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異常検知


 ちょうど深夜〇時だった。


 部屋の奥、モニターが六枚並んでいた。常時映像が流れていた。外周。正面入口。裏口。駐車スペース。フィールドの端。路上の一角。どれも似たような映像だった。人が通る。車が通る。風が木を揺らす。それだけだった。


 アルノが後ろに立った。


「まずは十五分、観測してください」


 それだけ言った。説明はなかった。何を見るべきか。何を記録すべきか。何が重要か。何も教えなかった。


 部屋はモニターの光だけだった。アルノの顔が映像の反射で白かった。


 リヴァは眠かった。肩が凝っていた。視界がぼやけていた。瞬きのたびに焦点が戻るまで時間がかかった。


 リヴァはモニターを見た。


 六枚、同時に見ようとした。目が追いつかなかった。一枚ずつ見ると、他が抜けた。どこを優先するかがわからなかった。


 十五分が経った。


「では、記録してください」


 リヴァは書いた。


 誰が何回通ったか。右利きと思われる人物。スマートフォンを操作していた人数。不自然な動きをした人物。一番警戒していたと思われる人物。その根拠。


 書きながら、抜けていることがわかった。通った人数すら正確じゃなかった。根拠を書こうとすると、映像の記憶が曖昧だった。感覚として「あの人が怪しかった」はあった。でもなぜそう感じたのか、言葉にならなかった。


