ドライファイア
次の日、イーサンがリヴァを呼んだ。朝六時だった。
射撃場の横にある部屋だった。ブリーフィングルームと呼ぶには狭すぎた。壁に風向図が画鋲で留めてある。ホワイトボードに数字が残っている。
イーサンが立ったまま手帳を開いた。
レッドが壁に寄りかかっていた。腕を組んでいた。最初から来る気だったのか、たまたまいたのか、わからなかった。
「答えろ」イーサンが言った。「なぜ戦う」
想定していない質問だった。訓練の話から始まると思っていた。
リヴァは少し黙った。
「……自分が何者か、わからないから」
イーサンは何も言わなかった。
「記憶がない。だから、今できることをやって、自分がどういう人間かを知りたい」リヴァは続けた。「それと——」
少し止まった。
「ここが、いてもいい場所だと思ってる。それを守りたい」
静かだった。
レッドが壁から背中を離した。何かを言いかけて、止めた。
イーサンは端末を見ていた。顔が動かなかった。一秒か二秒、そのままだった。
それから手帳をテーブルに置いた。
「わかった」
次に進んだ。
レッドだけがイーサンの横顔を一瞬見た。何も言わなかった。
「訓練歴を確認する」イーサンが言った。「MIL計測は得意そうだな」
「……なにそれ」
沈黙があった。
イーサンが顔を上げた。リヴァを見た。
「昨日撃っていたのはなんだ」
リヴァは首を傾げた。
「レンジカード作成は」
「ん?」
「レンジ推定は」
「……距離感で」
イーサンが無言になった。
レッドの口が少し開いた。
「お前まさか」
イーサンが聞いた。
「ほぼスポッターなしで撃ってたのか」
「……うん」
また沈黙だった。
レッドが肩を揺らした。声を殺していた。
「観測ログは」
「カイがなんか書いてるかも」
「…射撃後移動」
「片づけは自分でできる」
「違う。片づけじゃない」
「………カウンタースナイプ手順は」
「……聞いたことないかも」
レッドが壁に背中を戻した。今度は笑いを殺しきれていなかった。肩が上下していた。
イーサンは笑っていなかった。
椅子を引いた。座った。テーブルに両肘をついた。煙草を取り出した。火はつけなかった。指の間で持ったまま、しばらく何も言わなかった。
リヴァは待った。
イーサンが口を開いた。
「……よく生きてた」
静かだった。
レッドがニヤニヤしながら言った。
「な。勘が当たった」
「黙れレッド」
「一からか。骨が折れるな、教官」
「黙れ」
イーサンはレッドを見なかった。手帳を開いた。書き始めた。
リヴァは初めて、少し焦った。
「まずい?」
「まずい」イーサンが言った。
即答だった。
レッドが煙草に火をつけた。リヴァの方を一度見た。何も言わなかった。煙を吐いた。
イーサンが端末を閉じた。
「今から始める」
リヴァは頷いた。
「能力は使わないことも意識しろ」
リヴァが少し間を置いた。
「…なんで」
「使えない日がくる」イーサンは端末をしまった。「その日死ぬ」
リヴァは何も言わなかった。
「死ぬのがお前か、仲間かは知らないが」
最初にやったのはMIL計測だった。
「スコープを覗け」
覗いた。
「正面、フェンス脇に立っている男。身長180センチと仮定する。何MILに見えるか」
目盛りを当てた。息をするたびに視野が上下した。
「……2MIL」
「距離は」
「……900」
「違う」
リヴァは止まった。
「式は合ってる。答えも合ってるはず」
「答えは合ってる」イーサンは言った。
リヴァは顔を上げた。
「測り方が違う」
イーサンがスコープを指した。
「2MILじゃない。2.2だ。お前が丸めた」
リヴァはもう一度覗いた。
息を止めた。像が止まった。目盛りを当てた。
「……2.2MIL」
「距離は」
「……818メートル」
「では対象が腰を曲げていたら」
答えられなかった。
「そうだ」イーサンは言った。
それ以上は言わなかった。
