Camel
第三セーフハウス。
医療担当がユキナガの処置を終え、アルノのそばへ戻ってから、しばらく経っていた。
ユキナガを包んでいた毛布が動いた。
目を開けたまましばらく床を見ていた。腕は毛布の中で動かず、起き上がろうと腹へ力を入れたところで、浅く息を吐いた。
カイは左肩を押さえたまま、壁へ背中を預けていた。ヴィクトルは床に横になっていた。二人はユキナガを見ていたが、少しして視線を外した。
フィンがそばへ屈んだ。
「ユキナガ」
ユキナガは顔を上げた。フィンを見て、視線はすぐ床へ戻った。
「……終わった?」
「終わったよ。全保護対象、退避完了」
「ん。おつかれ…」
ユキナガがしばらくそのまま床を見ていた。
「風呂入りたい……」小さく呟いた。
アオイが浴室の扉を見た。
「狭いですね」
「…文句言うな。ここが一番近くて安全だ」ヴィクトルが言った。
「…腕まだ上がんないし」ユキナガが言った。息を吐いた。
その時、フィンの端末が鳴った。
画面に表示された名前を確認し、耳へ当てる。
『ユキお風呂入りたいだろうから、うちに持って行っていい?』
「…ちょっと待ってね」
フィンは通話口を手で塞いだ。
「ルカが、ユキナガ来ていいって」
「……教授の家だろ」
ヴィクトルの言葉に、フィンは黙った。
床にいるユキナガの顔を覗き込んだ。
「……どうする」
ユキナガは毛布を握ったまま、しばらく床を見ていた。
「……行く」
フィンは端末を耳へ戻した。
「家族だし安心するでしょ。ルカ、お願い」
『わかったー』
ヴィクトルがため息をついた。
第三セーフハウス 建物裏。
深い緑色のランチアが、建物の裏に入った。
助手席からルカが降り、後部座席の扉を開けた。フィンはジャケットを着直し、毛布に包まれたユキナガを両腕に抱え、頭を扉の上へ当てないよう身体を屈めて座席へ載せた。
ルカは反対側から後部座席へ入り、ユキナガへ抱きついた。
運転席からレナートが後部座席の二人を確認してから、フィンへ顔を向ける。
「責任者の彼は?」
フィンは右手で髪を気だるげにかき上げた。ルカがそのしぐさを見て首を傾げた。
「指揮官は、先日の傷口が開いて重症で意識が戻りません。たたき起こしましょうか?」フィンが言った。
レナートが少し止まった。
「……君は?」
フィンは頭を車内に半分入れたまま、張りつけた笑顔を向けて英語で答えた。
「初めまして。副指揮官を任されております。フィン・ハクスリーです」
フィンの英国発音を聞き、レナートが目を細めた。
「いい家の子らしいね」
「はい。父は英国の元国防大臣で、現在は貴族院議員です。兄は下院議員です」
レナートの目が止まった。
「……なんでそんな子が、こんな所で働いているんだい」
「国家間の紛争解決が主な業務ですので」
数秒の間を置き、後部座席へ視線を向ける。ルカはユキナガを抱いたまま離れていなかった。
「……君たちのせいで、またこんな迷惑を被っているのだが?」
フィンは笑顔のまま言った。
「わかりました!ご迷惑でしたらかまいません!」
後部座席へ身体を更に入れた。
ルカの腕の中から、ユキナガを抱き上げようとした。
「教授やめてええ、ユキどっかいっちゃうよおお」
ルカがユキナガへ強く抱きついた。揺さぶられた頭が座席の背へ当たり、ユキナガが毛布の中で身体を縮めた。
「吐きそう………勘弁して……」
レナートがため息をついた。
「シートは汚さないでくれ」
フィンが後部座席から身体を戻す。
「一晩だけだ。明日帰す。お父さんによろしく」
「お疲れ様です」フィンが笑顔で言った。
フィンが後部座席の扉を閉めた。
レナートはランチアを発進させた。赤い尾灯が通りの先へ進み、角を曲がった。
フィンの笑顔が消えた。
建物の壁際へ移ってしゃがみ、両肘を膝へ載せた。ジャケットの内側からBenson & Hedgesの箱を出し、一本を咥えて火をつける。
煙を吸い、下を向いて長く吐いた。
「はー……」
「……お疲れ様です」
フィンが声に驚いて顔を上げると、アオイが煙草を持って立っていた。
「俺に気づかないなんて、相当疲れてますね」
「今、新米軍人キャラ入ってたから遅れた」
「……にしてはかなりフィンでしたけど」
フィンが少し横を向いた。
アオイはフィンの隣へ腰を下ろし、壁に背中をつけた。膝を立てると、黒いパンツから石片と乾いた血が落ちた。
「アルノ、カイ、ヴィクトルは搬送の準備に入りました。ユキナガは明日再検査だそうです」
「お疲れ様」煙を吐いた。「…もう疲れて脚動かないや」
「俺も全身痛いです。誰かが俺に丸投げするせいで……」
「でも出来たじゃん」
アオイがMEVIUSに火をつけた。煙を吐いた。
「……フィン、とんでもない家柄だったんですね…」
「わざわざ出してなかったけど。なんかもういいや、って思った」
フィンは少し下を向いた。
「引いた?」
「ドン引きですよ」アオイが言った。「でもフィンはフィンなんで」
「……」フィンがアオイを見た。「……口説いてる?」
「は?」
二人の煙草から同じタイミングで灰が落ちた。
揃って足元へ視線を落とし、フィンが一口吸った。
「また、死ねなかったね」フィンが煙を吐きながら言った。
アオイも一口吸って、煙を吐いた。
「はい。残念です。絶好の機会でした」
アオイは血の固まった右手で煙草を持ち、足を開いて膝に腕を置いて、頭を下げた。
フィンは短くなったBenson & Hedgesを足元へ落とし、かかとで火を消した。
「隠さなくなったんだ」
「もういいや、と思いまして」アオイが笑った。
フィンが左手でポケットからCamelを一本取り出した。火をつけた。
「リヴァの加護が効いたね」
「マジでありそう……」
フィンがBenson & Hedgesの箱を放り投げた。
「え、それ捨てるならくださいよ」
「やだよ」
フィンがその箱をかかとで踏んだ。
「金持ち不良め…」
「たまにはグレないと。ね」
フィンがCamelをくわえたまま、上を向いて煙を吐いた。
しばらく二人で壁に背をつけ、そうしていた。