 アルノが記録を受け取った。黙って読んだ。


「……」


 その無言の意味がわからなかった。良いのか悪いのか。良い訳はないと思うけど、それのどこが足りないのか。何も言わなかった。


「東側入口、三分前から変化しています」


「……え」


「気づきませんでしたか」


 責めていなかった。声色が変わらなかった。


 それが逆にしんどかった。


 リヴァは記録を見た。東側入口の欄が薄かった。人が通ったことは書いてあった。変化については何も書いていなかった。


「……何が変わったの」


「同じ状況なら全員死にます」


 リヴァは東側入口の映像を見た。


 もう一度。


 何もわからなかった。


 人が通っていた。車が一台、減速した。


 男が煙草を吸っていた。


 それだけだった。


 でも、アルノは「変化」と言った。


 つまり、自分には見えていない。


 リヴァは映像を巻き戻した。


 三分前。


 もう一度見た。


 同じだった。


 同じに見えた。


 何回見ても、わからなかった。


 背中が重かった。


 眠気じゃなかった。


 焦りだった。


 わからないまま次へ進まされる感覚が、一番しんどかった。


「……ヒントは」


 言いかけた。


 アルノは答えなかった。


 モニターを見たままだった。


 その沈黙で、聞いてはいけないのだとわかった。


 リヴァはまた映像を見た。


 瞬きを減らした。


 人の歩幅。


 視線。


 立ち止まる位置。


 車の速度。


 煙草を持つ手。


 今まで「背景」だったものを、一つずつ切り分け始めた。


 東側入口の男が、二回目に通った時だけ、入口を見ていなかった。


 代わりに、カメラを見ていた。


 そこで、リヴァの手が止まった。






 二度目。今度は三十分だった。


 今度は東側入口を意識した。人が通った。また通った。何かが変わった気がした。でも何が変わったのかが言葉にならなかった。変わった、という感覚だけがあった。


 三十分が終わった。


「東側、何が変わりましたか」


「……人が、増えた気がする」


「気がする、ではなく」


「……増えた」


「何人から何人に」


 答えられなかった。数えていなかった。


 アルノが少し間を置いた。右上のモニターを指す。


「三分前、ここの窓が開いたのは見ていますか」


「……」


「開いた幅は四センチ程度です」


 アルノから何の感情もなかった。いつものため息もなかった。


「狙撃手に撃たれて、死にましたね」





「もう一度」


 三十分が始まった。もう何度目か考えていなかった。


 今度は数えた。東側入口を通る人数を数えた。数えながら他のモニターが抜けた。六枚全部を見ながら、一枚を数えることができなかった。


 終わった。


「東側、何人通りましたか」


「……三人」


「四人です」


 また抜けていた。


 アルノが静かに言った。


「今の一名を見逃したことで、仲間が死にました」


 責めていなかった。ただ言っていた。


「違和感は」


 リヴァは答えられなかった。変だとは思っていた。でも何が変なのかがわからなかった。感覚はあった。言葉がなかった。


「……変な感じはした、けど」


「どこが」


「……わからない」


「リヴァ。今何時ですか」


「…朝五時くらい」


「午前二時三十分です。もう一度。」


 全然時間が経っていなかった。





 外が白み始めた頃、一度だけアルノが止まった。


 リヴァが記録を出した。アルノが受け取った。読んだ。


 数字が、途中から意味を持たなくなっていた。


「……ええ。今のは良い観測です」


 声が低かった。淡々としていた。


 なのに、うれしかった。


 今日初めて、良いと言われた。それだけだった。それだけなのに、またその一言が欲しくなった。


 危険だとわかっていた。


 でも、疲れていた。


 縋るしかなかった。




 寝たかった。とにかく、解放されたかった。


 二時三十分までしか時間がわからなかった。


 アルノは眠くないのだろうか。


「今、何が変わりましたか」


「……」


「リヴァ。何が変わりましたか」


「……人が減った」


「それは十分前です」


 もう頭が働いていなかった。


 アルノは続けた。


「もう一度」


 リヴァはモニターを見た。見ようとした。全部が同じに見えた。動いているものと動いていないものの区別がつかなくなっていた。目が情報を拾っていなかった。拾えなかった。


「……もうわかんない」


 声が出た。止めようとしたが出た。


 アルノが少し黙った。


「"見えていない"のか」アルノが静かに言った。「"見ようとしていない"のか、どちらですか」


 逃げ場がなかった。


 距離が近かった。声が低かった。怒鳴らなかった。


 責めていないのに、全部見えていた。疲労で視野が狭くなっていること。呼吸が浅くなっていること。視線が速くなりすぎていること。全部、アルノには見えていた。




 カイが一度、入口のあたりに立った。


 扉は開かなかった。ガラス越しに見ていた。


 一分ほど見て、廊下の奥に消えた。何も言わなかった。




「あなたは当てられます」アルノが続けた。「ですが当たる感覚に依存すると、観測が死にます。感覚は道具です。手順がなければ、感覚は暴走します」


 録画が続いた。


 リヴァはモニターを見ていた。疲れていた。眠かった。それでも目が離せなかった。


 さっきまで全部同じに見えていたものが、少しだけ違って見え始めていた。


 それが怖かった。


 見え始めたら、もう戻れない気がした。


「今の時間は」


「午後一時、くらい」


「いいえ。午前十時四十五分です」


 全然ダメだった。考える気力も起きなかった。


 リヴァはモニターを見たまま聞いた。


「…アルノも、この訓練やった?」


 少し間があった。


「似たものは」とアルノは言った。「ただ、少し違います」


「どう」


 アルノは録画を一時停止した。


「私の場合、最初の観測訓練は三十六時間でした」


 リヴァは顔を向けた。


「……ぶっ通し?」


「ええ」アルノは画面を見たまま言った。「三十六時間、監視映像を見続けます。途中から判断力が落ちます。何が異常で何が正常か、わからなくなってくる」


「お尻痛そう」


「ええ。今座っているような良い椅子じゃなく、鉄のベンチでした」


 今も普通のパイプ椅子だった。お尻が痛くてたまらなかった。このせいで発狂したくなった。


 椅子まで覚えているのは、相当辛かったからだろうと勝手に推測した。


「…大変だったね」


