「今」
一生推敲している
ダラスから南西に車で1時間40分。
舗装路が終わる場所がある。
標識はない。ガードレールもない。アスファルトが唐突に途切れて、赤土の地面になる。それだけだ。
その先をさらに20分走ると、倉庫がある。
平屋だった。金属の外壁が夕陽を反射して、遠くからでも光って見える。周囲に何もない。木1本ない。建物と地面と空だけがある。
どこまでも平らだった。
地平線が丸く見える。地球が球体だとわかる種類の平らさだった。
夜でも地面が熱い。昼間に焼かれた赤土が、日が落ちてから何時間経っても熱を手放さない。腹這いになると、その熱が体の前面から入ってくる。
風が低く流れていた。地面すれすれを走る風だった。砂埃を連れてくる。スコープのレンズに積もる。拭いても拭いても積もる。
狙撃ポジションは北東、800メートル先の岩盤の出っ張りだった。高さが3メートル程度の自然の隆起で、テキサスの平原にしては珍しい地形だった。
それだけしかなかった。
遮蔽物は、それだけだった。
倉庫の外周に赤外線センサーが5箇所。間隔が広すぎた。意図的に広くしてある。侵入できる、と思わせる配置だった。
見張りが2人、外にいた。
2人だけだった。
少なすぎた。
夜の10時だった。
リヴァとカイは岩盤の上にいた。
腹這いで、並んでいた。
赤土が体の前面に熱を送ってきた。昼間の熱がまだ残っていた。夜なのに、地面が生きているみたいだった。
リヴァはAXMCを展開した。バイポッドの脚を岩盤に押しつけた。スコープのアイピースに目を沿わせた。
倉庫が見えた。
金属の外壁が、月明かりを鈍く反射していた。見張りが2人、外周をゆっくり歩いていた。
「830」とカイが言った。スポッティングスコープを覗いたまま。「昨日の想定訓練より10メートル遠い」
「わかった」
「風は南南西、秒速2.1。安定してる」
「うん」
イーサンの声が無線に来た。
『南側ポジション、完了。視界良好』
「了解」とアルノが返した。
レッドの声が来た。
『侵入ルート確認した。センサーの間隔、やっぱり広すぎる』
「わかっています」
『待ち構えてる可能性、まだあるか』
「あります」
『……まあ、そうだよな』レッドが短く息を吐いた。
無線にノイズが入った。
それから、ユキナガの声が来た。
『聞こえる?』
「聞こえてる」とリヴァは言った。
『今、東京は午後1時。いい天気。昼飯食いながら見てる』
「のんきだね」
『のんきじゃないよ』声が少し変わった。『全部見てるから。ドローンは飛ばせないけど、衛星データは取れてる。倉庫の熱源、今のところ内部に…10くらいいそう。外は2』
「多い」とカイが言った。
『気をつけて』
「ユキナガ」とリヴァは言った。
『何』
「何食べてるの」
『……蒙古タンメンのカップ麺』
「辛そう」
『帰ってきたらもっといいもの作るから』ユキナガは少しだけ笑った気配がした。『無線、ずっと繋いでおくから。何かあったらすぐ言って』
「わかった」
アルノの声が来た。
「全員確認します。Sniper」
「ポジション完了」
「Spotter」
「完了」カイの声。
「Overwatch」
『完了』イーサンの声。
「Entry」
『準備できてる』レッドの声。
「Control、聞こえますか」
『聞こえてる』とユキナガの声が来た。
「では」アルノが一拍置いた。「開始します」
レッドが動き始めた気配があった。
リヴァはスコープを覗いた。
倉庫の外壁が見えた。見張りが2人歩いていた。
空気を見た。
風が通っていた。
確定しなかった。
カイが横で静かに呼吸していた。
テキサスの夜が、静かに続いていた。
レッドが動き出してから、3分が経っていた。
リヴァはスコープを覗いたまま待っていた。
見張りの2人が外周を歩いていた。ルーティンだった。同じルートを同じ速度で回っていた。
「東側の見張り、10秒後に角を曲がる」とカイが言った。
「見えてる」
「レッドの侵入タイミングはその後だ」
「わかった」
無線でレッドの息が聞こえた。動いている。
見張りが角を曲がった。
レッドが動いた気配がした。
「侵入した」とユキナガが言った。衛星データを見ていた。「今のところ反応なし」
「カイ」とリヴァは言った。
「ああ」
「静かだね」
「そうだな」
カイがスポッティングスコープから目を離さずに言った。
「外の見張りの動き方が変わった」
「どう変わった」
「ルーティンじゃなくなった。止まる回数が増えた」
リヴァはスコープを動かした。東側の見張りを探した。見つけた。確かに止まっていた。何かを聞いているような立ち方だった。
無線でレッドの声が来た。
『内部確認。人数が多い。12以上』
「把握しました」とアルノが返した。「リヴァ、カイ、外周を見ていてください」
少し間があった。
『内部、動いてる』とレッドが続けた。『気づいてる。外に追い出そうとしてるかもしれない』
「わかりました」とアルノが言った。「外に出てきます。準備してください」
「準備できてる」とリヴァは言った。
カイがスポッティングスコープから目を離さなかった。
5分が経った。
静かだった。
静かすぎた。
イーサンの声が無線に来た。
