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『リヴァ・アルカ ―世界を確定させるアンカーと最強たちの執着譚―』  作者: Ilir Noct
第二章「交点のノイズ ― Noisy Intersection」

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鉢合わせ

 

 武蔵境の拠点に移動して、3日ほど。


 夕方、廊下でカズマと鉢合わせた。


 鉢合わせた、というより、待っていたようだった。


 武蔵境の拠点にいつの間に移動してきたんだろう。と思った。


「暇?」と彼は言った。


「…」


「そんな警戒しないでよ」


 カズマが笑う。包帯はないが、左手の傷は、まだ治っていなかった。


「カズマって、この拠点どこにいるの」とリヴァは聞いた。


「どこかに」


「部屋は」


「ある」


「どこ」


「忘れた」


 忘れた、と言った顔が、嘘をついている顔じゃなかった。本当に忘れているのかもしれなかった。


 カズマが壁から背中を離した。


 一歩、こちらに来た。


 リヴァは動かなかった。


 カズマが左手を取った。手首じゃなくて、手のひらを上から包む感じで。


「何してるの」


「見てる」と彼は言った。


 手の甲を上に向けた。夕焼けが差し込む廊下、その光の中で、左手の甲を見た。横浜で会った時につけた傷が、残っていた。


「消えてないな」


「消えないよ、まだ」


「そう」カズマは少し笑った。「よかった」


「よかったって何が」


「消えてたら、また切るとこだった」


 手を放した。


「じゃあちょっと来て」


 理由を言わなかった。でもついてこいと歩き始めたから、ついていった。


 連れていかれたのは、武蔵境拠点の地下一階、資料室の隣の小部屋だった。使っていない部屋だった。段ボールが積んであって、折りたたみの椅子が二脚、壁際に立てかけてあった。


「何するの」


「暇つぶし」とカズマは言った。


 椅子を二脚出して、向かい合わせに置いた。座った。リヴァも座った。


「ナイフ持ってる?」


「持ってない」


「そう」カズマは自分のナイフを出した。テーブル代わりにしていた段ボールの上に置いた。「じゃあこれ使って」


「何に」


「当ててみて。俺に」


 リヴァはナイフを見た。それからカズマを見た。


「嫌」


「平気」とカズマは言った。本気でそう思っている顔だった。「お前、狙ったら当たるんでしょ。それを見てみたい」


「当たるよ」


「多分だけど」とカズマは言った。前のめりになった。目が少し違う光を持っていた。楽しんでいる目だった。「お前の能力、俺には通じないと思う。だから試したい」


「なんで通じないと思うの」


「前会った時」と彼は言った。「お前、俺を見る目が他のやつと違う」


「どう違うの」


「迷ってる」カズマは言った。「他のやつを見る時は迷わない。でも俺を見る時だけ、一瞬だけ何かが引っかかる顔をする」


 リヴァは何も言わなかった。


 否定できなかった。


「ほら」とカズマは笑った。「試してみようよ」


「試さない」


「なんで」


「怪我させたくない」


 カズマは少し止まった。


 それから、また笑った。今度は少し違う笑い方だった。


「それ、俺への心配?」


「そう」


「はじめて言われた」とカズマは言った。声が少し低くなった。「そういうこと」


 立ち上がった。


 一歩、来た。


 リヴァは立ち上がろうとした。


 カズマの手が、肩に乗った。力じゃなかった。ただ、置いた。でも立てなかった。


「お前さ」とカズマは言った。上から見下ろしていた。「俺と本気でやったら、どっちが勝つと思う」


「わかんない」


「俺もわかんない」彼は言った。「でもそれって、すごくない?俺がわかんないって思う相手、お前だけだから」


「それ褒めてるの」


「褒めてる」とカズマは即答した。「だから試したい」


 肩の手が、首の方に動いた。


 首じゃなかった。耳の後ろ、髪の生え際のあたりに指が触れた。


 軽かった。でも、逃げ場がなかった。


 カズマの目が近かった。楽しんでいる目だった。悪意がなかった。それが一番怖かった。


「カズマ」


「ん」


「離して」


「嫌」とカズマは言った。あっさりと。「もう少しだけ」


「何を」


「見てたい」と彼は言った。「お前の顔、今すごく面白い」


 カズマの指が、リヴァの右側の耳たぶに触れた。その瞬間、彼女の表情が変わる。


「…っ」


 まただ、と彼女は思った。ジッポライターの音を聞いたときと同じ。


 体が自分の意志と反対に、固まってしまう。


「…?」その明らかな変化に、カズマは怪訝そうな顔をした。「何ーー」


 言いかけたとき、ドアが開いた。


 カイだった。


 一瞬で状況を見た。リヴァの肩に手を置いているカズマ、目の焦点が合わないリヴァ、逃げ場のない椅子、ナイフが乗った段ボール。


 部屋の温度が変わった。


「離せ」


 声が低かった。命令だった。


 カズマはゆっくり振り返った。


「あ、カイ」と言った。挨拶みたいに。「邪魔」


「離せ」とカイはもう一度言った。


 カズマはリヴァを見た。


「続き、また今度ね」


 手を離した。ナイフを拾った。ポケットに入れた。カイの横を通り過ぎる時に「ノックくらいしなよ」と言った。


 カイは何も言わなかった。


 カズマが廊下に消えた。


 カイがリヴァの前に来た。肩に手を置いた場所を、目で確認した。触れなかった。でも確認した。


「怪我は」


「…ない」


「何をされた」


「…わからない」


 カイは少しだけ目を細めた。


「カズマについていくな」と彼は言った。


 リヴァはカイを見た。


 命令だった。でもその声の底に、命令じゃない何かがあった。


「わかった」と言った。


 カイは答えなかった。


 段ボールの上に、ナイフの跡が残っていた。カズマが置いていった跡だった。


 カイはそれを一秒だけ見た。


 それから、リヴァの前に立ったまま、動かなかった。廊下に出るのを待っているのか、もう少しここにいるつもりなのか、わからなかった。



”La Ciudad” / Natalia Lafourcade

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