全員分のコーヒー
ログハウスに戻ったのは、午前三時半を過ぎた頃だった。
砂埃が体についたままだった。赤土の匂いがした。硝煙が髪に残っていた。
ドアを開けた瞬間、ヴィクトルが立った。
全員を見た。
レッドの右腕で視線が止まり、リヴァの顔で止まった。
「…全員いるな」
息を吐いた。
「心配症だな」レッドが笑った。
ヴィクトルが座って、煙草を出した。
「回収物の確認を後でお願いします」
「わかった」ヴィクトルは端末を引き寄せた。「今夜中にやる」
「助かります」
イーサンがレッドの隣に来た。
「見せろ」
「えー、いいって…大したことない」
救急キットを引き寄せた。消毒液を取った。ガーゼを強く当てた。
「痛むか」
「いて。かすり傷だよ、大丈夫だ」
テープで固定した。
「相変わらず優しくねえな」
イーサンは何も言わなかった。
「女にはあんなに丁寧なくせに」
イーサンがテープを強く引いた。
「痛ててて」
「かすり傷だろ」
「馬鹿」
イーサンがキットを閉じた。
レッドが固定された右腕を一度動かした。
それから、リヴァを見た。
「助かったよ。お前が外を止めてくれたから、俺たちは中で動けた。よくやった」
「……うん」
リヴァの指が、テーブルの縁から離れた。
椅子を引いた。
「どうした?」レッドが言った。
「……」
リヴァが足早にトイレに向かった。
カイが立った。
イーサンとレッドが顔を見合わせた。
しばらくして、リヴァが戻ってきた。
カイがドアの手前に立っていた。
「大丈夫か」
「……ちょっと気持ち悪かった」
カイがリヴァの顔を見た。
リヴァを先に歩かせて、自分がすぐ後ろについた。
テーブルに戻った。
イーサンがキッチンへ行って、冷蔵庫からスポーツドリンクを持って戻ってきた。
「飲め」
「…ありがとう」
「アドレナリンが切れた。初陣に多い」
「……初陣じゃない」
「能力を使わなかった。初陣だ」
リヴァが一口飲んだ。
ボトルをテーブルに戻そうとした。
体が傾いた。
イーサンがボトルを取った。
「横になった方がいい」
「大丈夫」
イーサンが屈んだ。
背中と膝の裏に腕が入った。そのまま持ち上げた。
「自分で、歩ける」
カイが立ち上がった。
「返せ」
「お前は座れ」イーサンが言った。「お前も呼吸が戻ってない」
カイが止まった。
イーサンがソファまで歩き、リヴァを下ろした。クッションを引いた。
リヴァが息を吸った。
半分吐いて、止まった。
その様子をイーサンが見た。
「意識的に呼吸できてればいい」
それからイーサンがカイを見た。
「お前も飲め。顔色が悪い」
カイはソファの前に来て、床に座った。
イーサンが水をカイの横に置いた。
その時、キッチンでレッドが引き出しを開けた。
その音に反応して、カイの肩が動いた。
一拍あった。
カイが水を取って、一口飲んだ。
ヴィクトルが端末を引き寄せた。
イーサンが手帳を開いた。鉛筆の音がした。
レッドがLucky Strikeに火をつけた。
リヴァが目を閉じた。
息を吸った。
靴底から落ちた赤土が、床に残っていた。
テキサス拠点 午前九時三十分。
ログハウスのキッチンに、リヴァがいた。
カイはまだ起きてこなかった。
冷蔵庫を開けた。豆があった。グラインダーがあった。フィルターがあった。全部、レッドのものだった。
挽いた。
大きな音がした。
リヴァの肩が跳ねた。
自分で気づいて、息を吐いた。
廊下で気配が止まった。
イーサンだった。ドア口から顔を出した。トレーニング終わりだった。汗をかいていて、首にタオルをかけている。
「早いな」
「コーヒーいれてるの」
リヴァのもとに近づいた。
右手でリヴァの顎を持ち上げた。
顔を右へ向けた。左へ戻した。
「………」
イーサンは目を細めて、リヴァを見た。
指が顎の下に残っていた。
「自分のか」
「みんなの」
イーサンは少し間を置いた。
胸元が、一定の間隔で上下していた。
イーサンは指を外した。
「……何人分だ」
「数えてた。六人」
イーサンが頷く。
次にリヴァの右手を取った。指先の温度を確認する。
「反対も出せ」
リヴァが左手を出す。大きな手で指先を包まれた。
彼女が手を見ていると、イーサンがリヴァの耳の少し離れた位置で小さく指を鳴らした。
リヴァは驚いてそちらを見る。
反応速度が戻っていた。
「よし」
イーサンが離れた。
椅子を引いた。座ろうとしたが、すぐに椅子を戻した。
「シャワー浴びてくる」急いだ動きだった。「すぐ戻る」
「ゆっくり浴びてきて」
リヴァは笑った。
九時三十八分。
レッドが外から入ってきた。BBQの仕込みをしていたらしく、手に炭の匂いがついていた。
「おう、早いな」
「コーヒー作ってた」
「全員分か?」レッドはグラインダーの豆くずを見た。「あ。俺のやつか」
「勝手に使った」
「いい。むしろ使え」レッドはカウンターに寄りかかった。「体調は、どうだ」
「問題ない」
「ちょっとは寝れたか」
