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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十五章「凍結回廊 ― Frozen Corridor」

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看守


「……っは…」


 胸元のベルトが張った。


 エリアスは天井を見上げた。


 視界がぼやけている。


 左手首を留められた拘束具が、処置台の枠へ当たる。


 右腕は身体の前で支えられ、肘の下に畳んだ布が入っていた。


「勝手に寝ることは許可していません」


 声の方に視線を向けると、数人の気配があった。


 額の血が、くすんだ金茶の髪を束にしていた。


 オラヴルがガーゼを離すと、エリアスの顎に力が入った。開いた唇から、短く息が漏れた。


 ヴィクトルは処置台の足元に立っていた。腕を組み、エリアスを見下ろしている。


「どこ見てる。目逸らすな」ヴィクトルが言った。


「こっちだよ」


 オラヴルが顎を支えた。エリアスは歯を食いしばり細く息を吐き、処置台の横にいるアルノへ目を向けた。


「……う…っ」


 アルノが一枚のカードを持ち上げた。顔写真の下に、エリアスの名が印刷されている。


「この職員証は、施設で渡されたものですね」


「……連れてこられてから、……渡された」


「では、あなたはあの組織の仲間なんですか」


「……違うよ」


「お前の経歴はさっき聞いた。レオポルドフで終身刑の連中を扱ってた看守だ。護送もやってたと。だから捕まった先でも、同じ仕事を任されたわけか」


 エリアスはヴィクトルへ視線を移した。目の周りには汗が溜まり、頬へ乾いた血が引かれていた。


「……俺だってわからないよ。……3日前、気づいたらあの場所にいたんだから」


 ヴィクトルが煙草の煙を吐いた。


「お前が何をやってたか聞いてる」


「人を、部屋から出した。抵抗されたら拘束して、引き渡したよ。終われば俺も……戻された」


 エリアスは途中で息を吸い直した。


「……ちょっと、疲れてるんだ。休ませてくれないかな」


「まだそれは駄目かな」オラヴルが言った。


 アルノがカードを机へ置いた。


「引き渡した相手は、毎回同じ人物でしたか」


 エリアスは小さく息を吐いた。


「……違う人もいた。名前は聞いてないけど、顔は覚えてるよ」


「引き渡しのあと、収容者はどこへ運ばれましたか」


 エリアスはアルノを見たまま、ゆっくりと息を吐いた。


「……俺が見たのは、扉が閉まるところまでだよ」


 アルノは端末へ記録し、画面を切り替えた。


 オラヴルのガーゼが傷に触れた。エリアスの腹に力が入り、身体を起こそうとした肩がベルトに止められる。右腕を支えていた布がずれ、喉の奥で声が詰まった。


「……っ、は……」


「肩を動かさないで。さっきまで脱臼してた」


 オラヴルは右腕の支えを直し、そのままエリアスの顔を覗き込んだ。エリアスは目を閉じ、息を吐く時に声が漏れた。


「目を開けて。こちらを見なさい」


 灰茶色の目が開いた。オラヴルが顔を動かすと、その動きを追った。


「聞こえているね。続けて、アルノ」


 エリアスの口元が曲がった。


「……参ったな」


 オラヴルはエリアスの頬を伝った汗を拭った。顎を支えた手は離さなかった。


「……一緒に逃げた人は、どうしてる?」エリアスが言った。


 アルノは端末へ伸ばしかけた手を止めた。


「別室で保護しています」


「……あの人も、拘束されてるの?」


 エリアスはアルノの顔を見ていた。


「していません。その必要はないと判断しています」


 エリアスは握っていた左手を開き、処置台へ下ろした。


「……よかった」


 ヴィクトルが腕を組んだ。


「花村の心配してる場合じゃないぞ」


「花村……そんな名前なんだね。……日本人?ジャパニーズって繰り返してた」


「ああ」


 アルノがヴィクトルを見て、眉を寄せた。


「勝手に情報を与えないでください」


「別にいいだろ」


 アルノが息を吐いて、端末をエリアスへ向ける。倉庫の前に立つ男の画像が表示されていた。