『南側から見えてる。倉庫の屋根、熱源が動いた』
「屋根ですか」とアルノが言った。
『内部の熱が屋根に伝わってる。人間が動いた時の揺れ方だ。2人、東に移動した』
「レッドに伝えてください」
『レッド』とイーサンが続けた。『東扉の内側、扉の真後ろに1人立ってる。扉が開いた瞬間に撃てる位置だ』
「レッド、聞こえましたか」
『聞こえた』レッドの声が来た。低かった。『東扉は使わない。別のルートを探す』
『非常口が南東にある』とイーサンが言った。『センサーの死角だ』
『見えた。そっちから入る』
またイーサンの声が来た。
『降りる』
「どうぞ」とアルノが言った。
それだけだった。
「東扉に動き。2人出てくる」
カイの声に、イーサンの声が重なった。
『出る。罠じゃない、追い出されてる。撃っていい』
リヴァはスコープの中に捉えた。
2人。武装している。外に散開しようとしている。
「距離820」とカイが言った。低かった。「風、南南西、秒速2.1。横流れ補正0.8、弾道降下4.2。右から先に取れ」
吸った。
半分吐いた。
止めた。
「今」
引いた。
右が倒れた。
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。岩盤に当たって乾いた音がした。次弾を送り込んだ。
「左、北に動いた」カイの声が来た。「距離840、先読み1.1。風が一瞬止まる。待て」
構えた。スコープの中で人間が動いていた。
待った。
岩盤の熱が腹から来た。
風が凪いだ。
「今」
引いた。
左が止まった。
カイが短く息を吐いた。それだけだった。
無線が入った。
『レッド、北扉から3人出た』レッドだった。『こっちは対処できない』
「リヴァ」とアルノが言った。「北扉を見てください」
「見えてる」とリヴァは言った。
スコープを北に振った。3人が外に出てきた。散開しようとしていた。
「北扉、3人」とカイが言った。即座に数字が来た。「距離860。風同じ。真ん中から取れ。左右が反応する前に中央を止める」
「わかった」
「肩」
確認した。固まっていた。落とした。
「そこだ」カイが言った。「撃て」
引いた。
真ん中が倒れた。
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。次弾を送り込んだ。まだスコープから目を離さなかった。
「左、止まった」とカイが言った。「迷ってる。今だ」
引いた。
左が倒れた。
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。
「右が走った。北西、距離890、先読み1.3」
まだ構えが定まっていなかった。次弾を送り込んだ。構えた。
走っている人間がスコープの中にいた。速かった。揺れていた。
外れるかもしれない、という感覚が来た。
「風が変わる」とカイが言った。「待て」
待てなかった。
引いた。
肩をかすめた。人間が崩れた。倒れなかった。膝をついた。また立とうとした。
「もう1発」カイが即座に言った。「距離変わらない。今だ」
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。次弾を送り込んだ。
構えた。
引いた。
止まった。
カイが1秒黙った。
「……待てと言った」
「わかってる」
「次は待て」
「わかってる」
リヴァは息を吐いた。
無線でイーサンの声が来た。
『合流した。内部7残ってる、うち2人南から出る』
『こっちが5抑える』レッドが続けた。息が上がっていた。『東通路に2人。イーサン、頼む』
『見えてる』
銃声が来た。無線越しだった。1発だった。
静かになった。
『1人』とイーサンが言った。「もう1人、西に回った」
『俺が取る』レッドが言った。
動く音が来た。走っていた。
銃声が2発来た。
『取った』
また静かになった。
『残り3、倉庫の奥に籠もった』とレッドが言った。『アルノ。交渉するか、押すか』
「押してください」とアルノが言った。「時間がありません」
『了解。イーサン、行くぞ』
『待て』とイーサンが言った。
少し間があった。
『北側の窓。カーテンが動いた。中から見ている』
「把握しました」とアルノが言った。
『扉から入ると正面から撃たれる』イーサンは続けた。『レッド、東の非常口から入れ。俺が窓側から音を出して引きつける』
『……お前、窓に近づくのか』
『近づかない。音だけでいい』
『どうやって』
『石を投げる』
少し間があった。
『……シンプルだな』
『シンプルが1番確実だ』
動く音が来た。
それから、何かが金属に当たる音が来た。窓だった。
内部で声が上がった。
銃声が来た。窓に向かって撃っていた。
『今だ』とイーサンが言った。
レッドが動いた。
銃声が複数来た。
それから一瞬、静かになった。
『1人』とイーサンが言った。
また動く音が来た。
銃声が来た。同時に、レッドの声が短く来た。
『っ、』
無線が一瞬だけ乱れた。
イーサンの声が来た。即座だった。
『レッド、伏せろ』
銃声が1発来た。
『取った』イーサンが言った。『残り1、奥に逃げた』
『追う』レッドが言った。息が上がっていた。