「いいえ。そこから始まります」アルノは少し間を置いた。「終わった後、判断を迫られます」


「え」


「映像の中に、5人います」アルノは静かに言った。「全員を助けることはできない。どの順番で、誰を切るか。30秒で答えろと言われます」


 静かだった。


「それが訓練」


「訓練というか、試験でもそうでした」


「正解わかんなそう」


「正解はありません」アルノは言った。「どう判断したか、その根拠を言えるかどうかが見られています。判断そのものより、判断が崩壊していないかどうかを確認されます」


 リヴァは前を向いた。


 崩壊。それはどういうことだろう、と考えていた。


 映像が止まっていた。


「……崩壊した人はいたの」


「大半が」アルノは言った。「答えられなかった人も、泣いた人も、怒鳴った人もいました」


「アルノは」


 少し間があった。



「私はこういうのが得意なので」



 淡々としていた。自慢でも謙遜でもなかった。ただ、事実だった。


 リヴァが少し間を置いた。


「……それが、ここで指揮を執ってる理由?」


「…そうですね」


 それだけだった。


 アルノが映像を見た。映像は止まっていた。


「本来なら、この程度で止めません」


 淡々とした声だった。


「訓練はまず観測が崩壊するまで続けます。判断能力が落ちた状態で、なお正しく優先順位をつけられるかを見る」


 リヴァは黙っていた。


 アルノは特に感情を乗せなかった。


「それで使えなくなった人間も、いました」


 静かだった。


 モニターの光だけが部屋にあった。


「……じゃあ、なんで今訓練を止めたの」


 アルノが少しだけ視線を上げた。


「危機感知まで入ったので」


 即答だった。


「さっきから、あなたは違和感を先に拾い始めています。まだ言語化は遅いですが、感覚そのものは変わった」


 アルノが眼鏡を押し上げた。


「イーサンの指示は、そこまでです」


 静かだった。


「本来なら、ここから先も続けます」


 アルノはモニターを見たまま言った。


「危機感知が入った後、観測者は急激に変わる。異常を拾えるようになる代わりに、壊れる人間も出る」


 リヴァは黙っていた。


「他の人間なら、ここから先で適性を見ます」


 アルノが続けた。


「ですが、あなたは替えが利かない」


 淡々としていた。


「この段階で十分です」


 リヴァは少し黙った。


 替えが利かない、と言われた言葉が、妙に頭に残った。





 リヴァが何気なく聞いた。


「さっきのこの映像、アルノには何が見えてるの?」


 アルノはリヴァを見た。


「思ったより元気ですね。続けますか?」


「やめときます」


 アルノが少し画面に目を向けた。


「私が見ていて思ったことは」


 モニターにゆびをさした。


「三分前、この画面の左端に赤い帽子の人物がいました」


 リヴァは巻き戻した。確かにいた。一瞬だけ映って消えた。気づいていなかった。


「おそらくギャングの構成員です。中堅くらいのポジション」


「…」


「帽子の角度と、歩き方です。縄張りを意識した動きをしています。ただ威圧はしていない。上の人間がいる場所では目立たない動きをするよう訓練されている。それが中堅の動き方です」


 アルノは続けた。


「その後、視線が一度だけ右の路地に向いています。次に来る人間の導線を確認しています。おそらく、もう少ししたら上のポジションの人間が来ます」


 リヴァは画面を見た。


 二分後、別の人物が映った。


「来ました」アルノが言った。「この人物がボスクラスです。歩き方が違います。周囲を確認していない。する必要がないと思っている」アルノのペンが画面を指した。「左手でコートの裾を払っています。左利きです。右側に重心をかける癖がある。腰の右側に何か携帯しているか、右足に古い怪我がある」


 アルノは少し間を置いた。


「……この場合、怪我ですね。携帯しているにしては、重心をかけすぎです。警戒はします」


「ほかにわかることってある?」


「袖口の日焼けの跡と、右肩の上がり方からすると、ゴルフでもやっている人間かもしれません。関係構築の糸口にはなりますね」アルノは画面から目を離さなかった。「それより、この人物を見てください。四分前に右の路地にいた人間です」


 リヴァは目を凝らした。


「……いる」


「赤い帽子の人物と、さっき一瞬目が合っています。ここです」アルノがコマを止めた。「この二人、今夜何かをやります」


 静かだった。


「無力化順はボスクラス。次に右路地。三番目が中堅」


 リヴァはしばらくモニターを見ていた。


「……全部見えてたの、最初から」


「今は私が見ても意味がないでしょう」


 アルノが端末を閉じた。


「お疲れ様でした」


 淡々としていた。ねぎらいではなかった。確認だった。


 リヴァは椅子から立った。壁に手をついた。足の感覚が戻るまで少し待った。


 ドアを開けた。


 廊下が明るかった。昼の光が窓から入っていた。目が痛かった。暗い部屋にいすぎた目には、普通の昼の明るさが刺さった。


 目を細めたまま廊下を歩いた。


 イーサンがいた。


 壁に背中を預けて、腕を組んでいた。待っていたのか、たまたまいたのか、わからなかった。たぶん待っていた。


「終わったか」


「……うん」


「早かったな」


「え」


 イーサンがリヴァを見た。上から下まで、一度だけ見た。


「最後に水を飲んだのは」


「水?」


 リヴァは少し止まった。


 考えた。


 昨日の夜、アルノの訓練が始まる前。キッチンで一杯飲んだ。それから部屋に入った。それからずっと、モニターを見ていた。


「……昨日の夜」


「何時頃」


「……11時。...40分ごろだと思う」


 イーサンは何も言わなかった。


 リヴァは今更、喉が渇いていることに気づいた。気づいたら急に渇いた。さっきまで気づかなかった。集中していたから気づかなかった。体が動いていなかったから気づかなかった。


「……気づかなかった」


「ああ」イーサンは壁から背中を離した。「喉が渇いたと感じる時点で、すでに遅い」


 歩き始めた。


「来い」


「どこ」


「射撃場だ」


 リヴァは少し止まった。


「今から?」


「今から」


「……水は」


「後で飲め」


 イーサンは振り返らなかった。


「アルノが前倒したから、時間を増やせる」


 リヴァは歩いた。足の感覚はまだ完全には戻っていなかった。

"24" / Lana Del Rey

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