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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第四章「乾いた地平線 ― The Dry Horizon」

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ドライファイア



 次の日、イーサンがリヴァを呼んだ。朝六時だった。


 射撃場の横にある部屋だった。ブリーフィングルームと呼ぶには狭すぎた。壁に風向図が画鋲で留めてある。ホワイトボードに数字が残っている。


 イーサンが立ったまま手帳を開いた。


 レッドが壁に寄りかかっていた。腕を組んでいた。最初から来る気だったのか、たまたまいたのか、わからなかった。


「答えろ」イーサンが言った。「なぜ戦う」


 想定していない質問だった。訓練の話から始まると思っていた。


 リヴァは少し黙った。


「……自分が何者か、わからないから」


 イーサンは何も言わなかった。


「記憶がない。だから、今できることをやって、自分がどういう人間かを知りたい」リヴァは続けた。「それと——」


 少し止まった。


「ここ(アルカ)が、いてもいい場所だと思ってる。それを守りたい」


 静かだった。


 レッドが壁から背中を離した。何かを言いかけて、止めた。


 イーサンは端末を見ていた。顔が動かなかった。一秒か二秒、そのままだった。


 それから手帳をテーブルに置いた。


「わかった」


 次に進んだ。


 レッドだけがイーサンの横顔を一瞬見た。何も言わなかった。


「訓練歴を確認する」イーサンが言った。「MIL計測は得意そうだな」


「……なにそれ」


 沈黙があった。


 イーサンが顔を上げた。リヴァを見た。


「昨日撃っていたのはなんだ」


 リヴァは首を傾げた。


「レンジカード作成は」


「ん?」


「レンジ推定は」


「……距離感で」


 イーサンが無言になった。


 レッドの口が少し開いた。


「お前まさか」


 イーサンが聞いた。


「ほぼスポッターなしで撃ってたのか」


「……うん」


 また沈黙だった。


 レッドが肩を揺らした。声を殺していた。


「観測ログは」


「カイがなんか書いてるかも」


「…射撃後移動」


「片づけは自分でできる」


「違う。片づけじゃない」


「………カウンタースナイプ手順は」


「……聞いたことないかも」


 レッドが壁に背中を戻した。今度は笑いを殺しきれていなかった。肩が上下していた。


 イーサンは笑っていなかった。


 椅子を引いた。座った。テーブルに両肘をついた。煙草を取り出した。火はつけなかった。指の間で持ったまま、しばらく何も言わなかった。


 リヴァは待った。


 イーサンが口を開いた。


「……よく生きてた」


 静かだった。


 レッドがニヤニヤしながら言った。


「な。勘が当たった」


「黙れレッド」


「一からか。骨が折れるな、教官」


「黙れ」


 イーサンはレッドを見なかった。手帳を開いた。書き始めた。


 リヴァは初めて、少し焦った。


「まずい?」


「まずい」イーサンが言った。


 即答だった。


 レッドが煙草に火をつけた。リヴァの方を一度見た。何も言わなかった。煙を吐いた。


 イーサンが端末を閉じた。


「今から始める」


 リヴァは頷いた。


「能力は使わないことも意識しろ」


 リヴァが少し間を置いた。


「…なんで」


「使えない日がくる」イーサンは端末をしまった。「その日死ぬ」


 リヴァは何も言わなかった。


「死ぬのがお前か、仲間かは知らないが」


 最初にやったのはMIL計測だった。


「スコープを覗け」


 覗いた。


「正面、フェンス脇に立っている男。身長180センチと仮定する。何MILに見えるか」


 目盛りを当てた。息をするたびに視野が上下した。


「……2MIL」


「距離は」


「……900」


「違う」


 リヴァは止まった。


「式は合ってる。答えも合ってるはず」


「答えは合ってる」イーサンは言った。


 リヴァは顔を上げた。


「測り方が違う」


 イーサンがスコープを指した。


「2MILじゃない。2.2だ。お前が丸めた」


 リヴァはもう一度覗いた。


 息を止めた。像が止まった。目盛りを当てた。


「……2.2MIL」


「距離は」


「……818メートル」


「では対象が腰を曲げていたら」


 答えられなかった。


