バーベキューハウス
夕方になっても、空はまだ明るかった。
テキサスの日暮れは遅い。午後7時を過ぎても地平線がオレンジで、影が長く伸びていた。
レッドの車が街に入った。
乗り込んだ瞬間から匂いがした。革と、煙草と、微かにガソリン。
シートは使い込まれていて、助手席の背もたれに浅いへこみがある。後部座席の足元に、折りたたまれたロープが一本あった。
助手席にリヴァ、後部座席にカイ。イーサンの車が後ろに並んだ。信号待ちだった。
助手席にアルノがいた。
アルノははじめレッドの車に乗りこもうとしたが、ログハウスを出た直後にイーサンが「お前はこっちに来い」と言った。アルノが少し止まってから乗り込んだ。
「なんでアルノを連れていったんだ?」レッドがイーサンに無線で言った。
『一番静かだから』イーサンは返した。
「俺がうるさいとでも言いたいのか」
『言いたい』
「ひどいな」
無線が切れた。
カイがバックミラーでイーサンの車を確認した。
車内は外から見ても整然としていた。ダッシュボードに何も置いていない。アルノは乗り込んだ瞬間から端末を開いていた。イーサンは何も言わなかった。
「なんか、合ってるね」リヴァが言った。
「あの二人か」レッドはウィンカーを出した。「余分なことを言わないな」
「レッドは言う方?」
「俺は言う方だ」レッドは少し笑った。「だからイーサンとは長続きしてる。俺が全部しゃべって、あいつが全部聞いてる」
「それ、友達?」
「そうじゃなかったら何なんだ」
リヴァは少しの間考えた。
「確かに」
同じタイミングでウィンカーを出した。
「どこ行くか、二人で決めたの?」リヴァが言った。
「知らない」レッドは言った。「俺も決めてないから」
「なのについてきてる」
「ついてきてる」
レッドはハンドルを片手で回した。
「お前らのとこのチーム、面白いよな」
「なんで」
「若い。みんな三十前後だろ。それで、あの腕だ」レッドは前を見たまま言った。「で、全員クールに澄ましてる。お前が一番話しやすいけど、それでも十分クールだ」
リヴァは困ったように眉間にしわを寄せた。
「レッドは?」
「俺は汗もかくし、しゃべるし、泣く」レッドは言った。「だからお前らといると、自分が一人だけうるさい気がしてくる」
リヴァが少し笑った。
カイが窓の外を見た。何も言わなかった。
「どこで飯を食うんだ」カイが言った。
「今決める」レッドは言った。「リヴァ、何食いたい」
「ステーキ?」
「それはやめた。若者が食いまくったら俺が破産する。ほかのテキサスのもの食え」
「テキサスのものって?」
「肉だ」
「やっぱり肉…」
「肉しかない」
無線が入った。イーサンだった。
『いい店がある』
「どこだ」レッドが言った。
『ダウンタウンの裏。煙が出てる店』
「あーあそこか」
『ああ』
レッドが笑った。
少し間があった。アルノの声が入った。
『……衛生的に大丈夫ですか』
『問題ない』イーサンが遮った。
『根拠は』
『何度も行って死んでいない』
無線の向こうで、アルノが一拍置いた。
『……わかりました』
レッドがまた笑った。今度は声が出た。
ダウンタウンの裏通りに入った。
レンガ造りの建物が続く通りで、看板に英語とスペイン語が混じっている。駐車場は砂利で、入口に大きな鉄のドアがある。
「ここだ」
降りると、肉の焼ける匂いがした。木とヒッコリーが混ざった、重くて甘い煙の匂いが通りまで漏れていた。
ドアを開けると、騒がしかった。天井が高い。むき出しの梁に照明が吊るしてある。
テーブルは大きく、見知らぬ人間が相席で座っている。壁際のカウンターで肉を選んで、重さで値段が決まる仕組みらしかった。
「並んで、好きなだけ取る」レッドは言った。
カウンターに大きなスモーカーから切り出された肉が並んでいた。ブリスケット、リブ、プルドポーク、ソーセージ。全部が茶色く、表面に黒いクラストがついている。スタッフが大きなナイフを持って待っていた。
「何にする」レッドがリヴァに聞いた。「ここではポンドだぞ」
「全部気になる」
