お遊び
東京拠点 共用スペース。
窓が少し開いていた。十一月に入りかけた冷たい風がカーテンを揺らし、テーブルに広げられた書類の端を持ち上げている。
リヴァはソファに沈み、膝の上にクッションを抱えていた。朝のトレーニングは途中で切り上げている。向かいのテーブルではアルノとアオイが端末を見ており、オラヴルは書類を読んでいた。
部屋の中央では、フィンとカイが向かい合っていた。フィンはカイの右手を取り、手首を支えながら掌の向きを確かめている。
「いくよ」
フィンの手が振れた。
乾いた音が鳴った。
掌が頬を打ち、カイの顔が横へ振れる。
カイはそのまま一拍止まり、フィンへ顔を戻した。
「……」
「じゃあ次。カイの番」
フィンが自分の頬を差し出した。
カイの眉が下がった。
右手を上げる。フィンの頬へ近づくにつれて速度が落ち、触れる頃には勢いが消えていた。掌が柔らかく頬を撫で、そのまま離れる。
音はしなかった。
「……なんで撫でてんの。それじゃダメだよ。だからさ、手を」
フィンがカイの右手を取った。手首を支えて掌の向きを変え、頬へ当たる角度を合わせる。カイは困った顔のまま、自分の手とフィンの顔を交互に見ていた。
アオイが二人を眺め、隣のアルノへ少し身体を寄せた。
「あの…あの二人何してるんですか」
「さあ」
アルノも端末を持ったまま二人を見ていた。
フィンがカイの手を離し、顔を横へ向ける。
「アオイ」
「……いやです…」
「嫌じゃない。大丈夫俺上手いから」
アオイはフィンを見た。
少しして、テーブルに置いていた手を引き、椅子から立った。
「反射で避けたらすみません…」
「それは許さない」
「うう…」
フィンの前に立つ。
右手が振れた。
鋭い音が室内に響き、アオイの顔が横へ向いた。
アルノが眼鏡の奥からフィンを見る。アオイは頬へ手を当て、指先で何度か触ってから顔を戻した。
「え…」
「フィン」
アルノが止めようとフィンに声をかけたが、アオイはそれどころではなく頬に手を置いていた。
「マジで痛くない、すごい…なんだこれ…どうやるんですか」
アルノの声を越えて、アオイがフィンの手元を覗き込んだ。
フィンは自分の掌を見せた。
「ここの手をね、…」
頬へ触れる位置を指し、手首を動かす。アオイは自分の頬を押さえたまま、その軌道を追った。
「じゃカイに叩かれてみて」
「それは首吹っ飛ぶのでいやです」
カイがアオイを見た。
「……」
アオイはカイから目を逸らした。
ソファから見ていたリヴァが顔を上げた。
「むずかしいの」
フィンが手招きした。
「カイにやってみて」
リヴァはクッションを置いて立ち上がった。カイの前まで来ると、顔を見上げる。
「高い」
カイが膝を曲げた。
フィンがリヴァの手を取り、掌の向きだけ直した。
「ここから振って、当たったところで抜く。強く振らなくていいよ」
「うん」
リヴァが右手を上げた。
「いくよ」
乾いた音が鳴った。
カイの顔が横へ振れる。
リヴァは自分の掌を見た。
「痛くない?」
カイが顔を戻した。
「もう一回」
リヴァがカイを見る。
「できてなかった?」
「できてた。もう一回」
カイはアオイを見ず、また少し膝を曲げた。
リヴァがもう一度手を振った。
今度はさっきより大きな音が鳴った。
カイは頬へ触れもせず、すぐ顔を戻した。
「今の方がいい。衝撃があった」
「あれ?逆じゃない?」フィンが小声で言った。
「いい感じ?」
「うん。もう一回」
「もういいよ」フィンがカイの肩を押して退かせた。
「……」
「はいはい、カイ喜ばないでねー」
カイは不満そうにフィンを見たが、何も言わなかった。
「喜んでない」
向かいで紙が擦れた。
「そんなに痛くないものなのかい?」
オラヴルが書類から顔を上げていた。
リヴァが振り返る。
「やってみる?」
オラヴルはしばらくリヴァを見た。
「僕が?」
「どんな感じか気になるんでしょ」
オラヴルが書類をテーブルの上へ置いた。
立ち上がってリヴァの前へ来る。
「しゃがんで」
「え、される方かい?」
「え?」
「えっ?」
オラヴルがしばらく黙ってから、無言で腰を落とした。
リヴァの手が振れた。
ぱん、と音が響いた。
オラヴルの顔が横を向いた。
そのまま動かなかった。
リヴァの手が少し下がる。
「……オラヴル?」
オラヴルがゆっくり顔を戻した。
口元には何も浮かんでいなかった。
ただ、目だけが変わっていた。
さっきまで書類を読んでいた時とは違う、冷えた青がまっすぐリヴァへ向いている。
リヴァが瞬いた。
「痛かった?」
「いや?」
フィンが眉を上げた。
「オリ?」
「上手だね」
オラヴルはそう言って、リヴァの手首を取った。
掌を上へ向けさせる。
指先で、さっき自分の頬を打った手のひらをゆっくり撫でた。
「なるほどね」
声は穏やかなままだった。
そなら声にアオイが端末から手を離した。
「え、こわ……」アオイの呟きが漏れた。
リヴァが自分の手とオラヴルの顔を交互に見た。
「オラヴル、ご、ごめ…」
「ん?」
リヴァの肩が止まった。
「オラヴルも、やる…?」
オラヴルが穏やかに笑った。
「そんな可哀想なこと、できないよ」
奥で端末をみていたアルノの喉が、微かに動いた。
オラヴルは何事もなかったように席へ戻り、書類に戻った。
カイがアルノを見た。
「アルノもやられろ」
アルノが端末から顔を上げる。
「……なんですか」
「アルノはやる方が得意だもんね」リヴァが言った。
「リヴァに最初に会った時、やっただろ」
アルノが黙った。
「両腕捕まってた」
アオイの視線が横へ動いた。
「何ですかその状況……」
「アルノの趣味だった」リヴァが言った。
フィンもアルノを見る。
「…あなたを初めて保護した時は、事情がありましたので」
リヴァは少し考えてから、アルノの前まで歩いた。
アルノは端末を持ったまま動かなかった。
「リヴァ、待っ、」




