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『リヴァ・アルカ ―世界を確定させるアンカーと最強たちの執着譚―』  作者: Ilir Noct
第二章「交点のノイズ ― Noisy Intersection」

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触れられる前に

 

 その夜、アルノに呼ばれた。


 場所は執務室だった。ドアを開けると、アルノとローワンが両方いた。


 アルノはデスクの前に立っていた。JPSを指に挟んでいたが、火はついていなかった。ローワンはソファに腰を下ろしていた。長い脚を組んで、ダンヒルを指に挟んでいた。こちらも火はない。


 二人とも、煙草に火をつけていなかった。


 待っていた、という空気だった。


「座ってください」とアルノが言った。


 リヴァはローワンに隣に座った。ふかふかのソファ。アルノは端末から手を離した。


「カズマに会った」


 アルノは少しだけ止まった。表情は変わらなかった。


「さっき、2人になった」とリヴァは言った。「ナイフを渡されて、当ててみてって言われた」


 アルノはまた何も言わなかった。


「断ったけど」とリヴァは続けた。「その前に、なんか」


 言葉が出てこなかった。


「なんか」とアルノが繰り返した。急かさない声だった。


「当てられる気がしなかった」とリヴァは言った。「ナイフを見た時。いつもは、狙ったら当たる感じがする。なんとなくだけど。でもカズマの時は、その感じがなかった」


 部屋が静かだった。


 空調の音だけがある。


 アルノは眼鏡のブリッジを押し上げた。


「今まで、そういうことはありましたか」とアルノは言った。「カズマ以外で」


「ない」


「確かに」


「確かに、って」


「知っています」とアルノは言った。「あなたの射撃の瞬間、カズマの戦闘をみた時と同じような感覚があったので」


「知ってたの」


「あくまで、感覚的です」とアルノは言った。「原因はまだわかりません」


「教えてくれなかった」


「あなたが気づいていなかった」とアルノは言った。「不完全な情報を渡すことは得策ではありません」


「今は」


「今はあなたが気づいた」とアルノは言った。「だから話します」


 テーブルの上に、JPSを置いた。火はつけなかった。


「カズマは」とアルノは言った。「この組織の中で、唯一あなたの能力が通じない人間の可能性は、あります。理由はわかっていない。ただ」


 一拍。


「彼があなたに近づく理由が、そこにある可能性があります」


「どういうこと」


「あなたは全ての対象に能力が通じる。それが当然になっている」とアルノは言った。「カズマだけが例外です。彼がそれを知っているかどうかは分かりません。ただ、彼は本能的に感じている可能性がある」


「だから試したいって言ってたの」


「おそらく」


 リヴァはテーブルの上のJPSを見た。


「あと、カズマが耳を触ったの」彼女が髪を耳にかける。「その時に、なんか変だった。時間が止まったような」


 アルノが何かに気づく。ライターの時と、同じ。ローワンがアルノの方をまっすぐ見ていた。


「どのあたりですか?」ローワンがソファから体ごとリヴァを見る。


「ちょうどこのへん」


 そういってリヴァは、右の耳たぶを指で触った。


「自分で触っても何ともないのに」


「怖いですか」とアルノが言った。


 珍しい聞き方だった。アルノがそういうことを聞く人間だと思っていなかった。


「怖いというより」とリヴァは言った。「気持ち悪い感じ」


「気持ち悪い」


「自分の感覚が当てにならない感じ」とリヴァは言った。


 言葉が続かなかった。


 アルノは少しの間、リヴァを見た。


「それは正直な感覚です」と彼は言った。「その感覚を、大事にしてください」


「どうして」


「あなたが自分の能力を過信しない理由になります」とアルノは言った。「カズマは危険ですが、あなたにとって必要な存在かもしれない」


「必要?」


「例外があることを知っている人間は」とアルノは言った。「慎重になれます」


 リヴァはアルノを見た。


 眼鏡の奥の目が、静かだった。


「カズマには近づくな、とは言いません」とアルノは続けた。「ただ」


 JPSを指で持ち上げた。


「一人にはならないでください。カイか、私か、誰かと一緒の時だけにしてください」


「カイにはついていくなって言われた」


「カイはそう言うでしょうね」とアルノは言った。微かに、口元が動いた。「私はそうは言いません。ただ、一人はだめです」


 リヴァは少し考えた。


「アルノはカズマのこと、どう思ってるの」


 アルノは少し間を置いた。


「有能です」と彼は言った。「ただ」


「ただ」


「信頼と有能は、別の話です」


 前にも聞いた言葉だった。ヴィクトルの時に言っていた。


「アルノってそれよく言うね」


「よく使うことになる言葉です、この組織では」とアルノは言った。


 JPSをテーブルに戻した。


「話してくれてありがとうございます」と彼は言った。


「別に」


「別に、ではありません」とアルノは言った。「あなたが感じた違和感を、言語化して持ってきた。それは重要なことです」


 アルノがデスクの前から離れて、リヴァの正面に立った。



 



