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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十四章「帰還偏差 ― Return Deviation」

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ダーツとビリヤード



 東京拠点 共用スペース 午後七時十分。


 次の日。玄関の扉が開いた。


 カイが両手にスーパーの袋を持って入り、その後ろからアオイがもう一つの袋を抱えて入ってきた。


「結局ジムまで行って。遅くなりすぎです」


「ハックスクワットとうちにないアブダクターがある」


「自分じゃなくていいでしょう……」


 カイが靴を脱ぎながらアオイの脚を一度見た。


「お前は中殿筋が足りない」


「その後の買い物がしんどかったですよ…」


 共用スペースから球のぶつかる乾いた音がした。


 二人が顔を上げた。


「おかえり、二人とも」


 リヴァがビリヤード台の向こうに立っていた。


 黒いつなぎのような服を着ていた。短いショートパンツへ繋がっている。髪は高い位置で一つに結び、片手にビリヤードの棒(キュー)を持っていた。


 カイの視線がキューへ移った。


「何を持っている」


「これ?」


 リヴァがキューを少し持ち上げた。


「なんかビリヤード?やってる」


 共用スペースの奥には、以前までなかったビリヤード台が置かれていた。その横の壁にはダーツボードが置いてある。


 アオイが部屋を見回した。


「……いつのまに共用スペースが遊び場に…?」


「ヴィクトルがさっき搬入してた」リヴァが言った。


「あれ。前まであった雀卓は」


「アオイの部屋入れといたよ。運ぶの大変だった」


 フィンがチョークをキューの先へ擦りながら言った。


「なんでぇ……」


「片付いててスペースありそうだったから」


「俺の部屋、物置じゃないんですけど……」


 カイは何も言わずキッチンへ向かった。アオイも袋を抱え直し、その後ろを追った。


 キッチンではユキナガがパンを切り、オラヴルが大きなフライパンの前に立っていた。バターの香りに香草とレモンが混じっている。カウンターの端には、透明なウォッカを注いだ小さなグラスが置かれていた。


