テムズ川沿い
ロンドン、テムズ川沿い。
「この先で停めて」
テオが運転席へ声をかけた。車は川沿いの道から脇へ入り、遊歩道へ下りる階段の近くで停まった。
「少し歩こう」
テオが先に降り、フィンも続いた。川から吹いてきた風が、柔らかい日差しと混ざり、空気が穏やかだった。
後続の車からアオイとカラムも降りてきた。
フィンは遊歩道に面した小さなアイスクリーム屋を見つけ、アオイへ顔を向けた。
「アオイ、あそこアイス売ってるよ。カラムと二人で買ってここで食べながら待ってて」
アオイは眉間に皺を寄せた。
フィンがカラムに言った。
「好きなの選んでいいよ。終わったら俺も食べる」
アオイはフィンとテオを見てから、店の方へ歩き出した。カラムもついていき、窓口の横へ出ているメニューの前で足を止めた。
テオは川沿いを歩いた。
フィンも隣へ並び、綺麗に舗装された道を進んだ。
少し歩くと、この時間人は殆どいなかった。
「……父のしてたこと、フィンのことを調べていくうちに知ったんだ」
テオが言った。フィンは川を見ていたが、顔をテオへ向けた。
「君は悪者じゃないって、僕が一番知ってる。父は死んだ方がいい人間だったことも」
テオはフィンを見て、柔らかく笑った。
「まさか元SASで、イートンでは僕の先輩だったとは思いもしなかったけど」
「……よく、そこまで調べたね」
テオの視線が、フィンの襟元から顔へ戻った。
「多分、君が殺したんだろ。父を」
フィンは答えなかった。
テオは川へ目を戻した。
「父たちのことを調べるために近づいてきたのも、途中で気づいてたよ。僕の話より、そっちの方が聞きたいんだなって」
フィンは隣に立ったまま、テオを見ていた。
「それでも、君の気を引きたくて、知っている情報を全部話した」
テオが指を組んだ。
「だから、父が死んだことは僕のせいでもある」
「違う。そこは関係ない」
フィンが言うと、テオは顔を上げた。しばらくフィンを見ていたが、また手元へ視線を落とした。
「あの後、僕の兄さんにも話した。兄さん、会社を継いでから頑張って立て直してるよ」
遊歩道を自転車が通った。フィンがテオの外側へ寄り、通り過ぎるのを待つと、川の近くのベンチを指さした。
「今度はフィンたちのお世話にならないように、僕も手伝ったんだ」
「……そっか」
二人はほとりのベンチに座った。
「煙草、吸っていいよ」テオが言った。
「……嫌いでしょ」
「話したこと、覚えててくれてる。嬉しい」
テオはフィンのジャケットの右ポケットを触った。Camelと携帯灰皿を取り出した。
「一本貰える?」
返事を待たず、テオが一本抜いて火をつけようとした。吸いこんで少しむせた。
「体に良くないよ」フィンが言った。
「フィンの真似したかったから、いい」
テオが一本抜いてフィンに差し出して、フィンも咥えた。ライターを受け取って火をつけた。
「あんなにひどい家なんて、知らなかった」テオが言った。
フィンが煙を吐いて、足を組んだ。笑顔を作って、少し体をテオに向けた。肩をすくめた。
「でも、嬉しかった。船で言ってたことは嘘じゃなかったんだって」テオが言った。
テオが顔を向けた。
「ねえ、僕のことも殺す?」
フィンの手が止まった。
テオは携帯灰皿に煙草を押しつけてから、フィンの顔へ手を伸ばした。川からの風で額へ落ちてきた髪を払い、フィンの目を見た。
「フィン、ごめんね。僕の我が儘で迷惑をかけて」
テオが腕を伸ばし、フィンへ抱きついた。フィンは火のつている煙草をテオから離した。
テオの腕が背中へ回った。
ジャケットの下に隠していた拳銃が、テオの身体へ硬く当たった。テオはそこへ身体を寄せたまま、フィンの肩に顔を伏せた。
「僕、知りすぎたよね」
フィンはテオの顔を見ようとした。テオは離れず、フィンの背に回した片腕へ力を入れた。
「フィンに会いたかっただけ。もう一度、どうなってもいいから会いたかった」
間があった。
「愛してるんだ」テオが言った。
フィンが息を吐いて、目を閉じた。
「うん」フィンのまつ毛が震えた。
二人の間を、風が通り過ぎた。
「あ……」
テオの声に目を開けると、テオの背後にアオイが居た。
足音は聞こえなかった。
アオイの手がテオの右手首を背中に押して留めていた。
