今、お前は死んだ
次の日。
イーサンがリヴァをフィールドへ連れ出した。
銃は持たせなかった。
「今日は撃たない」
「何するの」
「見る」
フィールドの一角を顎で示した。
「変化を記録しろ」
「何を」
「全部だ」
イーサンは何も教えなかった。ただ後ろに立っていた。
最初の一時間は書くものがあった。
人が通った。車が止まった。風が変わって草が揺れた。影の角度が動いた。書いた。
二時間目に入った頃から、変化が見えなくなった。
正確には、変化があるのかどうかがわからなくなった。
何かが動いた気がする。でも本当に動いたのか、目が疲れているだけなのか、その判断ができなかった。
ペンを持ったまま、何も書けない時間が増えた。
「集中が切れてる」
イーサンが言った。怒っていなかった。責めていなかった。ただ、事実として言った。
「今、何が見えてる」
「……何も」
「何もじゃない」イーサンがリヴァの横に来た。フィールドを見た。「あそこの木、三十分前と違う」
リヴァは見た。
「……葉が揺れてる」
「風か」
「……わからない」
「風なら他も揺れる」
リヴァは他の木を見た。揺れていなかった。
「……風じゃない」
「鳥か動物か人間かはわからない。でも何かいる。それが書けるか書けないかの差だ」イーサンは後ろに戻った。「続けろ」
リヴァはログに書いた。
木。葉の動き。風なし。原因不明。
昨日の言葉が戻ってきた。
わからないものを、当たったことにするな。
五時間目。
今度は逆だった。
何もかもが変化に見えた。
草。人。車。鳥。影。
書きすぎて、何が重要でどれが雑音なのかわからなくなった。
「止まれ」
イーサンが言った。
「今度は何だ」
「……全部変化に見える」
「そうなる」イーサンは言った。「慣れてくると次はそこで詰まる」
「どうしたら」
「優先順位をつけろ。全部は書かなくていい。人間の動きだけ書け。まず人間だけ」
リヴァはログを見た。
「……足りない気がする」
「なぜ」
「人間以外も重要な気がするから」
「そうだ」イーサンは言った。「人間だけ見ていると、人間が消えた後に何が残るかを見逃す。ただ最初は絞れ。全部拾おうとすると全部落とす」
リヴァはまた書き始めた。
日が傾いた。
フィールドの色が、鈍い橙に変わっていた。
「今、フィールドに人間は何人いる」
リヴァは見た。
「……二人」
「三人だ」
また抜けていた。
イーサンが顎で示した。
瓦礫の陰。
靴の先だけが見えていた。
「今、お前は死んだ」
リヴァは何も言わなかった。
頭の中に、三人目の位置を描いた。
瓦礫の陰。
そこから銃口が出る。
自分の喉を撃つ。
「疲労で視野が狭くなってる」イーサンは言った。「それがわかるか」
「……わかる」
「わかった上で続けるのが訓練だ」
リヴァはログに書いた。
人間、三人。
自分には二人に見えた。
一人見落とした。
「今日はここまで」
評価はなかった。
リヴァが口を開きかけた。
「次はアルノがやる」
ログハウスに戻った。
午後十一時四十五分。
リヴァはソファにいた。
アルノが端末を見ていた。テーブルの端で、静かに画面を操作していた。
イーサンがキッチンにいた。
カイは水を飲んでいた。
「アルノ」
「はい」
「監視映像の訓練、お前がやれ」
アルノが顔を上げた。端末から目を離した。
「リヴァにですか」
「ああ」
「理由を聞いても」
イーサンはコップを置いた。
「観測手順が浅い。感覚で補ってる部分が多すぎる」
アルノは少し考えた。端末をテーブルに置いた。
「…どこまで」
「異常検知まで」
廊下の方でレッドの声がした。
「うわ」
イーサンは無視した。
「睡眠削った状態でも」
「長時間固定も」
「違和感を言語化させろ。感覚に名前をつけさせろ」
アルノがメモを取っていた。ペンが動く音だけがあった。
アルノがペンを置いた。
「わかりました」
イーサンがキッチンを出た。
アルノがリヴァを見た。
「明日、朝からアルノ?」
「いえ。今からです」
「ん?」
ちょうど深夜〇時だった。
部屋の奥、モニターが六枚並んでいた。
常時映像が流れていた。外周、正面入口、裏口など、どれも似たような映像だった。