リヴァはフィルターを折りながら言った。
「…ちょっとだけ」
レッドは少し笑った。Tシャツから包帯が見えた。
「レッドも、大丈夫?」
「俺はもう完治。イーサンが怒るから包帯巻いてるだけだ」
レッドは煙草に火をつけた。一口吸った。
「今夜、BBQだ。食えるか」
「食べる」
「昨日より顔色はいい」
「うん」
「イーサンが心配しすぎて笑えた」
シャワーを浴びてきたイーサンがちょうど入ってくる。横から言った。
「笑えるような話ではない」
レッドは無言で、親指でイーサンを指した。リヴァが少し笑った。
コーヒーの香りが広がった。
九時五十分。
カイが入ってきた。
キッチンを見た。
リヴァを見た。
コーヒーメーカーを見た。
またリヴァを見た。
「何をしている」
「コーヒー」
「俺が入れる」
「もう入れた」
カイはリヴァの顔を見た。顔色と、目の焦点を確認した。
「熱湯、触ったか」
「触ってない」
カイはリヴァの手を取って、指先を裏返した。
「大丈夫だって」
カイはまだ手を持っていた。
レッドが低く笑った。
「コーヒー淹れるだけで火傷は過保護だろ」
レッドはイーサンを見た。
イーサンは何も言わなかったが、口の端が少し動いた。
カイがコーヒーを受け取った。
一口飲んだ。
「……うまいな」
「カイの真似した」
カイはマグカップを持って、前を向いた。
テーブルの端で端末が鳴った。ユキナガだった。
「お。オーバーワーク君だ」
レッドが出て、そのままキッチンの棚に立てかけた。
十時三十分ちょうど。
ドアが開いた。
アルノだった。
グレースーツだった。しかし、ネクタイが少し曲がっていた。
「おはようございます」
「おはよう。コーヒー、あるよ」リヴァが言った。
「……ありがとうございます」
アルノはマグカップを受け取った。
一口飲んだ。
少し間があった。
アルノが眼鏡をずれた位置のまま押し上げた。
レッドが何か言おうとしたが、止まった。
アルノは椅子を引いた。座った。もう一口飲んだ。
「もしかして徹夜?」リヴァは言った。
「資料確認をしていました。ヴィクトルと」
アルノは三口目を飲んだ。
「……今夜の…BBQまでには終わらせます」
「休んで」
「仕事が」
「BBQまでには休んで」
アルノは少し間を置いた。
「……考えます」
「考えるじゃなくて休んで」
「……わかりました」
レッドが低く笑った。
十時四十一分。
共用スペースのソファで、物音がした。
全員がそちらを見た。ヴィクトルがいた。
ソファで眠っていた。
起き上がる前に、先に無意識に人数を数えていた。
全員がいた。短く息を吐く。
全員の視線を感じ、ヴィクトルは固まった。
「……おはよう」
「おはよう」リヴァは言った。「コーヒー、いる?」
「ああ」
リヴァがマグカップを持ってソファに向かった。
ヴィクトルが受け取った。
「ヴィクトルが前入れてくれたやつも、またのみたい」
「覚えてたのか」
「うん」
ヴィクトルはマグカップを見た。
一口飲んだ。
全員がキッチンに集まった。
コーヒーが全員の手にあった。
テキサスの朝が、ログハウスの中にあった。
レッドが言った。
「今夜、BBQだ。腹を空かせておけ」
『いいなー何時から』ユキナガの声が端末から来た。
「六時だ」
『俺も混ぜてよぅ』
「お前はそこにいろ」
『ひどい。できたら肉送って』
「検疫にひっかかりますよ。肉は」
『ヴィクトル、なんとかなんない?』
「面倒くさい」ヴィクトルが言った。
『えー』
テーブルの空気が少し緩んだ。
『カイ、リヴァ今どんな顔してる?』
カイが少し間を置いた。
「普通だ」リヴァが代わりに言った。カイの真似して低く言った。
『似てねえ』ユキナガがしばらく笑っていた。
少し間があった。
笑い声が静まった。
アルノがマグカップをテーブルに置いた。
リヴァを見た。
「昨夜、話せなかった件があります」
「うん」
「今、聞けますか」
テーブルが静かになった。
カイが前を向いた。
レッドが煙草を止めた。
「聞く」リヴァは言った。
「回収した書類に記号がありました」アルノは端末を出した。「調べた結果、Valerian Resource Groupの内部識別コードと一致しています」
「VRG……レオンハルトの会社」
「そうです」アルノは一拍置いた。「そしてそのコードが、別の記録にも出てきます。バチカン市国の記録と、同じコードです」
つないでる無線から、ユキナガが煙草のカプセルを潰す硬い音がした。
リヴァは少しの間、アルノを見た。
「バチカン市国…イタリアのローマにあるとこ?」
「接点がある、という段階です。確定ではない」
「そこに、私の手掛かりがあるの」
「……可能性は上がりました」
リヴァはマグカップを両手で持った。
「わかった」言った。
アルノは一拍間を置いた。
「……まだ調査中です。続きは日本で話します」
「うん」
テキサスの朝の光がテーブルに落ちていた。
コーヒーはまだ温かかった。




