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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十四章「帰還偏差 ― Return Deviation」

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レナート



 東京拠点 午後五時〇〇分。



 リヴァの端末が震えた。


 共用スペースのソファに座ったまま画面を見ると、ルカからだった。


『レナート教授、明日ローマ戻るんだって』


 続けて、もう一件届いた。


『帰る前にリヴァと話したいって。セオドール神父のことって言ってたけど、大学で会っただけじゃなかった?』


 リヴァの指が止まった。


『何の話』


『そこまでは聞いてない。昔の資料いくつか持ってきてるみたい』


『どこ』


 少しして、ホテルの名前と場所が送られてきた。


『夜なら空いてるって』


『んー』


『日向教授なんとか巻いて、俺も行こうか?』


『平気。行くって伝えて』


『そっか』


 その後にうさぎが手を合わせて祈っているスタンプが届いた。


『気をつけてね』


 リヴァはそのメッセージを見てから、画面を閉じた。


 会議室の扉が開いて、アルノが出てきた。端末とファイルを片手に持ち、眼鏡を押し上げながら共用スペースを横切ろうとする。


「アルノ」


 足が止まった。


「なんですか」


「出てきていい?」


 アルノがリヴァを見た。


「……どこへですか」


「レナートの所」


 三秒ほど間があった。


「目的は?」


「話したいことがあるって」


 アルノはファイルを脇へ挟んだ。


「ローマの研究室のこと」


 アルノはしばらくリヴァの顔を見ていた。


「何時ですか」


「夜ならいつでもいいって」


 ソファの反対側で本を読んでいたカイが顔を上げた。


「俺が行く」


 アルノがそちらを見た。


「アオイに頼みます」


「……」


「あなたが圧をかけたら、引き出せる話も引き出せなくなるからです」


 カイが本を閉じた。


「だが相手はあの教授だろ」


「身元は確認済みです。現在、日本国内で警戒情報はありません。リヴァには位置情報を維持してもらい、アオイを同伴させます」


 カイはリヴァを見た。


 アルノが端末を二度叩いた。


「ホテル内で別行動になったらアオイには所在を伝えること。端末の電源は切らないでください」


「わかった」


「何かあれば?」


「すぐ帰る」


「よし」


 アルノはもう一度リヴァを見てから、会議室へ戻っていった。


 カイはまだこちらを見ていた。 






 品川 ホテルラウンジ 午後九時四十五分。


 ホテルのラウンジは天井が高く、窓の向こうに街の灯りが並んでいた。


 レナートは窓際の席にいた。


 濃いグレーのジャケットに、白いシャツ。眼鏡は首から下げている。テーブルには小さなエスプレッソカップが一つあり、その横にシルバーのシガレットケースが置かれていた。


 リヴァが近づくと、レナートが立ち上がりリヴァにハグをして両頬にキスをした。


「こんばんは。会いたかったよ」


 レナートの視線が、その後ろへ移った。


 アオイが少し離れた場所で立っていた。黒いパンツに紺のシャツ、薄いジャケットを羽織っている。


「彼は?」


「私一人だと外でちゃダメなの。だから付き添い」


 レナートが目を細めた。


「なんて可哀想に」


 アオイが会釈した。


「森です。自分は向こうにいるので……何かあれば呼んでください」


「君は彼女の自由を制限している自覚はあるのかい?」


「え……」アオイが口を開いたまま固まった。


「なんだい?」


「……自分はもう死んでる者として接してください……」


「私と話ができないと?」


「死んでるので……」


 レナートは特に何も言わず、目も合わせなかった。


 アオイが離れた。


 リヴァは少し笑って、レナートの向かいへ座った。


「セオドール神父のことって」


 レナートは困ったように笑ってから、エスプレッソを一口飲んだ。


「その前に何か飲む?私はお酒は飲まないけど、好きにしていいよ」


「いらない。神父のこと教えて」


「君はまっすぐでかわいいね。何から聞きたい?」


「何者なの」


 レナートの指がカップの縁で止まった。


「難しい質問だね」


「元教え子なんでしょ」


「そうだよ」


 レナートは椅子の背へ少し身体を預けた。


「非常に優秀だった。研究室へ来た時から、扱いに困るほどね。こちらが一つ渡すと、三つ先まで勝手に進んだ」


「ルカみたい?」


 レナートは人差し指をたてて、唇に二回当てた。


「似ている部分はある。でも、ルカの方がせっかちだね。最短を選んで進んでいくかんじが」


 レナートは窓の外へ目を向けた。


「セオは視野が広かった。……いつもどこか遠くを見ていたよ」


 リヴァは黙っていた。


「同じ部屋にいるのに、そこにいないような時があった。話しかければ返事はする。研究もする。食事もする。でも、次の朝にはいなくなっていても不思議ではないように見えた」