「そうだ」イーサンは言った。


 それ以上は言わなかった。


 次に進んだ。


 レンジカードを渡された。


 木。岩。建物。距離。風向き。遮蔽。


 リヴァは書いた。


「なぜここを入れた」


「……目印になるから…?」


 返答はなかった。


 イーサンが鉛筆で一箇所を叩いた。


「変わる」


「……消す?」


「そうだ」


 消した。


 別の場所を書いた。


「これは」


「変わらない」


「残せ」


 また書いた。


 地味だった。


 死ぬかと思うほど地味だった。


 こういう訓練をもう過去にしていたなら、少しでも記憶を残してくれればよかったのに。と思った。


 やめた。考えても何も出なかった。


 昼になった。


 レッドがパンと水を持ってきた。


「飯」と言って置いた。


 イーサンがパンを一つ取った。立ったまま食べた。端末を見ていた。


 リヴァはベンチに座った。パンを持った。


 レッドがリヴァの横に腰を下ろした。


「生きてるか」


「……頭がパンクしそう」


「記憶、戻ってこなかったか」


「イーサンは、ほぼやってなさそうって」


「そうか」レッドは自分のパンを半分にちぎった。「イーサンのやつ、加減しないからな」


 一口食べた。


 リヴァは水を飲んだ。


 レッドが半分にちぎった自分のパンをリヴァに渡した。


「そんないらない」


 レッドが屈んで、リヴァの耳に近づいた。


 イーサンに聞こえないように小声で言った。


「良いから食べとけ。あとで感謝することになる」


 レッドが立ち上がった。笑っていた。


 リヴァは首をかしげた。




 午後。


 イーサンが銃を渡した。リヴァのAXMCだった。


 リヴァは受け取った。


「弾は入っていない」


 リヴァは止まった。


「……なんで」


「今日は空撃ち(ドライファイア)だ」


 理由は言わなかった。


「構えろ」


 リヴァは伏せた。


 ストックを肩に入れた。頬をつける。スコープの先に、200メートルの標的が見えた。


「引け」


 呼吸を整えた。


 引き金を引いた。


 何も起きなかった。


 リヴァは反射的に標的を見た。


 当然、何も変わっていない。


「もう一度」


 ボルトを起こした。


 引く。戻す。落とす。


 構え直した。


 引いた。


「もう一度」


 何も起きなかった。


 当たったのか、外れたのか、判断するものがなかった。


 リヴァはスコープを覗いたまま言った。


「……これ、意味ある?」


「続けろ」


 ボルトを起こした。


 また引いた。


 何度か繰り返した。


 最初は姿勢を意識していた。


 だんだん、何を直せばいいのかわからなくなった。


 着弾がない。


 正解がない。


「今の一発は」


 イーサンが言った。


 リヴァは標的を見た。


「……当たったと思う」


「なぜ」


「……いつもと同じだったから」


「何が同じだ」


「……」


「もう一度」


 ボルトを起こした。


 引いた。


「今の一発は」


「……わからない」


「なぜ」


「少し、右に流れた気がする」


「気がする?」


 リヴァは黙った。


「もう一度」


 引いた。


 ボルトを起こす。


 また構える。


 肩が少し痛くなってきた。


 リヴァはスコープから目を離した。


「……わかんない」


「何が」


「当たってるのか」


「そうだ」


 初めて返事があった。


 リヴァはイーサンを見た。


「お前は今まで、結果を見て自分が正しかったことにしてきた」


「……」


「撃てば当たる。だから途中が雑でも困らなかった」


 イーサンが標的を見た。


「弾がなければ、それができない」


 イーサンが続けた。


「もう一度構えろ」


 リヴァは構えた。


「着弾を考えるな。今、自分が何をしているかだけを考えろ」


 息を吸った。


 半分吐いた。


「引け」


 引いた。


「今の一発は」


 リヴァは少し黙った。


「……わかんない」


「ああ」


 イーサンが言った。


「わからないものを、当たったことにするな」


 リヴァは標的を見た。


 200メートル先に、何も起きていない紙の的が立っていた。


「もう一度」


 ボルトを起こした。

"Mad About You (Orchestra Version)" / Hooverphonic

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