問診
東京拠点 共用スペース 午後十二時五分。
ダイニングテーブルには、惣一が作った昼食が並んでいた。焼き魚、ほうれん草のおひたし、ひじきの小鉢、味噌汁。中央には甘く煮た金時豆の小鉢と、出汁巻き卵が置かれている。
リヴァの前には、別の小皿があった。砂糖を入れていない出汁巻きだった。
光臣とルカも招かれていた。ルカはユキナガの隣に座り、向かいではフィンとカイが食事をしている。アオイはテーブルの端、カラムはその隣に座っていた。カズマは少し離れた椅子で、金時豆を箸で一粒ずつ摘んでいる。
リヴァは出汁巻きを一切れ口に入れた。
「んまい」
「これは」
惣一がリヴァの前にひじきの和物を置いた。
「……」
リヴァが惣一を見て、箸をゆっくり置いた。
「お前」惣一が舌打ちした。「…好き嫌い多いな…」
「ついにおこられた」向かいの席でフィンが笑った。
惣一はリヴァの小鉢を取り、カズマの前へ置いた。
「やった」
カズマがすぐに一口食べた。
昼食を終えかけたところで、光臣が持ってきた書類をアルノへ渡した。ルカの研究室側の予定と、今後アルカから解析を依頼する際の連絡経路について確認していたものだった。
「すごいね、惣一さん。こんな美味しい社食が食べられるなんて、ユキはラッキーだね」
「惣一でいい」
そう言って惣一はルカに最後に残っていただし巻き卵を二切れ置いた。
「…社食ねえ……」
ヴィクトルが小さくため息をついて、箸を置いた。
「なんで俺まで呼んだ」
惣一はヴィクトルには答えず、光臣を見て煙草に火をつけた。
「光臣。ついでにこいつら見ろ」
光臣が顔を上げた。
「嫌です」
惣一が煙を吐いた。
「全員と話せ、と言うつもりでしょう」
「ああ」
「私は今日はルカの件で来たんです。診療の準備もしていませんし、そもそも突然まとめて精神科医に話を聞かせるようなものではありません」
「診断しろとは言ってねえ」
「では何を」
「動かし方だ。寝かせた方がいい奴、夜出さねえ方がいい奴、その辺見ろ」
光臣は惣一を見た。
「簡単に言いますね」
「お前なら分かるだろ」
ユキナガが箸を止めたまま二人を見ていた。
「え、何。俺ら今から精神科?」
カズマだけがひじきを食べながら惣一を見た。
「俺も行くの?」
「全員だ」
「わかった」
カズマはすぐに答えた。
「何聞かれるんだろ。面白そう」
ヴィクトルはため息を吐いた。
光臣は額へ手を当てた。
「簡単でいいなら」
「ああ」
「まず、話した内容を組織へ報告しませんよ」
「結構」惣一が言った。
ユキナガが顔を上げた。
「オリにも?」
「原則は何も報告しません。ただ、安全に直接関わる場合は必要な範囲で対応します。それ以外は、疲労が強いから夜間の仕事を減らした方がいい、休憩を増やした方がいい、その程度です」
ユキナガが惣一を見る。
「ほんとにこいつ何も言わない?」
「こいつじゃないよ、日向先生」ルカがユキナガに言った。
「言わねえ」惣一が言う。
「なんでそんな信用あんの」
惣一は灰皿へ灰を落とした。
「昔、こいつに預けた話が一つも外に出なかった。俺が保証する」
光臣が惣一を見た。
「外に出したら普通に死ぬ話しかなかったからですよ」
オラヴルが紅茶のカップを置いた。
「僕は見てもらってもいいと思うよ」
光臣がオラヴルへ顔を向けた。
ユキナガがオラヴルを見た。
「オラヴルまで言う?」
「僕が診るのとは専門が違うからね。あと、何人か見てもらって欲しい人がいる」
「……」
ヴィクトルは端末を見ているアルノを見てから、オラヴルを見た。
ルカは食べ終えて食器を重ねながら、ユキナガを見た。ユキナガは箸を見ていた。リヴァはお茶に口をつけながらヴィクトルを見た。
カイはリヴァを見てから、残っていた味噌汁へ口をつけた。フィンも何も言わず湯呑みを持ち直しカイを見た。