「それで、本当にいなくなった?」


 レナートは指先で眼鏡のフレームに触れた。


「大学院を出て、バチカン側へ戻った。彼は司祭だったから」


 リヴァが顔を上げた。


「少し複雑な経歴だったけれど、信仰そのものは昔から持っていた。大学へ来た頃にはもう、その道へ戻るつもりだったんだと思う」レナートが言った。


 リヴァはテーブルの上で指を組んだ。


「財団に行ったのは?」


「修了後だ。文化財保護の仕事と研究を繋げると言っていた。実際、その後も私のところへ機材を借りに来たし、共同研究も続けた。論文にも何度か名前を入れているよ」


「…それで、今は連絡つかなくなったの?」


「つかない」


「いつから?」


「君たちがローマを出る少し前からだ」


 レナートが薄く笑った。


 リヴァはしばらくレナートを見た。


「恋人だったの?」


「以前はうちに住んでいたけど。そう呼んだことはないね」


「じゃあ恋人じゃないの」


「身体の関係があれば、そうなるのかな?」


「……神父様なのに?」


「まあ……良くはないのかもね」


 リヴァは少し眉を寄せた。


「普段何考えてたとかは?」


 レナートは少し考えた。


「それが分からなかったから、今でも気になるのかもしれないね」


 リヴァはテーブルの下で脚を組み直した。


 レナートは視線を戻した。


「外に好きな人でもいたのかな、と思ったことはある」


「どういうこと」


「……分からなかった」


「聞かなかったの」


「聞いたことはある。答えなかった」


 リヴァの目が細くなった。


 レナートはシガレットケースを指先で少し動かした。


「帰ってこない夜もあった。翌朝になると、何事もなかったように大学へ来る。どこにいたのか聞いても、笑うだけだった」


 レナートは楽しそうにリヴァを見た。


「笑うと綺麗だった」


「顔が綺麗なのは見たからわかる」リヴァが言った。


 レナートが少し黙ったあと、笑った。


「やっぱり会ってたんだね」


 リヴァは答えなかった。


 レナートの笑みが消えた。


「どこで?」


「……大学で」


「なんだか怖がっている?セオに対して」


「……」


「聞き取り調査されている時、セオの話まで出たから変だと思っていたんだよ」


 リヴァは黙ったまま、テーブルに置かれたエスプレッソの皿を見ていた。


「案の定、セオのことを聞きたくて君はここにまできた」


「……」


「昔の資料なら上にあるよ」レナートは言った。「どうする?」


 リヴァが顔を上げた。


「……見る」


「ああ、かわいいね」


 レナートは立ち上がった。


 リヴァも椅子を引いた。


 アオイは二人が客室階へ上がると聞いて、一度天井を見た。


「アルノに連絡します」


 端末を取り出した。


「下にいます。部屋番号だけ教えてください」


 レナートがアオイを見た。


 アオイは端末へ視線を落とした。


「連絡だけ出てください。本当にお願いします」


「わかった」


 エレベーターの扉が閉まった。


 アオイは画面に文字を打ちながら、小さく息を吐いた。





 レナートの客室。


 窓の外に東京の灯りが広がっていた。


 机の上にはノートパソコンと書類の束が置かれている。レナートはジャケットを脱ぎ、椅子の背へ掛けた。首から下げていた眼鏡をかけ、ファイルを一冊取り出した。


 リヴァは机の横へ立った。


 レナートが数枚を抜いた。


「これが修了前」


 古い論文のコピーだった。


 余白に細い字で書き込みがある。


「レナートの字?」


「そう」


 次の紙には、若い頃のセオドールが研究設備の前に立っている写真が挟まっていた。


 白に近い髪は今より短かった。細い身体で、こちらを見ていない。


 レナートが写真の端へ指を置いた。


 リヴァは写真を見た。


「何研究してたの」


「記憶と行動反応。その周辺だね。途中から私の専門から少し外れたことも勝手にやっていた」


「それは?」


「刺激を受けた時に、本人の説明より先に身体がどう動くか。記憶が曖昧な場合にも反応が残るか。そういう研究だよ」


 リヴァの指が写真の端で止まった。


 レナートがそれを見た。


 リヴァは写真を戻した。


「他は?」


「まだ見たい?」


「うん」


 レナートは別のファイルを開いた。


 数ページめくってから、手を止めた。


「君はセオと何があったんだい?」


 リヴァは顔を上げた。


「……」


「彼が今どこにいるか知ってる?」


「…知らない」


「私は随分話したけれど。不公平だと思わない?」


「……」


 レナートはしばらくリヴァを見た。


 眼鏡を外し、机の上へ置いた。


 リヴァはファイルを見ていた。


 レナートが一歩近づいた。