「今日は惣一いないって言ってましたね」


「うん。俺らで簡単に作るよ」


 ユキナガが袋を受け取り、中を覗いた。


「助かります」


 アオイは袋をカウンターへ置き、振り返った。


「あ、ダーツもある」


 壁際へ歩き、一本抜いた。指先で重さを確かめてから、特に構え込まずに投げる。


 矢がボードへ刺さった。


 続けて二本。三本とも中心から大きく外れず、狭い範囲にまとまった。


「え、なに。やってたのアオイ」


 ユキナガがパン切り包丁を持ったまま顔を上げた。


「日本の大学生といえば、ダーツですよ」


「そうなんだ」


「練習めっちゃしました」


 ユキナガがアオイを見た。


「お前……モテたかっただけだろ」


「……まあ」


 アオイはボードから三本を抜いた。


「目的に対して努力が真っ直ぐすぎんだろ」


 ビリヤード台から球の音がした。


「リヴァ、次ですよ」


 アルノがキューを立てて待っていた。


「ん」


 リヴァが台へ戻る。


 白球の少し先に赤い球があり、右奥のポケットまでは斜めに距離があった。リヴァは左手を置き、キューを指の間へ通した。


 腰を折ったところで、ヴィクトルがネグローニのグラスをローテーブルへ置いた。


「高い」


 リヴァが顔だけを向けた。


「何が」


 ヴィクトルが後ろへ回った。


「ここを下げろ。もっとだ」


 腰の少し上へ手を当て、背中を押す。


 リヴァの上体が台へ近づいた。ポニーテールが肩から前へ落ちる。


「腰触んないでヴィクトル」


「伝わらんだろ」


「やめろ」


 冷蔵庫から戻ってきたカイが、ヴィクトルの手首を掴んだ。


 ヴィクトルが横を見る。


「何だよ」


「退け」


 手を離させ、カイがリヴァの横へ入った。


 リヴァはキューを持ったまま振り返った。


「カイやるの」


「構え直せ」


「うん」


 リヴァが左手を台へ戻した。カイは白球と右奥のポケットを見てから、リヴァの肘へ指を当てた。


「肘を上げる」


 リヴァが上げる。


「背中、もっと下げろ」


「こう?」


「もう少し」


 リヴァの胸元が台へ近づく。ショートパンツの裾から伸びた脚が少し開き、右足が後ろへ引かれた。


 カイは斜め後ろへ立ち、キューとリヴァの右腕が一直線になる位置を見た。右手首へ触れ、握りを少し緩めさせる。


「握りすぎだ」


「落としそう」


「落ちない。球を見ろ」


 少し離れたところで、ダーツを持ったアオイの手が止まっていた。


 後ろから、ショートパンツのリヴァの姿が見えた。


 カイが顔を上げた。


 目が合った。


「すみません!見てません!」


「……」


 カイは無言でアオイを見た。リヴァの真後ろに立った。


 アオイはダーツボードへ向き直った。


「いや本当に、全然……」


 ダーツが、ダーツボードに刺さらず跳ね返って床に落ちた。フィンがその横へ来た。


「何見てたの?」


 アオイはダーツを構えたまま、小さく息を吐いた。


「……この男世帯ではなかなか厳しい……」


 リヴァがキューを引いた。


「えい」


 勢いよく斜めに引かれたキューが、カイに突き刺さった。


「う……」


「え、ごめんカイ、」


 カイが蹲った。


 ユキナガがそれを見て指差して笑っていた。


 オラヴルは一度そちらに視線を向けたが、すぐにフライパンに視線を戻した。


 白球は赤い球には当たったが、右奥のポケットを外れてクッションへぶつかり、隣の黄色い球を押した。黄色い球がゆっくり転がり、別のポケットへ落ちた。


 リヴァが身体を起こした。


「入った」


「狙ったのは赤だよ」


 フィンが笑った。


「入ったからいい」


「よくないですよ」


 アルノが言った。


 リヴァはキューをフィンへ渡した。


 カイはまだ蹲っていた。


「……」


「フィンやって」リヴァが言った。


「いいよ」


 フィンは台の反対側へ回った。白球は長辺のクッション近くにあり、狙う青い球との間に別の球が二つ残っていた。


 台へ背中を向け、台の上に座った。


 アオイがダーツを持ったまま振り返った。


 フィンは左手を台の縁へ置き、右腕を腰の後ろへ回した。背中側でキューを持ち、肩越しに白球を確認する。身体を軽く捻ったまま、キューの先だけを前後させた。


「それ打てるの?」


 リヴァが横から覗いた。


「たぶんね」


「あなた左で打てるのでそれやる必要が……」アルノが言いかけた。


 フィンが打った。


 白球が短いクッションへ当たり、角度を変えて青い球へ入る。青い球は右中央のポケットへ真っ直ぐ落ちた。


「おお」リヴァが声を出した。


 フィンはキューを前へ戻し、何事もなかったように立てた。


「なんか格好いい」リヴァが言った。


「でしょ?」


「腹立つなあ」


 ユキナガがキッチンから言った。カイがいつのまにかソファに戻って座っていた。


「お前大丈夫?」ユキナガがカイに言った。


「問題ない」


「初めてカイが痛がってるところ見た」


「……」


 アルノがフィンからキューを受け取った。


「余計なことをしなければ、普通に入ります」


「今、余計って言った?」


 アルノはシャツの袖口を少し上げた。


 顎の下をキューが真っ直ぐ通った。


「アルノ上手」


 リヴァが言った。


「次まで置いてるじゃん」


 ユキナガがカウンターへ大皿を置いた。


「はい。とりあえず食べて。俺、酒準備してくる」


 薄く切ったバゲットの上にクリームチーズと生ハムを載せたものが並び、その横にはオリーブと小さなピクルスが盛られていた。別の皿にはミニトマトとモッツァレラが串に刺してある。


「食べながら台触んなよ。油つくから」


「わかった」


 オラヴルがフライパンの火を止めた。


 厚めのサーモンを大きな白い皿へ移し、焼き色のついた小さなじゃがいもを周囲へ並べる。フライパンに残ったバターへレモンを絞り、刻んだ香菜を入れてから、サーモンの上へ回しかけた。


 最後に黒胡椒を挽いた。


 オラヴルはウォッカを一口飲み、大皿を両手で持った。


「これも出すよ」


 ダイニングテーブルの中央へ大皿が置かれた。


 バターとディルの香りが広がった。


「豪華ですね」


 アオイが言った。


「カラムの正式な歓迎会?だって」


 リヴァはブルスケッタを一つ取った。


「え……カラムが正式加入するとビリヤード台とダーツまで来るんですか」


 バーの扉が開いた。


 ユキナガが両手にグラスを持って戻ってきた。ミントとライムの入ったモヒートをリヴァとフィンへ一つずつ渡す。


「ありがとー」リヴァが受け取って、飲んだ。


「モブの時は柿ピーと瓶ビールだった」フィンがアオイに言った。


「気にしてません……いや、ちょっとだけです……」


 フィンが一口飲んだ。


 ユキナガがまたバーに行き、すぐに戻ってきた。


 グラスをアオイに渡す。


「はい。レッドブルウォッカ」


「あ…ありがとうございます…ダーツといえばこれです」


「遊んでたやつのチョイスやめろよ、モブの癖に」


「すいません……」


 アオイはポケットから煙草を取り出して指に挟んでから、グラスを傾けた。


 ヴィクトルはローテーブルのネグローニを取った。氷の間でオレンジピールが動き、赤い液面が照明を反射した。


 オラヴルはダイニングの椅子へ座り、ウォッカのグラスを手元へ置いた。


 アオイが煙草に火をつけてから、壁際を見た。




 カラムはそこにいた。


 一人掛けの椅子には座らず、壁へ肩を預けている。片手にはまだ使っていないキューを一本持ち、もう片方の手には火のついた煙草があった。


「当の本人、楽しんでます?」


「しらね」


 ユキナガはバーから持ってきたもう一つのグラスをカラムへ差し出した。


 ウイスキーソーダだった。


 カラムが煙草を口へ移し、空いた手で受け取った。


「……ん」


「せめて一回くらい打てよ。お前の祝いなんだから」


「……あとで」


「ほんとかよ」


 カラムは答えず、グラスを一口飲んだ。


 リヴァがビリヤード台の横からカラムを見た。


「最近、任務ないね」


 ユキナガがバーの扉へ戻りながら振り返った。


「ないね。最高」


 フィンがモヒートのストローを指で避け、グラスへ口をつけた。


「俺もこのくらいでいいな。ご飯食べて遊んで、夜寝る」


 ヴィクトルがネグローニを飲んだ。


「暇なら暇でいい。余計な仕事を拾うなよ」


 アオイがダーツを一本抜いた。


 ヴィクトルはグラスの中の氷を回した。


 ダーツが飛び、ボードの中心近くへ刺さった。

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