オーロラフレアブルーパール
襲撃後、午前一時三十分 首都高
車が二台、首都高を走っていた。
先がアルノの白いクラウン。後がカイの青いスカイライン。
深夜だった。道が空いていた。東京の夜景が窓の外を流れていた。
拠点を出てから、まだ一時間も経っていなかった。
荷物は最小限だ。優先回収物のリストはアルノが前から組んでいた。全員がそれを頭に入れていた。だから混乱はなかった。静かで、速かった。
ただ、横浜の空気が、まだ肺の中にある気がした。
カイのスカイラインの車内。車のボディが、首都高の光を反射して水面のようになっていた。
「青い車、かっこいいね」リヴァが言った。
カイが運転し、助手席にリヴァ。後部座席にユキナガ。オラヴルはアルノの車に乗っていた。カズマは居なかった。
「カイの車?」
「そうだ。オーロラフレアブルーパール」
「……なんて?」
「色の名前」
「ふうん」
いつのまにか、アルノの車が見えなくなっていた。
ユキナガは膝の上でラップトップを開いていた。
「さすがに疲れた。寝たい」
「寝ちゃえば?」リヴァが言った。
「もうちょっと…」ユキナガはキーを叩きながら言った。「今夜どこ泊まるんだっけ」
「ホテルメッツ武蔵境」彼女が言った。「駅の上のやつだって」
ユキナガはキーを叩きながら言った。
「便利」
「新しい拠点も最寄りだって」
「アルノ、全部手配速い」ユキナガは少し笑った。「速すぎて怖い時ある」
しばらく、エンジン音だけが続いた。
首都高の光がフロントガラスを流れていく。
カイは前を向いたまま、左手でパドルシフトを一度引いた。
軽い金属音が聞こえた。回転数が上がった。
彼女は窓の外を見ていた。
首都高の夜景が流れていた。
「武蔵境って、どんなとこ」
「中央線の、吉祥寺の二個隣」ユキナガが言った。「吉祥寺より静かで、三鷹より地味。でも住みやすいって聞くよ」
カイがミラーを見た。ユキナガが続ける。
「武蔵境はあと…確か…家系ラーメンもあるよ。行ったことある」
「家系ってことは横浜からきてるじゃん」リヴァが笑う。
「拠点落ち着いたら行く」カイは言った。
「いこいこ」ユキナガが言った。
「おなかすいた…アルノのチョコでいいからほしい…」リヴァが言った。
その時、無線が入った。
アルノの声だった。
『ホテルに先に入ります。チェックインの手続きは済ませておきます』
「東京の管理ホテルは使わなかったのか」カイが言った。
『奴が動いた以上、関東圏の身内のラインは全て網がかかっていると見るべきです。ここは完全に一般の導線なので選びました』
「了解」
『ユキナガ、配線の件ですが』
「明日やるよ、機材が届き次第」
『一人でやるつもりですか』
「俺のシステムだから」
『……明日夜から、私は少し抜けます。何かあれば報告を』
「はーい」
無線が切れた。
ユキナガは小さく笑った。
中央道を走り、調布インターを降りた。そこから北へ向かうと、深夜の住宅街だった。
横浜と違って、海の匂いがなかった。空気が乾いていた。静かだった。信号が変わっても、走る車がなかった。
彼女は窓を少し開けた。
夜風が入った。
草の匂いがした。公園が多いせいかもしれなかった。遠くで、風が木を揺らす音がした。
「……静かだね」
「横浜よりはね」ユキナガが言った。
ホテルメッツ武蔵境は、駅の真上にあった。
エントランスが静かだった。ロビーからカフェに直接入れるようになっていた。
フロントにアルノがいた。チェックインを済ませて、カードキーを人数分持っていた。
「お疲れ様です」アルノは言った。
全員を見た。
確認してから、カードキーを配った。
オラヴルはもう部屋に行っていた。
リヴァにカードキーを渡す時、一拍だけ長かった。
カードキーのプラスチックの上に、小さな茶色の包みが重なっていた。ジャン=ポール・エヴァンの、個包装のミルクショコラだった。
「わあい」
「眠れそうですか」
「うん」
エレベーターが八階に上がった。
