勝機はない
朝7時、アルノがドアをノックした。
「リヴァ」
「起きてるよ」
「入ります」
ドアが開いた。アルノは手にタブレットを持っていた。いつものスーツではなく、グレーのシャツにスラックスだった。それだけで、今日が訓練日だとわかった。
リヴァはベッドの端に座っていた。着替えは済んでいた。ブラックのカーゴパンツ、白いロングスリーブ。髪を低い位置で結んでいた。カイが入れてくれたコーヒーが手元にあった。半分減っていた。朝食は食べる気にならなかった。
アルノはリヴァを一度見た。目の下を見た。何も言わなかった。
椅子を引いた。座った。タブレットをテーブルに置いた。
「今日の内容を確認します」と彼は言った。
「うん」
「午前と午後で分けます」アルノはタブレットを開いた。「午前は射撃訓練です。能力を使わない状態での精度確認と、カイのスポッター訓練を並行させます。レッドとイーサンが担当します」
「カイは」
「カイも訓練です。別の水準を上げる必要があります」アルノは一拍置いた。「あなたが能力をオフにした状態を支えられるスポッターになるために」
リヴァはコーヒーを一口飲んだ。
「午後は」
「トリガーの訓練です」アルノはタブレットをスクロールした。「ローワンから昨夜データが届きました。グレイの件以降の反応記録と、カジノでの視界消失を照合した結果です」
「…何かわかった?」どこか他人事のようだった。
「トリガーの種類と、能力消耗の間に相関があります」アルノは画面を見たまま言った。「トリガーが発動すると、能力の制御も一時的に外れるようです」
「うん」
「消耗した状態でトリガーを受けると、回復に時間がかかります。逆に言えば」アルノは一拍置いた。「体力と能力が充分な状態でトリガーに慣れておけば、咄嗟の発動を抑えられる可能性がある」
リヴァはアルノを見た。
「だから今日やります」
窓の外で風が鳴った。
「ちなみに、午後はハンドガンを使った模擬戦です」アルノはタブレットを置いた。「動きながらトリガーを受ける訓練です。静止した状態で反応するより、体が動いている方が制御しやすい場合があります。イーサンの提案です」
「模擬戦の相手は」
「イーサンです」
リヴァはコーヒーカップを両手で持った。
「私に勝機ある?それ」
「ありません」アルノは眼鏡を押し上げた。「ただ、勝つための訓練ではないので」
「わかってる」
「カイとレッドもそこにいます。私もいます。何かあった時に備えて」アルノは少し間を置いた。「全員います。見ています」
リヴァはアルノを見た。
「安心しろ、ということ?」
「そういうことです」アルノは言った。感情のない言い方だったが、それが全部だった。「ただ」
タブレットを閉じた。
「一つだけ確認させてください」
「何」
「昨夜、眠れましたか」
リヴァは少しの間、コーヒーカップを見た。
「少し」
「少し、というのは」
「眠れたってこと」
アルノは何も言わなかった。
眼鏡を、もう一度押し上げた。
「わかりました」と彼は言った。「では9時から始めます。それまでに食事を取ってください」
「アルノ」
「何ですか」
「なにかあったら…止めてくれる?」
アルノは立ち上がりかけて、止まった。
リヴァを見た。
「止めます」と彼は言った。迷わなかった。「私が判断します。あなたが続けると言っても、私が止めると判断したら止めます」
「……最終判断は私にしてほしい」
アルノは小さく息を吐いた。諦めの息だったが、嫌そうではなかった。
ドアに向かった。
「食事」と彼は言った。ドアを開けながら。「少しでも取ってください。今日は長くなります」
ドアが閉まった。
リヴァはコーヒーカップを持ったまま、しばらく動かなかった。