「君は、私が君のことを気に入っていると、気づいてる?」


 レナートは笑った。


 距離が縮まった。


 リヴァは動かなかった。


 レナートの指が、リヴァの髪の横へ触れた。頬には触れず、細い毛束を指先へ乗せる。


 そのまま指が離れなかった。


「君は狙撃手って言ったね」


「うん」


「…どうして狙撃手になったんだい?」


「わからない。……記憶がないから」


 レナートはリヴァの顔を見た。


 間があった。


 リヴァの髪に唇を触れさせた。


「君を抱きたい」


 リヴァは少し目を上げた。


「資料、持っていっていいよ」レナートが言う。


「……わかった」


 レナートの指が止まった。


「……わかった?」


 間があった。


「……私は、交換条件を出したつもりはなかったんだけど」


「でも、したいんでしょ?」


 レナートは何か言いかけ、やめた。


 リヴァの顎へ指を添え、顔を上げた。


「返せるもの、ないから」


「……君は本当に儚い」


 唇が重なった。


 レナートの手が腰へ回り、机から離れる。背中がゆっくりベッドの縁へ触れた。


 窓の向こうでは、東京の灯りがまだ消えずに続いていた。






 リヴァが目を開けた。


 外は少し明るくなり始めていた。


 リヴァはキャミソールを一枚だけ着ていた。起き上がって、窓際のソファの端へ座った。


 レナートはベッドに横になっていた。


 リヴァがバッグを開け、煙草を出した。


「……君も吸うのか」


 レナートが言った。


 起き上がり、机の上に置いてあったシルバーのシガレットケースを取る。


 レナートは一本抜いて、リヴァへ差し出した。


「こっちはどう?」


 受け取った。


 レナートがライターを持って近づいた。


 リヴァは煙草を咥え、先端へ火を移した。


 一口吸った。


 細い煙が、窓際へ流れた。


 レナートはその横顔を見ていた。


 口元が上がった。


 そのまま自分の分も一本取り出し、火をつけた。


 二人で窓際にいた。


 レナートがリヴァの横顔を見た。


「君は本当に、消えてしまいそうだね」


 リヴァはレナートの煙草を指に挟み、外を見た。電車の灯りが、遠くを横切っていった。


 レナートが煙を吐いた。


「日本に私も住もうかな?」


 リヴァが振り返った。


「なんで」


「君と居たい」


「……」


「ルカまで、私のものじゃなくなった。……いや、初めからあの子は兄しか見てないか」


 レナートが煙を吐いた。


「セオドールも、今幸せだといいけど」


「……アルノに酷いこと言うからダメ」


 レナートは少し笑った。


「彼だって頑張っていたよ」


「うん」


「君は今、誰のものなの?」


 リヴァは煙草を吸った。


「…わかん、ない」


 煙草が短くなるまで、二人とも窓の外を見ていた。


 リヴァが灰皿へ火を押しつけた。


 視線がテーブルの上の論文に移り、リヴァの視線が止まった。


「……これ」


 リヴァがセオドールの手書きのメモを見ていた。そこをレナートも見る。


「これ?特定の刺激語による自律神経反応と、視覚・聴覚刺激に対する回避行動……」


「……これ、知ってる?」


「どうだろう、私の専門とは違うね」


「……」


 リヴァは立ち上がった。


「帰る」


「……うん」


 レナートは広げていた資料をまとめて、リヴァに向けた。


「ありがとう」


 リヴァが手を伸ばした瞬間、少し角度を変えた。リヴァの手が宙を掻いた。


「私のものにならない?」


「むり」


「もう一度キスしてもいい?」


 リヴァが止まって、目を閉じた。


 レナートが少し笑ってから近づいて、唇を重ねた。


 リヴァは離れてから、レナートの手から資料を取った。服を整え、バッグを肩へ掛けた。


 扉の前まで行って、振り返った。


 レナートは自分の煙草を吸っていた。


「じゃあね」リヴァが言った。


「……ああ」


 扉が閉まった。





 ホテルのロビー。


 アオイはソファに座っていた。


 膝の上に端末を置き、片手で額を押さえていた。リヴァがエレベーターから降りると、すぐに立った。


「……まさかホテルのロビーで徹夜とは思いませんでした」


「ごめん」


 アオイはリヴァを一度見た。


「…帰れます?」


「うん」


「じゃあ帰りましょう……アルノから三回来てます」


「怒ってる?」


「たぶん」


 アオイが出口へ向かった。


 リヴァもその横を歩いた。


 自動扉が開き、夜の空気が入ってきた。


 リヴァの髪から、いつもの煙草とは違う乾いた葉の匂いがした。


 アオイは横を見た。


 そのまま何も言わず、先に外へ出た。

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