「全部か」レッドがスタッフに顎で示した。「ブリスケットとリブを厚めに。ソーセージも二本。サイドは全部」
スタッフが迷わず切り始めた。
カイが隣に来た。
「ブリスケットをもっと」スタッフに言った。英語が短くて正確だった。「ワンポンド」
アルノが後ろから来た。カウンターを見た。
「……これは全部豚と牛ですか」
「そうだ」レッドは言った。
「野菜は」
「サイドにコールスローとコーンブレッド」
アルノは一拍置いた。
「……コールスローをください」スタッフに言った。
「それだけでいいのか」レッドが言った。
イーサンが無言でカウンターに来た。ブリスケットを指さした。「厚め」それだけ言った。
その横で、アルノが同じブリスケットを指さしていた。二人とも、相手を見ていなかった。
テーブルに座った。
大きなトレーに肉が山になっていた。クラフトペーパーが敷いてあって、ソースが小瓶で三種類来た。どれも薄い。トマトと酢に、クミンとチリの匂いがした。
食べ始めて少しした頃、レッドが立ち上がった。
「ちょっと待ってろ」
奥のカウンターに歩いていった。
スタッフの笑い声が聞こえた。戻ってきた時、瓶ビールを五本持っていた。
「レッドが連れてきたなら特別に、だってさ」
「知り合いか」カイが言った。
「ここら辺の奴はだいたい知ってる」レッドは瓶を配った。「生まれてからずっとテキサスだ」
配る手が一瞬止まった。
窓際の、誰も座っていない席の方を見た。
「昔、あっちに座ってたやつがいてな」
それだけ言って、瓶を置いた。
リヴァはその席を見た。
イーサンがビールを一口飲んだ。
リヴァはブリスケットを一口食べた。
止まった。
「……なにこれ」
「旨いだろ」レッドが言った。
「おいしい」リヴァはもう一口食べた。
「十二時間かけて燻す」レッドがリブを骨ごと持って食べ始めた。「テキサスのバーベキューは時間で作る。急がない」
リヴァが小瓶に手を伸ばした。ブリスケットにソースをかけようとした。
「やめとけ」レッドが言った。
リヴァが止まった。
「いいブリスケットにソースはいらない」レッドはリブを食べながら言った。「肉が主役だ。ソースは、自信のない店が誤魔化すのに使う」
「全部置いてあるのに」
「置いてあるだけだ。テキサスの奴は、まずつけない」
リヴァは小瓶を見た。それから戻した。ソースなしでもう一口食べた。
カイは最初からソースをつけていなかった。ブリスケットを切っていた。
カイは一度、リヴァの皿を見た。
アルノがコールスローを一口食べた。
フォークを置いた。ブリスケットを見た。
「アルノ」
リヴァが自分の皿から、かなりの量の肉をアルノの皿に乗せた。
「いえ、…」アルノが言い淀んだ。
一拍あって、アルノが一口食べた。無表情だった。
二口目を切った。フォークが、一瞬止まった。
三口目を食べた。それからスタッフを呼んだ。
「ブリスケットを、もう少しいただけますか」
レッドが声を出して笑った。
アルノはブリスケットをもう一口食べた。
イーサンが、同じタイミングでブリスケットを口に運んでいた。二人とも、相手を見ていなかった。
ビールが半分になった頃、レッドがリヴァの方に体を傾けた。
「お前、いい食いっぷりだな。見てて気持ちがいい」
「そう?」
「東京じゃこんなに食わせてもらえてないんじゃないか」レッドはリヴァの皿に肉を足そうとした。「ほら、もっと——」
「レッド」
カイだった。
「何だ」
「それくらいにしろ」
「してる」
「してない」
「カイ、お前も飲め。顔が怖い」
カイは何も言わなかった。ビールを一口飲んだ。
レッドは肩をすくめて、席に座りなおした。
アルノが三切れ目のブリスケットを切りながら、眼鏡を押し上げた。
「……賑やかですね」
「テキサスはそういうとこだ」レッドは言った。
「東京も似たようなものです。このメンバーでいると」
「そうか」レッドが笑った。「じゃあ俺たちは合うかもしれない」
「どうでしょうか」
「悪くないだろ」
アルノは答えなかった。ブリスケットを口に入れた。
テキサスの夜は長かった。




