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『リヴァ・アルカ ―世界を確定させるアンカーと最強たちの執着譚―』  作者: Ilir Noct
第四章「乾いた地平線 ― The Dry Horizon」

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フラッシュバック

 

 次の日。


 昨日より空が明るかった。風が安定していた。


 ジッポの音がした。


 視界が揺れた。足元を見た。砂利があった。カイの声が来た。戻った。


「戻りが速い」とイーサンが後方から言った。手帳に何かを書いた。「昨日より2秒早い」


 アルノが手元の端末を見た。


「午前はここまでにします」と彼は言った。「午後の前に休憩を取ってください」


 リヴァは立ち上がった。手の砂利を払った。


 悪くない朝だった。


 それだけはわかった。






 午後、射撃場に戻った。


 イーサンがアルノの横に立っていた。


「次の段階に進む」とイーサンは言った。


「具体的には」


「トリガーを声に出す。午前の戻りの速度から判断した。耐えられる」


 アルノが少し間を置いた。


「リヴァ」と彼は言った。「聞いていましたね」


「聞いてた」


「どうですか」


「やる」


 アルノがイーサンを見た。イーサンは手帳を見ていた。


「わかりました」とアルノは言った。「ただし、私が止めると言ったら止めます。それだけです」


「わかった」


 カイが右側に来た。ヴィクトルが外壁にもたれた。レッドが左側に立った。


 イーサンが後方に立った。


 少し間があった。


 イーサンが口を開いた。


 「”Isa”」


 来た。


 ジッポの音より速かった。準備する間がなかった。


 視界が一瞬で白くなった。


 足元を見ようとした。見えなかった。


 砂利の感触があった。膝がついていた。


「リヴァ」カイの声がした。「足元を見ろ」


 見た。砂利があった。


「右手を」


 ついた。


「声を出せ。何でもいい」


「……砂利が、冷たい」


「そうだ。そこにいる」


 白が薄くなった。戻ってきた。


 体が震えていた。


 涙が出ていた。


 拭こうとした。手が砂利についていて動かなかった。


「続ける」とリヴァは言った。


「いえ、一回休みます」とアルノが言った。


「続けたい」


「2分だけ待ってください」


 2分待った。震えが少し収まった。涙は止まらなかった。


「もう一回」


 ヴィクトルが外壁で小さく息を吐いた。


「…もうやめろ」


 誰にも聞こえないくらいの音量でつぶやいた。


 イーサンがアルノを見た。


「続行できる」と彼は言った。低い声だった。「ここで止めると次に進めなくなる」


 アルノが少しの間、リヴァを見た。


 リヴァは砂利に手をついたまま前を向いていた。涙が顎から落ちていた。止めようとしていなかった。ただ前を向いていた。


「……わかりました」とアルノは言った。


 イーサンが口を開いた。


「”Isa”」


 また来た。


 今度は、何かが違った。


 白い視界の中に、何かが滑り込んできた。


 絨毯が厚い廊下。足音がしない。夜景。煙草の煙。


 あなたが自分で飲んだんでしょう


 グレイの声だった。


 右耳に触れられた感覚が来た。実際には誰も触れていなかった。でも体が覚えていた。あの温度の低い指が。軽くて、力がなくて、それだけで体が硬直したことを。


 息が吸えなくなった。


 可哀想に。


 グレイの声が重なった。穏やかだった。憐れんでいた。


 帰る場所があるんですか、あなたに。


 その言葉が来た瞬間に、砂利に膝がついた。


 『誰も助けに来ないのに。』


 怖い、じゃなかった。怖かった、という過去形だった。あの部屋で怖かったことが、今ここで全部戻ってきた。指先の温度がなくなった感覚。体が重くなって立てなくなった感覚。床に手をついて這おうとした時の絨毯の感触。


