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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第四章「乾いた地平線 ― The Dry Horizon」

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弾が先に来る





 ログハウスの中で、イーサンはカイに向かって手帳を開いた。


「スポッターの経験は」


「基礎は」カイは言った。


「どの距離まで」


「実戦では800が上限だった」


「1000は」


「ない」


 イーサンは手帳の計算式を見た。


「スナイパーが引き金を引く役なら、スポッターは、それ以外のすべてだ」


 ページを一枚めくる音がした。


「特に1500メートルを越えると、神の領域だ」


 イーサンは続けた。


「風は一枚じゃない。層で流れる。温度差でねじれる。地面の熱で視界が浮く。目で見えている世界と、弾が通る世界は一致しない」


 そこで一度だけ、言葉が止まった。


「だから二人になる。一人が撃ち、一人が現実を合わせる」


 イーサンは視線を落としたまま続けた。


「あの女の射撃は、データで説明できない」彼は言った。平坦な声だった。「弾道計算が合わない。風の補正が足りないはずの場面で、弾が曲がって入る。理屈がない」


 カイは何も言わなかった。


「ただ」イーサンは続けた。「理屈がないなら、それを前提にする必要がある。お前のスポッター能力を上げる。まずは1000以下の距離で、あの射撃を支えられる水準まで」


「いつから」


「今日からだ」イーサンは言った。「時間がない」


 カイは頷いた。


 イーサンが手帳を閉じた。鉛筆をテーブルに置いた。


「一つだけ聞く」


「何だ」


「あの女が外す場面を、お前は見たことがあるか」


 カイは少しの間、黙った。


「……ない」彼は言った。


 イーサンは窓の外を見た。


「そうか」


 それだけ言って、立ち上がった。



 



 しばらく、二人で黙っていた。


 テキサスの午後の風が、赤い土埃を低く流していた。金属フェンスが微かに鳴っていた。空が広すぎて、静かに見えるのに、音がある。


 レッドが新しいLucky Strikeを取り出した。


「一本やるか」


「いい」リヴァは言った。


「遠慮するな」


「気分じゃない」


「そうか」レッドは自分の分だけ火をつけた。煙を吐いた。「テキサス、どうだ」


「イーサンもレッドも、雰囲気が全然違うからわかんない」


「…まあ、イーサンの出身はアイルランドだからな」


「オラヴルとおんなじ」


「おい」レッドが肘でつついた。「それアイスランドだろたしか」


 リヴァは首を傾げた。


「アイルランドはイギリスの横な。…地雷だからあいつの前でイギリスの話はするなよ。ギネスビールのとこだ」


「ん…?」


「イーサン怒らせとくと良いことないから、調べとけ」


「わかった」


「まあどっちも寒い国だ」


「たしかにイーサン、寒いとこ出身っぽい」


 レッドが笑った。声に出した笑い方だった。


「正直だな」


 また少し、黙った。


 レッドが煙草を指先で回した。


「あれはあれで、規律で自分を縛って正気を保ってる」


 リヴァは何も言わなかった。レッドが続けた。


「多分訓練、相当きつくなるぞ。俺の勘は当たる」


「…そうなったら助けて」


「それはお前のためにならない」


 レッドは憐れんだように、笑った。



「なあ」彼は言った。


「何」


「今夜、飯に行かないか」


 リヴァはレッドを見た。


「訓練の話?」


「違う」レッドは煙草を一口吸った。煙を横に流した。「ただの飯だ。テキサスに来たなら、ちゃんとしたステーキを食うべきだろ」


「カイとアルノも来る?」


 レッドが少し間を置いた。


「……二人きりで、と言いたかったんだが」


「二人きりで」リヴァは繰り返した。


「ああ」


 リヴァはレッドを見た。レッドはリヴァを見ていた。Lucky Strikeの煙が南に流れた。


「レッドって」リヴァは言った。


「何だ」


「女好き?」


 レッドが少し目を細めた。否定しなかった。


「男は誰でもそうだろ」


「曖昧」


「俺はそういう人間だ」レッドは煙草を灰皿に押しつけた。


 リヴァを見た。


「一緒に飯を食いたいと思ったのは本当だ。テキサスの夜は長い。悪くない時間になる」


 リヴァは少しの間、レッドを見た。


 それから空を見た。


「カイが来るって言ったら」


「…まあ、止めないけどよ」レッドは言った。「ただ、俺が誘ったのはお前だ」


「アルノが来るって言ったら」


「…まあ同じ」


 リヴァは空を見たまま、少しだけ口元が動いた。


「……考えとく」


「考えてくれるなら充分だ」レッドは荷台に手をついた。「答えは夕方までにくれ。予約はもうしてある」


「もう?」


「ああ」


「いつ」


「お前が射撃場に入った時」


 リヴァはレッドを見た。


「早いね」


「テキサスはそういうとこだ」レッドは言った。「弾が先に来る」


「…予約の話だよね?」


 ログハウスのドアが開いた。


 カイが出てきた。


 レッドとリヴァが並んで壁際に立っているのを見た。


 一秒、止まった。


「何してる」


「話してた」リヴァは言った。


「何の話だ」


「飯の話」レッドが言った。「今夜どこ行くか」


 カイはレッドを見た。レッドはカイを見た。


「俺も行く」カイは言った。


「誰も誘ってないだろ」


「関係ない」


「空気読んでくれない?」


「行く」


 レッドが小さく息を吐いた。


 リヴァは二人を見た。


「みんなで」彼女は言った。


 レッドがリヴァを見た。


「……やっぱそういうことか?」


 カイは何も言わなかった。リヴァの隣に立った。


 レッドは空を見た。テキサスの午後の空が、白く抜けていた。


「まあ」彼は言った。「悪くない夜になりそうだ」


 誰も返さなかった。


 風が、また南から来た。

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