用がなくてもいい
リヴァが部屋に戻ってから、十五分が経っていた。ログハウスの共用スペースには四人が残り、窓の外では風に木が鳴っていた。
レッドがバーボンの小瓶を四つ持ってきて、テーブルに置いた。誰も何も言わないまましばらく過ぎ、イーサンが先に口を開いた。
「出口で何があった」
カイがテーブルを見たまま言った。
「固まった。数秒だ」
「他は」
「中でも一度あった。男がジッポを触った時」
「それは、事前情報にあった『軽微なトラウマ反応』か」
アルノが頷いた。
「原因は」イーサンが言った。
「不明です」アルノは言った。「開閉音そのものなのか、ジッポという物品なのか、それ以外の条件があるのかも確認できていません」
「今日のは」
カイが答えた。
「音のあと、呼吸が浅くなった。視線が止まった」
イーサンは何も言わなかった。
「男に掴まれた時も、反応が遅かった」
レッドの顔から、少しだけ表情が消えた。
「あの男が座るまでは普通だったよな」レッドが言った。「悪い。対処が遅れた」
イーサンが鉛筆を取った。
手帳に短く書いた。
「出口では」
「ジッポはない」カイが言った。「しばらくして、呼びかけには反応した」
「何秒で」
「三、四秒」
「原因として考えられるものは、もう一つあります」アルノが言った。
レッドがバーボンを開けた。
「バカラか」
「ええ」
イーサンが顔を上げた。
「何回賭けた」
「八回。全部当ててる」レッドが言った。
イーサンが手帳に何か書いた。鉛筆を二回、手帳に当てた。
「0.39%……これが能力の一部か」
「…そうとしか考えられません」アルノが言った。
レッドがバーボンを飲んだ。
「そんなこともできるのかよ」
「…ただ、本人は意図していなかったようですが」アルノが言った。
「俺ならギャンブラーとして生きるな」
カイがレッドを睨んだ。レッドは肩をすくめた。
イーサンは手帳を見た。
「出口での数秒は、能力かどうかは別だ」
イーサンは窓の外に目を向け、風で動く木の枝を見た。
「狙撃なら、本人が気づいていない負荷が後から出ることはある」
「同じことだと?」アルノがイーサンを見た。
「可能性があるだけだ」
「現時点では仮説ですね」
「ああ」
アルノが端末を手に取った。
「今夜の記録はオラヴルへ送ります」
アルノは画面を閉じた。少し沈黙があってから、レッドが言った。
「で、明日からどうする」
イーサンは手帳を閉じた。
「明日状態を見る。撃たせるかはその後だ」
「はい」アルノが言った。
「能力が使えない前提で撃たせる」
カイが視線を上げた。イーサンは言った。
「なくても成立するようにする。今のあいつは、当たることを前提に撃ってる。そこを外す」
レッドが小瓶をテーブルに置いた。
「…あの子、ただの女の子なんだよな」
一瞬、場が止まった。
「……彼女はこの組織のスナイパーです」
「…わかってるよ」レッドは言った。「ただ」
煙草に火をつけてから、続けた。
「俺らみたいに、自分で決めた道を歩んでいない気がして」
しばらく誰も話さなかった。イーサンはカイを見た。
「お前も変える」
カイは何も言わなかった。
「能力が使えない状態でも支えられるスポッターが要る。今のお前では足りない」
「ああ」カイがイーサンを見て言った。
イーサンは間を置いた。
「…戦場で、数秒間動けなくなるとしたら」
沈黙があった。
「……まずいな」レッドが言った。
イーサンが窓を見た。
「克服できなければ、戦場で死ぬ」
「イーサン」カイが目を細めた。一歩足が動いて、止まった。
レッドは椅子に深く座り、少ししてから天井を見た。
「あいつ、内心焦ってるだろうな」
「……」アルノが眼鏡を上げた。
カイはリヴァの部屋がある廊下の方向を見た。
風はまだ止んでいなかった。レッドはバーボンを一口飲んで、イーサンを見た。
「お前、あいつのこと結構マジで心配してるだろ」
イーサンは手帳を開いてから、閉じた。
「訓練対象が任務中に落ちると困る」
レッドが声を出さずに少し笑った。ウォールランプがオーク材のテーブルを照らし、窓の外ではテキサスの木が風に鳴っていた。
リヴァは目を開けた。天井には汚れが三つ、いつもと同じ位置にあった。濡れた頬に触れてから、端末を手探りで取った。
午前三時十二分。ユキナガへの発信画面を開いた。チャットは到着した日にユキナガから送られてきた猫の『がんばれ~』と書かれたスタンプで終わっていた。
オラヴルの画面に切り替えた。業務内容のやり取りしかなかった。リヴァが先週送った『了解』の二文字で終わっている。
リヴァは端末を持ったまま天井を見た。
通話のボタンは押せなかった。
端末をベッドに置いた。涙が横に伝った。
ノックが一回した。リヴァは動かず、返事もしなかった。
「入る」
返事を待たずにドアが開いた。イーサンだった。部屋の電気は消えていて、窓から月明かりが入っている。
「…なに、」リヴァは言った。
イーサンは部屋に入ると椅子を引き、ベッドから少し離れた位置に座った。リヴァは天井を見たまま言った。
「なんで来たの」
「風の音が変わった」イーサンは言った。
間があった。
「…夢、見てた」リヴァは言った。
イーサンが少し動いた気配がして、椅子が軋んだ。
「どんな」
「……わかんない」
沈黙があった。リヴァは鼻を一度啜ってから起き上がり、壁を背にうずくまって座った。
リヴァがイーサンを見た。月明かりに照らされて、イーサンの輪郭が見えた。
「……」
「能力に依存せず、撃てるようにする」
リヴァが黙った。
「このまま使い続けると、いつか任務中に落ちるかもしれない」
「落ちたら?」
「俺が困る」
イーサンは視線を逸らさなかった。
「……撃てなくなるから」
「今、俺の話をしてる」
イーサンは立ち上がって椅子を戻した。ベッドに近づき、リヴァの前にしゃがんだ。目線が同じ高さになると、リヴァはイーサンを見た。イーサンもリヴァを見ていた。
イーサンの右手が動き、リヴァの頬に掌を当てた。力はなく、ただ当てたまま動かない。目が合ったまま離れず、静かに流れ続けていた涙がイーサンの手を濡らした。
イーサンは一度、親指で涙をぬぐおうとしたが、拭いきれなかった。リヴァが顔を逸らすと手が離れ、イーサンはもう一度その頬に手を添えた。
「お前のようなのが」
そこまで言って一度目を伏せ、また視線を上げた。
「戦わなくていい世界であれば――」
言葉が途切れた。
少しの沈黙の間に、風で窓枠が揺れる音がした。
イーサンが一度下を見て、視線をリヴァに戻した。
「今は強くなれ」イーサンが言った。
掌が離れた。
イーサンは立ち上がり、背を向けてドアに向かった。
「…強くなりたい」リヴァが言った。
イーサンは止まったが、振り返らなかった。ドアノブに手をかけた。
「次に眠れない時は、呼べ」
リヴァは返事をしなかった。
「用がなくてもいい」
ドアが閉まった。リヴァは壁に背をもたせたまま、しばらく動かなかった。
”Night We We Met” / Strange Trails
”Cherry Wine” / Hozier




