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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第四章「乾いた地平線 ― The Dry Horizon」

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今、お前は死んだ

 次の日、イーサンがリヴァをフィールドへ連れ出した。銃は持たせなかった。


「今日は撃たない」


「何するの」


「見る」


 イーサンはフィールドの一角を顎で示した。


「変化を記録しろ」


「何を」


「全部だ」


 イーサンは何も教えず、リヴァの後ろに立っていた。最初の一時間は書くものがあった。人が通り、車が止まり、風が変わって草が揺れた。影の角度も動き、リヴァはその変化を書き留めていった。


 二時間目に入った頃から、変化が見えなくなった。正確には、変化があるのかどうかがわからなくなっていた。何かが動いた気がしても、本当に動いたのか、目が疲れているだけなのか判断できず、ペンを持ったまま何も書けない時間が増えた。


「集中が切れてる」


 イーサンは怒るでも責めるでもなく、事実として言った。


「今、何が見えてる」


「……何も」


「何もじゃない」イーサンがリヴァの横に来て、フィールドを見た。「あそこの木、三十分前と違う」


 リヴァは示された木を見た。


「……葉が揺れてる」


「風か」


「……わからない」


「風なら他も揺れる」


 リヴァは他の木へ目を向けたが、葉は揺れていなかった。


「……風じゃない」


「鳥か動物か人間かはわからない。でも何かいる。それが書けるか書けないかの差だ」イーサンは後ろに戻った。「続けろ」


 リヴァは木の葉の動きをログに書き、風はなく、原因は不明だと記した。昨日の言葉が戻ってきた。


 わからないものを、当たったことにするな。


 五時間目には、逆に何もかもが変化に見えていた。草、人、車、鳥、影と書きすぎて、何が重要でどれが雑音なのかわからなくなった。


「止まれ」


 イーサンが言った。


「今度は何だ」


「……全部変化に見える」


「そうなる」イーサンは言った。「慣れてくると次はそこで詰まる」


「どうしたら」


「優先順位をつけろ。全部は書かなくていい。人間の動きだけ書け。まず人間だけ」


 リヴァはログを見た。


「……足りない気がする」


「なぜ」


「人間以外も重要な気がするから」


「そうだ」イーサンは言った。「人間だけ見ていると、人間が消えた後に何が残るかを見逃す。ただ最初は絞れ。全部拾おうとすると全部落とす」


 リヴァはまた書き始めた。日が傾き、フィールドの色は鈍い橙に変わっていた。


「今、フィールドに人間は何人いる」


 リヴァはフィールドを見た。


「……二人」


「三人だ」


 また抜けていた。イーサンが顎で示した瓦礫の陰には、靴の先だけが見えていた。


「今、お前は死んだ」


 リヴァは何も言わず、頭の中に三人目の位置を描いた。瓦礫の陰から銃口が出て、自分の喉を撃つ。


「疲労で視野が狭くなってる」イーサンは言った。「それがわかるか」


「……わかる」


「わかった上で続けるのが訓練だ」


 リヴァはログに、人間は三人いたが、自分には二人に見え、一人を見落としたと書いた。


「今日はここまで」


 評価はなかった。リヴァは口を開きかけた。


「次はアルノがやる」


 ログハウスに戻った。

 

 

 

 午後十一時四十五分、リヴァはソファにいた。アルノはテーブルの端で端末を見ながら、静かに画面を操作していた。キッチンにはイーサンがいて、カイは水を飲んでいた。


「アルノ」


「はい」


「監視映像の訓練、お前がやれ」


 アルノは端末から目を離し、顔を上げた。


「リヴァにですか」


「ああ」


「理由を聞いても」


 イーサンはコップを置いた。


「観測手順が浅い。感覚で補ってる部分が多すぎる」


 アルノは少し考えてから、端末をテーブルに置いた。


「…どこまで」


「異常検知まで」


 廊下の方でレッドの声がした。


「うわ」


 イーサンは無視した。


「睡眠削った状態でも」


「長時間固定も」


「違和感を言語化させろ。感覚に名前をつけさせろ」


 アルノがメモを取っている間、ペンが動く音だけがあった。やがてアルノはペンを置いた。


「わかりました」


 イーサンがキッチンを出ると、アルノはリヴァへ目を向けた。


「明日、朝からアルノ?」


「いえ。今からです」


「ん?」

 

