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チリミートとトルティーヤ

 朝、七時前だった。


 ログハウスのキッチンに誰もいなかった。


 コーヒーメーカーの電源を入れた。豆を挽く音が静かな朝に響いた。カップを一つ出した。


 窓の外がまだ薄かった。テキサスの朝は光が早い。地平線の端が白くなっていた。


 端末を手に持ったまま、少しの間、画面を見ていた。


 東京は夜の九時だった。


 ユキナガなら起きている。


 発信した。


 二回目のコールで繋がった。早かった。


「……よ」


 声が来た。いつもの声だった。軽い。眠そうではなかった。


「起きてた?」


「ちょうど作業終わったとこ」キーボードの音がした。それから、少し止まった。「アメリカ、どう」


「がんばってる」


 少しの間があった。


 キーボードの音が、止まっていた。


「……そっか」ユキナガは言った。短かった。


 それ以上、踏み込んでこなかった。聞きたいことがあるのに、飲み込んだ間だった。


「飯は?食べれてる?」


「うん。ちょっと日本食は恋しいけど」


「そっか」少しの間があった。「コーヒーだけで済ませちゃだめだよ」


「……今飲んでる」


「飯食え」


「…わかったよ」


 少しの間があった。


「……昨日、カズマから電話あったよ」リヴァが言った。


「そうなんだ」白々しかった。


「あんまりいじめちゃダメだよ」


「あいつなんか言ってた?」


「スマホ使えないって愚痴ってた」


「……まあそうだろうね」ため息が来た。「あんまりあいつの雰囲気に飲まれないように。何かあったら連絡して。時差気にしなくていいから」


「わかった」


 少しの間があった。


「ユキナガ」


「何」


「……やっぱりなんでもない」


「……」


 ユキナガは、すぐに返さなかった。


 言葉を選んでいる間だった。何か言いかけて、やめた。


「……まあ、無理すんなとは言わないけどさ」ユキナガは言った。「待ってるから。こっちで」


 リヴァは何も言わなかった。


 間があった。


「あ、そうだ」ユキナガが声のトーンを変えた。意図的に変えた。「オラヴルがめちゃくちゃ心配してた。電話してやって」


「えー」


「えーって」


「体調確認が細かすぎるんだもん」リヴァは言った。「水いつ飲んだとか、睡眠何時間とか、全部聞いてくる。めんどくさい」


 ユキナガが少し笑った。


「でもあの人、自分からは電話しないからさ」


「…気が向いたら」


「気が向かなくてもしてあげてよ」


「善処する」


「善処て」


 静かになった。


「声が聞けたから、平気」リヴァは言った。


 キーボードの音が、また止まった。


「……そか」ユキナガは言った。「帰ってきたら作るね。約束のやつ」


「うん」


「飯、食えよ」


「わかった」


 通話が切れた。


 コーヒーを一口飲んだ。温かかった。


 ユキナガの声が、まだ少し耳に残っていた。








 リヴァはログハウスのテーブルでチリミートのトルティーヤを食べていた。


 ヴィクトルお手製の昼食だった。


 無言で作って、無言でテーブルに置いていた。


 全員が、それとなくリヴァを見ていた。


 昨夜のことも、砂利の上のことも、誰も口にしなかった。ただ、リヴァが一口食べるたびに、空気が少しずつ緩んだ。


「おいし」リヴァは言った。


 ヴィクトルが窓を向いた。


「言っただろ。俺がやる側だって」


 声がいつもより低かった。


 カイがリヴァの隣に座っていた。座ったまま、リヴァの皿を一度見た。量を確認する目だった。それから、自分の水をリヴァの前に置いた。


「飲め」


「まだある」


「冷たいうちに飲め」


 リヴァはカイを見た。カイは前を向いていた。それ以上は言わなかった。


 ヴィクトルがそれを横目で見て、少しだけ口角を上げた。


「過保護だな」


「…うるさい」カイが言った。否定しなかった。


 イーサンがコーヒーを一口飲もうとして、やめた。リヴァはそれを見ていた。


 口の端をけがしていた。



「イーサン、それどうしたの」


 イーサンが固まった。それから、視線を落とした。


「ヴィクトルに殴られた」


「え?」


「冗談だ」イーサンが言った。


 リヴァはヴィクトルを見た。窓の外を向いていた。


「いいから食え。リヴァ」レッドが一つとって、食べた。



 リヴァはトルティーヤをもう一口食べた。


「これ何味なの?」


「チリとクミンだ……今度、教えてやる」


「うん」


 カイがヴィクトルを見た。ヴィクトルはリヴァを見ていた。カイは視線を戻して、リヴァの皿にチリミートを少し足した。


「食え」


「カイ、多い」


「残せばいい」


 残す前提で盛らないでほしかった。


 でも言わなかった。


 窓の外で、テキサスの昼の光が白く落ちていた。

"Warm on a Cold Night" / Honne

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