アオイは小さく息を吐いてフィンを見た。カラムは食事を続けたまま、アオイへ一度視線を向けた。
光臣はその様子を見て、オラヴルへ目を戻した。
「……なるほど」
惣一が煙草を咥えた。
「で」
光臣はしばらく黙っていた。
「本当に人使いが荒いですね」
光臣が書類ケースを閉じた。
「俺その間拠点散策してていい?」ルカが言った。
「駄目に決まっています」アルノが言う。
「アルノ」惣一が言った。
「……正気ですか」
「ユキナガの仕事場見せとけ」
「……」
「見てえんだろ」
「え、見たい」
アルノとユキナガが目を合わせて、息を吐いた。
惣一は立ち上がり、空いた皿を重ね始めた。
「お前ら今日泊まってけ。部屋余ってる」
カイが小会議室に入った。
光臣は資料から顔を上げた。カイは向かいの椅子へ座る。
「君からですね。簡単なプロフィールは貰っています。よろしくお願いします」
「問題ない」
「……。最近、疲れていると感じる時はありますか」
「ない。終わりか」
「まだです。ローマで尋問を受けていますね」
「…問題ない」
「……怪我は治りましたか」
カイは無言で左肩の袖を捲った。
「まだ治っていなそうですが、痛くないんですか」
「痛くない。終わりか」
「その状態で痛くないと言い張るなら、痛覚そのものに問題がないか確認が必要になりますよ」
「……腕を上げると痛い。耐えられる」
「そうですか」
光臣は短く書き込んだ。
「最近、よく眠れていますか」
「寝ている」
「途中で起きたりは」
「リヴァがいる時は、たまに夜中に煙草を吸われると起きる」
光臣のペンが止まった。
「……それ以外は?」
「ない」
「一つ聞きます。君が『問題がある』と判断するのは、どういう時ですか」
カイは少し考えた。
「仲間のために動けない時」
「では、痛くても眠れていなくても、動ければ問題ない?」
「うん」
光臣はカイを見た。
「なるほど。そこが問題ですね」
「動ける」
「はいはい。よく分かりました」
カイはすでに扉の方へ視線を向けていた。
「壁、よく触ります?」
カイの肩が止まった。
「……何で知ってる」
「さっき入ってきた時も、扉の横に一度手を置いたから」
カイが光臣に顔を戻した。光臣が息を吐いた。
「それ、落ち着きますか」
「……多分」
カイが椅子に座り直して、腕を組んだ。
「最後にいいですか。最近嬉しかったことは?」
「……弟が米軍に入ったらしい」
光臣が少し笑った。
「もう終わらせたさそうですね。終わりで良いですよ」
「うん」
カイはすぐに立ち上がった。
フィンが小会議室へ入り、カイと入れ替わるように椅子へ座った。背もたれへ軽く身体を預け、光臣の前に開かれた資料へ目を落とす。
「カイは?失格?」
「そういうものじゃないです」
「そっか。俺も問題ないよ」
フィンは笑った。光臣はその顔を一度見てから、ペンを持ち直した。
「はい。最近どうですか」
「実家帰ってたよ」
「そうですか。少しは休めましたか」
「………まあ」
返事までに間が空いた。光臣は書きかけた手を止め、フィンへ視線を戻す。
「家族仲は良い方ですか」
「……あんまり?」
「帰ってきてから、自分自身のことで何か変わったことは」
「苗字無くしたことかな」
「………」
光臣のペン先が紙の上で止まった。フィンは同じ姿勢のまま、口元に笑みを残している。
「あ、そしたら終わりで……」フィンが腰を上げた。
「待って待って」
フィンが座り直した。
「何?」
「それ、行く前から決めていたんですか」
「いや?カラムが兄貴に銃向けてから」
光臣はフィンの顔を見たまま、ペンを机へ置いた。
「……私を困らせようとしてますか?」
「そんなことはないよ」
フィンは膝の上で指を組み直した。
「最近、自分が自分じゃないような感じになることは?」