「さて。本題に入ります」眼鏡を押し上げた。「グレイ・マルセルについて。共有します」


「うん」


「今回の横浜拠点襲撃の背後にいる人間です。ただ、グレイが直接動くというよりは、おそらくまず、誰かを使うでしょう」


「誰を」


「今回は特定できていません」とアルノは言った。「ただ、一つ名前が出ています」


「誰」


「アルバン・カストラティ」とアルノは言った。


リヴァは聞いたことがなかった。


「フリーランスの始末屋です」とアルノは言った。「グレイとの関係は不明。ただ、同じ場所に名前が出た」


「どんな人間なの」


アルノは少しの間、答えなかった。


「わかっていないことの方が多い」


それだけだった。


「話をグレイに戻しましょう」


 JPSをテーブルに置いた。


「グレイはフランス出身です。表向きは投資家ですが、実態は裏社会の広域支配者です。港湾都市を中心に、人、薬物、情報、全ての流通を押さえている。直接手を下すことはほとんどない。ただ」


 一拍。


「焦りません。自分が手を下すために、時間をかけて状況を整えてくる」


「嫌な人だね」


「はい」とアルノは言った。「非常に」


 ローワンが口を開いた。


「今夜呼んだのは」と彼は言った。「グレイがあなたに関心を持っている可能性があるからです」


「私に」


「あなたがここに来てから、動きが始まった」とアルノは言った。「偶然とは考えにくい」


 リヴァはテーブルの上のJPSを見た。


「グレイって、どんな人間なの。もっと具体的に」


 またアルノとローワンが目を合わせた。


 今度は少し長かった。


 ローワンが答えた。


「触れてくる人間です」と彼は言った。「距離が近い。それが支配の手段になっている」


「文字通りです」とローワンは続けた。穏やかさが揺れなかった。「接触によって相手の実在を確認する。そして相手の中に自分を刻む。恐怖でも、混乱でも、何でもいい。自分の痕跡を残すことが目的です。時には神経系の毒や、物理的な道具を使って」


 部屋が静かになった。


「自分の存在を刻み付けて、支配する」とアルノは言った。「手段は選ばない」


 リヴァは少しの間、何も言わなかった。


「あなたへの欲求が何なのかは、今のところ分かっていません」


 ローワンが、ソファの上で少しだけ体をこちらに向けた。


「一つだけ」と彼は言った。低い声だった。「覚えておいてください」


「何」


「グレイに会った時」とローワンは言った。「穏やかに見えます。声も、態度も。怖い人間には見えない。でも」


 指先が、リヴァの手の甲にかかった。


 アルノよりも優しい、ローワンの穏やかな声が、今は無機質に感じられた。


 触れる、というほどじゃなかった。ただ、乗った。重さがほとんどない触れ方だった。


「その穏やかさの中にいると、気づかないうちに逃げ場がなくなっていきますからね」


 リヴァはローワンの指先を見た。


「だから」とローワンは続けた。「慣れないでください。穏やかさに」


「慣れた瞬間が、一番危険です」とアルノが言った。


 気づいたらアルノがリヴァの正面にしゃがんでいた。


 目線が同じ高さになった。眼鏡の奥の目が近かった。静かだった。いつもより、少しだけ静かだった。


「リヴァ」と彼は言った。


 リヴァの前髪に、アルノの指が触れた。額にかかっていた一筋を、ゆっくりと払った。それだけだった。でもそのまま、手を引かなかった。髪に触れたまま、少しだけ止まった。


「体が警戒している、という感覚を、消さないでください」と彼は言った。


「消したら」


「慣れます」とアルノは言った。「グレイの穏やかさに」


 声が、いつもより低かった。


 リヴァはアルノを見た。それからローワンを見た。


 手の甲に、まだローワンの指先があった。アルノの手が、まだ髪に触れていた。


「2人とも」とリヴァは言った。


「何ですか」とアルノが言った。


「ほんとにこわいんだけど」


「何が」とローワンが言った。


「グレイじゃなくて」とリヴァは言った。「今」


 一拍あった。


 アルノが立ち上がった。前髪から、手が離れた。


「それは」と彼は言った。眼鏡のブリッジを押し上げた。「失礼しました」


 ローワンが小さく笑った。声を出さない笑い方だった。手の甲から指先が離れた。名残があった。


「怖がらせるつもりはありませんでした」とローワンは言った。「ただ」


「ただ」


「あなたに知っていてほしかった」と彼は言った。「グレイの感覚を」


 アルノがJPSを手に取った。今度は火をつけた。銀のライターの炎が上がった。煙が静かに上がった。


「今夜は休んでください」とアルノは言った。「明日以降、対策を話します」


 リヴァは立ち上がった。ドアに向かった。


「リヴァ」


 ローワンだった。


 振り返った。


 ローワンはソファに座ったまま、こちらを見ていた。長身が、薄暗い部屋の中で静かだった。銀の髪が、デスクライトを反射していた。


「何か怖いことがあったら」と彼は言った。「処置室は開いています」


「怪我してないけど」


「怪我じゃなくても」とローワンは言った。「あなたがいる場所として、開いています」


 リヴァは少しだけ、ローワンを見た。


 それからアルノを見た。


 アルノはJPSを持ったまま、こちらを見ていた。何も言わなかった。でも、視線が離れなかった。


「……わかった」


 ドアを閉めた。


 廊下に出ると、執務室の中から低い声が聞こえた。二人の声が混じっていた。内容は聞こえなかった。


 グレイという名前が、まだ少し耳に残っていた。


 でもそれより、額に触れた指先の温度の方が、少し長く残った。


 廊下を歩きながら、処置室のドアを横目で見た。


 少しだけ、開いていた。




“Fjara” / Sólstafir

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