 

 

 

 ちょうど深夜〇時だった。部屋の奥にはモニターが六枚並び、外周や正面入口、裏口などの映像が常時流れていた。人や車が通る、どれも似たような、なんの変哲もない映像だった。


 アルノがリヴァの後ろに立った。


「まずは十五分、観測してください」


 十五分が経った。


「では、記録してください」


 リヴァは、人物ごとの通過回数、スマートフォンを操作していた人数、不自然な動きをした人物、一番警戒していたと思われる人物とその根拠を書いた。書きながら、抜けていることがわかった。


 アルノは記録を受け取り、黙って読んだ。


「……」


「東側入口、三分前から変化しています」


「……え」


「気づきませんでしたか」


 責める口調ではなく、声色も変わらなかった。それがかえってしんどかった。


「……何が変わったの」


 答えはなく、リヴァは映像を巻き戻した。人が通り、車が一台減速し、男が煙草を吸っていた。何回見ても同じに見えた。


「……ヒントは」


 言いかけたが、アルノは答えなかった。リヴァはまた映像を見て、人の歩幅や視線、立ち止まる位置、車の速度、煙草を持つ手を追った。


 東側入口の男は、二度目に通過した時だけ入口を見ていなかった。代わりにカメラを見ている。そこで、リヴァの手が止まった。


 二度目は三十分だった。


「東側、何が変わりましたか」


「……人が、増えた気がする」


「気がする、ではなく」


「…増えた」


「何人から何人に」


 答えられなかった。アルノは少し間を置き、右上のモニターを指した。


「三分前、ここの窓が開いたのは見ていますか」


「……」


「開いた幅は4センチ程度です」


 アルノの声には何の感情もなかった。


「狙撃手に撃たれて、死にましたね」


「もう一度」


 次の三十分、リヴァは人数を数えた。数えていると、別の画面が抜けた。


「東側、何人通りましたか」


「……三人」


「四人です」


「今の一名で、仲間が一人死にました」


「……」


「違和感は」


「……変な感じはした、けど」


「どこが」


「……わからない」


「リヴァ。今何時ですか」


「…朝五時くらい」


「午前二時三十分です。もう一度」


 全然時間が経っていなかった。それから何度か繰り返した中で、一度だけアルノが止まった。リヴァの出した記録を受け取り、読んでいた。


「……ええ。今のは良い観測です」


 声は低く、淡々としていた。それなのに嬉しかった。今日初めて良いと言われ、またその一言が欲しくなった。

 

 

「今、何が変わりましたか」


「……」


「リヴァ。何が変わりましたか」


「……人が減った」


「それは十分前です」


「もう一度」


 リヴァはモニターを見たが、全部が同じに見えた。


「……もうわかんない」


 アルノは少し黙った。


「“見えていない”のか」アルノが静かに言った。「“見ようとしていない”のか、どちらですか」


 リヴァはアルノに聞こえないように小さく唸った。カイが一度、入口のあたりに立ったが、扉は開かなかった。ガラス越しに見ていた。


「あなたは当てられます」アルノが続けた。「ですが当たる感覚に依存すると、観測が死にます。感覚は道具です。手順がなければ、感覚は暴走します」


 録画が続き、リヴァはモニターを見ていた。さっきまで全部同じに見えていたものが、少しだけ違って見え始めていた。無意識に左利きの人数を数え、立ち止まる時の癖を見ていた。


