記憶の食い違い
都内某所。
マンションの一室だった。
窓からは都会が見下ろせるが、薄いカーテンがかけられて部屋からはほとんど見えていない。
光臣が紙束をテーブルへ音を立てて置いた。そのまま、テーブルへ半分腰を乗せた。
惣一は煙草を吸ったまま、一番上を取った。
「外部への情報提供、金銭の受領、誰かからの継続的な指示。その辺りは一通り聞きました。隠し事は大小ありましたが、あなたが探しているものとは違います」
紙面は余白まで細かな字で埋まっていた。回答の横には時刻が振られ、聞き直した箇所から線が伸び、欄外にも追記が重なっている。
「随分働いたな」
「久々にあなたに頼られたら嬉しくて」
「嫌がる演技も大概だな」
光臣は肩を少し上げた。
「まず、アルノは問題ありません。経歴も家族も既存資料と一致しました。普段より素直でしたよ」
「弱らせたからだろ」
「自白剤のようなものと、短期記憶に干渉するちょっとしたものですよ」
「こいつは一番手間取るかと思ったが」
「ええ。だから最初にしました。彼には、私が仲間だと認識してもらいました」
「沖縄で吐いた内容は出てきたか」
「ほぼ吐いてなさそうでしたよ。52時間の尋問を経ても」
「結構」
惣一は次をめくった。ヴィクトルを指した。
「こいつは」
「嘘は多いですが。仕事上のものと私生活を隠すものがほとんどです。外へ何かを渡している形跡はありません」
惣一の指が一箇所で止まった。
「へえ」
「嘘と本当の話がごちゃ混ぜすぎて、繋ぎ合わせて報告書を書くのが面倒でした。経歴なんて五回聞いても本当の話をしてくれない」
惣一は小さく笑って、その頁を裏返した。
「アオイは白です。ただ、別件で少し引っかかりました」
「何だ」
「自分の生死を軽く扱います。泣きながら死にたいって言ってましたよ。かわいかった」
「変態め」
「人聞きの悪い」
「任務に響くか」
「今すぐは平気でしょうね」
「なら置いとけ。死にてえ奴まで一人ずつ抱えてたら、組織なんざ回らねえ」
惣一はフィンの束を取った。他より書き込みが多く、途中から質問に番号まで振られている。
「これは」
「ああ、彼ですね。彼、すごいです。途中で私が何をしてるか気づかれました」
「薬入ってんだろ」
「入ってます。それでも、同じ質問への答え方を途中から変え始めた」
「で」
「その分を差し引いてもスパイではないです。外へ売っている人間ではない」
「ならいい」
次へ移る。
カラムの頁は、他より空白が目立った。
「こいつは喋らなかったか」
「喋らないというより、知らない。誰にいくらで雇われたか等、本人が持っていない情報が多すぎます」
「使う側には便利だな」
「ただ、子供の頃の話を話させようとすると、止まっちゃうんですよね」
「…そうか」
「フィンに、組織のことは話すなと日頃から怒られているようで、本人が必死に従おうとしていたので面倒でしたね」
惣一は煙を吐いた。光臣が続けた。
「耐性があるようで薬を多めに入れても効きが悪かったです。かなり入れたので今ごろまだ影響が出てるかと思います。順番も最後でしたし」
「グレイの話は」
「ほぼ無し。断片のみ、まとめてあります」
惣一は最後の頁まで見て、紙を置いた。
「カイは他の三倍は薬を入れています。それでなんとか話し始めました」
「わかった。いい」
光臣が笑った。それからオラヴルのページを横から開くと、笑顔が止まった。
「彼のことは、ご存知なんですよね」
「うちに来る数年前まではな」
光臣が一枚抜いた。
「あなたが危惧していた、意図的に外へ情報を流した形はありません」
「結構」
惣一は紙を束へ戻した。
「ユキナガはしなくて良かったんですよね」
「ああ。俺が見てから入れた」
「ではあなたが懸念していた、スパイの話なら終わりです。このメンバーで任務も組んでいいでしょう」
光臣は残っていた紙に手を置いた。
「ただ……」
惣一が目だけを上げた。
光臣は三枚を抜いた。
「リヴァ、オラヴル、カズマ。この三人だけ、妙なものが混ざりました」
「何だ」
「経歴に当てはまらない生活の話です」
惣一はオラヴルの紙を取った。
「薬で飛んだんじゃねえのか」
「そう思って聞き直しました。ところが、言葉を変えても同じところへ戻る」
次をめくった。
「カズマも?」
「ええ。本人が普段話している過去とは繋がりません」
「リヴァからは何か出たか」
「少しだけ妙なものが」
最後にリヴァの紙を開いた。
途中の数行だけが囲われていた。
惣一の指が下へ動いた。
「学生寮。四畳半…なんだこれは」
「三回聞きました」
惣一が煙草を咥えた。
「…あと、夜十時以降は禁止。…何が禁止かはわかりませんでした」
惣一は煙草の灰を落とした。
「……レオンハルトの場所に四畳半はねえだろ」
「使用人の部屋に居たとか」
「…畳で数えるか?」
「日本の可能性が高そうですよね…」
「……十時以降禁止…」
「レオンハルトの所に居たよりも前、とか」
「……」
「レオンハルトのところの記憶については、意図的に話さないようにされてますね。突破できませんでした」
惣一は三枚を重ねた。
「作り話の線は」
「捨てきれませんが。八人いて、この三人だけ同じ種類の食い違いが出た」
光臣が小さく笑った。
惣一は三枚を紙束の上へ置いた。
「結構。報酬はあの時と同じか」
「はい。あなたの所の財団から研究助成にさせてもらいます」
「研究熱心だな」
「育てがいのある子が入りましたので」
光臣がテーブルに体重を預け、足を浮かせた。
「で?ご褒美は?」
「……なんだ」
「徹夜ですよ、私」
「勝手に楽しんだんだろ」
光臣は少し黙ってから、惣一を見た。
「どんな因果でしょうね。教え子があなたの組織の手伝いをしたいと言い出すだなんて」
「因果じゃ無えと言ったら?」
光臣が目を開いた。口を開きかけたが、なかなか言葉が出てこなかった。
惣一は煙草を咥えた。
「後ろ向け」
光臣が少し止まってから、息を吐いて笑った。
テーブルから立ち上がった。
惣一は煙草を灰皿へ押しつけると、テーブル脇の引き出しを開けた。中で革が擦れる音がした。
「……ちゃんと泣かせてくださいね」
「昨日散々泣かせてただろ」
「今度は私です」
しばらくして鋭い音が鳴った。光臣の背が強張り、喉の奥から押し殺した声が漏れた。