『俺が先に行く』
『お前、腕は』
『動く』
最後の銃声が来た。
完全に静かになった。
リヴァはスコープを保ちながら外周を見続けた。
また扉が開いた。
南扉が開いた。
「南扉」とカイが言った。「2人出た。距離870、風が戻った、秒速2.2。先読み0.9」
引いた。
1人倒れた。
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。次弾を送り込んだ。
「もう1人、止まった」とカイが言った。「伏せた。遮蔽を取ろうとしてる」
スコープの中で人間が這っていた。低く、速く動いていた。倉庫の角に向かっていた。
その時だった。
カイの手がリヴァのプレートキャリアを掴んだ。
引いた。
横滑りした。岩盤の出っ張りに背中がついた。カイの体が半分、リヴァの前に来た。
「伏せてる方向が変わった」カイが言った。声が変わっていなかった。「一瞬、こっちを向いた」
リヴァは息を吸った。
吸ったまま、少し止まった。
今のが攻撃の意図だったとしたら、という計算が頭を走った。距離870、アサルトライフルの有効射程外、届かない、わかっていた。
わかっていても、体が一拍遅れた。
「角に戻った」カイが続けた。「構えろ」
リヴァが構えた。
手が、ほんの少し速く動いていた。
ボルトの感触が手の中にあった。装填は完了している。
角に入ったら見えなくなる。あと3秒だった。
「今だ」とカイが言った。
引いた。
肩をかすめた。人間の動きが一瞬乱れた。止まらなかった。また角に向かって動き始めた。
「動いてる」カイが言った。「距離変わらない。先読み足りなかった。1.5。撃て」
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。次弾を送り込んだ。
構えた。
さっきより前を狙った。
引いた。
倉庫の角の手前で止まった。
カイが1秒だけ黙った。
「先読みだった」カイが言った。「風じゃない」
「わかった」
「次は1.5から入れ」
「わかった」
リヴァはスコープから目を離さなかった。
さっきの一拍のせいだと、自分だけが知っていた。
カイには言わなかった。
カイが1秒だけ黙った。
「……よく取った」と彼は言った。
低かった。静かだった。
リヴァは息を吐いた。
無線でレッドの声が来た。
『制圧完了。端末と書類、確認する』
「お願いします」とアルノが言った。
少し間があった。
『……書類に何かある。記号みたいなやつ』
「読み上げてください」
レッドが読み上げた。
アルノが一瞬だけ黙った。
「記録します」
それ以上触れなかった。
撤収の合図が来た。
リヴァはバイポッドを折った。
手が震えていた。
気づかなかったふりをした。ボルトを引いた。チャンバーを確認した。ケースを開けた。
銃を収めようとした。
手が、うまく動かなかった。
肩も、じわじわと来ていた。反動が遅れて届いていた。撃っている間は気にならなかった。終わってから来た。
カイの手が来た。
リヴァの手の上に、ただ重ねた。押さえた。力は入っていなかった。ただ、そこにあった。
震えが、少しだけ収まった。
「俺がやる」
「自分で」
「わかってる」カイは手を離さなかった。「それでも俺がやる」
リヴァは手を離した。
カイが銃をケースに収めた。ラッチを閉めた。立ち上がった。ケースを左肩に担いだ。自分のHK416と合わせて、両肩に1丁ずつだった。それでも動き方が変わらなかった。
岩盤の縁に来た。
降りる前に、リヴァを見た。
月明かりの中だった。
何も言わなかった。
ただ、見た。
顔色を見た。手の震えを見た。目の焦点を見た。全部を、1秒で確認した。
「先に降りる」
カイが岩盤を降りた。音がしなかった。重い荷物を両肩に持ったまま、音がしなかった。
地面に着いた。
振り返った。
手を上げた。
リヴァの足が着地する前に、腰を支えていた。
着地した。
赤土が足の裏に来た。まだ熱かった。
カイの手が腰から離れた。
離れる前に、一瞬だけ力が入った。
確認していた。
ここにいるか、と確認していた。
アルノの声が来た。
「全員、撤収してください。ログハウスに戻ります」
レッドが倉庫から出てきた。
右腕を押さえていた。
イーサンがその後ろから出てきた。レッドの右側に並んだ。さりげなかった。意図しているのかどうかわからない立ち方だった。
「レッド」とリヴァは言った。
「かすっただけだ」とレッドは言った。笑っていた。「お前こそ、顔色が悪い」
「集中してたから」
「そうか」
イーサンがレッドの腕を一度だけ見た。
何も言わなかった。
レッドがイーサンを横目で見た。
「助かった」と小声で言った。
イーサンは答えなかった。
前を向いたまま歩き出した。
レッドが小さく笑った。
イーサンが横を通り過ぎた。
リヴァの肩に、一瞬だけ手が触れた。
止まらなかった。
通り過ぎながら、触れた。
イーサンが振り返らずに言った。
「よく撃った」
それだけだった。
テキサスの夜の風が、低く流れていった。
赤土の匂いがした。
硝煙が混じっていた。
無線でユキナガの声が来た。
『全部見えてた』
少し間があった。
『お疲れ』




