサンは続けた。『レッド、東の非常口から入れ。俺が窓側から音を出して引きつける』
『どうやって』
『石を投げる』
数秒後、窓に何かが当たる音がした。
銃声が来た。窓に向かって撃っていた。
『今だ』とイーサンが言った。
レッドが動いた。
銃声が複数来た。
それから一瞬、静かになった。
『一人』とイーサンが言った。
また動く音が来た。
銃声が来た。同時に、レッドの声が短く来た。
『っ、』
無線が一瞬だけ乱れた。
イーサンの声が来た。即座だった。
『レッド、伏せろ』
銃声が一発来た。
『取った』イーサンが言った。『残り一、奥に逃げた』
『追う』レッドが言った。息が上がっていた。『俺が先に行く』
最後の銃声が来た。
倉庫内部が静かになった。
南扉が開いた。
「二人出た。距離870、風が戻った、秒速2.2。先読み0.9」
引いた。
一人倒れた。
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。次弾を送り込んだ。
「もう一人、止まった」カイが言った。「伏せた」
スコープの中で人間が這っていた。低く、速く動いていた。倉庫の角に向かっていた。
途中で止まった。
進行方向が変わった。
「待て」
男が伏せたまま、何かを持ち上げた。
カイの声が低くなった。
「光学機器だ」
向いていた。
こちらだった。
カイの手がリヴァのプレートキャリアを掴んだ。
引いた。
横滑りした。岩盤の出っ張りに背中がついた。カイの体が半分、リヴァの前に来た。
直後、岩盤の縁が弾けた。
乾いた破片が飛んだ。
リヴァは息を吸った。
吸ったまま、少し止まった。
今のが自分に向けられた一発だった、という認識が遅れて来た。
距離870。
わかっていても、体が一拍遅れた。
「構えろ」
リヴァが構えた。
「距離870。先読み1.5。風、変わらない」
スコープの中で、人間が倉庫の角へ向かっていた。
「今だ」
引いた。
倉庫の角の手前で止まった。
カイが一秒だけ黙った。
「よし」
リヴァはスコープから目を離さなかった。
さっきの一拍のせいだと、自分だけが知っていた。
カイには言わなかった。
無線でレッドの声が来た。
『制圧完了。端末と書類、確認する』
「お願いします」アルノが言った。
少し間があった。
『……書類に何かある。記号みたいなやつ』
「読み上げてください」
レッドが読み上げた。
アルノが一瞬だけ黙った。
「記録します」
それ以上触れなかった。
撤収の合図が来た。
リヴァはバイポッドを折った。
手が震えていた。
気づかなかったふりをした。ボルトを引いた。チャンバーを確認した。ケースを開けた。
銃を収めようとした。
手が、うまく動かなかった。
肩も、じわじわと来ていた。反動が遅れて届いていた。撃っている間は気にならなかった。終わってから来た。
カイの手が来た。
リヴァの手の上に、ただ重ねた。押さえた。力は入っていなかった。ただ、そこにあった。
震えが、少しだけ収まった。
「俺がやる」
「自分で」
「わかってる」カイは手を離さなかった。「それでも俺がやる」
リヴァは手を離した。
カイが銃をケースに収めた。ラッチを閉めた。立ち上がった。ケースを左肩に担いだ。自分のHK416と合わせて、両肩に一丁ずつだった。それでも動き方が変わらなかった。
岩盤の縁に来た。
降りる前に、リヴァを見た。
月明かりの中だった。
顔色を見た。手の震え、目の焦点。一秒で見た。
「先に降りる」
カイが岩盤を降りた。重い荷物を両肩に持ったまま、音がしなかった。
地面に着いた。
振り返った。
手を上げた。
リヴァの足が着地する前に、腰を支えていた。
着地した。
赤土が足の裏に来た。まだ熱かった。
カイの手が腰から離れた。
離れる前に、一瞬だけ力が入った。
確認していた。
レッドが倉庫から出てきた。
右腕を押さえていた。
イーサンがその後ろから出てきた。レッドの右側に並んだ。さりげなかった。意図しているのかどうかわからない立ち方だった。
「レッド」リヴァは言った。
「かすっただけだ」レッドは言った。笑っていた。「お前こそ、顔色が悪い」
「集中、してたから」
「そうか」
イーサンがレッドの腕を一度だけ見た。
何も言わなかった。
レッドがイーサンを横目で見た。
「助かった」小声で言った。
イーサンは答えなかった。
前を向いたまま歩き出した。
レッドが小さく笑った。
イーサンが横を通り過ぎた。
リヴァの肩に、一瞬だけ手が触れた。
止まらなかった。
通り過ぎながら、触れた。
イーサンが振り返らずに言った。
「よく撃った」
それだけだった。
テキサスの夜の風が、低く流れていった。
赤土の匂いがした。
硝煙が混じっていた。
無線でユキナガの声が来た。
『全部見えてた』
少し間があった。
『お疲れ』
"Everybody Wants To Rule The World" / Lorde




