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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十四章「帰還偏差 ― Return Deviation」

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ビートル



 東京拠点 午後十一時二十四分。


 ユキナガの部屋の前で、リヴァは一度目元を拭った。


 涙は止まらなかった。鼻を啜ってから、扉を二回叩いた。


「誰」


 中からユキナガの声がした。


 リヴァが扉を開けた。


「お?リヴァ?」


 テレビがついていた。レース中の車が夜のコースを走っていて、エンジン音が部屋に響いている。


 ユキナガはベッドの前の床に座り、コントローラを持って煙草を咥えていた。


「……は?」


 リヴァは扉の前に立っていた。目元をもう一度手の甲で拭った。


 ユキナガがコントローラと煙草を置いた。


「ちょ、何。どしたの」


 立ち上がってリヴァの方に来た。


「……」


「変な夢みた?」


 リヴァが首を振った。


 ユキナガがリヴァの肩を抱いた。


「よしよし」


「…うう」


「入りな」


 しばらくそうしてからユキナガが離れた。リヴァが中へ入り、扉を閉めた。


「誰かといたの?」


「オラヴル」


「え?オラヴル?」


 ユキナガの眉が寄った。


「オラヴルに泣かされたの」


 リヴァが首を振った。


「怒られた?」


「……」


 ユキナガは少し黙った。リヴァの顔を見ていたが、それ以上は聞かなかった。


「俺も色々思い出すと寝れなくて…」


「ん…」


「ちょっとぶっ飛ばしたくてゲームしてた」


 リヴァがテレビへ顔を向けた。


 停止した画面に、車とコースが映っていた。


「やる?」ユキナガが言った。笑っていた。


「…やる」


 リヴァは2Pのコントローラを持った。


「え。グランツーリスモだよ?車走るやつ」ユキナガが言った。


「やる」


 ユキナガが隣に座って、コントローラを持った。灰皿に置いてあった火のついた煙草をリヴァの口元に持っていった。


 リヴァが咥えた。


「免許ないでしょリヴァ」ユキナガが言った。「無免許運転になるだろ」


 リヴァが煙を吐いて、止まった。


「え、ないと駄目…?」


 ユキナガが吹き出した。


 新しい煙草を一本取って火をつけた。


 ユキナガがメニューへ戻し、車の一覧を出した。


「じゃあ何乗る?」


 リヴァは煙草の灰を落としてから、並んだ車を見た。


「この黄色いの」


「ビートル?いや、勝てないと思う…」


「これ」


「もっと速いのあるけど…これ1966年の車だよ」


「かわいいからこれ」


「まあ後で変えりゃいっか」


 ユキナガはVolkswagen 1200 ’66を選んだ。


「ユキナガの赤いのかっこいいね」


「でしょ」


 ユキナガの車は、赤のRX-VISION GT3 CONCEPTだった。


 黄色いビートルの横に並ぶと、同じレースへ出る車には見えなかった。


「操作わかる?」


「感覚でいく」


「ほんとお?」


 リヴァが煙草を消した。レースがスタートした。


 黄色いビートルが発進した。最初のコーナーで外側へ膨らみ、そのまま壁に当たった。


「うわああ」


「ブレーキブレーキ」ユキナガが笑った。


 リヴァが車を戻した。次のコーナーでも曲がり切れず、縁石を越えた。


「これハンドルついてない」


「んな訳あるか」


「ユキナガのはちゃんと車曲がってる」


「俺はブレーキ踏んでるから……うわ抜かれた!おいそれズルいぞ」


 リヴァが鼻を啜って、笑った。


 ユキナガは画面を見たまま、テーブルのティッシュ箱をリヴァの膝へ置いた。


 リヴァが慌ててスティックを倒した。ビートルが右へ大きく振れ、今度は反対側の壁にぶつかった。


「やだああ追いついたのにーー!!」


「五分で上手くなったら俺が嫌だわ。あ、逆走逆走」


「え?どっち??」


「下手くそ!絶対免許取るなよ」



 廊下で足音が止まった。


 少しして扉が開いた。


 カイが立っていた。


「なにしてる」


 リヴァが振り返った。目がまだ赤かった。


 カイが止まった。


「ユキナガになにかされたのか」


「違えよ、泣きながら今入ってきたの」


「カイもやろ?レース」


 カイはテレビを見た。


「R34あるよ」ユキナガが言った。


「ああ」


 カイが部屋に入ってきた。


 ユキナガがメニューを開き、車種を切り替えた。カイは画面に並ぶ車を見て、R34 GT-Rのところで止めた。


「これにする」カイが言った。


「やっぱそれ?」


「ああ。青に塗れ」


「めんど」


「違う、もっと深い青」


「とりあえず水色で我慢しろ」


「水玉の模様はやめろ」


「うるせえ文句言うな」


「白でいいから水玉をやめろ」


 ユキナガがもう一つコントローラを出した。


「もう決定押しちゃった」


 カイがため息をついてリヴァの横に座った。左肩を大きく動かさないよう、コントローラを膝の上へ置いた。


 リヴァが自分の黄色いビートルを見た。


「私これ」


 カイが画面を見た。


「いいな」


 カウントが始まった。


 三台が並んだ。


 黄色いビートルだけ、二台の間でひどく小さく見えた。


 数字がゼロになった。


 エンジン音が重なった。


 ノックの音がした。


「……あの」