テオの指にはナイフの柄が握られていた。刃先がアオイの腕の下で止まっている。
「手、開いてください」
アオイが言った。
テオは右腕を取られたまま、左手でフィンの袖を掴んでいた。
「……テオ」
テオはフィンを見た。アオイがもう一度手を開くよう言っても、指は柄から離れなかった。
テオの左手が、フィンの袖を引いた。
フィンは動かなかった。テオは袖を掴んだまま、フィンの方へ身体を寄せようとした。アオイが右腕を押さえ直すと、テオの肩が止まった。
「一緒に居たかった。ずっと」
テオが指を緩めると、アオイはその手からナイフを取り上げた。
「ねえ。もう会えないなら、いっそのこと」
テオの指が袖口へ滑った。布を掴み直そうとして、フィンの手首に触れた。
「それで、ナイフを持ってきたの」
テオは唇を閉じた。フィンの手首へ指をかけたまま、視線を下げた。
アオイはテオの右手首を保持していた。フィンがそちらを見ると、アオイも顔を向けたが、手は離さなかった。
「フィンがいなくなるのが嫌だった」
テオが言った。
フィンはテオの左手へ触れた。手首にかかっていた指を外し、テオの身体の前へ戻した。
「アオイ、離していいよ」
アオイはテオの手元を確認してから、掴んでいた手首を離した。テオは右手を左手で包み、フィンとの間に空いた距離を見た。
上の道路では、テオの運転手が車のそばに立っていた。
フィンの口が開き、閉じた。
カラムが、赤い何かのフルーツのアイスバーを食べながらこちらを見ていた。右手はジャケットの中に入っていた。
テオはフィンの横を通り、階段へ向かった。
運転手が開けた扉に手を置き、テオが振り返った。
「またね、オリヴァー」
フィンは返事をしなかった。
テオが座席へ入り、扉が閉まった。窓越しにフィンを見ていた顔が、車の向きを変えるにつれて街路の映り込みに重なった。
車が通りへ出てからも、フィンは川のほとりにいた。
アオイがアイスを店からもらってきて隣へ来て、ベンチに座った。片手にはバニラのアイス。
「……フィン、気づいてましたよね」
フィンは車が消えた方を見たまま、何も言わなかった。
「彼がナイフを持っていたこと」アオイが言った。
川からの風が吹いた。フィンはジャケットのポケットへ両手を入れた。
「…俺のこと嫌いな人に殺されるより、俺のこと好きな人に殺される方がよくない?」
アオイはしばらくフィンを見ていた。
「じゃあ、自分が殺すんで」
フィンが顔を向けた。
「へ?」
「あ?」
「それは…」
「ダメですか」
フィンはアオイの顔を見た。
「口説いてる?」
「いいえ、それは自意識過剰です」
フィンが笑った。
「でも意外。来るならカラムが来ると思った」
カラムが近づいて来て、アイスをフィンに渡した。チョコレートでコーティングされたアイスバーだった。
自分の分はもう食べ終えて、もう片方の手には煙草があった。火がついていた。
「……撃てばいいから」
カラムがフィンの隣に腰を下ろした。二人がけのベンチの奥にアオイが押し込まれてきつかった。
「でも誤射するかもよ?」
「しない」
「なんで」
「なんでも」
「あれ、思ったより俺愛されてる?」
「……黙って」
アオイが笑った。
フィンはアイスを一口齧った。
いつのまにか食べ終えたアオイが、煙草に火をつけた。
「…てかアオイ、結構面白かったよ」フィンが言った。「威嚇したりもするんだね」
「惣一が、好きに暴れてこいって言ってたのは本当ですよ。それで、これ武力衝突になりそうだなと絶望してました……」
「俺、人事権とかないのに」フィンが笑った。「あれは盛ってる」
「フィンだって、あんな感じで帰って来てすでに長男転がしてるって。笑いましたよ」
「むかついたからやっちゃった」
「わざわざ覚えたての柔道でやることないじゃないですか」
フィンとアオイが顔を見合わせて笑った。
フィンが最後の一口を食べた。
カラムが煙を吐いた。
「カラムだって、遊んでただけなのに4700って」
「……アオイに設定されて狙ってみてただけ…」
「当ててろよそこは」
「……黙って」
フィンが笑った。目元が細くなった。
しばらく三人で、川沿いの風を感じていた。
「お土産買って、帰ろっか。ありがと、二人とも」
「駄目です。まず傷の確認です」
「えー」