アルノだけ六階で降りた。
廊下に出た。
ユキナガが自分の部屋のドアを開けながら言った。
「おやすみ」
「おやすみ」リヴァが言った。
ドアが閉まった。
廊下に、彼女とカイだけが残った。
カイは部屋のドアの前に立っていた。
彼女も自分の部屋の前に立っていた。
隣同士だった。
「カイ」
カイは顔だけをこちらに向けた。
「横浜、好きだった?」
カイは少し間を置いた。
「……海があった」
「うん」
一拍あった。
「……日産の本社もあった」
リヴァが小さく笑った。
カイはドアを開けた。
入る前に、一度だけ彼女を見た。
「おやすみ」
「おやすみ」
ドアが閉まった。
彼女は自分の部屋に入った。
カードキーをテーブルに置いた。
窓に近づいた。
武蔵境の夜が広がっていた。横浜より空が広かった。ビルが低かった。遠くに武蔵野の緑が、暗い中でもわかった。
静かだった。
ポケットから、さっきのチョコと煙草の箱を出して、サイドボードに置いた。
ベッドに座った。
チョコを口に入れた。
甘かった。
眠れそうな気がした。
次の日。
ロビーに降りた。
「よ」ヴィクトルだった。ロビーのソファに深く沈んでいた。
「泊まったの」
「ああ」
「ここに?」
「他にどこがある」
「自分とこ、戻らなかったの」
ヴィクトルはソファに沈んだまま、リヴァを見た。
「お前が横浜を出たんだろ。横浜に戻る理由がない」
リヴァは少し止まった。
ヴィクトルは立ち上がった。
「新しい拠点を見ておきたかった」付け加えた。「それもある」
「どっちが本当?」
「両方だ」ヴィクトルは肩をすくめた。「文句あるか」
「別に」
全員で、初めて新拠点に入った。
外観は、ただの雑居ビルだった。
三階建てと、地下。外壁がベージュのタイルで、角が少し欠けていた。一階にかつて歯科医院が入っていた区画がある。看板の跡が残っていた。エントランスのドアがガラス張りで、中が見えた。
外観はどこにでもある、武蔵境の普通のビルだった。
エントランスを入った。
床がコンクリートだった。横浜の拠点はタイル張りだったから、足音が違った。少し鈍い音がした。
天井が高かった。
「広い」
「床面積は横浜より狭いです」アルノは端末を見ながら言った。「ただ、天井が高い分、圧迫感がない」
天井を見た。
梁が出ていた。古い木の梁だった。改装しても残してあった。それが、妙にいい雰囲気を出していた。
一階を見て回った。
エントランスから奥に進むと、広い共用スペースがあった。
壁際に窓が並んでいた。外が見えた。小さな庭があった。
次にキッチンを見た。
ユキナガが棚を開ける前に窓の外を一秒確認してから、開けた。
「カウンター、ここに作れる」ユキナガが言った。
「バーのことしか考えてないだろ」ヴィクトルが言った。
「システム配線の次に最優先」
「まだ入って五分だろ」
二階に上がった。
個室が並んでいた。
横浜より部屋が広かった。窓が大きかった。
リヴァは一番奥の部屋を覗いた。
ビルが低い。遠くに武蔵野の緑が続いていた。
「ここがいい」
「早いですね」アルノが言った。
「気に入ったから」
「いいと思います」一拍置いた。「窓が大きい部屋です。朝の光が入りやすい」
リヴァは窓に近づいた。
空を見た。
青かった。
全員で一階に戻った。
共用スペースの真ん中に立った。オラヴルがいた。
梁が頭の上にあった。窓から庭が見えた。キッチンが奥にあった。
ヴィクトルが窓から庭を見ながら言った。
「雑草、誰が抜く。こりゃ面倒だ」
「オラヴル」ユキナガが言った。
「……困ったな」オラヴルが顔を出しながら言った。
リヴァが言った。
「じゃあ一通り終わったら、みんなでやろう」
アルノがあからさまに横を向いた。
「私はこの後しばらく出るので」
オラヴルは少し間を置いた。
「……うん」
"Taken by the Night" / L'Orange & Jeremiah Jae




