フレッシュハーブティー
横浜拠点、共用スペース。
アルノが端末に向かいながら言った。
「…任務結果は合格点です」
眼鏡を押し上げた。
また一拍置いて、少し低い声で言った。
「ただ、あなたの狙撃手としての適性については、もう少し詳しく把握する必要があります。報告書に書けない数値が、いくつかあります」
「なにそれ」
彼女はシャワーから上がったばかりで、濡れた髪をタオルで拭いていた。
「追々」アルノは言った。
「今教えて」
「追々と言いました」
彼女は少しの間、アルノを見た。
「……アルノって、頭いいの」
アルノは手を止めた。
静かに立ち上がる。視線の高さが変わった。
「その評価を受けられなければ、ここにはいません」
「ふぅん」
「……何ですか、その間は」
「別に」
ユキナガがモニターの前で声を殺して笑っていた。
黒に近い紺の髪は、サイドを短く、トップと前髪を長めに残していた。鋭い黒い目をした細身だった。
彼女がユキナガを見た。
「いや、だってさ」肩が震えていた。「アルノ、前は国家相手に交渉してたんだぜ」
アルノの視線が向く。
ユキナガは一瞬だけ口を閉じたが、やめなかった。
「しかもドイツ外務省のキャリア組。ガチのエリート。大学もあれでしょ、えっと――」
「言わなくて結構です」
「ハイデルベルク」
一拍あった。
「…知らない」
ユキナガが吹き出した。
「ドンマイ、アルノ」
アルノは何も言わなかった。眼鏡の位置をわずかに直した。
「おかえり」
背後から声がした。
彼女が振り返った。
本牧で通信に入っていた医療担当だった。
黒に近い焦茶の髪は首筋にかかっていて、緩く結んでいた。くすんだ青い目をしていた。縦に長い体だった。
彼女はその長身を見上げた。
「オラヴル」アルノが言った。「まだ話は終わっていません」
「報告はあとでもできるだろう」
オラヴルは彼女の右肩を見た。
「両腕で梯子を上ってたね」
「……」
「聞こえていたよ」
彼女がユキナガを見た。
ユキナガは両手を上げた。
「あー、俺じゃないからね。無線ずっと開いてたから」
彼女は黙った。
「処置室に来なさい」
オラヴルが言った。
「今?」
「今だよ」
彼女はアルノを見た。
アルノは端末へ視線を戻した。
「行ってください」
「はあい…」
彼女がドアに向かおうとした時、小さな包みが飛んできた。
咄嗟に受け止める。
リンドールのミルクチョコレートだった。
彼女がアルノを見る。
アルノはもう端末を見ていた。
「……くれるの」
「糖分を取ってください」
「やった」
彼女はオラヴルの後ろについていった。
処置室で、オラヴルが右肩の包帯を交換した。
「はい、できた」
「……ありがと」
オラヴルは使った器具を片づけた。
ふと、手を止めた。
「…君は、この組織にいるのかい」
急にトーンが変わったので、彼女はオラヴルの方を向いた。
「……わかんない」
オラヴルは手元に視線を落とした。
彼女は少し黙った。
「ここにいれば、自分が何者なのか、何をしていたのか、わかる気がしてる」
オラヴルは動かなかった。
「……そうか」
その返事は妙に遅かった。
「知らないままで済むなら、その方が幸せなこともある」
「なんで」
オラヴルは少し黙った。
「そういうものだよ」
「……」
「大人になるとね」オラヴルは笑った。「諦めるのが上手くなる」
「でも」彼女は言った。
オラヴルは何も言わなかった。
「私は、知らないまま生きる方が怖い」
オラヴルは返事をしなかった。
目を閉じた。
「……君はいつも無理をするから」
「十日前に来たばっかりなのに」
「それでもだよ」
「……カイもいつも過保護で、あれやるなこれやるなって」
「それは…かなり珍しい」
「そうなの」
「彼はあまり人に何か言わないから。だから、聞いておくといい」
オラヴルは立ち上がって、シンクへ向かった。
流しの脇に置かれていたハーブを洗い、ポットに入れた。カモミールと、少量のラベンダーだった。
湯を注ぐ。
香りがゆっくり広がった。
「はい」
差し出されたカップを受け取り、彼女は一口だけ飲んだ。
「さっき摘んできた」
「オラヴルが育ててるの?」
「そう。ゆっくり飲んで」
彼女はカップを両手で抱えた。
「オラヴル、ここなんか落ち着く」
処置台から降りた。
オラヴルは一拍止まった。
「それは……良かった」
リヴァは笑った。
「おやすみ」
ドアが閉まった。
「…おやすみ」
オラヴルは小声で言った。
閉じたドアをしばらく見ていた。
”LIMBO” / keshi