次に進んだ。
レンジカードを渡された。
木。岩。建物。距離。風向き。遮蔽。
リヴァは書いた。
「なぜここを入れた」
「……目印になるから…?」
返答はなかった。
イーサンが鉛筆で一箇所を叩いた。
「変わる」
「……消す?」
「そうだ」
消した。
別の場所を書いた。
「これは」
「変わらない」
「残せ」
また書いた。
地味だった。
死ぬかと思うほど地味だった。
こういう訓練をもう過去にしていたなら、少しでも記憶を残してくれればよかったのに。と思った。
やめた。考えても何も出なかった。
昼になった。
レッドがパンと水を持ってきた。
「飯」と言って置いた。
イーサンがパンを一つ取った。立ったまま食べた。端末を見ていた。
リヴァはベンチに座った。パンを持った。
レッドがリヴァの横に腰を下ろした。
「生きてるか」
「……頭がパンクしそう」
「記憶、戻ってこなかったか」
「イーサンは、ほぼやってなさそうって」
「そうか」レッドは自分のパンを半分にちぎった。「イーサンのやつ、加減しないからな」
一口食べた。
リヴァは水を飲んだ。
レッドが半分にちぎった自分のパンをリヴァに渡した。
「そんないらない」
レッドが屈んで、リヴァの耳に近づいた。
イーサンに聞こえないように小声で言った。
「良いから食べとけ。あとで感謝することになる」
レッドが立ち上がった。笑っていた。
リヴァは首をかしげた。
午後。
イーサンが銃を渡した。リヴァのAXMCだった。
リヴァは受け取った。
「弾は入っていない」
リヴァは止まった。
「……なんで」
「今日は空撃ちだ」
理由は言わなかった。
「構えろ」
リヴァは伏せた。
ストックを肩に入れた。頬をつける。スコープの先に、200メートルの標的が見えた。
「引け」
呼吸を整えた。
引き金を引いた。
何も起きなかった。
リヴァは反射的に標的を見た。
当然、何も変わっていない。
「もう一度」
ボルトを起こした。
引く。戻す。落とす。
構え直した。
引いた。
「もう一度」
何も起きなかった。
当たったのか、外れたのか、判断するものがなかった。
リヴァはスコープを覗いたまま言った。
「……これ、意味ある?」
「続けろ」
ボルトを起こした。
また引いた。
何度か繰り返した。
最初は姿勢を意識していた。
だんだん、何を直せばいいのかわからなくなった。
着弾がない。
正解がない。
「今の一発は」
イーサンが言った。
リヴァは標的を見た。
「……当たったと思う」
「なぜ」
「……いつもと同じだったから」
「何が同じだ」
「……」
「もう一度」
ボルトを起こした。
引いた。
「今の一発は」
「……わからない」
「なぜ」
「少し、右に流れた気がする」
「気がする?」
リヴァは黙った。
「もう一度」
引いた。
ボルトを起こす。
また構える。
肩が少し痛くなってきた。
リヴァはスコープから目を離した。
「……わかんない」
「何が」
「当たってるのか」
「そうだ」
初めて返事があった。
リヴァはイーサンを見た。
「お前は今まで、結果を見て自分が正しかったことにしてきた」
「……」
「撃てば当たる。だから途中が雑でも困らなかった」
イーサンが標的を見た。
「弾がなければ、それができない」
イーサンが続けた。
「もう一度構えろ」
リヴァは構えた。
「着弾を考えるな。今、自分が何をしているかだけを考えろ」
息を吸った。
半分吐いた。
「引け」
引いた。
「今の一発は」
リヴァは少し黙った。
「……わかんない」
「ああ」
イーサンが言った。
「わからないものを、当たったことにするな」
リヴァは標的を見た。
200メートル先に、何も起きていない紙の的が立っていた。
「もう一度」
ボルトを起こした。
"Mad About You (Orchestra Version)" / Hooverphonic