 帰して、と思った。


 でも帰る場所がわからなかった。


 声が出なかった。


 カイの声がした。


「リヴァ」


 遠かった。


「リヴァ。俺の声が聞こえるか」


 聞こえていた。でも、グレイの声の方が近かった。


 『あなたを、ここに置いておきたい。』


 気持ち悪かった。


 でも体が動かなかった。


 震えていた。泣いていた。止められなかった。


「リヴァ」


 返せなかった。


「リヴァ。俺の声が聞こえるか」


 聞こえていた。でも返せなかった。


 体が砂利に崩れた。


 カイが来た。


 腕が来た。肩に回った。引き寄せられた。


 カイの胸に頭がついた。


 震えていた。声が出なかった。泣いていた。止められなかった。


 カイがアルノを見た。


 アルノを見て、イーサンを見た。


 にらんでいた。


 言葉はなかった。それだけで全部だった。


 アルノが目を伏せた。


 イーサンは動かなかった。


 レッドがリヴァに近づいた。


「なあ」と彼は言った。声を落としていた。「終わりにしよう。今日は十分やった」


 リヴァは返さなかった。


「大丈夫だ。ステーキでも、また食いに行こう。な?」


 声が届いていなかった。


 レッドが困った顔をした。普段しない顔だった。


 ヴィクトルが外壁から体を起こした。


 リヴァを見た。カイに抱き寄せられたまま、震えているリヴァを見た。


 小さく息を吐いた。


「……可哀想すぎるだろ」


 独り言だった。誰にでもなく言った。


 アルノがリヴァを見た。


 それからカイを見た。


「カイ」


 カイはすでに動いていた。


 リヴァの膝の裏に腕を入れた。もう一方の腕を背中に回した。


 持ち上げた。


 音がしなかった。


 リヴァは抵抗しなかった。する力がなかった。カイの胸に頭がついた。震えていた。泣いていた。


 その目は何も見ていないようだった。


 カイは何も言わなかった。


 扉に向かって歩いた。


 扉が開いた。閉まった。






 砂利の上に4人が残った。


 扉が閉まった瞬間から、空気が変わっていた。


 レッドがLucky Strikeに火をつけた。


「やり方が間違っていたとは思っていない」とイーサンは言った。「昨日のデータから判断した。戻りが速かった。次の段階に進める根拠があった」


「…根拠があれば何をしてもいいのか」とヴィクトルが言った。


「根拠のない設計はただの賭けだ」


「今のは賭けじゃないのか」


「違う」


「じゃあなんだ」ヴィクトルの声が上がった。「あれも計算に入っていたのか」


「入っていなかった」


「それが問題だろ、どう見ても」


 アルノが口を開いた。


「続行を承諾したのは私です」


「知ってる」とヴィクトルはアルノを向いた。「止める立場だったのはお前だ。なぜ止めなかった」


「イーサンのデータが正確だったからです。昨日の戻りの速度から判断すれば——」


「データじゃない」ヴィクトルが遮った。「目で見ればわかった。あの子の顔を見てなかったのか」


「見ていました」


「見ていて、続けさせたのか」


 アルノが少し止まった。


「私もイーサンも、正しい判断をしようとしていた。結果として彼女は耐えられなかった。それ以上でも以下でもない」


「正しい判断をしようとしていた人間が、あの結果を出した」


「そうです」


「笑えないな」


「笑えなくて結構です」アルノは眼鏡を押し上げた。「ただ、感情論で話しても前に進まない。次にどうするかを——」


「感情論」とヴィクトルが繰り返した。声が静かになった。静かになった分、重かった。「俺が感情論を言っているように聞こえてんのか」


 アルノが止まった。


 レッドが煙草を砂利で踏み消した。


「やめろ」と彼は言った。


「レッド」


「二人とも、やめろ」レッドは四人を見た。「言い合っても戻ってこない」


 少し間があった。


「俺もあの子に何もできなかった」レッドは続けた。声が落ちていた。「ステーキの話をした。届かなかった。お前らを責める気はない」


 砂利を一度踏んだ。


「お前らはすごいよ。俺より頭がいい。データも取れるし、綿密な計画も立てられる」


「レッド」


「聞け」レッドがイーサンを見た。「いいか。一旦クールに考えよう。あの子はただの女の子なんだぞ。俺たちみたいに、死にかけながら鍛えてきたわけじゃない。」


 誰もが黙っていた。レッドが続ける。


「どう見ても、あいつは軍にいたわけじゃないだろう。どっかの悪趣味な人間に拾われて、スナイプの訓練だけをさせられて、よくわからんコマンドまで埋め込まれてる。それでも続けたいって言った。泣きながら、言ったんだ」


 誰も何も言わなかった。


「俺たちみたいに、自分で選んで積み上げた人生じゃないだろ。その上記憶もなくしてる。最初から他人から強いられていることが多すぎる」


 イーサンが、目をそらした。


「…俺たちの基準で測ってやるなよ」


 ヴィクトルが砂利を見た。


「そうだ」と彼は言った。静かだった。「あの子は俺たちじゃない」


 イーサンは動かなかった。


 アルノが眼鏡を直した。


「……リカバリーはローワンに任せます」と彼は言った。


「そうしろ」とヴィクトルは言った。言いながら、ログハウスに入っていった。レッドも後に続く。


 風が来た。砂利が動いた。


 二人は何も言わなかった。


 しばらく、そのまま立っていた。




”Oltremare” / Ludovico Einaudi

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