 アオイが入ってきた。リヴァがビートルを壁にめり込ませながらアオイの方を見た。


「アオイだ」


「……こんばんは。ちょっといいですか」


 ユキナガが画面から目を離さず言った。


「……職質?」


「……職質ならもう少し愛想良くします」


「色々思い出して鳥肌立った」


 アオイが無言で部屋に入り、扉をしっかり閉めて鍵もした。


「…ドアがちょっと開いてたので閉めに来ただけで……」


「アオイもやろー」リヴァが言った。


 アオイがゲーム画面を見た。リヴァの車がまだ壁にめり込んでいた。


 ユキナガとカイは無言で集中して競い合っていた。


「リヴァは壁のすり抜けバグでも探してるんです?」


「なにそれ」


「ああすみません……」


 アオイはカイの横に座って、メビウスに火をつけた。


「怪我大丈夫なんですか、二人とも」


「固定は取れた。もう動く」カイが言った。


「本当かよ」ユキナガが言った。


「お前は」


「俺もコントローラ問題なかった」


「知りませんよ、あとで何か言われても…。……どうしてカイの車ファンシー模様なんですか」


「……」


 このレースが終わって、ユキナガがアオイにコントローラを渡した。


「何乗る?」


「NSXあります?」


「どの」


「二〇〇二年のType R」


「指定細か」


「Hondaならこれがいいです」


 リヴァが箱を開けて煙草に火を付けた。


「Honda派か」カイが言った。


「ずっと乗ってますよ、現実でもシビック」


「アコードならぶん殴るとこだったわ」ユキナガが言った。「モブにそんな色気ない」


「金貯めたらプレリュードに乗り換えてやる」アオイが言った。


「似合わねー」


 リヴァが煙を吐いた。


「共用スペースのでっかいテレビでやる?」


「たしかに。画面四分割すると流石に小さいよな」


「繋いでたPS5あったよね」


「出来る。同期してる」ユキナガが言ってから、立ち上がった。


「二台持ってるんですか…」


「いやあっちは共用。てか、カイがいい音響とでかい画面でデスストランディングやる用」


「カイが……」


「三周目が終わった」カイが言った。


「データ消して三回もやってるんですか……」




 東京拠点 共用スペース 午前七時二十七分。


 テレビでは朝のニュースが流れていた。


 音量は絞られていた。ローテーブルにはコントローラと空いたペットボトル、煙草の箱がいくつか置かれていた。


 リヴァはソファで横になっていた。腹のすぐ横ではミントが丸くなって寝ていた。


 そのソファの下にカラムが座っていた。床に伸ばした脚の間に片手を落とし、頭だけをリヴァの腹のあたりへ預けて眠っている。ミントの尻尾が時々カラムの髪へ触れていた。


 横のソファではユキナガが横向きになっていた。片腕をクッションの下へ入れ、もう片方の手は床へ垂れている。


 カイはテレビの正面に置かれた椅子に座ったままだった。背もたれへ深く身体を預け、首が少し横へ傾いている。膝の上にはコントローラが残っていた。


 アオイはユキナガのソファとリヴァのソファの間の床に寝ていた。腕を左右に広げ、脚はまっすぐ伸びていた。


 キッチンからは、バターの匂いがしていた。


 惣一がコンロの前に立っていた。フライパンには丸く流した生地が焼けていて、表面に小さな気泡がいくつも浮いている。横の皿には焼き上がったパンケーキが重なっていた。


 フィンがその隣にいた。


 苺とバナナを切って皿へ並べていた。カウンターにはベーコンとスクランブルエッグ、バター、メープルシロップが出ている。コーヒーメーカーから落ちる音が一定の間隔で続いていた。


 フィンが時々、共用スペースに転がっている五人へ顔を向けていた。口元は笑っていたが、起こす様子はなかった。


「こんなに色々やってても起きないんだ」


 惣一は焼けたパンケーキを返した。


 廊下の奥で扉の開く音がした。


 足音が近づいてきた。


 オラヴルが共用スペースへ入ってきた。


 入口で止まった。


 オラヴルが額に手を当てた。


「……どういう状況……」


 フィンがキッチンから顔を出した。


「オリおはよ。わかんない。みんな寝てた」


 オラヴルはもう一度、共用スペースを見た。


「アオイも?」


「うん」


「カラムは?」


 フィンがカラムを見た。


「さあ?」


 オラヴルはしばらく黙っていた。


 リヴァが寝返りを打った。


 ミントが位置を直してまた丸くなった。カラムの頭も少しだけ動いたが、目は開かなかった。


 キッチンでは、惣一が焼き上がったパンケーキを皿へ重ねた。


「起きたら食やいい。しばらく休みだ」


 オラヴルが惣一の方を見た。


「……」


「食え」


「…みんなが起きたら食べる」


「結構」


 フィンは切った果物を大皿へ移し、カウンターの端へ置いた。


「よし。いい朝だ」


 パンケーキの甘い匂いと煙草の残り香が、共用スペースに混じっていた。


 惣一はパンケーキを焼き終え、エプロンを外してカウンターに置いた。


「俺はしばらく出る。アルノの怪我の面倒見とけ」


「あれ?食べないの?」フィンが言った。


「俺がいたら休めねえだろ」


「慣れじゃない?」


「後カズマが付いてきて煩え」


 フィンは笑った。


 惣一は戸口まで歩いて、振り返った。


「近々、お前周辺の処理がある。覚悟決めとけ」


「……」


 フィンの口角が下がった。


 フィンはただ、出ていく惣一を見ていた。

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