「今の時間は」


「午後一時、くらい」


「いいえ。午前十時四十五分です」


 リヴァはモニターを見たまま、何も考えられなかった。それでも目だけは、まだ映像を追っていた。


「…アルノも、この訓練やった?」


 少し間があった。


「似たものは」アルノは言った。「ただ、少し違います」


「どう」


 アルノは録画を一時停止した。


「私の場合、最初の観測訓練は三十六時間でした」


 リヴァは顔を向けた。


「……ぶっ通し?」


「ええ」アルノは画面を見たまま言った。「三十六時間、監視映像を見続けます。途中から判断力が落ちます。何が異常で何が正常か、わからなくなってくる」


「お尻痛そう」


「ええ。今座っているようないい椅子ではなく、鉄のベンチでした」


 今も座っているのはパイプ椅子で、お尻が痛くてたまらなかった。


「…大変そう」


「いいえ。そこから始まります」アルノは少し間を置いた。「終わった後、判断を迫られます」


「え」


「映像の中に、五人います」アルノは静かに言った。「全員を助けることはできない。どの順番で、誰を切るか。30秒で答えろと言われます」


「それが訓練」


「訓練というか、試験でもそうでした」


「正解わかんなそう」


「正解はありません」アルノは言った。「どう判断したか、その根拠を言えるかどうかが見られています。判断そのものより、判断が崩壊していないかどうかを確認されます」


 リヴァは前を向いた。


「……崩壊した人はいたの」


「大半が」アルノは言った。「答えられなかった人も、泣いた人も、怒鳴った人もいました」


「アルノは」


 少し間があった。


「私はこういうのが得意なので」


「……それが、アルカで指揮を執ってる理由?」


「…そうですね」


 アルノは停止した映像に目を向けた。


「本来なら、この程度で止めません」


 アルノは一度眼鏡を外し、目頭を押さえて掛け直した。


「訓練はまず観測が崩壊するまで続けます。判断能力が落ちた状態にします」


 静かな部屋に、モニターの光だけがあった。


「……じゃあ、なんで今訓練を止めたの」


 アルノが少し視線を上げた。


「危機感知まで入ったので」眼鏡を押し上げた。「さっきから、あなたは違和感を先に拾い始めています。まだ言語化は遅いですが、感覚そのものは変わった」


 アルノが眼鏡を押し上げた。


「イーサンの指示は、そこまでです」


「……」


「危機感知が入った後、観測者は急激に変わります。他の人間なら、ここから先で適性を見ます」


 アルノが続けた。


「ですが、あなたは替えが利かない」


 リヴァは少し黙った。


「さっきのこの映像、アルノには何が見えてるの?」


 アルノはリヴァを見た。


「思ったより元気ですね。続けますか?」


「…」


 アルノが画面に目を向けた。


「私が見ていて思ったことは」


 モニターに指をさした。


「三分前、この画面の左端に赤い帽子の人物がいました」


 リヴァが巻き戻すと、赤い帽子の人物が一瞬映って消えた。確かにいたのに、気づいていなかった。


「おそらくギャングの構成員です。中堅くらいのポジション」


「ええ……?」


「帽子の角度と、歩き方です。縄張りを意識した動きをしています。ただ威圧はしていない。上の人間がいる場所では目立たない動きをするよう訓練されている。それが中堅の動き方です」


 アルノは続けた。


「その後、視線が一度だけ右の路地に向いています。次に来る人間の導線を確認しています。おそらく、もう少ししたら上のポジションの人間が来ます」


 リヴァが画面を見ていると、二分後に別の人物が映った。


「来ました」アルノが言った。「この人物がボスクラスです。歩き方が違います。周囲を確認していない。する必要がないと思っている」


 アルノのペンが画面を指した。


「左手でコートの裾を払っています。左利きです。右側に重心をかける癖がある。腰の右側に何か携帯しているか、左側に古い怪我がある」


 アルノは少し間を置いた。


「……この場合、怪我ですね。携帯しているにしては、重心をかけすぎです。警戒はします」


 リヴァは少し止まった。


「…ほかにわかることってある?」


「袖口の日焼けの跡と、右肩の上がり方からすると、ゴルフでもやっている人間かもしれません。関係構築の糸口にはなりますね」アルノは画面から目を離さなかった。「それより、この人物を見てください。四分前に右の路地にいた人間です」


 リヴァは目を凝らした。


「……いる」


「赤い帽子の人物と、さっき一瞬目が合っています。ここです」アルノがコマを止めた。「この二人、今夜何かをやります」


 アルノは続けた。


「無力化順はボスクラス。次に右路地。三番目が中堅」


 リヴァはしばらくモニターを見ていた。


「……全部見えてたの、最初から」


「今は私が見ても意味がないでしょう」


 アルノが端末を閉じた。


「お疲れ様でした」


 リヴァは椅子から立ち上がって壁に手をつき、ドアを開けた。廊下には窓から昼の光が入っていた。暗い部屋にいすぎた目には、普通の明るさが刺さった。


 頭の中ではまだ、六枚の画面が動いていた。

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