人が通る。車が通る。
なんの変哲もない映像だった。
アルノが後ろに立った。
「まずは十五分、観測してください」
十五分が経った。
「では、記録してください」
リヴァは書いた。
誰が何回通ったか。スマートフォンを操作していた人数。不自然な動きをした人物。一番警戒していたと思われる人物。その根拠。
書きながら、抜けていることがわかった。
アルノが記録を受け取った。黙って読んだ。
「……」
「東側入口、三分前から変化しています」
「……え」
「気づきませんでしたか」
責めていなかった。声色が変わらなかった。
それが逆にしんどかった。
「……何が変わったの」
答えはなかった。
リヴァは映像を巻き戻した。
人が通っていた。車が一台、減速した。男が煙草を吸っていた。
何回見ても、同じに見えた。
「……ヒントは」
言いかけた。
アルノは答えなかった。
リヴァはまた映像を見た。
人の歩幅。視線。立ち止まる位置。車の速度。煙草を持つ手。
東側入口の男が、二回目に通った時だけ、入口を見ていなかった。
代わりに、カメラを見ていた。
そこで、リヴァの手が止まった。
二度目。
今度は三十分だった。
「東側、何が変わりましたか」
「……人が、増えた気がする」
「気がする、ではなく」
「…増えた」
「何人から何人に」
答えられなかった。
アルノが少し間を置いた。右上のモニターを指す。
「三分前、ここの窓が開いたのは見ていますか」
「……」
「開いた幅は4センチ程度です」
アルノから何の感情もなかった。
「狙撃手に撃たれて、死にましたね」
「もう一度」
三十分。
今度は数えた。
数えると、別の画面が抜けた。
「東側、何人通りましたか」
「……三人」
「四人です」
「今の一名で、仲間が一人死にました」
「……」
「違和感は」
「……変な感じはした、けど」
「どこが」
「……わからない」
「リヴァ。今何時ですか」
「…朝五時くらい」
「午前二時三十分です。もう一度」
全然時間が経っていなかった。
何度か繰り返した。
一度だけアルノが止まった。
リヴァが記録を出した。アルノが受け取った。読んだ。
「……ええ。今のは良い観測です」
声が低かった。淡々としていた。
なのに嬉しかった。
今日初めて、良いと言われた。
またその一言が欲しくなった。
「今、何が変わりましたか」
「……」
「リヴァ。何が変わりましたか」
「……人が減った」
「それは十分前です」
「もう一度」
リヴァはモニターを見た。
全部が同じに見えた。
「……もうわかんない」
アルノが少し黙った。
「“見えていない”のか」アルノが静かに言った。「“見ようとしていない”のか、どちらですか」
リヴァはアルノに聞こえないように小さく唸った。
カイが一度、入口のあたりに立った。
扉は開かなかった。ガラス越しに見ていた。
「あなたは当てられます」アルノが続けた。「ですが当たる感覚に依存すると、観測が死にます。感覚は道具です。手順がなければ、感覚は暴走します」
録画が続いた。
リヴァはモニターを見ていた。
さっきまで全部同じに見えていたものが、少しだけ違って見え始めていた。
左利きの人数を数えた。立ち止まる時の癖を見た。無意識に、していた。
「今の時間は」
「午後一時、くらい」
「いいえ。午前十時四十五分です」
リヴァはモニターを見たまま、何も考えられなかった。
それでも目だけは、まだ映像を追っていた。
「…アルノも、この訓練やった?」
少し間があった。
「似たものは」アルノは言った。「ただ、少し違います」
「どう」
アルノは録画を一時停止した。
「私の場合、最初の観測訓練は三十六時間でした」
リヴァは顔を向けた。
「……ぶっ通し?」
「ええ」アルノは画面を見たまま言った。「三十六時間、監視映像を見続けます。途中から判断力が落ちます。何が異常で何が正常か、わからなくなってくる」
「お尻痛そう」
「ええ。今座っているようないい椅子ではなく、鉄のベンチでした」
今もパイプ椅子だった。お尻が痛くてたまらなかった。
「…大変そう」