「この人物は施設内で見ていますか」


 エリアスが目を細めた。頭を浮かせかけ、オラヴルの手に止められる。


「よく、見えない」


 オラヴルが机の端から綺麗に拭かれたエリアスの眼鏡を取った。細いフレームを掛け、耳の上に引っ掛かっていた髪を外した。


「はいどうぞ」オラヴルが言った。


 エリアスは画像へ目を戻した。


「……その人だよ。カードを渡したのは」


 ヴィクトルが処置台の横へ来た。腕を組んだまま、端末とエリアスの顔を見比べた。


「指示も、その人から受けてた」


「そいつより上の人間には会ったか」


「……上かどうかは、知らない。俺の話を聞いて、仕事を決めたのは、その人」


 ヴィクトルが身を屈めた。エリアスは目を逸らさなかった。


「随分、そいつの言うことを聞いたんだな」


「初めに花村を逃がそうとしたとき、その人に腕捻られたんだ。それで脱臼した」


「まあ、口だけならなんとでも言えるな」


 呼吸が切れた。エリアスは唇を閉じ、鼻から息を吸った。


 間があった。


「……冗談やめてよ、…何人倒して出てきたと思ってるの」エリアスが吐息交じりに言った。


「へえ。何人だい?」オラヴルが言った。「君の肩は、僕が処置するまで脱臼したままだった。最初の脱出で外されたなら、そのあと何人も倒せる状態じゃないよ」


 ヴィクトルが少し笑った。


「食い違ったな。花村は、お前に二度逃がされたと証言してる。その肩でどうやったんだ?」


 エリアス息を吐いて、顔を顰めた。


 ヴィクトルは身体を起こし、机の端末へ目をやった。


「スロバキア側の記録も当たった。三十三歳。レオポルドフ勤務。お前の申告した職員番号とも一致する人間は出てこなかったぞ」


 エリアスの視線が止まった。


「なん……」


「部署も、仕事の内容も存在する。お前の履歴がない。借り物の経歴なら、ここでやめとけ」


「ちゃんと調べてよ…」


「うちの優秀な情報担当が調べた」


 エリアスは口を開き、息を継いだ。眼鏡の縁を汗が伝い、頬へ落ちた。


「……そんな…はずはないんだ。その番号は、俺の……」


「それを確かめられないと言ってる」


「そしたらエリック……同居人に聞いて」


「お前がさっきも話してた、そいつの番号は使われてない」


「は………?」


 エリアスの呼吸が止まった。


 オラヴルはそれを見て、目を細めた。


 エリアスは視線を下げずにいたが、呼吸は速くなっていた。胸が持ち上がるたびに、固定された右腕の指が曲がった。


「……っう、馬鹿げてるよ、どうしてそんな、」


 オラヴルが首元へ指を添えた。しばらく触れてから手を下ろし、エリアスの額へ新しいガーゼを当てる。


 エリアスの身体が硬くなった。左手が握られ、指の関節が白くなる。処置台へ押しつけられた踵が擦れた。


「……っ」


「息を止めないで。声が出るなら、出すといい」


 エリアスはオラヴルを見た。口元にはまだ薄い笑みがあったが、息を吐くと頬が引きつった。


「拘束までして、三人がかりで俺を騙してる。……本当にたちが悪いね」


「不満そうだな。看守」ヴィクトルが言った。


 オラヴルはガーゼを替えた。


「アルノ、進めて」


 アルノが次の画像を表示した。倉庫へ入っていく別の男だった。


「この人物へ、収容者を引き渡したことはありますか」


 エリアスは画面を見た。瞬きをして、もう一度顔を確かめた。


「……ある」


「場所を」


「廊下の奥。さっきの扉の前」


「その時、この男が持っていたものを教えてください」


 エリアスの左手が処置台の上で開いた。掌には爪の跡がついていた。


 返事の前に、長く息を吐いた。吸い直そうとしたところで額を押さえられ、喉から掠れた音が漏れた。眼鏡の奥で目が閉じた。


 オラヴルが頬に触れた。


「まだ、終わってないよ」


 エリアスは睫毛を持ち上げた。端末には男の画像があり、その横には次の画像が並んでいた。


 アルノは端末を支えたまま待っていた。ヴィクトルも腕を組んだ姿勢を変えず、エリアスを見ている。


 オラヴルの手が、顎を支え直した。


「まだ元気そうだな」ヴィクトルが言った。

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