第一部 TEXAS
ダラス・フォートワース空港。
乾いた光が、コンクリートを白く焼いていた。
滑走路の向こうで、ジェットの排気が陽炎みたいに揺れている。
「悪いな、俺は別口だ」ヴィクトルはそう言って、別の出口へ消えた。
ターミナル前の縁石に、黒のChevrolet Silveradoが停まっていた。
無駄に長いノーズ。高い車高。
男はそのフロントフェンダーに軽く腰を預けていた。
茶色の髪は、サイドと襟足を短くし、トップだけ長さを残して無造作に立っていた。短い無精髭がある。厚みのある体は、大型車の横でも小さく見えなかった。
男が彼女を見た。茶色の目を細め、軽く片手を上げた。
「よう」英語だった。
「こんにちは」リヴァも英語に切り替えた。
レッドは笑った。人懐こい笑い方だった。
「マーカス・ヴェイルだ。レッドでいい。よろしくな」
「なんで?」
「なんでもだ。テキサスだからな」
リヴァは瞬きを二回した。
レッドは手を出した。
「…リヴァ」
「よろしくな」
リヴァは手を出した。握手が痛かった。
ダラス郊外の射撃場兼アルカ支部は、空港から車で四十分。
合宿所のような場所だった。
ログハウスの裏手に、低い建物が横に伸びていた。
いわゆるモーテルの造りだ。平屋が一直線に並んでいる。外廊下。扉は塗装がところどころ剥げている。
屋根の端に、古いネオンの残骸がついている。もう光らない。
廊下の床はコンクリート。細かい砂が乗っている。歩くと靴底が乾いた音を立てる。
舗装が途切れた先、赤みがかった土の上に、ただ広がっている。
遮蔽物は殆ど無かった。
レッドの車が駐車スペースの砂利を踏んだ。
助手席のリヴァは窓の外を見ていた。地平線まで何もない。
「広い」リヴァは言った。
「テキサスはそういうとこだ」レッドは言った。ハンドルに片肘をかけたままだった。「空が全部見える。嘘がつけない」
「嘘がつけない?」
「狙撃手には都合がいいだろ」
リヴァは空を見た。
射撃場のログハウスの前に、一台の車が停まっていた。
Ford F-150。荷台に工具が積んである。
その脇に、男が立っていた。
砂色がかった薄いベージュの髪は短く、前髪を立ち上げ、額を出して後ろへ流していた。サンドベージュのジャケット。
腕を組んで、地面を見ていた。こちらが来ても顔を上げなかった。
カイよりも、レッドよりも身体が大きい。肩幅と胸郭の厚みが一回り大きく見えた。
レッドが車を降りながら言った。
「イーサン、来たぞ」
男が顔を上げた。
緑の目が、リヴァを見た。
「地熱で下から押し上げられてる。ここでは数値より1.2ミルは引け」
アルノが車から降りて、静かに眼鏡を押し上げた。
「精度の高いご挨拶ですね。イーサン・クロウ」
カイは荷物を肩に掛けたまま、無言でイーサンを一度だけ見た。
「武器の受け取りは」イーサンが言った。
「済んだ」カイが答えた。
イーサンはアルノとカイを見なかった。
最初から、リヴァだけを見ていた。
「話は聞いてる。来い」
射撃場は外見より整然としていた。中にはリヴァ、イーサン、カイ。
壁に架かった地形図は折り目がない。テーブルの上には風速計と、紙の手帳と、消しかけの鉛筆。
「座れ」
顎で示された場所に腰を下ろした。リヴァは木製のケースをテーブルに置いた。
金属の留め具を外す音が、静かな室内に響く。
「銃は」
「AXMC」
「見せろ」
リヴァはケースから取り出して、両手で差し出した。
イーサンはそれを受け取り、黙って構えた。
「重心の癖がある」
「どこ」
「右の肩甲骨が先に逃げる。緊張か」
カイが壁に背を預けながら、腕を組んだ。
「100メートルは誤差の範囲だ。1000メートルは命取りになる」イーサンが言った。
カイは何も言わなかった。目が少しだけ細くなった。
「ポジションを取れ」
リヴァは伏射姿勢に入った。バイポッドを地面に噛ませる。リアバッグで上下を微調整する。スコープに目を合わせる。
視界の先には、距離ごとに並んだ標的が鈍く光っている。
イーサンが手元の端末を操作した。レンジ奥のカメラ映像が、ログハウス内のモニターに切り替わる。
「300」
リヴァは息を吸った。半分吐いた。止めた。
引き金を引いた。
着弾がスクリーンに出た。中央から2センチ以内。
イーサンが手帳に何かを書いた。
「もう一発」
引いた。同じ場所に入った。
「もう一発」
また同じ場所だった。
イーサンはスクリーンを見た。手帳を見た。スクリーンを見た。
「距離を変える。500」
リヴァは構えを崩さずに待った。
「1000」
中央から四センチ。
イーサンが手帳のページを捲った。計算式を書き始めた。
イーサンは鉛筆を止めた。手帳から目を離した。
銃に手を伸ばした。バイポッドの固定部分を指で押さえた。ガタつきを確認した。
センサーハーネスのコネクタを抜いて、接点を見た。汚れていない。
風速計を見た。変化はない。温湿度計を見た。
最後に、人差し指だけで銃身に触れた。熱の乗り方を確かめた。
機材ではない。環境でもない。
もう一度、リヴァを見た。
「どこで覚えた」
「わかんない」リヴァは言った。
「いつから撃てる」
「気づいたら」
「訓練は」
「……」
イーサンは少しの間、リヴァを見た。
American Spiritを取り出した。火をつけた。一口だけ吸って、床のコンクリートに押しつけた。
「カイ」
「ああ」カイが壁際から言った。
「お前は残れ。話がある」
リヴァはログハウスの外に出た。
レッドが壁に背中をもたせかけて待っていた。Lucky Strikeを指に挟んでいた。
「お疲れ」彼は言った。
「…なんかやらかしたっぽい」
レッドが笑った。煙草を一口吸った。それからリヴァを横目で見た。「なあ」
「何」
「イーサンがあんな顔するの」彼は言った。声を少し落とした。「初めて見たぜ」
「どんな顔」
「計算が合わないって顔」
レッドは煙草を灰皿で押した。
「問題ありそう?」リヴァが言った。
「逆だな。興味を持ったってことだ」
”Redford (For Yia-Yia & Pappou)” — Sufjan Stevens




