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『リヴァ・アルカ ―世界を確定させるアンカーと最強たちの執着譚―』  作者: Ilir Noct
第四章「乾いた地平線 ― The Dry Horizon」

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要継続監視



 東京、新拠点。


 午後2時だった。


 ユキナガの作業室は防音で、窓がない。常に画面が複数点いている。サーバーラックが壁際に3台並んでいる。冷却ファンの音が低く回っている。本人が「ここが一番落ち着く」と言っていた。暗くて静かで、全部が繋がっている場所だ。


 カズマが入ってきたのは、ユキナガが席を外した隙だった。


 理由は特になかった。


 暇だったから。それだけだった。


 端末が開いたままになっていた。ユキナガのメインの作業端末だ。画面にコードが走っていた。何かの処理が走ったままになっていた。ウィンドウが12枚開いていた。全部が違うことをやっていた。


 カズマは端末を見た。


 触った。


 一つだけ、ウィンドウを開いた。


 その瞬間、ドアが開いた。




 ユキナガは3秒、動かなかった。


 コーヒーを持ったまま、入口に立っていた。


 カズマを見ていた。


 端末を見ていた。


 どのウィンドウを、何秒触ったかを、正確に把握していた。それだけの準備が、この部屋には常にある。入室ログ、操作ログ、カメラが二台。カズマが触れた瞬間から、全部が記録されていた。


 3秒が終わった。


「出ろ」


 声が変わっていた。


 普段のユキナガではなかった。軽さが消えていた。バーテン時代の、歌舞伎町の、夜の声だった。


「別に——」


「今すぐ出ろ」


 カズマが出た。


 ドアが閉まった。




 静かだった。


 カズマは廊下を歩いた。自室に戻った。ソファに転がった。スマートフォンを取った。


 アプリを開こうとした。


 開かなかった。


 もう一回。


 開かなかった。


 電波はある。Wi-Fiも繋がっている。ただ、何も開かなかった。SNSのアプリが全部、起動した瞬間に落ちた。


 再起動した。


 変わらなかった。


 財布を取った。カードを取った。自販機に向かった。


 カードを当てた。


 弾かれた。


 Suicaを取った。当てた。


 残高不足、と出た。


 昨日チャージしたばかりだった。


 電子マネーが全部止まっていた。クレジットも、デビットも、QRコードも、全部はじかれた。コンビニでも、駅でも、どこでも同じだった。


 現金を持っていなかった。


 この十年、現金で払ったことがほとんどなかった。全部キャッシュレスで済んでいた。


 今、それが全部使えなかった。


 部屋に戻った。


 スマートフォンを確認した。通話はできた。通話だけはできた。


 SNSは全部落ちる。検索もできない。マップも開かない。音楽アプリも落ちる。配達アプリも起動した瞬間に落ちる。ゲームも落ちる。ブラウザを開くと、白い画面が出て、そこで止まる。


 通話だけが、生きていた。


 もう一日が経った。






 ユキナガが作業室のドアを開けた。


 カズマが廊下に立っていた。


「謝りに来た」とカズマは言った。


 ユキナガはカズマを見た。ブルーの髪、いつものセット。目が、笑っていなかった。


「何秒触ったか知ってる?」


「……知らない」


「4秒」とユキナガは言った。「4秒で、お前が何を見ようとしたか全部わかった。見せなかったけど」


「それは」


「俺の端末に触れた時点でログが走る」ユキナガは壁に背をもたせた。「誰が、いつ、どこを、何秒。全部残る。拠点の入退室も、廊下のカメラも、全部俺が管理してる」


「……知らなかった」


「知らなかったじゃ済まない仕事をしてる」ユキナガの声は軽かった。軽いのに、温度がなかった。「俺が管理しているのは端末だけじゃない。この拠点の通信全部、外部との接続全部、全員のデバイスの稼働状況も、全部俺の画面に出てる。」


 ユキナガが、続ける。


「ちなみに。今この瞬間、お前の体温は36.4、昨日より0.2度高い。心拍数は88、高め」笑わず、続けていく。「HRVは38な。普段は45前後なのに。高ストレスの証拠」


「……」


「お前が朝何時に覚醒して、何のアプリを何分使って、どこに電話したか。俺が見ようと思えば全部見える」


 カズマは何も言わなかった。


「謝罪は受け取った」と彼は言った。「3日で解除する。電話つながるのは、初犯だから温情な」


「……」


「次やったら3日じゃ済まさない」ユキナガは中に入りかけて、止まった。振り返らなかった。「俺に勝てると思ってる?」


 カズマは答えなかった。


 一拍あった。


「お前のフィールドと俺のフィールドは違う。お前が刃物を持ってる場所では俺は勝てない。俺のフィールドでは、お前は最初から詰んでる。だから邪魔するな」


 カズマがまた黙った。


「あと」


「何」


「リヴァの左手の傷」


 カズマが少し固まった。


「組織としての処分は、アルノから聞いてるだろ」


「……ああ」


「俺からも言う」ユキナガの声が、一段落ちた。「次に傷つけたら、3日じゃなくて、もっと根本的なことをする。スマホじゃなくて、お前が存在してる証拠を全部消す。戸籍、免許、保険、口座。過去も、未来も、全部」