「いいえ。そこから始まります」アルノは少し間を置いた。「終わった後、判断を迫られます」
「え」
「映像の中に、五人います」アルノは静かに言った。「全員を助けることはできない。どの順番で、誰を切るか。30秒で答えろと言われます」
「それが訓練」
「訓練というか、試験でもそうでした」
「正解わかんなそう」
「正解はありません」アルノは言った。「どう判断したか、その根拠を言えるかどうかが見られています。判断そのものより、判断が崩壊していないかどうかを確認されます」
リヴァは前を向いた。
「……崩壊した人はいたの」
「大半が」アルノは言った。「答えられなかった人も、泣いた人も、怒鳴った人もいました」
「アルノは」
少し間があった。
「私はこういうのが得意なので」
「……それが、アルカで指揮を執ってる理由?」
「…そうですね」
アルノが映像を見た。映像は止まっていた。
「本来なら、この程度で止めません」
アルノは一度眼鏡を外し、目頭を抑えて掛け直した。
「訓練はまず観測が崩壊するまで続けます。判断能力が落ちた状態にします」
静かだった。モニターの光だけが部屋にあった。
「……じゃあ、なんで今訓練を止めたの」
アルノが少しだけ視線を上げた。
「危機感知まで入ったので」眼鏡を押し上げた。「さっきから、あなたは違和感を先に拾い始めています。まだ言語化は遅いですが、感覚そのものは変わった」
アルノが眼鏡を押し上げた。
「イーサンの指示は、そこまでです」
「……」
「危機感知が入った後、観測者は急激に変わります。他の人間なら、ここから先で適性を見ます」
アルノが続けた。
「ですが、あなたは替えが利かない」
リヴァは少し黙った。
「さっきのこの映像、アルノには何が見えてるの?」
アルノはリヴァを見た。
「思ったより元気ですね。続けますか?」
「…」
アルノが画面に目を向けた。
「私が見ていて思ったことは」
モニターに指をさした。
「三分前、この画面の左端に赤い帽子の人物がいました」
リヴァは巻き戻した。確かにいた。一瞬だけ映って消えた。気づいていなかった。
「おそらくギャングの構成員です。中堅くらいのポジション」
「ええ……?」
「帽子の角度と、歩き方です。縄張りを意識した動きをしています。ただ威圧はしていない。上の人間がいる場所では目立たない動きをするよう訓練されている。それが中堅の動き方です」
アルノは続けた。
「その後、視線が一度だけ右の路地に向いています。次に来る人間の導線を確認しています。おそらく、もう少ししたら上のポジションの人間が来ます」
リヴァは画面を見た。
二分後、別の人物が映った。
「来ました」アルノが言った。「この人物がボスクラスです。歩き方が違います。周囲を確認していない。する必要がないと思っている」
アルノのペンが画面を指した。
「左手でコートの裾を払っています。左利きです。右側に重心をかける癖がある。腰の右側に何か携帯しているか、左側に古い怪我がある」
アルノは少し間を置いた。
「……この場合、怪我ですね。携帯しているにしては、重心をかけすぎです。警戒はします」
リヴァは少し止まった。
「…ほかにわかることってある?」
「袖口の日焼けの跡と、右肩の上がり方からすると、ゴルフでもやっている人間かもしれません。関係構築の糸口にはなりますね」アルノは画面から目を離さなかった。「それより、この人物を見てください。四分前に右の路地にいた人間です」
リヴァは目を凝らした。
「……いる」
「赤い帽子の人物と、さっき一瞬目が合っています。ここです」アルノがコマを止めた。「この二人、今夜何かをやります」
アルノは続けた。
「無力化順はボスクラス。次に右路地。三番目が中堅」
リヴァはしばらくモニターを見ていた。
「……全部見えてたの、最初から」
「今は私が見ても意味がないでしょう」
アルノが端末を閉じた。
「お疲れ様でした」
リヴァは椅子から立った。壁に手をついた。
ドアを開けた。
廊下が明るかった。
昼の光が窓から入っていた。
暗い部屋にいすぎた目には、普通の明るさが刺さった。
頭の中ではまだ、六枚の画面が動いていた。