フィンの指が止まった。
「……たまに?」
「困っていますか」
「リヴァにキスしたら治るよ」
「……そうなんですね」
光臣は一行書いてから、フィンへ手を出した。
「手、貸してください」
「手?」
「脈を見ます」
フィンが右手を差し出した。光臣は手首へ指を当て、しばらく黙って脈を取った。途中で眉尻が少し下がった。
「なるほどね」
「……何がわかるのそれ」
光臣は手を離した。
「大変でしたね」
「え、」
「稼働禁止は出さないから安心してください」
「……」
フィンの笑みが消えたまま、光臣を見ていた。
光臣は資料へ短く書き込み、ペンを置いた。
その後もそれぞれの問診が進んだ。
「さて。来ましたね」
「うん」
リヴァが小会議室へ入った。
椅子へ向かおうとしたところで、光臣が立ち上がった。
「座らなくていいです。そこの壁に両手をついてください」
リヴァが足を止めた。
「……なにするの」
「医者ですよ。信用してください」
「……」
「オラヴル先生にも、そんなに警戒してるんですか」
「オラヴルは――」
「いいから、両手」
光臣が壁を指した。
リヴァはしばらく光臣を見ていた。
それから壁の前まで歩き、両手をついた。
「脚はそのまま。しっかり立っていてください」
背後で衣擦れの音がした。
振り返ろうとした。
「前を向いて」
「……」
リヴァは壁へ顔を戻した。
乾いた金属音が鳴った。
視界が揺れた。
膝から急に力が抜け、壁へ置いた両手が滑った。
「っ……」
倒れる前に、後ろから腰へ腕が回った。
光臣が身体を支えた。
リヴァは息を吸った。喉が詰まり、次の呼吸がうまく入らなかった。
「なん……っで」
「資料にありましたので」
光臣はリヴァが立てるところまで身体を戻すと、腰から腕を外した。
「しっかり立っていて下さい」
右手には銀色のジッポがあった。
リヴァがそれを見た。
「……や、だ」
「言葉は試さないので心配しないでください。まずはこれだけです」
もう一度、蓋が開いた。
金属音が鳴った。
リヴァの膝から再び力が抜けた。
両腕を壁について身体を支え、額まで壁へ押しつけた。脚が震えている。
「っ、……は……」
荒い息を吐いた。
「……なんで、こんなこと……」
「オラヴル先生は避けすぎです。進めていくべきだと、私は判断しました」
リヴァは壁に両腕をついたまま、何度か息を吐いた。
「舌見せて下さい」
「……やだ」
「東洋医学です。参考程度にですが」
「……」
リヴァは口を開いて舌を出した。光臣はそれを見てメモに書いた。
リヴァの頬に涙が伝うのを見て、光臣のペン先が一拍とまった。
「……私、別のこと聞きたかった」リヴァが鼻を啜った。
「……何ですか」
「記憶って、戻るのかなって」
光臣はリヴァを見た。テーブルの上のティッシュを取り、リヴァに手渡した。
「…それは分かりません」
「……身体に残ってたら、分かったりする?」
「何をですか」
リヴァは壁へ手をつけもたれかかったまま、黙った。
「……前の私は、あの人の言うこと聞きたかったのかなって」
光臣の表情は変わらなかった。
「身体に反応が残っていることと、その時あなたが何を望んでいたかは別の話です」
「止められるようになる?」
「方法はあります。今後、段階的にやります」
「……またこれやるの」
「やったほうがいいでしょう」
リヴァが光臣を見た。
光臣はジッポをポケットへ戻した。
「惣一とオラヴル先生から、今後あなたを定期的に見るようにと言われています」
「……さいあく…」
「嫌でしたら、オラヴル先生に話して中止を希望してください。曝露を試しているとは知りませんので」
リヴァはしばらく壁に手をついたまま立っていた。
「どうしますか」
「…治る可能性があるなら、やる」