「……それは」


「できるから言ってる」とユキナガは言った。「わかったらどっか行け」


 ドアが閉まった。


 廊下が静かになった。


 カズマはしばらく、閉まったドアを見ていた。






 その夜、ユキナガが作業室で端末を見ていた。


 画面の端に、小さいウィンドウが一つ開いていた。


 カズマの行動ログだった。


 今日の動線、通信履歴、アプリを開こうとした時間・回数。全部が出ていた。


 ユキナガは画面を見た。


 しばらく見た。


 ウィンドウを閉じた。


 閉じた後、少しだけ考えた。


 開き直した。カズマが今、リヴァに電話をかけている。


 カズマのファイルに、一行だけ追記した。


 ”要継続監視。リヴァとの接触に注意。”


 保存した。


 閉じた。


 コーヒーを一口飲んだ。


 マルボロメンソールに火をつけた。煙を吐いた。


 画面に戻った。


 別の仕事を始めた。


 それだけだった。


 カズマは知らない。


 自分のファイルに何が書かれているか、知らない。


 知らないまま、武蔵境拠点にいる。






 カズマはスマートフォンを持って、発信した。


 テキサスの番号だった。


 ログハウスのキッチンで、リヴァはコーヒーを飲んでいた。


 スマートフォンが鳴った。カズマだった。


 出た。


「よかった繋がった」


 普段より少しだけ、元気がなかった。


「何」


「聞いてよ」


「聞いてる」


「スマホ使えないの。3日間」


「何があったの」


「ユキナガの端末、ちょっと触ったら」


「ユキナガ?」


「ちょっとだよ。見ただけだよほぼ。そしたら全部止まった。SNSも、カードも、Suicaも、電子マネー全部。現金持ってないから買い物もできない。コンビニも行けない。駅も行けない。配達アプリも動かない」


「それは自業自得じゃ」


「そうなんだけど」カズマは少し間を置いた。「通話だけ生きてて。それで電話した」


「なんで私に」


「お前は出るから」


 テーブルの向こうでアルノが端末を見ていた。通話を聞いていた。


「カズマ」と私はアルノに向かってスマホを指で刺した。


「聞こえています」とアルノは言った。端末から目を上げなかった。


「ユキナガの端末を触ったらしい」


「それで?」


「3日間、全部のキャッシュレスが使えなくなってる」


 アルノが少しだけ止まった。


「……3日間で済んでいるんですね」


「え」


「以前、アルカにいた職員が同じことをしました」アルノは端末に戻った。「その方は翌日付で辞表を出しました。本人の意思で」


 通話の向こうで、カズマが黙った。


「……本人の意思で?」とカズマは言った。


「ええ。その後消えました。確かめようにも、電話すら通じない」とアルノは言った。「3日間で済んでよかったですね」


「……そっか」


「それと」とアルノは続けた。「処分は、伝えましたね」


「……ああ」


「3ヶ月、単独任務は凍結です。確認しましたね」


「確認した」


「よろしい」


 アルノが端末に戻った。


 通話の向こうでカズマが少し間を置いた。


「カズマ」と私は言った。


「何」


「ユキナガに謝った?」


「謝った」


「ちゃんと?」


「ちゃんと謝った。怖かった」


「そりゃそうでしょ」


「お前って」とカズマは言った。


「何」


「なんか、話しやすいな。普通に話せる」


「普通に話してるよ」


「それがいいんだよな」カズマは少し間を置いた。「テキサス、楽しんでるか」


「楽しいかどうかはわからない」


「訓練ばっかりか」


「そう」


「まあそうだろうな」カズマは言った。「俺もたまには訓練したい。ナイフの」


「嫌だ」


「なんで」


「怖い」


「俺ってそんなに怖いか」


「怖い」


 カズマが笑った。軽い笑い方だった。


「じゃあな」と彼は言った。「また電話していいか」


「別に」


「別にって、いいってことだよな」


「好きにすれば」


「好きにする」とカズマは言った。


 通話が切れた。


 アルノが端末を閉じた。


「カズマという人間は」と彼は言った。


「うん」


「あなたと仲が良いと思っているみたいですね」


「そうみたい」


「あなたはどう思っているんですか」


 少し考えた。


「わからない」と私は言った。「怖いけど、嫌いじゃないよ」


「それが彼との距離感として一番正確だと思います」とアルノは言った。「これ以上近づかないでください」


「わかった」


「本当にわかっていますか」


「わかった」


 アルノが端末をまた開いた。


 コーヒーが冷めていた。


 テキサスの昼の光が、キッチンの窓から白く入っていた。





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